人生のスタンプラリー

人生のスタンプラリー認定協会埼玉支部

正木郁と太田将熙に夢をみるおたくのひとりごと


舞台「片想い」を観てきましたよ!
今から書くのは、正木郁くんと太田将熙くんという、僕が今めちゃくちゃメロメロになっているふたりの役者としての未来があまりにもキラキラしているから、すくなくともそう見せてくれるから、それに投資したい、好きにならせてくれてありがとうという記事です。僕は役者としての彼らが好きなので、アイドルとしての彼らが好きな人はたぶん読んでもムカつくだけだと思います。あとごめん僕の推しはKUROFUNEなんだ笑


まず「片想い」の話。
正直方南ぐみさんの脚本とは相性が悪いことをあたっくNO.1で思い知ったので、今回はもう役者を見るぞー!!っていうつもりで行きました。
目当ての役者はDearDreamの薄紫担当こと正木郁(まさきかおる)くん。なんと今回初舞台。
あのね、素晴らしかったです。

結論から言うとまた僕は素晴らしい憑依型の役者に出会ってしまった。正木郁くんでも、ドリフェス!のチヅでもない、今回の郁くんの役柄だった静雄がそこにいた。

ドリフェス!以外の芸能のお仕事ははじめてだった郁くん、本当に、芸能界に飛び込んできてくれてありがとう。ああいう演技を届けてくれてありがとう。
最後のあいさつで声を詰まらせながらお客さんに感謝して、誰よりも長く最後まで頭を下げてくれて、カーテンコールの「ありがとうございました!」が誰よりも大きくて。なんで誠実な子なんだろう、と。涙こらえてるのがわかったから、つられて泣いちゃった。
ああ、この子を応援したい、この子が役者として大成するのを見届けたい、この子がもっともっと役者として素晴らしくなっていく瞬間の目撃者になりたい。そんなふうに思わせてくれる、素晴らしい役者さんでした。

最初に舞台上に出てきたとき、あれ?どれが郁くん?って思うくらい「場に馴染んで」いて。途中で「あっあれ郁くん!?」って気づいたときにはなんだかおかしかった。大好きで何度も見てるお顔のはずなのに、役になってるなあ、と。

比較的、時間軸とかの展開が大きいお話だったこともあって、彼の見せ場もいくつもありました。
その中でとくに素晴らしかったと僕が思うのは「声」「背中」それから「眼」。

「声」の素晴らしさはドリフェス!でも思い知っているけれど、チヅでも郁くん本人でもない声を聞いてますます思った。あの声は本当に彼の武器!
最初のセリフで静雄という男を印象付けて、そのあとずっと音域が広いからそれをフルに生かして表現される喜怒哀楽。
その声が本当に生きたな、と思ったのは「背中」と組み合わさったシーン。静雄の家族を失ったという生まれ育ちの話をするとき、シリアスなモードに切り替わって、客席に背を向けて腰掛ける。
ドリフェス!では彼の武器は豊かな表情にあると思っていたから、演技とはいえ背を向けられたのはちょっと怖かった。大丈夫?って。でもそんなの一瞬で消えた。切なげに丸められた背中と、下を向いて泳ぐのが背後からチラリと垣間見える視線。背中で語ることでより強く説得力を持ったシーンだった。なんだよ、背中で語れるんじゃん!と感動。
そしてそこで絞り出される声。明るく振舞おうとして、うまくできてない声。明るさを取り繕うのをやめた声。上司の名前を呼ぶときの、誰のものでもないような、きっと「静雄が家族以外に漏らしたことのない声」。
最初に「憑依型の役者」って書いたけれど、彼が役を憑依されるのは声だな、と。声が、郁くんのものではなくなる。今回の舞台なら静雄の声が聞こえる。でもわざとらしいか、発声に無理があるかというとそんなことは全然ない。静雄の魂みたいなものがあるとしたら、それは郁くんの声に宿っていたと思う。
だからシリアスなシーンでも、逆にコミカルなシーンでも、あらゆるセリフにとても説得力があって、彼の声にずっと耳を傾けるように舞台を観ていた。

あと、「眼」。いやあ美しかった。
最後の最後にみんなで記念の歌を送り届けるシーンがあるのだけれど、そのシーンがね…眼がね…。あんなに優しくて、キラキラした眼で見る世界は、どんな色をしているのだろうかと…。
決しておめめが大きくてキュート♡みたいな俳優さんではないのに、あるあはだからこそ、あの眼で語る慈愛が深かったし、それに心を本当に揺さぶられた。あの柔らかな眼から目を逸らしたくないなあ、と思った。

郁くんといえば、去年初出演だったハンサムフェスティバルの「応援してください、って頼むことはしません。僕が頼むことはひとつだけです。僕を見ていてください。見ていてくれたら、あなたのハートは僕が掴んでみせます!」っていう名言が僕は忘れられない。だから今年は彼のことをちゃんと見ていようと思って今回の舞台も行ったわけだけれど、いやあ、ハート掴まれてしまった……。聞いてないよこんなにいい役者だなんて聞いてないよ……。
「見ていてくれれば応援したいと思わせてみせる」「見ていてくれれば幸せになるような俳優になる」「見ていてくれる人の心に魔法をかける」みたいな強さが彼にはあるように僕は感じているし、それは本人も意識しているところはあるんだろうなあ、と。
この子応援してると幸せになれるんだ、っていう感覚。ぶっちぎりで顔面偏差値が高いわけではないし芸歴が長いわけでもないからこそ、幸福とか誇りを感じさせてくれる俳優になることが彼なりの「売れるための」勝負の仕方なんじゃないかと思う。
だとしたらその売れるための勝負の仕方、めっちゃ応援したいし、今日僕は郁くんのためにチケットを買ったことを誇りに思いました。

今回の舞台を超えて、彼は飛び込んできた芸能界という場所でこれからは生きてくれるんだ、と確信できたことがとても嬉しい。これからも応援させてほしい。
し、彼を「推しです!!!」って宣言してる人たちが正直羨ましい!!!!推しの初舞台が見られて、今後も応援するって、郁くんの未来に投資したいって思えるの、すごく羨ましい。


そして、これからも芸能界で生きていくって覚悟したんだろうな、って同じく思っている俳優さんがいて、それがDearDreamにおけるチヅas正木郁くんの相方、いつきas太田将熙(おおたまさき)くん。
先日の「あたっくNo.1」という舞台もとても素敵だったのだけれど、なによりそれ以来、目つきというか、スタンスというか、変わったなあって感じることが多い。すごく、急にオトナになったの。

ポルノグラフィティが大好きで10年以上ガチのファンやってるんだけれど、僕の中で若いときのポルノのギターさんって「コンプレックス、自信のなさ、周りと比較したときの自分、ネガティヴ、でも自分の強みもわかってる、なにより自分で芸能界って場所を選んだ、それでも怖い、隣の人にコンプレックスを抱いてしまう、でも立ち向かいたい、でも怖い…でも、」みたいな葛藤が大きくあったイメージで。それは彼の書いたエッセイも、過去の動画を見てもそう。憧れの芸能界で、楽しくて、嬉しいこともあるけど、でも現実を見たら終わってしまうから目を閉じて、自分の中にある「いつか終わる」という恐怖から必死に目を背けて…。
まぁそれを超えたからいま日本が誇るロックバンドなんだけど。でも僕がもしあと10年早く生まれていたらその売れたいと怖いと夢を見たいと現実が怖いのはざまで葛藤する新藤さんを見られていたんだなと思うとそれだけは羨ましいなと思うのもまた事実で。

