人生のスタンプラリー

人生のスタンプラリー認定協会埼玉支部

ウラウラブーストにかこつけた自分語り〜たっぷりのナルシズム添え

ウラウラブーストにかこつけた自分語り、たっぷりのナルシズム添え。

 

☆ほぼ自分語りでキモいです
☆でもネタバレします
☆ネタバレしてます(大事なことなので)

 


帰りの電車でわーって打ったから細かいところは見逃して。

 


******

 

 


まずど初っ端、出てきた地名に爆笑しました。なんとまあ舞台が我が地元。全部の地名がマイホームタウン。そこがあまりにも面白かった。

自分の話ですが、僕の高校時代と大学時代の思い出は2つ。ロックバンドの追っかけと、それから部活でした。放送部。
高校では発声リーダーやって、部長やって。毎日毎日ばかみたいに練習して、部活のすきま時間に恋愛してた。最後の大会、あとひとりのところで全国大会出られなくて大泣きして、涙でカピカピの顔が部長としての最後の写真。卒部式で泣いてくれて、僕のぶんまで全国大会に出てくれた後輩たちを、憧れさせてくれて目標になってくれた先輩たちを、いまだに大好きだと胸を張って言える。
大学に関しては単位取らずに部活してた(おかげで卒業はギリッギリだった)。半分は遊んでた、けど半分は本気で。渉外部長で、発表会の総合プロデューサーも何回もやらせてもらって。1年生のはじめに10人しかいなかった発表会のお客さんを増やしたくて土日ぜんぶ部活に費やして、他大学まわったりOBOGまわったりして、僕が引退した発表会のお客さんは100人超えてた。作品づくりも、妥協させてくれない仲間とやれた。幸せだった。僕の人生をいま動かしている「成功体験」はほぼ大学の部活に詰まってる。

ほんと、バカみたいだった。バカみたいな青春を、青春と知らずに謳歌していた。幸せだった。あのころの仲間とは僕はずっとつるんで生きていくんだと思う。重い話をするとエンディングノートの連絡先一覧にみんなが載ってるのを見ると、ちょっとだけ希死念慮を抑えられる。
バカみたいでしょ。

大学卒業してから、就職して、うつ病になりました。人生終わったと思った。もう何もかもどっか行っちゃったと思った。当時は自分は死ななけれならないという強い呪いにかかっていたから、死ぬためにどうしたらいいかだけ考えていた。出勤中にホームから落ちようとしたのを引き止めてくれたお兄さんの顔は覚えてない。
ただ、死ななかった。当時の僕はそれを「死ねなかった」と思って恥じた。


もうここまで書けば僕が一体全体どーしてここまでウラブーにやられてしまってるのかお分りいただけるでしょうか。そうです。舞台の上に僕がいたんです。僕は、青鬼に自分を重ねてしまったんです。バッカみたいな、というかバカそのものな青春と、その後の転落と。

でも、だからこそ、大きく大きく救われもしました。
誰も褒めてくれないなら、自分で自分を褒めろ。誰も背中を押してくれないなら、自分で自分の背中を押せ。
いまだってまだ自殺願望の強さに耐えられずに薬を飲む日はあるけれど、それでも今の僕ならなんとか自分の手で背中を押せる。今の僕は、前の僕と違って、自分で自分を褒められます。生きてるだけでえらい、って。そしてなにより、まわりにそれを助けてくれる友人がたくさんいます。あの日、ホームに落ちないでくれてありがとうと言ってくれる人が、ありがたいことに、たくさんいるんです。
「お前は何と戦っているんだ」
そう聞かれたら、僕はただ、自分と、と言うしかない。自分と戦ってます。死にたい自分、自分嫌いな自分、自分に自信が持てない自分。
青鬼とおなじ。
でも、何もかも失った、そう思ったときに手にしていたものって、たぶんずっと手にしていられるものでもあるんだと思う。それが彼にとっての赤鬼であったように、仲間であったように。僕にとっての音楽や友人や、なりたいものであったりしたように。

僕が敬愛するポルノグラフィティはこう言ってました。死ぬまで青春だと。そしてギタリストは過去にこうも言ってました。嘘でも前にと。
自分で自分を否定したくなるときこそ、自分で自分を信じられなくなるときこそ、自分で、嘘でもいいから自分を応援する。嘘でもいいから、大丈夫って、嘘でもいいから、前に進む。

これまたまったく私事なんですけど、10月から転職します。環境の変化に体はまだ追いついてません。不安になったり死にたくなったりお薬カクテルしたりします。
でも。
僕は今日の舞台を見たおかげで、自分の背中を押せる気がしました。というか、押してくれるような気がしました。あの頃の僕が。あの頃の僕が思い描いていたような大人にはなれなかったけれど、それはそれなりにそう悪くはないよって言ったら、当時の僕はなんて言うだろう。あのころ好きだった人には振られちゃったけど、それでも、頑張れと言ってくれるでしょうか。言ってほしいと思ったし、三年後の自分に頑張れと言える今を生きてみたいです。

こーーーーんなに早死にしたいのに、ぜんぜん死なせてくれない。タイミングとはすなわち運命で、運命は、このタイミングで僕にこの舞台と出会わせてくれた。偶然は積み重なっていくと人生になる、って、これは前に自分で言ったことだけれど、今それを感じています。
とりあえず、千秋楽までは死ねないなあ。

 

 

FACE 2 FAITH全曲感想前編〜KUROFUNEの名前だけでも覚えて帰ってください〜

 

ドリフェス!プロジェクトのライバルユニット「KUROFUNE」の1stミニアルバムが最高すぎたので全曲の感想を書きます。
というわけで、CD買った人にも興味あるけど買うか悩んでる人にも、オタクの書く熱量のキモいブログを読むのが好きな方にも笑、KUROFUNEをお勧めしたい!という気持ちで書きます。ひとりでもKUROFUNEのファンを増やしたい!!!!PVだけでいいから見て行ってください。
曲順に僕のひとことの感想に続けて視聴と歌詞、そこからうざい語りってかんじなので、☆のところとリンクの視聴だけでもぜひ。

そもそもKUROFUNEってこんな人たち!ってブログ→ http://bookmarker35.hatenablog.com/entry/2017/05/05/104506
この記事書いた頃は「戸谷さんが株元さん大好き!ってかんじ」って書いてるけど最近はどっちもどっちを大好きな感があります。推しには仲良しでいてほしいファンの欲目かなあ。でも見てて幸せになるふたりです。

ちょっとスクロールするとPVへのリンクあるからそこまでは見てってくれ!!!!!!


まあ要約すると
二次元:ソロでロックンロールをしていた勇人くん🚢が、もっと大きな場所で音楽をやるために事務所に殴り込み。そこはなんとアイドル事務所で相方を見つけて来いと言われる。偶然同じ学校に見目麗しい圭吾くん👑を見つけて声をかける。最初は断られるが、それからふたりの絆を構築する出来事が起き…。ここアニメめっちゃ見てほしいです。7話です。アツいです。泣きます。
三次元:イケメンとイケメン。事務所殴り込みの株元さん🚢と王子様オーディションで事務所入った戸谷さん👑。事務所に組まされたふたりだけど、最初からずっとツーカーだからって言ってた。最近もはやツーカー熟年夫婦アピールすらしなくなってきたのでたぶんガチで仲がいいんだと思う。シンメ厨に優しい。

そんな彼らの記念すべきファーストミニアルバム「FACE 2 FAITH」が発売されました!!!ありがとうございます!!!!!KUROFUNEのための書き下ろし曲が1曲しかないのめっちゃ根に持ってるけど!!!!でも発売してくれてありがとうございます!!!!!!

