人生のスタンプラリー

人生のスタンプラリー認定協会埼玉支部

ダイアリー17/12/06 拝啓、嘘でも前にさま

 

「嘘でも前に」を積み重ねていく。
嘘でも前に、とは、僕が敬愛するギタリスト新藤晴一さんの言葉だ。

「100%の自信をとり戻すまで「嘘でも前に」だよ。「嘘でも前に」行けるうちは前に行く。「嘘でも前に」行けなくなったそのとき考えよう。そうしてるうちに「明後日か明々後日か一週間後くらい先は、いい日さ」って思えるかもしれない。」

新藤晴一「自宅にて」2004/08より。

前のブログ( http://bookmarker35.hatenablog.com/entry/2017/08/03/000213 )に、自分を言葉で洗脳していく、僕の主人たる言葉に僕を先導してもらうためにたくさんの言葉を使う、と書いた。それはいまでも続けている。僕は幸せになっていい、幸せになるんだと唱え続けてきた。最初は嘘だったとしても、それは言葉にし続けているうちに真実に変わる。ニセモノだったとしても、ホンモノであるかのように自分に信じ込ませて、信じて立ち振る舞うことで、いつかはホンモノを超えられる。
この一年間、僕はずっと、嘘でも前に進み続けてきたんだ、と昨日ふと気づいた。
だからその前進を勢い付けてくれたWNWにあんなに心打たれて感謝しているのだろうし、いつかはホンモノになれるといまは信じられる。あの日の∠RECEIVERにそれを誓える。

最近、前進を体感した出来事が立て続いた。
ひとつは、好きを好きと言う僕の書くものが好きと立て続けに言ってもらえたこと。ひとつは、仕事でずっとできなかったことができるようになったこと。ひとつは、抗うつ剤が減って断薬までもう少しなこと。ひとつは、仕事関係でうまくいきそうなこと。
それから、人からの愛と縁を深く感じる出来事もたくさんあった。混乱して送りつけたラインにそんなあなたが好きだよと言ってくれた人、好きなものへ愛を注ぎ続けてと言ってくれた人。仕事関係でたくさんよくしてくれた人。会社の利益より僕の将来を考えて選択肢を提示してくれた人。職場で対峙している愛おしい子たち。
人生は愛と感謝でできているんだと、いまならわかる。きっと、端っこだけなのだけど。

あなたに前進なんかできない、と言われたことがある。その言霊はすごく強くて、ネガティヴで、呪いだった。ひとつの。それを言われた当時は本当にキツかった。それこそ薬の量が増えたくらいキツかった笑。
でも、いまなら思える。前進なんかできない、と言われたからこそ、僕は前進するために歩み続けてこられたのだと。あのときそれを言われたからこそ、僕は自分の「嘘でも前に」に矜持を持ってこられたのだと。だから、その言葉を言ってくれた人に、最大限の感謝をしたい。同時にそうすることで自分の呪いを解きたい。大丈夫、僕は前に進めている。それを僕は体感している。誰よりも僕自身が知っているし、誰よりも僕自身がそれを信じたい。大丈夫、僕は立ち止まってなんかいない。
うつ病になって狂いに狂った人生プランをなんとかするために、僕は着実に進んでいる。それは、そっくりもとどおりにはできないけれど、素晴らしいものが作れると、僕は信じている。僕自身を信じているし、僕を信じて愛してくれる周りのすべての人を信じている。
僕1人じゃ、僕を信じるってきっとできない。苦しいと思う。だけど、僕の好きな人が僕を好きと言ってくれるから。僕の好きな人が僕に全幅の信頼を寄せてくれているから。そんな僕のことを、僕が信じないでどうする、と思う。そういう全ての人たちに報いるために、僕は自分を信じてTHE DAYを繰り返していく。毎日、毎日。「踏み出すその一歩一歩が変えていける」、僕のTHE WAYを。毎日つくりだすA NEW DAYの角を曲がったら、僕が描いた脚本通りに幸せなみんなとそれ見てニヤニヤしてる僕がいる。たぶんポルノ聴きながらKUROFUNEのブロマイド見てる。笑