で、僕が感じる太田将熙くん、そういう意味でとてもポルノのギターさんに似ている。
きっと本番中やライブ中はすごく楽しくて、嬉しくて、準備も楽しいんだろうなっていうのは見ていて思う。彼はDearDreamのライブのときなんか幸せの爆弾みたいな人だから、各方面にすごく幸せオーラをぶっ放してくれる。でも、売れるのかって不安とか、自信をなくしたりとか、現実に打ちひしがれたりも、当然しているわけで。
だからドリフェス!の中で将熙くんを追いかけながら、辞めないといいな、芸能界にいつづけてくれるといいなって、こっちが思ってしまったこともあった。これは将熙くん悪くないんだけどね、面倒なおたく(僕です)が過保護なだけだから。

でも、あたっくNo.1という舞台を終えてからの将熙くん、めちゃくちゃ肝が据わったように見えてカッコいいんだよ…。顔つきが変わったってはっきりわかるくらい。ああ、これからもしばらくは、芸能界にいてくれるなって。演技を届けてくれるなって、安心できるくらい。
あたっくの中での演技もとても良かった。ういういしさとシビアさと、コミカルさとシリアスさのバランス感覚にすごく優れている役者さんだと思った。舞台上の空気に馴染むことも、つくることもできる役者さんだったし次の劇団プレステージの本公演も楽しみなのだけれど。
その「あたっくNo.1」のパンフレットで、将熙くんは「DearDreamとしてアイドルを演じる日々が続いたから、アイドルではない演技にすこしだけ恐怖感がある、それを乗り越えたい」みたいなことを書いていたのね。僕は、いちおたくとして、彼はそれを見事に超えられたって感じている。
間違いなくこれからますます進化すると思う。でもきっとこれからも葛藤するんだと思う。これからはその葛藤を超えて、またさらにカッコよくなる瞬間の目撃者に僕はなっていけるのかもしれないなあと思うとゾクゾクする。


つらつら書いてきた「だぶるまさき」こと正木郁くんと太田将熙くん、これからもドリフェス!はもちろんたくさんお芝居のお仕事してほしいし、それを見つめさせてほしい。みんなが知ってる役者になるまで、見届けさせてほしい。僕はだぶるまさきのこれからにすごく夢をみているし、夢をみせてくれるふたりだなと。ふたりのタイプは全く違うけれど、それでもこのふたりの尊さにひたすら両手を合わせる日々です。
もっと売れろ〜。世界にバレろ〜。
ダイヤはダイヤにしか削れないけれど、エンターテイメントはエンターテイメント以外によっても磨かれる。それは音楽や、人との出会いや、俳優と素直に呼ぶにはめんどくさい2.5次元のお仕事だとか、いろんなもの。
だからどうか、ドリフェス!でも、他の舞台でも、プライベートでも、いろんなことに挑戦してすべてを芸の肥やしにしてくれ〜!!!そしてこれからも応援させてくれ〜!!!!!

 

 

ポルノ記事まとめ

自分が遡るときに面倒なので笑、ポルノ関連の記事はここにまとめておきます。ポルノの話は日常的に出てくるけど、これはポルノのこと書いたなってくくれる記事を。
随時更新するよ。


嵐に歌ってほしいポルノグラフィティについて本気出して考えてみた *16/05/16
http://bookmarker35.hatenablog.com/entry/2016/05/16/165913

part time love affair *16/11/08
http://bookmarker35.hatenablog.com/entry/2016/11/08/233442

パノラマシスター *17/04/08
http://bookmarker35.hatenablog.com/entry/2017/04/08/013231

ルーズの歌詞の美しさ *17/07/27
http://bookmarker35.hatenablog.com/entry/2017/07/27/134513

 

ダイアリー 17/08/03


今日の夕方、冷房の効きすぎたカフェでスケジュール管理をしていて(ちなみにまだ終わっていない)、なんだか底冷えしてしまったから外に出て、ふと書いた文章。なんとなく熱に浮かされているのは、考えるよりも先に言葉が動いたからだと思う。
ほんとうはもうひとつブログを書きたいのだけれど、早寝しないといけないから、またあした。あしたは感謝したい話を書きます。


***

ほんの、ここ一年の話だ。
君は幸せになっていいんだよ、ならなければならないんだよと言ってくれた人は3人いる。コンスタントに言い続けてくれたのはふたり。君は幸せになっていいんだよという言葉ではなかったけれど、その意味を込めて言葉と愛情をくれた人はあとふたり。それから、いつだって大丈夫だと、肩を叩いてくれた人も、何人もいる。

昔から自分の幸せをイメージするのが苦手だった。絵とか動画として、実際に幸せに笑う自分を思い描くのが良いのだというのは知っていた。だけれど僕の頭はそんなにじょうずにできあがっていなくて、「イメージする」とか「思い描く」とかいうことが難しかった。能力が欠如しているわけではないから、全くできなかったってわけではないけれど、そんなイメージよりもはるかに自分の文章のほうが自分をうまく説得してくれた。自分の書き言葉上手い下手は知らないけれど、言霊は人並みではないという自負はある。そして僕は、昔から自分を否定して、自分を責めることが圧倒的にうまかった。こればっかりは、才能だと思う。

昔から衝動性も強かった。
怒りや悲しみや欲望は、15分我慢すると落ち着くという話がある。欲しいと思ったものは15分落ち着いてから考えてみれば本当に必要かそうじゃないかがわかると。僕にはその15分ができなかった。15分も我慢できなかったし、そのあいだに動悸や頭痛なんかで苦しくなってしまって、それから解放されたくて衝動を爆発させていた。僕が怒りっぽいのも、喜怒哀楽の表現が過剰なのも、お金の管理が下手なのも、原因はこの強すぎる衝動性だと思っている。
そして、何かが起きたとき、あいつが悪い!とすぐに言うことができない子だった。何かが起きたとき、原因を全て自分に見つける子だった。自分のせいだ自分のせいだと、自分を追い込んだ。しかも、言霊が強く宿った文章で、衝動的に。

それが生まれたときから当たり前で、僕は自分のことを誰よりも信頼していなかった。自分が幸せになる権利の持ち主だと思うことができなかった。何かあるたびに、自分の言葉で自分の感情を殺し続けた。傷跡のつかない自傷行為だった。そして傷跡がないから、それが病的であることを自覚できなかったし、他者にも指摘されなかったのだ。
そのくせ他人のことは愛したくてたまらなかった。好きな人には好きと言いたかったし言っていた。言いすぎて信じてもらえなくなることなんかしょっちゅうだった。それでも構わなかった。自分を好きになってもほしかったけれど、僕が好きな人がその人自身を嫌いなことが許せなかった。僕の好きなものを嫌いな人のことが嫌いだった。

いま思えば、うつ病にはなるべくしてなったのだと思う。冷静になれば、そして前の会社の中での評価や医者の話を聞けば、自分は悪くないと簡単に判断できる。それくらいの頭脳はあるつもりだ。だけれど、衝動に囚われているときの僕にはそれができない。残念なことにいまだにできない。
たぶんこの強すぎる衝動性とは、もううまくやっていくしかないのだと思っている。

ここ一年、というのは、うつ病からの回復の兆しが見えてきてからの話だ。きみは幸せにならないといけないんだよ、と、幸せになることを恐れなくていいんだよと言ってくれる人がたくさんいた。こんなにいいことが続くのだから、次は悪いことが来ると思う必要はないと言い聞かせてくれた人がいた。最初から最後まで、ずっと幸せを受け取っていいのだと言ってくれた。あなたは幸せになる資格をすでに持っているのだと言ってくれた人がいた。わからないならわかるまで何度でも繰り返すと言って、何度も何度も言ってくれた人がいた。