なお僕は彼らのことをアイドルではなく役者だと思っているし、声優ではなく声の演技というフィールドでも活躍できる俳優だと思っているので、そのへんの解釈違いからくるクレームはご勘弁ください。

そりゃね、そもそも俳優だから。本業ミュージシャンの人みたいなプロそのもののお歌なわけではないですよ。歌はもちろん上手いけど、それだけでは仕事にはできないだろうと思う。だけれど彼らは俳優で、だからこそ表現の部分や、演じて歌うという部分が圧倒的に強い。そこから目を、耳を逸らせなくなるんです。そういう魅力があるのがドリフェス!というプロジェクトで、KUROFUNEです。
僕育ちがポルノグラフィティなので(?)耳はかなり肥えていると自負していますが、それでも聞きごたえがありますよ、このミニアルバム。ひいき目かな。


①表題曲「FACE 2 FAITH」
☆恋愛だけがラブソングになれるのではない、ソウルメイトでただひとりのパートナーに捧げる最強の愛の歌

MV:https://youtu.be/_F4ouJ-jBAQ
歌詞:http://j-lyric.net/artist/a05c007/l0417fc.html

まずはMVを見てそのかっこよさにぶっ殺されてください。カッコよくないですか?やばくないですか?めちゃくちゃかっこよくないですか?
そうなんです。KUROFUNEはキラキラのアイドルではないんです。ロックなんです。ロックアイドルなんです。ギラギラのロックアイドルなのです。これやってるのが俳優さんなんですよ。たまんねえ〜〜!!!!

これが今回のミニアル唯一のKUROFUNEのための書き下ろし曲なんですが(少なさを根に持ってますよ)、さすがロックアイドルであるKUROFUNEのために書かれてる!ギターギュインギュイン!ドラムもめっちゃ畳み掛けてくる!かっこいいー!!!と、もともとロックキッズである僕はメロメロです。
まずイントロからしてあまりにもロック。アイドルが歌うロックの極限みたいな曲で、アイドルであることとロックであることのアンバランスさにゾクゾクします。派手でキラキラしたアイドル全開なお衣装で、アイドルさながらの麗しいお顔立ちで、こんなにゴリゴリにロックンロールしてくれるというそのアンバランスさと、アンバランスさの上にしか成り立たない唯一無二の魅力。最高。
ラストのサビの裏でずっと咆哮しているギターがまるでKUROFUNEの想いの強さを代弁するようで、この強さがある限り彼らは大丈夫だし、ずっと応援させてほしいって思います。

歌詞もまたすごい。もともとKUROFUNEってシンメ厨のために存在してるようなアイドルロックユニットなんですけど(持論です)、設定上、この曲は勇人くん🚢が創ったことになっているんですね。
勇人くん🚢、最初は圭吾くん👑に興味なんかなかったんです。自分が売れるために「黙って俺の隣立ってればいい」とか言ってた。だけれど歌詞を読むと、そんなことはもうないんだなと。

「求めあう…魂が認め合った瞬間」
「今 向かい合ったその瞳に映る自分を
超えていくための相棒(パートナー)」
「今 向かい合った その瞳を信じていればいい」

最初のころにこんな曲はきっと歌わないから。
実際にユニットを組んで、アイドルとしてふたりで過ごしていくなかで圭吾くん👑のことを認め、そしてお互いに尊敬と確かな友情や愛情を抱いたんだなと僕には思えてならないのです。これは二次元も三次元も同じで、イベントやインタビューでもファンとしていろいろ感じます。最初の頃よりやっぱり今のほうがお互いの信頼関係が透けて見えるし、ああ2人がお互いにとって本当に「その瞳を信じて」いられる人になったし、「夢を超えて」いくためのパートナーとして認め合ったんだ、と。……尊い

そんな中でも僕は2番のAメロの歌詞が好きです。ここはメロディも変則的でクールだからぜひ聞いてほしいのだけど。あとドラムがカッコいい。

「目指す場所さえも定めないで
航海したって意味なんてないだろう
暗闇を照らすのはいつだって星の光
そうさ 見つけたんだ本当のdestinationを」

というところ。
destinationは旅行の目的地とか、最終的に行きつくところを示す単語です。
そんなdestinationを、圭吾くん👑も勇人くん🚢もひとりだけでは見つけられなかった。でもKUROFUNEとして、ふたりでなら見つけられた。

僕はロックバンド、ロックユニットが最も光り輝く瞬間は2つあると思っています。
ひとつはお互いの背中を預けあって完全に信頼をする瞬間。もうひとつが、ふたりが同じ目標を見つめる瞬間。
この曲は、KUROFUNEふたりがお互いの瞳の中にお互いの姿を認め、そしてお互いの目標を共有し、ふたりで協力して力強く進んでいくという決意の曲なのです。
ファーストシングルだったARRIVAL -KUROFUNE sail away -ではまだお互いに出会ってやっと信頼できて、航海をはじめたばかりだったけれど、そのふたりに明確な目的地が見えた。それもお互いの瞳の中に。
尊い…。

あとめっちゃ個人的に、明けない夜とか優しく照らす太陽の光とか言われても「あーそういうのもあるんだろうね世界のどこかには」と思ってしまうひねくれ野郎なので、「暗闇を照らす星の光」という言葉にグッときた。みんなが光のある道だけを歩めているわけではない。つらい航海をしていることもある。でも星は光る。仮に夜があけなくても、雲で隠れてしまう日があっても、星はいつか必ず光ってくれる。身を呈すようにして。そのことにすごく救われる歌詞でもありました。太陽ってちょっと明るすぎてしまうから。僕の人生の航海も(僕は魚座なので海になぞらえて自分の人生の話をしがちなのですが)、明けない夜より、はるかに暗闇の中でも掴めるもののほうが信頼できるなあ、と。

…感想が長い。すみません。でもそのくらいアツい曲なんです。みんなアニメ見てドリフェス研究室(キャストさんが仲良くドリフェスの話するネット番組)のそれぞれ7話を見てこの曲聞いて尊い…ってなってください。


②ユレルmidnight
☆DearDreamにはないオトナの遊び声に思わず「ジュンスイニ アイセナイ」なら「ヨコシマニ アイシタク」なる曲

視聴:http://recochoku.jp/song/S1005336439/
歌詞:http://j-lyric.net/artist/a05c007/l0417fd.html
ユレルmidnightはもともとDearDreamの青💙と黄色💛の歌っていた曲です。アニメでもこのふたりはルーキー(ジャニーズでいうジュニア時代)から人気のあったふたりで、三次元ではこのふたりはリアルに高校の同級生で22歳コンビです。22歳が歌うユレルmidnightも、セクシャルなメロディと歌詞に乗る、精一杯大人びようと背伸びした彼らの甘さにクラクラするので素敵なんですが、KUROFUNEは27歳と28歳。…おわかりいただけます?こういうセクシャルでヒヤヒヤするような曲が、ドンピシャ似合う年なんですよ………。

身もふたもない感想を言うと、「エロい」しか言うことがないんですよ。(?)

でもそれじゃあれなんでちゃんと感想書くと、これとSAKURA LETTERという曲はとてもメインユニットであるDearDreamとの「歌うことへのスタンスの違い」が明確になっている曲だと思うんです。
DearDreamのほうは、こういうある意味特殊な2.5次元プロジェクトであることもあって、「そのキャラクターとして歌う」というより「本人とキャラクターのあいだ」「どちらかというと本人のまま」歌っているところがあるんですね。それがどんどんキャラと近づいてくるところにリアルタイムで応援するロマンがあるのですが。

ところがKUROFUNEは、最初からきちっと「キャラクターとして歌っている」んです。
わかりやすい話をすると圭吾くん👑as戸谷さんって、事務所恒例ハンサムフェスティバルではこんな歌い方しないよなあ、とか。あくまで圭吾と勇人として歌うというスタンス。
だから聞いてて本当にわからなくなるんですよ。僕は今誰の歌声を聴いているんだろう?と。勇人さんでもあるし株元さんでもある、戸谷さんでもあるけど圭吾くんでもある…。そんな次元がごちゃ混ぜになって頭ぐるぐるしてくるところに打ち込まれる「目眩のような甘い声」に、打ちのめされてヒリヒリきてしまって、至る感想は「エロい…」なんです。笑
あと「目眩のような甘い声」のフレーズで圭吾さんが歌う「甘い声」がいちばん甘いです。パフェか?ってかんじ。血糖値爆上がりでクラクラする。これが噂のショコラーメンか…(?)