与えてもらったすべてをチャンスだと信じられるから、だから、嘘でも前に。嘘でもじゃなくて、本心から、前に。嘘でも前にをたくさん積み重ねたから、今の僕は、今日も明日もきっといい日だと思える。なにか悲しいことがあっても、それを糧にできるし、足が止まりそうになったらまた嘘でも前にを積み重ねられると思う。僕なら。大丈夫。

「例えば心の中の花束から一輪引き抜いて 誰かに渡したい
触れられなくても 目には見えなくても 感じられる僕らにそれは『ある』 」
これはポルノのSWITCHツアーで彼らが紡いだ言葉。僕は自分が進むためにたくさんのたくさんの、本当に美しい花束をもらいつづけている。それを自分に受け取る権利がある、僕は幸せになるんだと思える。僕も誰かにそれを贈りたい。恩返しもしたいし、誰かに花束を押し付ける人にもなりたい。きみにもあなたにも、推しにも笑、家族にも、愛する人にも。僕の言霊の花束が、いつかあなたを救いますように。
世界中に花束をぶちまきながら、その花びらで僕の世界を潤しながら、楽しく生きてやるからな。楽しく早死にしてやるからな。見てろよ。

 

 

KUROFUNE FV/WNW 初聴き感想

KUROFUNE 2nd SINGLE
『Future Voyager/Whole New World』
フライング襲来からの即開国、一回聞いて書きなぐった感想です。しかも夜中に書いたやつ。笑  これからもっと聞き込んで、自分の曲として手放せなくなるまで何度も解釈していきたい。
ほんとに僕が勝手に思ってる感想なのでどんなネガティヴ意見も受けません!!!人の解釈読みたくない人回れ右!僕は人の地雷踏むの得意だからな!!!!!
 


☆Future Voyager

まず歌い方がものすごく好き!!!あんまりスローテンポな曲って聞かないのだけれど、これはひたすらに良い。
勇人さんの歌い方がいつもより少しだけ優しげで、圭吾さんはプリンスとしての矜持たっぷりで、なにより歌声がふたりとも(4人とも)すごくあたたかい。柔らかな愛情の世界。いままでのKUROFUNEにはなかったもの、空気感。それに触れられることの幸せ。鎖国を経た圭吾さん勇人さんと、長い時間を共にして真剣に話し合ったりして絆を深めた戸谷さんと株元さんだから歌えるし、この穏やかで気をぬくと泣いてしまいそうな空気感がにじむのだろうなって。ARRIVALのときにはきっとこの歌は歌えないだろうなあ、と。

歌詞は、まじで大サビで鳥肌立った……!すごい…勇人さんにとって圭吾さんは「大きな空に導いてくれる人」で圭吾さんにとって勇人さんは「救い」っていう…すごすぎる…あまりにもすごすぎる……シンメ厨の想いの遥か斜め上をいってる……これはアニメ見てるから、コンテンツ追いかけてるからこそゾクゾクする歌詞だ…最高…。コンテンツごと追ってて楽しいのはこういうとき…。
ていうか二番以降、全体的に勇人さんと圭吾さんがガッツリした関係性で結ばれている、素晴らしい2人の絆があることがもうひしひし伝わってきてシンメ厨は感動ですよ…。

それからね、二番サビは3次元の2人にも同じことが言えるんじゃないかって思ってしまった。業の深いシンメ厨オタクだから許してほしい。
最近のインタビューで言ってる「お互いの役割がわかってきた」「お互いがお互いに良い影響を」とか、株さんがまえにラジオで言ってた「辻褄があってきた」とか…。
『"互いが互いの想い変えた"、KUROFUNEという唯一無二の5次元アイドルに"しか描けない舞踏会(STAGE)"』なんじゃないかなって。そのための4人なんじゃないか、この組み合わせは必然なんだ、そうだといいなって…思います…。
ああ絶対ラストステージまで僕はついていくよ…ついていかせて………そんなふうに思う、思わせてくれる曲。


☆Whole New World

最高。好き。優勝。
もうほんと個人的な感情が込められすぎるのでまともな感想言えないけど、ライブ映えする曲だということはBO祭で証明されたわけだし、ぜひぜひ音楽番組やフェスで披露してほしい!!!ゴリゴリロック!みんな巻き込まれる!開!国!がめっちゃ楽しい!!!
こういう歌を一曲持ってるアーティストはライブで強い!だってインパクトがあるし楽しいし、いろんな畑にいる人がピンとくるタイプの曲だから。MV作って流すならこっちもお願いしたい、本当に…!これはもっとたくさんの人に聞いてほしいやつ!アニメ見てたらもっと楽しいけど、見てなくても一瞬で開国される力のある曲!
これをやるためにフェスに出ろ!!!!!
ていうかアミュフェスに出てください!!!!アミュフェスに出てください!!!この曲引っさげて来てくれたら僕もみんなに「これだけ聞いて、開!国!できるようにしておいて!」って言えるし!笑