僕は言葉というものを信じているし愛している。だからこそ、言葉というのは暴力にも花束にもなることもよくわかっているし、言葉に嘘をつかせることはそんなに難しくないことも知っていた。
この一年で自分に繰り返してきた嘘はいくつもある。覚悟の伴わない決意も、おぼろな理想も、心と真逆の言葉も書いた。自分は幸せになるべきだなんて思っていなくても、書いた。僕なら僕の理想になれるなんて1ミリも信じていなかったけれど、書いた。書くことでしか救われないのは昔からだ。他人を愛したいから、そのためにまず自分を愛さなければならないと思った。うまくできるか自信はなかった。いまでもない。でも、うまくいくのだと何度も書いた。ツイッターにもブログにも。ラインで人に言うこともあった。たまには音声にもした。
言葉に嘘をつかせていることに罪悪感はなかった。言葉は僕の主人だからだ。僕は言葉に導かれて動いているから、言葉が先導した結果、僕が変わっていける可能性はあると思っていた。
人間の理性なんか感情の奴隷だ。感情は衝動性と親友だ。そして僕の中で、たったひとつだけ感情をコントロールすることができる存在が、言葉だった。
言葉には言霊が宿る。たとえそれが嘘でも、まるで本当であるかのような言霊を宿すことはいくらでもできた。これもたぶん、僕の才能だ。

成功したと断言するにはまだ早いが、僕はいま、僕の言霊で自分を洗脳することに成功しつつあると思う。自分は幸せになっていいんだと唱え続けて、幸せになる資格があるんだと言い聞かせ続けたいま、明らかに日常生活で見える景色の種類が変わったと感じる。相変わらず死にたいし、希死念慮が強いがゆえの薬も飲んでいる。涙はうまくでないし、衝動には自傷を強いられるけれど、とにかく、降り注ぐ幸せを恐れてわざと逃げることはなくなった。目の前にある幸せに手を伸ばすことができるようになった。ここで運を使いたくない、と思うのではなく、ここで運を使ったら次はもっといいことが起きると思えるようになった。たまにまだ混乱するけれど、そういうときは先に書いたような友人に助けを求める。大丈夫かな、いいんだよね、僕は幸せになるのに不釣り合いではないよね、と。みんなもれなく言ってくれる。何当たり前のこと言ってるのと。あなたは幸せになるんだよ、なっていいんだよ。こわがらないで、と。

洗脳といえば洗脳だし、言霊といえば言霊だ。僕の感覚の外にはみ出して、もっと一般的に伝わりやすい言葉を使うなら「引き寄せの法則」というやつなのだろう。
僕はたぶんこれからも自分に嘘をつき続ける。いつか自分の言葉が嘘ではないと確信して文章を書けるようになる日がくると信じているからだ。自分の幸福は、自分を洗脳して呼び寄せる。だって僕は幸せになっていいし、幸せにならなくてはならないのだから。約束したあの人のために、そして誰よりも自分自身のために。

きみは幸せになっていいんだよ、と言ってくれた全ての人に感謝している。全く同じ言葉でなくても、僕が幸せになるための言葉や行為を尽くしてくれた人に心から感謝している。愛と感謝だけが自分を導いてくれるとあの日あの人が言った意味が、たぶんいまなら、端っこだけはわかると思う。相変わらず、すべてを見渡すことはできないけれど。

大きな愛と大きな感謝で、いつか僕があなたを幸せにできたらいい。幸せにしてみせるから。幸せになる資格がないと思い込んでいるあなたを、幸せにならなければいけないのだと思い込ませてみせる。

僕に核はあるが軸はない。∠RECEIVERという核、あるいは熱源のようなものは常に胸の奥でぐずぐずに燃えている。THE DAYからはじまって、この一年と少し、僕の核は進化した。どこかに縛り付けられるような軸は相変わらず通っていないけれど、中心部に燃える炎が、説得力を持って僕に言う。僕は幸せになっていいのだと。不安なときはそれを唱えていいのだと。良いことがあったらそれに怯えるのではなく、それに感謝して享受すれば良いのだと。そしてそれを僕に何度も何度も伝えてくれた人に、たくさん感謝すれば良いのだと。
生きているから悲しいこともあるしうまくいかないこともある。そんなことはあたりまえだ、わかりきっている。決して明けない夜も、降り続けてやまない雨もこのロクデモナイ世界にはある。だけど明けない夜の中でも、やまない雨の中でも、僕は僕自身に頼ってわずかながらに光をともすことができるようになったのだと思う。

世界は残酷だ。現実は無慈悲だ。自然は畏怖だ。だけれど、人との縁はいつか必ずやってくる。それは決して当たり前ではない。ひとつひとつの言葉に、ひとつひとつの優しさに、ひとつひとつの手渡された愛情に感謝して、そのひとに愛を返せるように、別の人に愛を贈れるように、常に自分に取り組ませる。そうすると、残酷な雨の中でも、明けない夜の中でも、僕の光を見つけて傘を差し出してくれる人がいる。道案内をしてくれる人がいる。きっといる。僕も誰かにとってのそういう人でありたいし、その人たちが僕にとってかけがえのない存在であり続けてくれるように努力したいと思う。

明日はどっちだ?と核に問えば、自分で決めろと言う。そうか、と思う。だって明日を占ったカードは風で飛ばされてしまったから。そして、他者が決めるべきものでもないからだ。
僕はたぶん戦ってきたし、戦っているし、戦い続けるのだと思う。この生きづらい世の中と戦う。僕の好きな人のために、感謝したい人のために、誰よりも僕自身のために。
笑ってくれて構わないけれど、僕の武器は言霊でできた巨大な花束だ。大丈夫とか幸せだとか、自分の言葉はもちろん、人がくれたたくさんの愛情に包まれた言霊たちでできた、たぶんちょっとまとまりに欠ける花束。たぶんレインボーだ。それをこの世界中で振り回して生きていく。あなたにこの花束の香りが届きますように。あなたにこの花びらがひとひら舞いますように。この花束が僕をいつも愛してくれますように。この花束を枯らすことのない僕でいられますように。

広大な海を、花束を抱えて泳ぐのは、気持ちが良い。気持ちが良くていいのだ。だって僕は幸せにならなくてはならないのだから。あなたが僕にとって必ず幸せにしたい人であるように、あなたにとって僕がそうあり続けるように。

ティンカーベルじゃないから粉を振りまいたりはできないし、明けない夜はないなんて歌えないし、暴力に頼ることもある。自傷だってする。でも現実をちゃんと見つめているし、現実をよりよく変えるために僕は∠RECEIVERとして生きるのだ。現実から逃げるんじゃない。現実を愛して、そして僕の手にあるこの花束から、あなたに愛の花を一輪、手渡せる人になりたい。なる。なってみせる。やまない雨が現実ならば、そこに傘を持って行こう。人を傷つける虚構を射抜いて、意思を聞いて、嘘でもいいから言葉で自分に自信をつけていこう。嘘で始まった自分の成長は、いつかホンモノになるのだ。僕が綴るフィクションが、僕を先導し、それはノンフィクションへと変わる。
それが、∠RECEIVERたる僕の武器だから。∠RECEIVERたる僕の、するべきことだから。