歌詞に言及すると、サビの「恋はかぐわしきパフューム」というフレーズに象徴されるように、この曲においての恋はパフュームでしかないんですよね。つけた瞬間のトップノートからラストノートまで変遷してゆくかぐわしい香りに翻弄されながら、その香りに酔いたいと願うけれど、同時に香水はいつか消えて落ちてしまう。だからラストノートが消え去る前に「終わりにしなくちゃ」「儚い夢だと思って」という歌詞がくる。刹那的な恋愛なのに、体だけではなく心まで重ねてしまったような。
DearDreamはまだ若いこともあって、どちらかというと印象が「マダイカナイデ」なのですが、KUROFUNEは「ココニイテヨ」が強いように聞こえます。
マダイカナイデ、はどちらかというと立ち去ろうとする人に向かって出てゆく道を塞ぐような。下手したらふたりきりの部屋から出ようとする人を壁ドンして「まだ行くなよ」と迫るようなイメージです。まだまだ若いがゆえにできること。
でもKUROFUNEの「ココニイテヨ」は違う。じゃあね、と最後のラストノートを振りまいて去ろうとする人を、もうおとななのだからと一生懸命すなおに見送ろうとするけれど、でもやはりそのラストノートに撃ち抜かれてしまう。果てを知らない感情がパッと腕を伸ばしてしまって、背後から抱きしめながら「ここにいて」と縋ってしまうような色気がある。だめだよ、と手を振りほどこうとして振り向くと、初めて見るような切ない目をしている。揺れた目で見つめるその瞳に「いままでのは儚い夢だと思って」と去ってゆく人。そんな一瞬の恋の終わりの歌。
香水の香りはいつか終わるとわかっているのに、いまこの刹那にすがりたくなる心情こそがユレルmidnight 。キャストさんたちの実年齢と経験値がそのリアルさを持ってくるような表現力で歌われる曲です。


③Up To Speed
☆ロックアイドルの歌うロックソングの魅力が凝集された一曲でうたわれる「きみ」の正体

視聴:http://recochoku.jp/song/S1005336441/
歌詞:http://j-lyric.net/artist/a05c007/l0417fe.html

これはKUROFUNE向きの曲だよね!ロック〜〜!!これ大好きなんですよね!イントロからロックキッズの心鷲掴みですよ。ギターの音がこっちに迫ってくるんですよ。テンションぶち上げですよ。ライブでめっちゃ叫びたい拳ぶん回したい。アイドルのロックだろ、って思ってる人はこれ聞いて考えをぜひ改めてほしい。
ギターソロがさ〜〜ギターソロがさ〜〜!!!ちょーかっけーんだよー!!!!これ聞いてテンション上がらずにいられる?僕は無理ブチ上がる!!!ってかんじです。大サビからラスサビへ展開していくところもたまんねえ〜〜ってかんじ。ギターで腰がビリビリするし、好きなギタリストが弾いたらどうなるのかなって思うくらい。
歌詞にもあるように限界スピードまでぶちあげなら地球をまわしていく。そこにあるのは圧倒的な「能動性」です。受け身で何かを待つのではなく、迫っていく。進んでいく。そういう強さ。ギターも歌声もなにもかも迫りくる強さがある。

この曲の歌詞の基本的な世界観は「君と僕のふたりで進んでいく世界、君と僕のふたりで出会う新しい景色」です。わりと抽象的な歌詞なので(僕は少しポロック絵画をイメージします。原色バキバキのやつ)、ポルノのネオメロドラマティックが好きな人とはまあまず間違いなく相性がいいと思います。そして抽象的であるがゆえに「君」について言及する描写がないんです。誰でも君として聞ける。自分だと思ってもいいし、概念としてと捉えてもいいと思うのですが、僕は
「君って、KUROFUNEお互いじゃね?」と思ったんですよね。運命が魔法をかけた「僕ら」とはすなわちKUROFUNEのことなのではないかと。前にしか進めない、風をきって航海に出る彼ら自身のことなのではないかと。
だから僕にはこの歌がどうしても表題曲FACE 2 FAITHとリンクするのです。勇人さんがあの曲を書けたのは、ひとつUp To Speed!からのインスパイアもあったのかなあ、という気がします。
「君(圭吾)と会ったそのときから始まっていた」
「怖いものなんて(勇人と出会ってから)僕にはひとつもないんだ」
と思って冒頭それぞれのパート聞いてみてほしいんです。ちょっと納得しませんか?実際この曲をレコーディングしたときはまだそこまで予知していなかったかもしれないけれど、現状、三次元も二次元もあまりにシンメ厨に優しいので、こんなふうにさえ聞こえてしまうんです。輝き出す未来へ、KUROFUNEは前にしか進まない。最大限のスピードで、自由になるべく、知らない街へ。
これはKUROFUNEのために書き下ろされた曲ではないけれど(仮にKUROFUNEのために書き下ろされた曲だったら「夢は続いていく」という歌詞にはならないと思う)、はからずもKUROFUNEのはじまりから現状までをなぞるような曲です。KUROFUNEの4人(圭吾さん勇人さんと、戸谷さん株元さん)が「会いたかった僕」に会えるまで、ずっと応援させてほしいなあ。KUROFUNE「2人ならきっと超えてゆける」から。


リバーシブル→バレンタイン(Bitter Sweet)
KUROFUNE新境地!歌手としてではなく俳優としての底力で表現される曲

視聴:http://recochoku.jp/song/S1005336440/
歌詞:http://j-lyric.net/artist/a05c007/l0417ff.html

正直に言うと、聞くたび未だに笑ってしまいます。笑
もともとはDearDreamの緑💚と薄紫💜という超絶カワイイ2人と「メロンパンみたいな甘い恋を」夢みる曲なんですけど、なんでこれKUROFUNEが歌うことになったんだろう。いちおうお兄さん組だしBitter Sweetということになってますが、実際聞いていただいてわかるようにメロメロメロの激甘ホワイトショコラです。オーストラリアでこういう甘すぎて頭痛くなるチョコ食べたぞ!って気持ち。前の曲がロックなので、そのギャップでもう、なんかちょっと面白い。

だいたい「2人出会った日の制服のままで…」「女の子たちだけのSpecial Day ウラオモテにするけど きっとこんな片思いのときめきは同じ 高鳴ってるんでしょ?」って歌詞を27歳と28歳に歌わせようとしたやつ誰だよ!!!!!設定は18歳だけど!!!!!!ありがとうございます金一封。

さて、おさらいしておきますが、勇人さん🚢はロックンロール出身です。
株元さんこの歌うたうの苦労しただろうな…笑
ロックな曲に関しては、おそらく株元さんも得意なのだと思うので勇人さんかっけえ〜〜!!ってなるんですけど、こんなにキュートな曲を歌いこなす設定では決してないはずなので、相当大変だったと思います。
圭吾さん👑も大変だったとは思うけど、彼はいちおうプリンス💝という無敵な称号持ってるので、プリンセスのことを思ったら声が甘くなってしまったよ、で頑張れる…かな。笑

でも、そこを「声が甘いけどこんな声も出せるんですね!?」という驚きで納得できてしまうのが、この曲のすごいところ。
いやこのキャラこんな曲歌わねえだろとか、それにしたって無理ない?とか、いろいろあるけれど、ここまできちんと表現されたら、ひれ伏すしかない。やっぱり演技を仕事してる人たちというのはすごいです。勇人さんが「音楽と歌詞と誠実に向き合うために」出せるだけ甘い声を出しているようにきちんと聞こえるし、圭吾さんはプリンスとしてプリンセス(ファンのことです)を甘やかす歌い方をしてくれているように聞こえる。特に勇人さんはすげーーーよ。本当に、どこまで優しく甘く歌っていいのか相当悩んだと思います。勇人さんとして歌うというリミットがなければ全く別の歌い方になったと思う。そんななかで、きちっと勇人さんの歌声に聞こえるというのが本当に素晴らしい。もはや演技ですよね。歌というよりは。
これ、逆に本業ミュージシャンのひとだと難しいんじゃないかなとか思います。わかんないけどさ。よっぽど表現力おばけでない限り、ここまでの振り幅を、納得できるように歌うというのは結構難しくない?
俳優さんが演じるアイドルの歌う曲、そのロマンはこういうところにあるなと思います。