ARRIVALにおいて「この瞬間に君を迎えに来たのさ わかるだろう?」と歌われていたのが、「迎えに来たんだ 愛の襲来」と、形を変えながらも初心として歌い継がれているのが素晴らしい。そしてその初心をさらにカッコよく強くしたのは「わかるやつだけわかればいい」ではなく、「誰かのために歌う」というKUROFUNEの「愛のかたち」。
「凍てつくほどの哀しみをもう感じさせない」ではなくて「もう"誰にも"感じさせない」であることがすごい大改革。
「傷ついてもほしいもの求める姿を見せてみなよ」と、ファンの、その姿を見せるやつのところにだけ迎えに行くというスタンスを選んでいた「わかるやつだけわかればいい」というARRIVALからの最大の変化だなと思う。アニメ9話しかり。

哀しみを誰にも感じさせないと、辛いことを攫って愛を襲来させてくれると歌い上げてくれる、彼らはまるで僕らにとって光だなあと。
王道アイドルのキラキラした光ではないけれど、滲み出る青い炎によって僕らは確かに体を温めて明日への勇気をもらえる。ノリの良いロックな曲調に合わせてガンガン進める、愛で襲来してくれる、これはKUROFUNEなりのラブソングなんだなあと思う。

インタビューで戸谷さんも言っていらしたけど、これ圭吾さんがプリンス感うすい!!それがすごく曲に合ってていい!!!でもきちんと品があるの、プリンス最高。
勇人さんはひたすらに歌いやすそうだなと笑。株元さんの声の硬質で美しい部分のこと、僕はいつも上等なけもののようだなと思うのだけれど、それがフル活用されていて最高。
やっぱり役者さんだから、どんな歌詞なのか、どんな言葉で台詞なのかというのをきちんと受け止めてきちんと歌ってくださる。だから言葉がストンと胸に落ちる。キーフレーズにもなってる「愛の襲来」なんて油断したら面白ワードだけれど、それが胸に響くのは、歌っているのが戸谷さんと株元さんであり、勇人さんと圭吾さんだからなんだろうなあ、と盲目ファンは思います。

ほんとにな、戸谷さんと株元さんであり、圭吾さんと勇人さんである、KUROFUNEの4人が大好きです。はあ…尊い…。

 

WNWは僕だという日記

ナルシズムと自分にしかわからない言葉満載なので読んだ後のいかなるマイナスなコメントも受けません!!!!曲の感想じゃないです!自分語りです!!!

読んで「わーーーおまえだーーーー!!」って思った人はその調子だー!!!!!!!って励まして!!!!!

 

 

Whole New WorldがKUROFUNE版の∠RECIVERなんですよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