僕の花束を豊かにしてくれるすべての人に愛と感謝を込めて。
僕は幸せになっていいのだ。幸せをたくさん享受していいのだ。恐れずに受け取っていいのだ。そしてたくさんの人に僕の花束から一輪配るんだ。好きな人に好きって言うんだ。愛と感謝を。起こり売ることから逃げるんじゃない、起こることを直視してそれを変えていくんだ。そうやって死ぬために生きる。
THE DAYとARRIVAL -KUROFUNE sail awayを聞きながら。傷ついてもほしいもの求める姿、見せてやるよ。

 

 

ポルノグラフィティのルーズの歌詞の美しさ〜行間を深読みするおばけの覚え書き

クソ長いので結論だけ先に言うと「ポルノグラフィティはいいぞ」です。

 

ルーズ、というポルノグラフィティの歌詞をもとにした小説を書け、と言われたら、僕は「恋人だった人の葬儀の帰りのタクシーの中で、夜景を眺めながら頰に涙をつたわせるひと」の話を書くだろう。

この歌詞でよく注目されるのが、「首元の小さなタトゥー」という表現。恋愛の歌詞として素直に読むならば、浮気相手につけられたキスマークと解釈するのがわかりやすく、素直だ。だけれどもそれをキスマーク、と描かないところにこそ新藤晴一という作詞家の凄さはある。キスマークかもしれないし、本当にタトゥーなのかもしれないし、あるいは病気の注射痕なのかもしれない、ファンタジーな解釈をするなら吸血鬼に吸われた痕跡かもしれない。
僕はこの首元の小さなタトゥーというのを、「傷跡」だと思っている。自傷の痕跡かもしれないし、病気による青あざかもしれない。タトゥーだから、青あざのほうが説得力があるか。とにかくなんらかのかたちで、その人の生と死に繋がるキズがそこにはあるのではないか、と思う。

ではなぜそう思うのか。それは冒頭の歌詞にある「かたちあるものは「いつか」「なぜか」脆く壊れてしまうという そんなルーズな仕掛けで世界はできてる」が大きな理由だ。
あのタトゥーがキスマークの暗喩であるならば、浮気や失恋の歌詞だ。でも、あの新藤晴一が、恋愛に絡むものを「かたちあるもの」と呼ぶだろうか?むしろ「かたちないもの」とするのではないだろうか。
そこで僕の脳裏によぎるのは「別れ話をしよう」の大サビだ。彼にとって「かたちあるもの」とは、「その唇やその髪やその乳房」であって、それは恋愛のうえで結果として手に入れられる(と錯覚できる)ものに過ぎない。「恋愛」そのものには形はないのではないだろうか。
「いつか」「なぜか」脆く壊れてしまう「かたちあるもの」、それは人間なのではないか?と、僕は思い至ってしまったのだ。

キラキラと輝く夜景が幼稚な幻みたいに見えるタクシーの車内。バタン、と感情なく閉じた扉の音で、先程までの葬儀の悲しみを断ち切ろうとする。
けれど、そんなことはできない。かたちあるもの、すなわち人間は、いつか、なぜか死んでしまう。病気であれ、自死であれ、事故であれ、寿命であれ。いつか、なぜか、脆く壊れていく。それがこの世界の仕掛け。
入院して眠るその人の手を握り、あなたの声が聞こえずとも、それでもお互いの姿は見えていたと思っていた。ときたま反応してくれるだけで分かり合えた気がして、それ以上は望まなかった。最初に命に関わるものの兆候(自傷の跡か、あざか、なにか)が出たときから気づいていたけれど、それを問い詰められなかった。あの場で声をかけて、それはなに、と聞けていたら、なにか運命は変えられたのだろうか。
ふたりのこころに秘めた「かたちのない深い愛」。

相手の人は病気の青あざを首元で隠していたのかもしれない。あるいはその青あざは病気ではなく誰かから受けた暴力だったのかもしれない。暴力を苦にしたの、暴力が原因かはともかく、死には結びつく。あるいは歌詞の主人公と決して結ばれない恋をしていて、それを気に病んで自死してしまったのかもしれない。半ばの愛を語るフレーズを繰り返せば、心中に失敗した生き残りが、なぜ僕は壊れられなかったのか、と思う歌にも読める。

ルーズの中で美しさを極めたと思うのが「星が全部ほら 空から落ちる」というフレーズだ。
「ほら」というのは、相手の注意を引くときに使うフレーズだ。「ほら!あれを見て!」と。自分の驚きを伴うことも多い。だから「ほら」という呼びかけの言葉は、だいたい文頭にくる。
だけれど、この歌詞の中では「星が全部『ほら』空から落ちる」のだ。まるで主人公が、星が落ちることを知っているみたいだ、と僕は思う。「ほら!見て!星が落ちていくよ!」であれば、主人公も知らない出来事だろう。だけれど主人公は、ほら、と相手の(あるいは、誰かの)注意を引くべきタイミングをわかっていた。
「見て、ほら、落ちたよ」という具合だ。主人公はなんらかの手段で、目の前のかたちあるひとがいつか消えることを知っていたように思えてならない。
そしてなにより、すくなくとも僕の住む地域では、星は夏より冬の方が美しい。通年で星の美しい季節なんかないんだけど。どちらかというと「星空さえも引きずり落として這いつくばせた街」なのだけれど。でも、夜景がキラキラと光るような街なら、きっと同じじゃないのかと思う。落ちるほどの星を見上げることができるのは、きっとその季節が冬だからだ。寒い時期なら、長袖でどんな傷跡も隠すことができる。店内でマフラーを外してしまう首筋をのぞけば。

僕にはこの星が、主人公の涙の暗喩のような気もするし、本当に象徴としての星のような気もする。ただとにかく、歪んで捻れ混ざって溶けていく世界の中で、なんどもかたちづくられ、喪失と獲得が繰り返されるのは生と死なのではないかと思う。

キスマークを隠す人と、それに気付く人の、なんらかの恋の終わりの歌。そうとも読めるし、そう読んでも美しい。だけれど、これは空から落ちてはまたつくられる人間の命、生と死のように、ひとつの「かたちある」人間の喪失として読むことも許された歌詞なんじゃないかと思うのだ。

なにが言いたいかってここまで聞き手に解釈を委ね、そして委ねるだけの余白こそが美しい歌詞を書くことができる新藤晴一が、悔しいことにとんでもなく好きだという話なのだ。僕がこんな深読みするようになったのも、そもそも新藤さんの歌詞のせいだし。
そしてその余白を自分の解釈で埋めてしまうことなく、見事なまでに主人公としてストーリーテラーになってくれる岡野昭仁さんの歌唱力と表現力は、バケモノ他ならない。こんな歌詞を渡されたら、自分なりの解釈込めてナルシスティックに歌いたくならないのか?でも彼はそれをしない。
ポルノグラフィティというバンドについて僕が圧倒的に信頼しているのは、彼らが「聞き手にすべてを委ねてくれる」ところだ。歌詞も音楽も、岡野さんの歌いかたも。答えはあるようでいて、実はない。その余白に自分を重ねて自分の歌にもできるし、解釈を楽しむこともできるし、考えることよりもそこにある楽曲と歌声の美しさに浸ることもできる。10人いれば10通り以上の楽しみ方ができる曲を、彼らは創る。それが僕がポルノグラフィティを敬愛する理由だ。

という、ルーズに関するつらつらとした覚え書きでした。

 

 

劇プレHaGTを見て思ったことたくさん〜株元さんとKUROFUNEと猪塚さんと由次郎さんとDVD再販してくれの話〜

 

お借りしてる(いいかげん返せ)劇プレのHave a Good Time? (通称HaGT)を見直したのだけれど、ほんとこのDVD再販してくれ頼む…。
アミューズ頼む…再販してくれ…。劇プレもそうだし、アミューズの舞台系全部そう。受注でいいから順番に月に1つずつ再販して。そうしたら僕らも毎月1つずつだから無理なくDVD買えて見る時間もあるから楽しめるし、アミューズにも再販するだけでお金入ってくるでしょ!!!!!!お願い!!!!!!