あとなんかもう…圭吾さん👑as戸谷さんの…声がもうやたらめったら甘くて…こっちが溶けるわ……ってなります。男性にしては糖度の高い声。
KUROFUNEはふたりともそもそも俳優として武器だなあと思えるような素晴らしいお声の持ち主なんですが、株元さんはクールでドライでだからこそ声が濡れたり甘くなる瞬間のギャップがすごい。戸谷さんは男性にしては糖度が高めで耳触りの良い声だけれど、だからこそ必要以上に甘くなったり逆にビターにされるとゾクゾクする。
株元さんはこのリバーシブル→バレンタインでは声の糖度を最大限にしているし、戸谷さんはこの次の曲では彼の声にもともと含まれる「甘さ」をギリギリまで抑えたビターな歌い方をしているので、これも俳優さんが歌うことの魅力だなあと思います。この振り幅は、もはや演技だよなーって。

 

ちょっと長くなりすぎたので、あと3曲、こっちもすげえラインナップなんですが、それらの感想はまた次の記事で。

とりあえず何が言いたいかってKUROFUNEはいいぞ!ってことなんです。ロックアイドルを演じる俳優、推せます。マジで推せる。
アニメ「ドリフェス!」2期ももうすぐアニメイトチャンネルなどで配信が始まるし、1期はレンタルDVDもあるしアマゾンプライムにもアニメイトチャンネルにもあります。KUROFUNEのことは7話を見ればわかります。とりあえず7話だけでも!ぜひ。何卒。それから三次元の彼らのこともぜひ見てください。もうすぐふたりとも舞台があるよ。詳しく教えてーと思ったら本人たちのツイッターを見るか、僕のツイッター @rr_bkmk まだリプくれるかこの記事にコメントください。カッコいいので、ほんとにかっこいいので、ぜひあの、戸谷公人(とたにきみと)と株元英彰(かぶもとひであき)という名前だけでも覚えて帰ってください(?)。安心と安全のアミューズ所属です。
あとこのCD聞いてみたいな、聞いて感想ブログかツイート書きたいなって思ってくれた人いたらソッコー僕のツイッターにリプください。人の感想が読みたいのだ。


ではまた次の記事で!!!!


ドリフェス!公式サイト
http://www.dream-fes.com/

 

正木郁と太田将熙に夢をみるおたくのひとりごと


舞台「片想い」を観てきましたよ!
今から書くのは、正木郁くんと太田将熙くんという、僕が今めちゃくちゃメロメロになっているふたりの役者としての未来があまりにもキラキラしているから、すくなくともそう見せてくれるから、それに投資したい、好きにならせてくれてありがとうという記事です。僕は役者としての彼らが好きなので、アイドルとしての彼らが好きな人はたぶん読んでもムカつくだけだと思います。あとごめん僕の推しはKUROFUNEなんだ笑


まず「片想い」の話。
正直方南ぐみさんの脚本とは相性が悪いことをあたっくNO.1で思い知ったので、今回はもう役者を見るぞー!!っていうつもりで行きました。
目当ての役者はDearDreamの薄紫担当こと正木郁(まさきかおる)くん。なんと今回初舞台。
あのね、素晴らしかったです。

結論から言うとまた僕は素晴らしい憑依型の役者に出会ってしまった。正木郁くんでも、ドリフェス!のチヅでもない、今回の郁くんの役柄だった静雄がそこにいた。

ドリフェス!以外の芸能のお仕事ははじめてだった郁くん、本当に、芸能界に飛び込んできてくれてありがとう。ああいう演技を届けてくれてありがとう。
最後のあいさつで声を詰まらせながらお客さんに感謝して、誰よりも長く最後まで頭を下げてくれて、カーテンコールの「ありがとうございました!」が誰よりも大きくて。なんで誠実な子なんだろう、と。涙こらえてるのがわかったから、つられて泣いちゃった。
ああ、この子を応援したい、この子が役者として大成するのを見届けたい、この子がもっともっと役者として素晴らしくなっていく瞬間の目撃者になりたい。そんなふうに思わせてくれる、素晴らしい役者さんでした。

最初に舞台上に出てきたとき、あれ?どれが郁くん?って思うくらい「場に馴染んで」いて。途中で「あっあれ郁くん!?」って気づいたときにはなんだかおかしかった。大好きで何度も見てるお顔のはずなのに、役になってるなあ、と。

比較的、時間軸とかの展開が大きいお話だったこともあって、彼の見せ場もいくつもありました。
その中でとくに素晴らしかったと僕が思うのは「声」「背中」それから「眼」。

「声」の素晴らしさはドリフェス!でも思い知っているけれど、チヅでも郁くん本人でもない声を聞いてますます思った。あの声は本当に彼の武器!
最初のセリフで静雄という男を印象付けて、そのあとずっと音域が広いからそれをフルに生かして表現される喜怒哀楽。
その声が本当に生きたな、と思ったのは「背中」と組み合わさったシーン。静雄の家族を失ったという生まれ育ちの話をするとき、シリアスなモードに切り替わって、客席に背を向けて腰掛ける。
ドリフェス!では彼の武器は豊かな表情にあると思っていたから、演技とはいえ背を向けられたのはちょっと怖かった。大丈夫?って。でもそんなの一瞬で消えた。切なげに丸められた背中と、下を向いて泳ぐのが背後からチラリと垣間見える視線。背中で語ることでより強く説得力を持ったシーンだった。なんだよ、背中で語れるんじゃん!と感動。
そしてそこで絞り出される声。明るく振舞おうとして、うまくできてない声。明るさを取り繕うのをやめた声。上司の名前を呼ぶときの、誰のものでもないような、きっと「静雄が家族以外に漏らしたことのない声」。
最初に「憑依型の役者」って書いたけれど、彼が役を憑依されるのは声だな、と。声が、郁くんのものではなくなる。今回の舞台なら静雄の声が聞こえる。でもわざとらしいか、発声に無理があるかというとそんなことは全然ない。静雄の魂みたいなものがあるとしたら、それは郁くんの声に宿っていたと思う。
だからシリアスなシーンでも、逆にコミカルなシーンでも、あらゆるセリフにとても説得力があって、彼の声にずっと耳を傾けるように舞台を観ていた。

あと、「眼」。いやあ美しかった。
最後の最後にみんなで記念の歌を送り届けるシーンがあるのだけれど、そのシーンがね…眼がね…。あんなに優しくて、キラキラした眼で見る世界は、どんな色をしているのだろうかと…。
決しておめめが大きくてキュート♡みたいな俳優さんではないのに、あるあはだからこそ、あの眼で語る慈愛が深かったし、それに心を本当に揺さぶられた。あの柔らかな眼から目を逸らしたくないなあ、と思った。

郁くんといえば、去年初出演だったハンサムフェスティバルの「応援してください、って頼むことはしません。僕が頼むことはひとつだけです。僕を見ていてください。見ていてくれたら、あなたのハートは僕が掴んでみせます!」っていう名言が僕は忘れられない。だから今年は彼のことをちゃんと見ていようと思って今回の舞台も行ったわけだけれど、いやあ、ハート掴まれてしまった……。聞いてないよこんなにいい役者だなんて聞いてないよ……。
「見ていてくれれば応援したいと思わせてみせる」「見ていてくれれば幸せになるような俳優になる」「見ていてくれる人の心に魔法をかける」みたいな強さが彼にはあるように僕は感じているし、それは本人も意識しているところはあるんだろうなあ、と。
この子応援してると幸せになれるんだ、っていう感覚。ぶっちぎりで顔面偏差値が高いわけではないし芸歴が長いわけでもないからこそ、幸福とか誇りを感じさせてくれる俳優になることが彼なりの「売れるための」勝負の仕方なんじゃないかと思う。
だとしたらその売れるための勝負の仕方、めっちゃ応援したいし、今日僕は郁くんのためにチケットを買ったことを誇りに思いました。