優勝。最高。好き。大好き。出会ってしまった。たぶん僕の青春を語るために不可欠な曲になる。
僕は歌ではなくて言葉で、言霊できみの涙を宝石に変えたい、凍てつくほどの哀しみから言葉で救い出したい。それしかできないのだからそれくらいさせてほしい。僕は光そのものにはなれないけれど、光を強くしたり光を手に入れるための力にはなれるから、そのために言葉を尽くさせてほしい。
明日からの声が聴こえるからその先へ。
まだ見ぬ新しい世界からも逃げない、僕たちがコントロールできることはほんの少しでほとんどの出来事には関われないとしても、この星の裏側でも僕たちの足元でも起こりうる出来事から逃げない∠RECIVERでいるために、時代を、未来を、強く抱きしめて生きていくために僕はここに立ってる。塗り替えていく、日々を最高に更新していく。こうやって僕が叫ぶ想いに虚飾はない、どころかじりじりとした僕のすべての照明でしかなくて、この声も顔も体も髪も心も言葉もいま残らずすべてをさらけだしていく。
2011年9月10日に∠RECIVERとしてこの世に立たせてもらった、二度目の誕生日を迎えさせてもらったその意味を、愛すべき人、そしてこれから出会うすべての人に言霊の花束にして渡して生きたい。花束を振り回すように世界に言霊をばら撒きたい。僕はどうせ早く死ぬから、僕のことは忘れて、それでもあのときああいう言霊を、花束をもらったなって、じわっていつか僕の愛する人を守る言霊を吐き続けたい。ハリーのママがハリーにかけた魔法のような。そういう花束を、言霊を。今、それを伝える、この花束で。
自分にとっての時代や未来が変わっていく瞬間は今ここにしかなくて、それをつくるのは僕で、そこに覚悟を決めた照明ができるなら、僕は愛をすべての言霊にのせて花束にしてきみに贈りたい。
この衝動で、つまり瞬間的な感情でしかなくても、誠実なんてそもそも刹那的なものでしかないのだから、それをただ尽くし続ける。時代を未来をそして目の前のきみを、世界中のきみを強く抱きしめるために、僕はこの声を言葉を言霊を使って、花束をつくって、そうやって愛していく。いつかその愛が、花束がきみをやさしく守ればいい。僕のことより僕の言霊を覚えていてほしい。そこにある哀しみも辛さも攫ってしまうような言霊の、愛の、それでつくった花束を持ってきみのもとへ襲来する。

いや愛の襲来ってワード、僕との親和性高くないですか!?!?!?僕は勝手に美しい花束でおまえらに愛を伝えてやるから受け取ってくれ、捨ててくれてもいい、一度受け取ってくれ、愛なら込めるから。

ドリフェス!ハマってからほんと自分がドリフェス!に振り回されて勝手に悲しかったり楽しかったりしていっぱいいっぱいでしんどくて、自分どんどん、僕がなりたい姿、理想である∠RECEIVERから遠ざかってるなってずっとこっそり思っていたんだけど、いまWNW聞いて歌詞読んだら、僕が抱いている∠RECEIVERの花束を振り回すという概念がまるで別の言葉で歌われているみたいに聞こえて、だから上みたいなWNWと∠RECIVERの歌詞が混ざった言葉がばーって出てきたんだけど、あー僕間違ってないんだなって、ここは正しいんだって。We are hereだ、と。
なんていうか、好きなものに振り回されて情緒不安定になってしまうのはなんとかしたいけど笑、それも僕なんだよな。自己肯定感、とはちょっと違うかもしれないけど。
目の前にある好きなものを愛することって、たぶんいまの仕事とも同じで。目の前のひと、もの、その現在と未来、すべてを愛していくことと一緒。

何が言いたいかというと自分がここ一年どんどん∠RECEIVERから遠ざかってしまっていくように感じていて自分で自分が怖かったけど、大事な核はそんな簡単に消されやしないし、僕は喜怒哀楽をたくさん表明して、できればたくさん楽しいことして好きなものを愛して、人を愛して、心の中の花束から一輪その人に渡すような、そういう生き方をしていきたいんだ!!!って改めて思ったの、思わせてくれたの、WNWが。
そのためにいま僕のいる場所は間違ってないんだよ、そうだよ。大丈夫。きみのもとへ愛で襲来する。

 

 

 

沢村千弦バースデーパーティー感想文 〜ダブマスがあまりにも推せるってはなし


以下、沢村千弦バースデーイベント1日目・W-MaSKat夜の部に参加した感想です。基本はKUROFUNE担なので、まずなによりファンの服装の違いにびっくりした。パステルカラー、白いニット、編み込みのリボン…。フネの現場ってモノトーンだもんな…。僕、浮いてた…笑

以下、注意書き!

※これはレポではありません。主観にまみれた感想文です。
※レポをお求めの方は別の方の記事を!
※あくまで感想文で、僕が勝手に感じたことを、僕の解釈に基づいて、勝手に書いています。記憶も僕に都合よく捏造されてると思います。
※もともとアイドルや俳優さんの現場育ちではないので、言葉のチョイスもたぶんかなり人を選びます。
※読み終わってからの解釈違いだとかそういうクレーム受けません。そっとブロックしてください。良かったよって感想は大歓迎です笑

 

あとこれ、イベント最後のコーナーのことしか書いてないです。大丈夫?

 


本題いくぜ!!!!