ということで、
☆株元さんとコウとKUROFUNEに想いを馳せた覚え書き
☆猪塚さんと由次郎さんの演技が好きって覚え書き
☆あとひとつだけくやしいことと本公演が楽しみって話
を書きます。あくまでぜーーんぶ僕の個人的な意見と感想なので、否定形な意見いっさい受け付けません!わかるとか、僕はこう思うよ!とか、そういう話は大歓迎。あとなんか間違ってる情報あったら教えてください。

ちなみに舞台「娼年」で猪塚健太さんに惚れ、ハンサムフェスでKUROFUNEにハマり、そこから劇プレを追い始めたド!新規です。とぷうたは観に行ったよ。


☆コウと株元さんとKUROFUNEの話

いまこのHaGTを見て、そこで「アイドル役」をしている株元さんを見て、そんでドリフェス!KUROFUNEとしての株元さんに想いを馳せるとちょっと泣きそうになる。
どんな気持ちで2.5次元やってるのかなあ。
すごく個人的になのだけれど、先日のKUROFUNEリリイベで「株元さん、ロックアイドル演じきるために、演技じゃない部分においても腹くくったんだろうな」ってふっと思ったのね。それはいままで腹括ってなかったということではなくて(腹括ってないと2.5なんてプロジェクト参加できないよね)、勇人さんと株元さんご本人がうまく結びついていない印象だったの。役者って…というかあらゆる他人になることが必要になる表現者って、役に憑依される・俳優ではなく役として生きるタイプか、あるいはあくまでご本人のまま、役と手を取って役を演じるタイプがいると思っていて、株元さんは前者だから。完全に勇人モードオンのときと、株元さんの普段のときが別人だったから(そして僕は彼の、役に憑依される表現者であるところが最高に好き!)。
隣にいるのが圭吾さんとご本人のバランスを絶妙に取っている戸谷さんだからなおさら、そう見えたのかも知れないけれど。
いままでの株元さんは、あくまで勇人さんは勇人さんとして演じて、ライブのときは自分のままみたいな印象を受けていて。だけれどリリイベのとき、あ、勇人さんと株元さんがイコールで結びついたのかな、って思った。自分がやることと勇人さんがやることが、イコールになったんじゃないかなと。勇人さんであり、株元さんでもある。生意気なことを言うと、株元さんの影に勇人さんが見えるようになった。
同時に戸谷さんであり、圭吾さんでもある。不思議だけど、それが成立する世界。エンターテイメントの新しいかたち。僕がそう思ってるだけかもしれないけど!だからこそリリイベでの「圭吾さんas戸谷さん」との絡みがすごくリアルで、かつ声アニさんのインタビューがすごくよかったんだけど。
そういう意味ではドリフェス!のasという表現サイコーだよなあ。僕もコウちゃんと一緒で楽しいことが大好き♡

だからこそ、株元さんいまどんな気持ちでKUROFUNEしてるんだろう?と思う。
ファンレター読むより練習しててくれて全然いいって思うけど、実際アイドル(を演じる俳優)になったらどうなのかな。脚本の上だからこそアイドルを演じきれた当時と、いま本人としてアイドルをやりきることを要求されている今で、見える景色はどう違うのかなあ。
雑誌のインタビューで、新しく楽器やダンスを基礎からやるより、今できる歌をもっと上達したいという話をしていたけれど、たとえばコウならなんて言うだろう。
コウみたいな、楽しいのが好き!楽しいからやってる!ってだけじゃ、KUROFUNEはきっとできないと思うから。楽しいから頑張れる、というコウに、どうして頑張れるの?って聞かれたら、なんて答えるんだろう。
株元さん、KUROFUNEが楽しいといいなあ。いや、リリイベめっちゃ楽しそうだったし戸谷さんとも意気投合モードみたいだし、きっと楽しいのだろうけれど。彼はコウほど単純ポジティブマンじゃないから、楽しい以外にどんな気持ちがあるのかなあって。
コウと対談してくれないかな株元さん(?)


☆猪塚さんと由次郎さんの話

今回改めてHaGTを見たとき、わかってたけど、由次郎さんの演技が僕めーーっちゃ好きって思った!!!オーバーリングでも思ったんだけど!!!
さっきも書いたけど役者さんって、役に憑依される・俳優ではなく役として生きるタイプか、あるいはあくまでご本人のまま、役と手を取って役を演じるタイプがいると思っていて、何度か演技を見たけれど猪塚さんは後者なんだ。それがいいんだよね。役に完全に飲まれて憑依されるんじゃなくて、「猪塚さんが演じる○○」として最高なんだ。彼の頭の中に役の子が住んでいて、そのことお話ししながらどう演じるか決めているような。由次郎さんがどうかはまだわかんないんだけど。
でも猪塚さんと由次郎の共通点を言うとしたら、「隣の役者に呼応する」ところ。
たとえば先日観てきたオーバーリングギフト。わかりやすいと思うからカゲツ(富田健太郎)の例を出すけれど、彼の演技が日に日に成長していた。トミーだって思って見てたら、あるときふっと「あ、カゲツだ」って。カゲツにしか歌えない歌を、カゲツにしかできない視線を作れるようになっていった。そしてそれに呼応するように、猪塚さんとアスターのコンビの演技も深化していった。同じ板の上の素晴らしい演技や、舞台本番中にしか生まれない感動や成長を、猪塚さんと役(のふたりでひとり)は拡大させることができる。舞台の上に生まれたちっちゃな奇跡を、バンって拡大させてオーディエンスに運ぶことができる、そのための演技ができる。板の上の空気とか、役者のその日のコンディションとか、そういうのに沿えるというか。そういうところが素晴らしい役者さんだなあ、と。猪塚さんも由次郎さんもね。
だからHaGTも何回も見たかった!けどせめてDVDで見られてほんとうによかった。
そして由次郎さんは、こういう素晴らしい脚本をたくさん演じてきたから、今回オーバーリングギフトを創りだせたのだなあ、と思うと感動する。それにオーバーリングギフトを生で見られたことにも感謝しちゃう。
ていうか猪塚さんと由次郎さんのコンビがめっちゃ好きなので今後も2人でなにか創ってください。


☆おまけの話

僕は基本的にはもっとはやくハマりたかった!という後悔ほど意味ないものはないと思っている(だって仮に18歳の僕にKUROFUNEを見せても良さや面白さがわからないと思うし、気づいて夢中になるにはそれに向き合えるだけの自分の成熟とタイミングが必要だから)。…のだけれど、HaGTとか他の劇プレDVDを見ると、猪塚さんときなりさんの演技は生でたくさん観たかったなあと思う。あのふたりがステージで対峙するところは見てみたかったな。きなりさんの芯と、それに呼応する猪塚さんの輝きは生で見てみたかったなあ。
だからこそ、オーバーリングギフトに間に合ってよかった。風間由次郎さんがはじめてつくり、猪塚健太さんが演じた舞台を生でみられた自分グッジョブ。

あとなにより!今年の本公演URA!URA!はHaGTと同じ福島カツシゲさんの脚本!!!!もうそれだけでめっちゃ楽しみ!!!!!四回行くんだけど、さらに当日券並びそうな自分がこええ。

 

ほんと!!!!!DVDを!!!!!!再販してください!!!!!!!アミューズ!!!!!!!!!!!!!!