今回の舞台を超えて、彼は飛び込んできた芸能界という場所でこれからは生きてくれるんだ、と確信できたことがとても嬉しい。これからも応援させてほしい。
し、彼を「推しです!!!」って宣言してる人たちが正直羨ましい!!!!推しの初舞台が見られて、今後も応援するって、郁くんの未来に投資したいって思えるの、すごく羨ましい。


そして、これからも芸能界で生きていくって覚悟したんだろうな、って同じく思っている俳優さんがいて、それがDearDreamにおけるチヅas正木郁くんの相方、いつきas太田将熙(おおたまさき)くん。
先日の「あたっくNo.1」という舞台もとても素敵だったのだけれど、なによりそれ以来、目つきというか、スタンスというか、変わったなあって感じることが多い。すごく、急にオトナになったの。

ポルノグラフィティが大好きで10年以上ガチのファンやってるんだけれど、僕の中で若いときのポルノのギターさんって「コンプレックス、自信のなさ、周りと比較したときの自分、ネガティヴ、でも自分の強みもわかってる、なにより自分で芸能界って場所を選んだ、それでも怖い、隣の人にコンプレックスを抱いてしまう、でも立ち向かいたい、でも怖い…でも、」みたいな葛藤が大きくあったイメージで。それは彼の書いたエッセイも、過去の動画を見てもそう。憧れの芸能界で、楽しくて、嬉しいこともあるけど、でも現実を見たら終わってしまうから目を閉じて、自分の中にある「いつか終わる」という恐怖から必死に目を背けて…。
まぁそれを超えたからいま日本が誇るロックバンドなんだけど。でも僕がもしあと10年早く生まれていたらその売れたいと怖いと夢を見たいと現実が怖いのはざまで葛藤する新藤さんを見られていたんだなと思うとそれだけは羨ましいなと思うのもまた事実で。

で、僕が感じる太田将熙くん、そういう意味でとてもポルノのギターさんに似ている。
きっと本番中やライブ中はすごく楽しくて、嬉しくて、準備も楽しいんだろうなっていうのは見ていて思う。彼はDearDreamのライブのときなんか幸せの爆弾みたいな人だから、各方面にすごく幸せオーラをぶっ放してくれる。でも、売れるのかって不安とか、自信をなくしたりとか、現実に打ちひしがれたりも、当然しているわけで。
だからドリフェス!の中で将熙くんを追いかけながら、辞めないといいな、芸能界にいつづけてくれるといいなって、こっちが思ってしまったこともあった。これは将熙くん悪くないんだけどね、面倒なおたく(僕です)が過保護なだけだから。

でも、あたっくNo.1という舞台を終えてからの将熙くん、めちゃくちゃ肝が据わったように見えてカッコいいんだよ…。顔つきが変わったってはっきりわかるくらい。ああ、これからもしばらくは、芸能界にいてくれるなって。演技を届けてくれるなって、安心できるくらい。
あたっくの中での演技もとても良かった。ういういしさとシビアさと、コミカルさとシリアスさのバランス感覚にすごく優れている役者さんだと思った。舞台上の空気に馴染むことも、つくることもできる役者さんだったし次の劇団プレステージの本公演も楽しみなのだけれど。
その「あたっくNo.1」のパンフレットで、将熙くんは「DearDreamとしてアイドルを演じる日々が続いたから、アイドルではない演技にすこしだけ恐怖感がある、それを乗り越えたい」みたいなことを書いていたのね。僕は、いちおたくとして、彼はそれを見事に超えられたって感じている。
間違いなくこれからますます進化すると思う。でもきっとこれからも葛藤するんだと思う。これからはその葛藤を超えて、またさらにカッコよくなる瞬間の目撃者に僕はなっていけるのかもしれないなあと思うとゾクゾクする。


つらつら書いてきた「だぶるまさき」こと正木郁くんと太田将熙くん、これからもドリフェス!はもちろんたくさんお芝居のお仕事してほしいし、それを見つめさせてほしい。みんなが知ってる役者になるまで、見届けさせてほしい。僕はだぶるまさきのこれからにすごく夢をみているし、夢をみせてくれるふたりだなと。ふたりのタイプは全く違うけれど、それでもこのふたりの尊さにひたすら両手を合わせる日々です。
もっと売れろ〜。世界にバレろ〜。
ダイヤはダイヤにしか削れないけれど、エンターテイメントはエンターテイメント以外によっても磨かれる。それは音楽や、人との出会いや、俳優と素直に呼ぶにはめんどくさい2.5次元のお仕事だとか、いろんなもの。
だからどうか、ドリフェス!でも、他の舞台でも、プライベートでも、いろんなことに挑戦してすべてを芸の肥やしにしてくれ〜!!!そしてこれからも応援させてくれ〜!!!!!

 

 

ポルノ記事まとめ

自分が遡るときに面倒なので笑、ポルノ関連の記事はここにまとめておきます。ポルノの話は日常的に出てくるけど、これはポルノのこと書いたなってくくれる記事を。
随時更新するよ。


嵐に歌ってほしいポルノグラフィティについて本気出して考えてみた *16/05/16
http://bookmarker35.hatenablog.com/entry/2016/05/16/165913

part time love affair *16/11/08
http://bookmarker35.hatenablog.com/entry/2016/11/08/233442

パノラマシスター *17/04/08
http://bookmarker35.hatenablog.com/entry/2017/04/08/013231

ルーズの歌詞の美しさ *17/07/27
http://bookmarker35.hatenablog.com/entry/2017/07/27/134513

 

ダイアリー 17/08/03


今日の夕方、冷房の効きすぎたカフェでスケジュール管理をしていて(ちなみにまだ終わっていない)、なんだか底冷えしてしまったから外に出て、ふと書いた文章。なんとなく熱に浮かされているのは、考えるよりも先に言葉が動いたからだと思う。
ほんとうはもうひとつブログを書きたいのだけれど、早寝しないといけないから、またあした。あしたは感謝したい話を書きます。


***

ほんの、ここ一年の話だ。
君は幸せになっていいんだよ、ならなければならないんだよと言ってくれた人は3人いる。コンスタントに言い続けてくれたのはふたり。君は幸せになっていいんだよという言葉ではなかったけれど、その意味を込めて言葉と愛情をくれた人はあとふたり。それから、いつだって大丈夫だと、肩を叩いてくれた人も、何人もいる。

昔から自分の幸せをイメージするのが苦手だった。絵とか動画として、実際に幸せに笑う自分を思い描くのが良いのだというのは知っていた。だけれど僕の頭はそんなにじょうずにできあがっていなくて、「イメージする」とか「思い描く」とかいうことが難しかった。能力が欠如しているわけではないから、全くできなかったってわけではないけれど、そんなイメージよりもはるかに自分の文章のほうが自分をうまく説得してくれた。自分の書き言葉上手い下手は知らないけれど、言霊は人並みではないという自負はある。そして僕は、昔から自分を否定して、自分を責めることが圧倒的にうまかった。こればっかりは、才能だと思う。

昔から衝動性も強かった。
怒りや悲しみや欲望は、15分我慢すると落ち着くという話がある。欲しいと思ったものは15分落ち着いてから考えてみれば本当に必要かそうじゃないかがわかると。僕にはその15分ができなかった。15分も我慢できなかったし、そのあいだに動悸や頭痛なんかで苦しくなってしまって、それから解放されたくて衝動を爆発させていた。僕が怒りっぽいのも、喜怒哀楽の表現が過剰なのも、お金の管理が下手なのも、原因はこの強すぎる衝動性だと思っている。
そして、何かが起きたとき、あいつが悪い!とすぐに言うことができない子だった。何かが起きたとき、原因を全て自分に見つける子だった。自分のせいだ自分のせいだと、自分を追い込んだ。しかも、言霊が強く宿った文章で、衝動的に。