 

 

 

ダイアリー2017/07/04 あらためてなりたい曲を聴きなおした

 

素直に認めて懺悔しようと思うのですが、ここ半年の僕はほんとうに∠RECEIVERから遠ざかっていました。とくにここ2ヶ月はひどかった。
まあ簡単に言うとドリフェス!にコテコテにハマって(幸せです)、舞台やらイベントやら供給過多で(幸せです)、それに追われすぎて自分のことちゃんと考える時間も体力もなかったんですよね。自覚があるけれど、僕は何かにハマったときののめり込み方というのがちょっと尋常じゃない。そのぶん喜怒哀楽も激しくなる。とくに最近はドリフェス!のことで「なんで!?」って腹立たしく思うことが多くて、ぷんすこぷんすこしていたし。

でもぷんすこぷんすこしていてもあんまり自分にいいことないし、周りにも良いことないし、どうせなら楽しいほうがいいに決まってるんですよね。
だから、ぷんすこしないといけないようなことからは離れて、ぷんすこしないで済むようなことをたくさん楽しんで、世界に楽しい楽しいってそれだけを発信していきたいって思うのです。ドリフェスならアプリはやめて、キャスト本人たちが出演するものごとに集中しよう、とかね。

なにより、最近たくさんのありがたいことや奇跡みたいなことが積み重なっている自分の日常を当たり前だって思ってしまいそうになっていたなと。ぜんぜんそんなことないのに。
ドリフェス!(の話ばっかしてるけど)通して知り合った人が仲良くしてくれてご飯食べに行ってくれるようになったり。仕事で同僚が褒めてくれたり。「英語の上手い下手でいったらネイティヴのようにうまくはないかもしれないけれど、それでも君の話すことには内容がある」とか「いくらルールとはいえ君のことを契約切れにする偉い人たちが理解できない」とかね。こどもが僕が男か女かわかんないけど「まあいっか」って言ってくれたり。僕の文章を好きって言ってくれる人がいたり。副業で「販売がうまいね」「いい声だね」ってお客さまが言ってくれたり。そういうのってぜんぜん当たり前のことじゃない。ありがたくて、感謝したいと思うし、そういう美しい言葉の花束をくれる人たちみんなに、僕も同じ花束を返したい。そういうすごくシンプルで、自分がどうやって生きたいのかっていう根っこの部分の熱源みたいなものを、改めて手に取って眺めています。

なにが言いたいかって、怒ってても嘆いてても仕方ないってことなんですよね。だって実際しょうがねえんだから。
それでも「これはおかしい」と思うことには文句を言うし(同性婚させろ)、そのためのアクションだって起こしていく。でも、趣味範囲で怒ったり泣いたりしてもしょうがなくて。
自分がなりたいもの、そうありたいものはなんだっけ。と、改めて過去の自分の言霊と睨み合っています。

最近、カフェインとか摂りすぎてたもんな。もちろん気圧とかの変動とかもあったけど。運動もあんまりしてなかったし。反省。



「僕の好きな人はみんな必ず幸せになる」「僕の好きな人はみんな暴力から守られる」「そのために僕は言霊を尽くす」「僕はそのためにこの声とこの文章能力を与えられた」
だからこそ言葉を花束に代えて好きなものに好きと言い続けたいし、楽しいことを楽しいと、嬉しいことを嬉しいと言い続けたい。言葉と声がある限り、誰かに花束が届くように。恩は返すもの、そして贈るもの。

「そのためにまず自分を肯定する」「僕は幸福になってもいい」「幸福を受け取る権利が僕にはある」
自分がこんなに運が良くていいのかな、なんで思わなくなった。だって僕は幸福になるべきだから。周りの人も巻き込んでみんなまとめて幸福になるべきだから。自己肯定感は相変わらず低いけれど、できることを積み重ねて埋めていくしかない。あとできればみんな褒めてほしい。笑

「人生は愛と感謝以外すべて幻」
「僕は心臓に核として∠RECEIVERを抱き、バカなことを一生懸命楽しめるGood luck to youという存在になる。それを体現してみせる。」


当面は、自己肯定感高めるために、今の僕に必要なのって金と余裕とアップグレードあれた容姿だよなと思っています。
相変わらず自分の容姿は「痩せたらかっこいい」んじゃないかって思うわけだし。
お金に関しては各方面に甘えまくっている(医療費が高いのもある)から、そういうところからひとつひとつ。

だから今月は、ちょっとしんどいけど、働く。昼間の仕事の日は夕方ジムに行く。できる限り口角上げて生きる。週に一回は休む。
あと就活。頑張りましょう。
とにかくお金関係の清算を、9月までには完璧に終わらせたいです。10月からは新しくもういちど生きなければいけなくて、そのために9月までに清算すべきことを清算する。
お金関係もろもろすっきり清算できるようになったら、それからはすこしずつでも貯金。奨学金とは別途貯金ってことで。


・人間関係と金銭関係を清算する。
・月水木はジムに行く。
・週5以上で働く。
・就活する、ために英語の勉強しましょう。毎晩15分くらいでいいよ。
・「いただきます」「ごちそうさま」「ありがとう」「おはよう」「おやすみ」をきちんと言う。
・夜寝て朝起きる。
・ひとりのときは階段を使う。
・不要なアルコールとカフェインはとらない。夕飯は21時まで。
・背筋ピーン!する。猫背やめる。
・物理的に前と上を見て生きる。
・物理的に口角を上げる。
・飲み物を買うのではなく家から持参する。


・しんどいこと>たのしいこと。
・とりあえ笑っとけ。
・好きな人には好きって言う。楽しいことは楽しいって言う。僕が死んでもこの言霊だけは残って届きますように。


死にたいか、生きたいか?そう聞かれたらやっぱり早死にしたいけど、26歳の誕生日までは頑張って生きていきたいと、思います。

他人から自己肯定感を得ようとするのもあんまり正しくないのかもだけど、でもやっぱりそれも僕の生きる手段の1つだから。褒めて!好きって言って!なんて!笑

好きな人には好きって言おう。ボーダレスに考えてボーダレスに生きよう。この目の審美眼を信じよう。
僕と関わってくれる全ての人に感謝をしよう。みんなありがとう。また伝えさせてね。

ARRIVAL -KUROFUNE sail away- と∠RECEIVERを聞きながら。

 

 

KUROFUNEは武道館に行くぞ

KUROFUNEリリイベ 行ってきました。

以下はアイドルではなくてロックのライブに参戦してきたつもりの勘違い野郎のレポです。ハンサムからの新規です。事実訂正や感想はありがたく受け付けますがクレームは受けません。


前座を務めてくださったFo'xTails さんの曲名はわからないんだけど新曲含めて3曲やってくれました、すげーカッコよくて僕だけライブハウスでした。音源は予習で聞いて行ったんだけど完全にライブのほうがよかった。

んで、セトリ!
①ARRIVAL -KUROFUNE sail away
②bird cage 欲望の鳥籠
③best☆★partner
④FACE 2 FAITH

KUROFUNE襲来の音楽をFo'xさんが生演奏。その音に乗せてKUROFUNE襲来。
センターに立ってはじまるARRIVAL。
身長差あんまり感じないなと思って足元を見たらやっぱり株元さんのお靴少し高めだった。かわいいかよ。
慣れた曲なこともありカッコよく歌い上げてくれました。舞台の左右にまで寄ってくれる。株元さんはクラップを煽る、ファンを指す、ガッツポーズなど。株元さん、ハンサムのときとか全然慣れてなかったのに、すっかりアイドルになっておられました。戸谷さんはうちわ見つけてウインク、ウインク、白船衣装チラリ、あとウインク。ここだけの話ですが目が合いました(って言うくらい許して!)。反対サイドではバキュンもしてたのかな?盛り上がった。
間奏部分。舞台の両サイドに散っていたふたりがセンターに戻ってきて、しゅーらーい!コールの前にハイタッチで元の立ち位置に戻る。戸谷さんのお顔がめちゃくちゃ嬉しそうでよかったね、よかったねって泣いた。たぶん株元さんも同じような顔をしていらしたんだと思う。

そして生バンドだからこそのコーレスの延長!!これが嬉しかった!生バンドの魅力だよね。しゅーらーい!をいつもよりたくさん言えた。おかげで「ワンモアタイム!」の歌詞の部分がいつもと違くて、間違えかけて株元さんをチラッと見る戸谷さん。何も気づいていない株元さん。このあとも全曲通して踊りを間違えかけるたびに株元さんのことわざわざチラッて見る戸谷さん、可愛かったです。笑
しゅーらーい!のとき、株元さんニコニコニコニコしたいのを堪える?勇人モードになろうとしてる?みたいなかんじだったけどニコニコニコニコしてるのバレバレでした。すげー嬉しそうだった。

2曲めがはじまる前に簡単にMC。DDより先に生バンドを引き連れられたことが嬉しそうな株元さん。よかったねえ…。
そこで「この衣装着るのも久しぶり」と戸谷さん。株元さんの「DDのライブ以来だね」という会話の最中バサッと白船お衣装をぬいで鎖骨と肩を見せつける戸谷さん。プリンセス悲鳴。「脱いじゃうよ!」と言いながらジャケットを脱ぎ、嬉々としてタンクトップの首ものと部分をめくり鎖骨と喉仏と胸元のサービス。スタッフさんにジャケット脱がせてもらいながらそれを見た株元さんはウケてた。ツッコミとか入れねえのか!って思ったけどKUROFUNEっぽい関係性だなって。プリンセスにサービスするプリンスを見つめるロッカー。
しかし戸谷さんの胸元薄っぺらくて心配になった。あと胸毛…?あれは胸毛か?誰か見なかった?
その流れで株元さんも脱いで「まあ今日はこんな感じでやっていこうと思うんですが!」どんなかんじだよ、っていうツッコミを必死にこらえました。
株元さんはがっしりしたスポーツマン体型で安心した。戸谷さんにお肉のカタログギフトを送るべき。

そしてはじまるバードケージのイントロ、プリンセス喜びの悲鳴。
birdcage。カッコ良すぎた。
KUROFUNEとしては初披露ながら目立ったミスはなし。やはりサウンド的に生バンドがしっくりくる。ギターソロ、痺れたあ〜。
みんな大好き「飼いならせそうに見えた?」のダンスのときの戸谷さん、腕が長すぎて踊るのに邪魔そうだった。
株元さんはそのフレーズでしっかりと空を睨んでいた。
この曲に関してはふたりとも歌詞に没入した役者としての表情が濃くてカッコよかった。歌うだけではない部分。歌詞になりきれる部分。そういうのは役者がロックをやってくれることの素晴らしいことだなと。
同じくみんな大好き「ここから飛んじゃおー!」のとき、足をも高く上げて空を膝蹴りするようになっていた株元さんと、足が長すぎてバレエみたいだった戸谷さん。お前らシンメか?シンメだな。
そして2番サビ前で背中を合わせるふたり。シンメだったわ。

そして本日の爆弾「BEST☆★PARTNER」!!!!!!
イントロの時点でプリンセスから驚きと喜びの悲鳴。
最初の「もうすこしだけ」のときに親指と人差し指で少しだけのポーズを取りながら株元さんをチラッと見る戸谷さん。株元さんは気づかず。「一緒にいよう」のときに目を合わせるふたり。シンメ…っ!!
「絶体絶命でも笑顔ひとつで乗り越える」
のときにニコッ♡と笑顔を作って両指で自分を示す戸谷さん。それを見てちょっと笑っちゃう株元さん。「流石だね」と歌いながら本当に流石だよな…って顔してたように見えて笑えた。
「(正反対で)(気も合わないよ)」
のコーラス部分は録音が流れてきたのだけれど、その部分も思わずマイク外して口ずさむ株元さん。めちゃくちゃ楽しそうだった。その間にも戸谷さんはウインクの嵐。目の筋肉どうなってる?
「思わず二度見し合っちゃったよ」のときに本当に向き合って二度見する演技をするふたり。戸谷さんはガン見してまばたき、株元さんは二度見後、戸谷さんを指差して悪い顔で笑う。「白といえば黒という」の白の部分で戸谷さんを指差す株元さん、黒の部分で株元さんを指差す戸谷さん。「知らずに直面」するときに本当に真正面から見つめ合うふたり。ただし歌詞のように恥ずかしがることはなく向き合って歌ってました。
「背中合わせ」の部分で本当に背中を合わせるふたり。ここでもコーラス部分を口ずさむ株元さん。「振り向いたなら」でお互いを見つめ合う。「オレらにしかできないこと」の部分を歌いあいながらふたりでニッコニコ。
「思わず肩組み合っちゃった」のときに株元さんに後ろからハグするように肩を組む戸谷さん。それをイヤそうな顔して振りほどく株元さん。ショック受けた!みたいな顔する戸谷さん。イヤそうな顔してる株元さん。…という茶番が終わった後のふたりがすげえ幸せそうな笑顔で泣きました。
最後のサビの「ライバルだよyou & I」の部分で戸谷さんが株元さんを見て、株元さんがそれに応じるようにアゴをくいっとして笑ってみせて、挑発的な距離感かと思いきや肩を組んで「居心地は悪くないみたい」と…。
この瞬間、圭吾さんと勇人さんもきっとこう歌うんだろうなと思った、そんなまさしくあのふたりにしかできないパフォーマンスで曲でした。
とにかくBEST☆★PARTNERのあいだはやたら見つめ合ったり茶番したりしてて、KUROFUNEふたりともファンよりお互いを見ていた。素晴らしい。そういう曲だもんね。
他にも歌詞の遊びを随所に演技でアピールしたりとかね。ふたりともはやっぱり役者だなあと感動。もちろんミュージカルではないけど、ロックンローラーにあれはできないだろうなあと。感動した。アイドルでもない、役者がロックなアイドルやってるからできること。そういう新しい境地を見た。

ベスパ後MC
株「アツいね!」
戸「アツい!アツすぎてここ(衣装の巻きスカート的な部分)がべろべろだから繋いどいて(後ろ向きながら)」
株「んー、ドリフェス!としてもこの歌は初披露。DDもまだだよね。先を越した。まぁベストパートナーとベストパートナー歌ったみたいな…(照れ笑いしながらごにょごにょ)」
戸「(戻ってきて)まさしくベストパートナーとベストパートナーだね!」
株「うん(ニコニコ)」
熟年夫婦…
株元さんたまにごにょごにょするよね。かわいい。


そこからはじまる
株「やってみたいことがある」ということで出席確認ターイム、
関東から来た人、関西…と聞く中でなんと上海の方が!ありがとうございます!戸谷さん「KUROFUNEもいつか必ず上海行くからな!!」にプリンセス大喜びで拍手喝采。
戸「じゃー株ちゃんの地元、福岡、九州は?」のときの挙手はゼロ。そしてふたりしてなぜか東北を忘れてプリンセスから指摘される。遠方からの皆さんおつかれさまです!