それが生まれたときから当たり前で、僕は自分のことを誰よりも信頼していなかった。自分が幸せになる権利の持ち主だと思うことができなかった。何かあるたびに、自分の言葉で自分の感情を殺し続けた。傷跡のつかない自傷行為だった。そして傷跡がないから、それが病的であることを自覚できなかったし、他者にも指摘されなかったのだ。
そのくせ他人のことは愛したくてたまらなかった。好きな人には好きと言いたかったし言っていた。言いすぎて信じてもらえなくなることなんかしょっちゅうだった。それでも構わなかった。自分を好きになってもほしかったけれど、僕が好きな人がその人自身を嫌いなことが許せなかった。僕の好きなものを嫌いな人のことが嫌いだった。

いま思えば、うつ病にはなるべくしてなったのだと思う。冷静になれば、そして前の会社の中での評価や医者の話を聞けば、自分は悪くないと簡単に判断できる。それくらいの頭脳はあるつもりだ。だけれど、衝動に囚われているときの僕にはそれができない。残念なことにいまだにできない。
たぶんこの強すぎる衝動性とは、もううまくやっていくしかないのだと思っている。

ここ一年、というのは、うつ病からの回復の兆しが見えてきてからの話だ。きみは幸せにならないといけないんだよ、と、幸せになることを恐れなくていいんだよと言ってくれる人がたくさんいた。こんなにいいことが続くのだから、次は悪いことが来ると思う必要はないと言い聞かせてくれた人がいた。最初から最後まで、ずっと幸せを受け取っていいのだと言ってくれた。あなたは幸せになる資格をすでに持っているのだと言ってくれた人がいた。わからないならわかるまで何度でも繰り返すと言って、何度も何度も言ってくれた人がいた。

僕は言葉というものを信じているし愛している。だからこそ、言葉というのは暴力にも花束にもなることもよくわかっているし、言葉に嘘をつかせることはそんなに難しくないことも知っていた。
この一年で自分に繰り返してきた嘘はいくつもある。覚悟の伴わない決意も、おぼろな理想も、心と真逆の言葉も書いた。自分は幸せになるべきだなんて思っていなくても、書いた。僕なら僕の理想になれるなんて1ミリも信じていなかったけれど、書いた。書くことでしか救われないのは昔からだ。他人を愛したいから、そのためにまず自分を愛さなければならないと思った。うまくできるか自信はなかった。いまでもない。でも、うまくいくのだと何度も書いた。ツイッターにもブログにも。ラインで人に言うこともあった。たまには音声にもした。
言葉に嘘をつかせていることに罪悪感はなかった。言葉は僕の主人だからだ。僕は言葉に導かれて動いているから、言葉が先導した結果、僕が変わっていける可能性はあると思っていた。
人間の理性なんか感情の奴隷だ。感情は衝動性と親友だ。そして僕の中で、たったひとつだけ感情をコントロールすることができる存在が、言葉だった。
言葉には言霊が宿る。たとえそれが嘘でも、まるで本当であるかのような言霊を宿すことはいくらでもできた。これもたぶん、僕の才能だ。

成功したと断言するにはまだ早いが、僕はいま、僕の言霊で自分を洗脳することに成功しつつあると思う。自分は幸せになっていいんだと唱え続けて、幸せになる資格があるんだと言い聞かせ続けたいま、明らかに日常生活で見える景色の種類が変わったと感じる。相変わらず死にたいし、希死念慮が強いがゆえの薬も飲んでいる。涙はうまくでないし、衝動には自傷を強いられるけれど、とにかく、降り注ぐ幸せを恐れてわざと逃げることはなくなった。目の前にある幸せに手を伸ばすことができるようになった。ここで運を使いたくない、と思うのではなく、ここで運を使ったら次はもっといいことが起きると思えるようになった。たまにまだ混乱するけれど、そういうときは先に書いたような友人に助けを求める。大丈夫かな、いいんだよね、僕は幸せになるのに不釣り合いではないよね、と。みんなもれなく言ってくれる。何当たり前のこと言ってるのと。あなたは幸せになるんだよ、なっていいんだよ。こわがらないで、と。

洗脳といえば洗脳だし、言霊といえば言霊だ。僕の感覚の外にはみ出して、もっと一般的に伝わりやすい言葉を使うなら「引き寄せの法則」というやつなのだろう。
僕はたぶんこれからも自分に嘘をつき続ける。いつか自分の言葉が嘘ではないと確信して文章を書けるようになる日がくると信じているからだ。自分の幸福は、自分を洗脳して呼び寄せる。だって僕は幸せになっていいし、幸せにならなくてはならないのだから。約束したあの人のために、そして誰よりも自分自身のために。

きみは幸せになっていいんだよ、と言ってくれた全ての人に感謝している。全く同じ言葉でなくても、僕が幸せになるための言葉や行為を尽くしてくれた人に心から感謝している。愛と感謝だけが自分を導いてくれるとあの日あの人が言った意味が、たぶんいまなら、端っこだけはわかると思う。相変わらず、すべてを見渡すことはできないけれど。

大きな愛と大きな感謝で、いつか僕があなたを幸せにできたらいい。幸せにしてみせるから。幸せになる資格がないと思い込んでいるあなたを、幸せにならなければいけないのだと思い込ませてみせる。

僕に核はあるが軸はない。∠RECEIVERという核、あるいは熱源のようなものは常に胸の奥でぐずぐずに燃えている。THE DAYからはじまって、この一年と少し、僕の核は進化した。どこかに縛り付けられるような軸は相変わらず通っていないけれど、中心部に燃える炎が、説得力を持って僕に言う。僕は幸せになっていいのだと。不安なときはそれを唱えていいのだと。良いことがあったらそれに怯えるのではなく、それに感謝して享受すれば良いのだと。そしてそれを僕に何度も何度も伝えてくれた人に、たくさん感謝すれば良いのだと。
生きているから悲しいこともあるしうまくいかないこともある。そんなことはあたりまえだ、わかりきっている。決して明けない夜も、降り続けてやまない雨もこのロクデモナイ世界にはある。だけど明けない夜の中でも、やまない雨の中でも、僕は僕自身に頼ってわずかながらに光をともすことができるようになったのだと思う。

世界は残酷だ。現実は無慈悲だ。自然は畏怖だ。だけれど、人との縁はいつか必ずやってくる。それは決して当たり前ではない。ひとつひとつの言葉に、ひとつひとつの優しさに、ひとつひとつの手渡された愛情に感謝して、そのひとに愛を返せるように、別の人に愛を贈れるように、常に自分に取り組ませる。そうすると、残酷な雨の中でも、明けない夜の中でも、僕の光を見つけて傘を差し出してくれる人がいる。道案内をしてくれる人がいる。きっといる。僕も誰かにとってのそういう人でありたいし、その人たちが僕にとってかけがえのない存在であり続けてくれるように努力したいと思う。

明日はどっちだ?と核に問えば、自分で決めろと言う。そうか、と思う。だって明日を占ったカードは風で飛ばされてしまったから。そして、他者が決めるべきものでもないからだ。
僕はたぶん戦ってきたし、戦っているし、戦い続けるのだと思う。この生きづらい世の中と戦う。僕の好きな人のために、感謝したい人のために、誰よりも僕自身のために。
笑ってくれて構わないけれど、僕の武器は言霊でできた巨大な花束だ。大丈夫とか幸せだとか、自分の言葉はもちろん、人がくれたたくさんの愛情に包まれた言霊たちでできた、たぶんちょっとまとまりに欠ける花束。たぶんレインボーだ。それをこの世界中で振り回して生きていく。あなたにこの花束の香りが届きますように。あなたにこの花びらがひとひら舞いますように。この花束が僕をいつも愛してくれますように。この花束を枯らすことのない僕でいられますように。

広大な海を、花束を抱えて泳ぐのは、気持ちが良い。気持ちが良くていいのだ。だって僕は幸せにならなくてはならないのだから。あなたが僕にとって必ず幸せにしたい人であるように、あなたにとって僕がそうあり続けるように。