そこから株元さんのお遊びタイム。
株「じゃあ、満員電車でこう、なんか揺られてるときに、こう自分の反対側だけ人がさーっていなくなって、そんでわあ、みたいな…みたいなことがあった人!」
戸「長いな!」
株「なんだろ、なんて説明したらいいのかなあれ」
戸「今のなんとなくわかった人!」
株元さんのぐだぐだ説明が戸谷さんのナイスフォローによって救われた瞬間〜視聴率100%!でした。ナイスフォロー。
その後も株元さん「こちらがわのどこからでも切れますで切れなくてぐにゃぐにゃにしたことがある人!」「カップ焼きそばで湯切りの前にソース入れちゃったことある人!」とつづく。戸谷さんも挙手してほら!!と言われてた。株元さんはめちゃくちゃ嬉しそう。

そのほかもいろいろ。
戸「KUROFUNEに開国されたい人ー!」
プリンセス「はーい!」
株「(爆笑しながら)えっそんなのありぃ???…おまえら全員開国してやるよ!」
プリンセス「ぎゃー!!!」
株「(仕返しにと言わんばかりに)じゃープリンセスに即位し…プリンセスに即位??」
戸「違う、違う、オレはプリンス!」
株「そう、あの、プリンスに即位してほしい人ー!!!」
プリンセス「はーい!!」
戸谷王子「あなたのためなら即位する(ウインク)」
プリンセス「ぎゃああああ!!」
戸「KUROFUNEに乗りたい人ー!!」
プリンセス「はーい!!!」
戸「KUROFUNEに乗られたい人ー!」
プリンセス「…!?…っはーい!!」
戸「今ちょっと迷っただろ!!!!」
そりゃ迷うわそんな下ネタ(?)
その後もわちゃわちゃ。なんて愛おしいアラサーなんだ…ってこっちまでニッコニコになってしまった。
株「これちょーたのしー!!!今度から絶対やろ!!!」
戸「(ニコニコ頷きながら)そうだね」
株「まじこれ楽しい!!!」
本当に楽しそうでした。笑
出席確認はほんとーーに株元さんがめちゃくちゃ楽しそうでニコニコしてて浮かれてて、ひたすら可愛かったです。
それをよかったねよかったねってフォローいれながらニコニコしてあげる戸谷さん、という、あっこれアニメで見た!!が連発してました。熟年夫婦ってもはや言うまでもなくなってました。シンメは尊い

最後の出席確認。
株「次が最後の曲だったら寂しい人ー!」
プリンセスの困惑の「はーい」にそうだよね、って顔するふたり。実際すごくかなしかった。もっと聴きたかった。
では聞いてください、と最後に新曲FACE 2 FAITH。

FACE 2 FAITH、素晴らしかった。
なにがって「向かい合わせ」なタイトルなのにマイクスタンドなこともあって2人の目が一度も合わない。ずっと前を見つめて歌うふたり。「認め合ったその眼に映る自分」「魂で認め合った」人と、見つめ合うのではなく同じ方向を向くことで完成する曲だった。
あの歌詞で目を一度も合わせないの、粋だなあと思って感動してしまった。お互いを認め合った瞳が同じ方向を見つめて進んでいく、それこそが船に乗るふたりのあるべき姿なんだなと。見つめあって楽しいだけじゃない、真摯な強さ。KUROFUNEに乗せてくれ…って思って途中から拳振るのも忘れて祈ってしまった。
大サビかな?歌詞は上手く聞き取れなかったけれど背中を合わせて歌う瞬間があって、目は合わせないのに背中を預け合うなんて、わかりあってるからこそできることだなと。シンメの強さを見た。

曲の最後に真ん中にあったお立ち台的なものに飛び乗る戸谷さん、「かぶちゃん!かぶちゃん!」と呼ぶ戸谷さん。追いかけるように飛び乗る株元さん。ジャーンプ!という声とともにふたりで大ジャンプ。僕もジャンプ。おふたりのお背中の姿が美しすぎてこのへんから泣いてた。シンメ最高。
やっぱりKUROFUNEってこういうところが最高だなと。圭吾さんも浮かれたら勇人!勇人!って呼びそうだなあ、って思ったら、2.5次元のすごさたるやと思いました。

最後にバックバンドの皆さんを両サイドに含めて、ふたりが真ん中で手を繋いで「ありがとうございました!!」とアミューズ恒例深々お辞儀。真面目な顔で頭を下げたあと、嬉しそうに笑って顔を上げるふたり。最後に顔を見あってニヤってしていたふたりが美しすぎたので二期であのシーン見たいです。


からのハイタッチ!
ライブ中は株元さんの前髪上がってたのにライブ後は前髪おろしててメイクさんに金一封。戸谷さんのサイドの編み込みも可愛すぎてほんとにアラサーか?あのふたり?ってなった。
ハイタッチで戸谷さんに「プリンスすごいカッコよかったっす!」って言ったら「ありがとーございます!!!」って返ってきてそこは「ありがとう、プリンセス♡」じゃねえのかよ!!!って思って今日イチ笑いました。戸谷さん全開だった。株元さんもすごく目を見てくださって、うまく声出せなかった。あの目、すごい。

ほんとうに将熙くんがツイートしてくれた通り、KUROFUNEはまるで勇人と圭吾なのに株元さんと戸谷さんだった。2.5次元は恐ろしい、そして素晴らしい。
唐突な(事務所が引き合わせた)出会いから生まれた最高な「ビジネスパートナー」が、真の「ベストパートナー」へ、そして「お互いを認め合っ」て世界へ挑んでいく、そんな美しい様の目撃者になれて幸せです。
株元さん…嬉しそうでほんとうによかった…株元さんの笑顔って本当に楽しそうでくしゃって笑ってくださるから、こっちも笑顔になっちゃうし、その笑顔が美しすぎて涙が出てしまう。純粋なんだろうなあ。人前に出る仕事について、笑顔を見せてくれてありがとうございます…。ポルノの岡野さんと同じ種類の笑顔で、簡単にノックアウトされました。
戸谷公人、画質が良すぎてまぶしくて直視できなかった。なんだったんだ今日の高画質、と思ったけどいつもだった…。あの人のウインク!すごかったなあ。自分の魅せ方をわかっている踊りにファンサにMC。プロフェッショナルを感じた。

最後に株元さんがいつもの「歯磨けよ!」ではなく「つぎは武道館だな!!!」って言ってくださったの、信じるから。ぜってえ付いて行ってやるから。
KUROFUNEに乗ったぞ僕は!!KUROFUNEで武道館行くぞ!!!!!!!僕らファンでKUROFUNEを武道館に連れて行くぞ!!!!!!!


こっから先はどうでもいい話なんですけど、リリイベ3列目で、楽しくて、ほんとうに幸せでした。僕はいまだにポルノ丸に乗っているしずっと降りないし、同時にKUROFUNEにも乗った。
2年前に路線に飛び込もうとしたことがあって。うつ病のピークだったからあまり記憶にないのだけれど、止めてくれたお兄さんがいる。彼にお礼を言いたい。あのとき手を引っ張ってくれてありがとう。座らせてお水くれてありがとう。おかげでKUROFUNEに出会えて人生捨てたもんじゃないって思ってます。…まぁ死にたいって希死念慮にはまだ取り憑かれているけども。笑
ぜんぜん記憶がとんでて、2年前の今頃のことってほんとに覚えてなくて、顔とかももう覚えてないから、会ってもわからないんだけど、でも、ありがとうございました。いまでも基本的には死にたいし長生きなんか絶対にしたくないけど、でもとりあえず25歳のあいだは死なないでいようと思います。

 

みんなー!!!!KUROFUNEのミニアルバム買ってくれーーー!!!!!!!!