ティンカーベルじゃないから粉を振りまいたりはできないし、明けない夜はないなんて歌えないし、暴力に頼ることもある。自傷だってする。でも現実をちゃんと見つめているし、現実をよりよく変えるために僕は∠RECEIVERとして生きるのだ。現実から逃げるんじゃない。現実を愛して、そして僕の手にあるこの花束から、あなたに愛の花を一輪、手渡せる人になりたい。なる。なってみせる。やまない雨が現実ならば、そこに傘を持って行こう。人を傷つける虚構を射抜いて、意思を聞いて、嘘でもいいから言葉で自分に自信をつけていこう。嘘で始まった自分の成長は、いつかホンモノになるのだ。僕が綴るフィクションが、僕を先導し、それはノンフィクションへと変わる。
それが、∠RECEIVERたる僕の武器だから。∠RECEIVERたる僕の、するべきことだから。

僕の花束を豊かにしてくれるすべての人に愛と感謝を込めて。
僕は幸せになっていいのだ。幸せをたくさん享受していいのだ。恐れずに受け取っていいのだ。そしてたくさんの人に僕の花束から一輪配るんだ。好きな人に好きって言うんだ。愛と感謝を。起こり売ることから逃げるんじゃない、起こることを直視してそれを変えていくんだ。そうやって死ぬために生きる。
THE DAYとARRIVAL -KUROFUNE sail awayを聞きながら。傷ついてもほしいもの求める姿、見せてやるよ。

 

 

ポルノグラフィティのルーズの歌詞の美しさ〜行間を深読みするおばけの覚え書き

クソ長いので結論だけ先に言うと「ポルノグラフィティはいいぞ」です。

 

ルーズ、というポルノグラフィティの歌詞をもとにした小説を書け、と言われたら、僕は「恋人だった人の葬儀の帰りのタクシーの中で、夜景を眺めながら頰に涙をつたわせるひと」の話を書くだろう。

この歌詞でよく注目されるのが、「首元の小さなタトゥー」という表現。恋愛の歌詞として素直に読むならば、浮気相手につけられたキスマークと解釈するのがわかりやすく、素直だ。だけれどもそれをキスマーク、と描かないところにこそ新藤晴一という作詞家の凄さはある。キスマークかもしれないし、本当にタトゥーなのかもしれないし、あるいは病気の注射痕なのかもしれない、ファンタジーな解釈をするなら吸血鬼に吸われた痕跡かもしれない。
僕はこの首元の小さなタトゥーというのを、「傷跡」だと思っている。自傷の痕跡かもしれないし、病気による青あざかもしれない。タトゥーだから、青あざのほうが説得力があるか。とにかくなんらかのかたちで、その人の生と死に繋がるキズがそこにはあるのではないか、と思う。

ではなぜそう思うのか。それは冒頭の歌詞にある「かたちあるものは「いつか」「なぜか」脆く壊れてしまうという そんなルーズな仕掛けで世界はできてる」が大きな理由だ。
あのタトゥーがキスマークの暗喩であるならば、浮気や失恋の歌詞だ。でも、あの新藤晴一が、恋愛に絡むものを「かたちあるもの」と呼ぶだろうか?むしろ「かたちないもの」とするのではないだろうか。
そこで僕の脳裏によぎるのは「別れ話をしよう」の大サビだ。彼にとって「かたちあるもの」とは、「その唇やその髪やその乳房」であって、それは恋愛のうえで結果として手に入れられる(と錯覚できる)ものに過ぎない。「恋愛」そのものには形はないのではないだろうか。
「いつか」「なぜか」脆く壊れてしまう「かたちあるもの」、それは人間なのではないか?と、僕は思い至ってしまったのだ。

キラキラと輝く夜景が幼稚な幻みたいに見えるタクシーの車内。バタン、と感情なく閉じた扉の音で、先程までの葬儀の悲しみを断ち切ろうとする。
けれど、そんなことはできない。かたちあるもの、すなわち人間は、いつか、なぜか死んでしまう。病気であれ、自死であれ、事故であれ、寿命であれ。いつか、なぜか、脆く壊れていく。それがこの世界の仕掛け。
入院して眠るその人の手を握り、あなたの声が聞こえずとも、それでもお互いの姿は見えていたと思っていた。ときたま反応してくれるだけで分かり合えた気がして、それ以上は望まなかった。最初に命に関わるものの兆候(自傷の跡か、あざか、なにか)が出たときから気づいていたけれど、それを問い詰められなかった。あの場で声をかけて、それはなに、と聞けていたら、なにか運命は変えられたのだろうか。
ふたりのこころに秘めた「かたちのない深い愛」。

相手の人は病気の青あざを首元で隠していたのかもしれない。あるいはその青あざは病気ではなく誰かから受けた暴力だったのかもしれない。暴力を苦にしたの、暴力が原因かはともかく、死には結びつく。あるいは歌詞の主人公と決して結ばれない恋をしていて、それを気に病んで自死してしまったのかもしれない。半ばの愛を語るフレーズを繰り返せば、心中に失敗した生き残りが、なぜ僕は壊れられなかったのか、と思う歌にも読める。

ルーズの中で美しさを極めたと思うのが「星が全部ほら 空から落ちる」というフレーズだ。
「ほら」というのは、相手の注意を引くときに使うフレーズだ。「ほら!あれを見て!」と。自分の驚きを伴うことも多い。だから「ほら」という呼びかけの言葉は、だいたい文頭にくる。
だけれど、この歌詞の中では「星が全部『ほら』空から落ちる」のだ。まるで主人公が、星が落ちることを知っているみたいだ、と僕は思う。「ほら!見て!星が落ちていくよ!」であれば、主人公も知らない出来事だろう。だけれど主人公は、ほら、と相手の(あるいは、誰かの)注意を引くべきタイミングをわかっていた。
「見て、ほら、落ちたよ」という具合だ。主人公はなんらかの手段で、目の前のかたちあるひとがいつか消えることを知っていたように思えてならない。
そしてなにより、すくなくとも僕の住む地域では、星は夏より冬の方が美しい。通年で星の美しい季節なんかないんだけど。どちらかというと「星空さえも引きずり落として這いつくばせた街」なのだけれど。でも、夜景がキラキラと光るような街なら、きっと同じじゃないのかと思う。落ちるほどの星を見上げることができるのは、きっとその季節が冬だからだ。寒い時期なら、長袖でどんな傷跡も隠すことができる。店内でマフラーを外してしまう首筋をのぞけば。

僕にはこの星が、主人公の涙の暗喩のような気もするし、本当に象徴としての星のような気もする。ただとにかく、歪んで捻れ混ざって溶けていく世界の中で、なんどもかたちづくられ、喪失と獲得が繰り返されるのは生と死なのではないかと思う。

キスマークを隠す人と、それに気付く人の、なんらかの恋の終わりの歌。そうとも読めるし、そう読んでも美しい。だけれど、これは空から落ちてはまたつくられる人間の命、生と死のように、ひとつの「かたちある」人間の喪失として読むことも許された歌詞なんじゃないかと思うのだ。

なにが言いたいかってここまで聞き手に解釈を委ね、そして委ねるだけの余白こそが美しい歌詞を書くことができる新藤晴一が、悔しいことにとんでもなく好きだという話なのだ。僕がこんな深読みするようになったのも、そもそも新藤さんの歌詞のせいだし。
そしてその余白を自分の解釈で埋めてしまうことなく、見事なまでに主人公としてストーリーテラーになってくれる岡野昭仁さんの歌唱力と表現力は、バケモノ他ならない。こんな歌詞を渡されたら、自分なりの解釈込めてナルシスティックに歌いたくならないのか?でも彼はそれをしない。
ポルノグラフィティというバンドについて僕が圧倒的に信頼しているのは、彼らが「聞き手にすべてを委ねてくれる」ところだ。歌詞も音楽も、岡野さんの歌いかたも。答えはあるようでいて、実はない。その余白に自分を重ねて自分の歌にもできるし、解釈を楽しむこともできるし、考えることよりもそこにある楽曲と歌声の美しさに浸ることもできる。10人いれば10通り以上の楽しみ方ができる曲を、彼らは創る。それが僕がポルノグラフィティを敬愛する理由だ。

という、ルーズに関するつらつらとした覚え書きでした。

 

 

劇プレHaGTを見て思ったことたくさん〜株元さんとKUROFUNEと猪塚さんと由次郎さんとDVD再販してくれの話〜

 

お借りしてる(いいかげん返せ)劇プレのHave a Good Time? (通称HaGT)を見直したのだけれど、ほんとこのDVD再販してくれ頼む…。
アミューズ頼む…再販してくれ…。劇プレもそうだし、アミューズの舞台系全部そう。受注でいいから順番に月に1つずつ再販して。そうしたら僕らも毎月1つずつだから無理なくDVD買えて見る時間もあるから楽しめるし、アミューズにも再販するだけでお金入ってくるでしょ!!!!!!お願い!!!!!!


ということで、
☆株元さんとコウとKUROFUNEに想いを馳せた覚え書き
☆猪塚さんと由次郎さんの演技が好きって覚え書き
☆あとひとつだけくやしいことと本公演が楽しみって話
を書きます。あくまでぜーーんぶ僕の個人的な意見と感想なので、否定形な意見いっさい受け付けません!わかるとか、僕はこう思うよ!とか、そういう話は大歓迎。あとなんか間違ってる情報あったら教えてください。

ちなみに舞台「娼年」で猪塚健太さんに惚れ、ハンサムフェスでKUROFUNEにハマり、そこから劇プレを追い始めたド!新規です。とぷうたは観に行ったよ。


☆コウと株元さんとKUROFUNEの話

いまこのHaGTを見て、そこで「アイドル役」をしている株元さんを見て、そんでドリフェス!KUROFUNEとしての株元さんに想いを馳せるとちょっと泣きそうになる。
どんな気持ちで2.5次元やってるのかなあ。
すごく個人的になのだけれど、先日のKUROFUNEリリイベで「株元さん、ロックアイドル演じきるために、演技じゃない部分においても腹くくったんだろうな」ってふっと思ったのね。それはいままで腹括ってなかったということではなくて(腹括ってないと2.5なんてプロジェクト参加できないよね)、勇人さんと株元さんご本人がうまく結びついていない印象だったの。役者って…というかあらゆる他人になることが必要になる表現者って、役に憑依される・俳優ではなく役として生きるタイプか、あるいはあくまでご本人のまま、役と手を取って役を演じるタイプがいると思っていて、株元さんは前者だから。完全に勇人モードオンのときと、株元さんの普段のときが別人だったから(そして僕は彼の、役に憑依される表現者であるところが最高に好き!)。
隣にいるのが圭吾さんとご本人のバランスを絶妙に取っている戸谷さんだからなおさら、そう見えたのかも知れないけれど。
いままでの株元さんは、あくまで勇人さんは勇人さんとして演じて、ライブのときは自分のままみたいな印象を受けていて。だけれどリリイベのとき、あ、勇人さんと株元さんがイコールで結びついたのかな、って思った。自分がやることと勇人さんがやることが、イコールになったんじゃないかなと。勇人さんであり、株元さんでもある。生意気なことを言うと、株元さんの影に勇人さんが見えるようになった。
同時に戸谷さんであり、圭吾さんでもある。不思議だけど、それが成立する世界。エンターテイメントの新しいかたち。僕がそう思ってるだけかもしれないけど!だからこそリリイベでの「圭吾さんas戸谷さん」との絡みがすごくリアルで、かつ声アニさんのインタビューがすごくよかったんだけど。
そういう意味ではドリフェス!のasという表現サイコーだよなあ。僕もコウちゃんと一緒で楽しいことが大好き♡

だからこそ、株元さんいまどんな気持ちでKUROFUNEしてるんだろう?と思う。
ファンレター読むより練習しててくれて全然いいって思うけど、実際アイドル(を演じる俳優)になったらどうなのかな。脚本の上だからこそアイドルを演じきれた当時と、いま本人としてアイドルをやりきることを要求されている今で、見える景色はどう違うのかなあ。
雑誌のインタビューで、新しく楽器やダンスを基礎からやるより、今できる歌をもっと上達したいという話をしていたけれど、たとえばコウならなんて言うだろう。
コウみたいな、楽しいのが好き!楽しいからやってる!ってだけじゃ、KUROFUNEはきっとできないと思うから。楽しいから頑張れる、というコウに、どうして頑張れるの?って聞かれたら、なんて答えるんだろう。
株元さん、KUROFUNEが楽しいといいなあ。いや、リリイベめっちゃ楽しそうだったし戸谷さんとも意気投合モードみたいだし、きっと楽しいのだろうけれど。彼はコウほど単純ポジティブマンじゃないから、楽しい以外にどんな気持ちがあるのかなあって。
コウと対談してくれないかな株元さん(?)


☆猪塚さんと由次郎さんの話

今回改めてHaGTを見たとき、わかってたけど、由次郎さんの演技が僕めーーっちゃ好きって思った!!!オーバーリングでも思ったんだけど!!!
さっきも書いたけど役者さんって、役に憑依される・俳優ではなく役として生きるタイプか、あるいはあくまでご本人のまま、役と手を取って役を演じるタイプがいると思っていて、何度か演技を見たけれど猪塚さんは後者なんだ。それがいいんだよね。役に完全に飲まれて憑依されるんじゃなくて、「猪塚さんが演じる○○」として最高なんだ。彼の頭の中に役の子が住んでいて、そのことお話ししながらどう演じるか決めているような。由次郎さんがどうかはまだわかんないんだけど。
でも猪塚さんと由次郎の共通点を言うとしたら、「隣の役者に呼応する」ところ。
たとえば先日観てきたオーバーリングギフト。わかりやすいと思うからカゲツ(富田健太郎)の例を出すけれど、彼の演技が日に日に成長していた。トミーだって思って見てたら、あるときふっと「あ、カゲツだ」って。カゲツにしか歌えない歌を、カゲツにしかできない視線を作れるようになっていった。そしてそれに呼応するように、猪塚さんとアスターのコンビの演技も深化していった。同じ板の上の素晴らしい演技や、舞台本番中にしか生まれない感動や成長を、猪塚さんと役(のふたりでひとり)は拡大させることができる。舞台の上に生まれたちっちゃな奇跡を、バンって拡大させてオーディエンスに運ぶことができる、そのための演技ができる。板の上の空気とか、役者のその日のコンディションとか、そういうのに沿えるというか。そういうところが素晴らしい役者さんだなあ、と。猪塚さんも由次郎さんもね。
だからHaGTも何回も見たかった!けどせめてDVDで見られてほんとうによかった。
そして由次郎さんは、こういう素晴らしい脚本をたくさん演じてきたから、今回オーバーリングギフトを創りだせたのだなあ、と思うと感動する。それにオーバーリングギフトを生で見られたことにも感謝しちゃう。
ていうか猪塚さんと由次郎さんのコンビがめっちゃ好きなので今後も2人でなにか創ってください。


☆おまけの話

僕は基本的にはもっとはやくハマりたかった!という後悔ほど意味ないものはないと思っている(だって仮に18歳の僕にKUROFUNEを見せても良さや面白さがわからないと思うし、気づいて夢中になるにはそれに向き合えるだけの自分の成熟とタイミングが必要だから)。…のだけれど、HaGTとか他の劇プレDVDを見ると、猪塚さんときなりさんの演技は生でたくさん観たかったなあと思う。あのふたりがステージで対峙するところは見てみたかったな。きなりさんの芯と、それに呼応する猪塚さんの輝きは生で見てみたかったなあ。
だからこそ、オーバーリングギフトに間に合ってよかった。風間由次郎さんがはじめてつくり、猪塚健太さんが演じた舞台を生でみられた自分グッジョブ。

あとなにより!今年の本公演URA!URA!はHaGTと同じ福島カツシゲさんの脚本!!!!もうそれだけでめっちゃ楽しみ!!!!!四回行くんだけど、さらに当日券並びそうな自分がこええ。

 

ほんと!!!!!DVDを!!!!!!再販してください!!!!!!!アミューズ!!!!!!!!!!!!!!