いろんなところで書かれているかと思いますが、ダブマス回ではイベント最後の企画としてALL FOR SMILE!のアカペラ歌唱がありました。いろんな雑誌とかインタビューでも、ダブマスは「2人とも歌うことが好きだから歌で魅せたい」って言っていたのをさっそく実現してくれた。すごい!いいぞいいぞ!どんどん有言実行しよう!
そしてその現場に立ち会えてすごく幸せでした。歌う前のMCも、これからもっと活躍したいという気持ちにあふれていて、この時点で「尊い…」ってなってた。笑

さて、AFS。完全アカペラ、カラオケの音とかなし。なんもなし。ファンのぐすぐす泣く声と、息を飲む音、それらすべてを包み込むような、やさしいAFSでした。実に、ダブマスらしいAFSだなあ、と。

最初の「ワン、ツー、スリー」から、メインで拍を取るのは将熙くん。ふたりが目を合わせて、一緒に息を合わせて、すごく丁寧に歌ってくれているのが伝わってきた。ファンサモンスターズだからファンのこともよく見てくれたし視線も僕らに語りかけてくれていたけれど、お互いを見て曲を、歌詞を、そしてふたりの前進するための気持ちを確かめるような時間のほうが長かったんじゃないかなあ、なんて思えてしまうくらい、歌っている彼らは美しかった。

いやあ、なんていうか、歌うめえな、というのが率直な感想。いや普段のライブで踊りながらでもうまいし、CDでもうまいけど、やっぱり生アカペラの迫力はすごかった!
僕は音痴なので音程とかリズムとかそんなことはちょっとわからないんだけど笑、でも歌唱力にしても表現力にしても耳が肥えている自信はあるんだ。なんせあの!生歌がCD音源を超えてしまうポルノグラフィティのボーカルの生歌をいっぱい聞いて育ったからね(ドヤァ)!
でもその僕の肥えた耳を満足させ、かつ心の奥に愛情がみちるように、まるで語るように歌ってくれた。

太田さんは元々の声質が甘くて丸いのでアカペラがとても似合っていた。いやーーあの声、僕好きなんですよね。笑
マイクを両の手で持って歌う姿がまるで何かに祈るようで、声に心を閉じ込めようとしているように見えた。そして実際にそれは存分に込められていて、やさしく抱きしめてくれるような、歌声に身を委ねたくなるような心の表現がひしひし伝わってきた。
混ざる吐息の色気と歌声のやさしさ、そのギャップの共存。ブレスの音がはっきり聞こえたのだけれど、それがとてもセクシーで。メロンメロンどころかデロデロに溶けた。

郁さまはチヅとしてじゃなくて郁さまとして歌ってくれていたなあ、と。
だからこそ、キュートなだけじゃない、彼の声の深みが耳に心地よくて、とてもまろやかできれいだった。将熙くんが「やさしくて色っぽい」としたら郁さまは「まっすぐできれい」だった。声がもともと凛としているから、よく通ってよく響く。少しの嫌味もなく、歌詞が心にストンと落ちる。ひとつひとつの歌詞を言葉として届けてくれる丁寧さ。そして歌いながらファンをゆっくりと見回すような視線を送ってくれて、その慈愛たるや、天使だった。ああアミューズ、郁さまを取ってくれてありがとう。郁さま、芸能界に入ってきてくれてありがとう。

個人的には「高く遠くまで連れて行く」のパート割りがあまりに素晴らしかった。
💚「高く」
💜「遠くまで」
💚💜「つれていく」
だったのだけれど、僕の記憶(捏造されている可能性は大です)によると、

💚「たーかーく」(視線を上げてファンを見る)
💜「とーおーくーまで」(少し微笑みながらファンを見る)
(タイミングを合わせるために見つめあって)
💚💜「つれていく」(ふたりで笑う)

だったんだよね。

学業もアイドルもぜんぶやる、俳優もアイドルもやる、これからもっと高いところを目指す、そして全力でファンのみなさんを高みに連れていく、だから「全力で俺についてきて」ないっちゃんで将熙くんが「高く」、
ファンからの応援を「ずーっと宝物にするね!」という言葉を信じさせてくれる、あなたと一緒に未来がみたいと思わせてくれるチヅでかおるさまが、応援をくれる君をもっとずーっと「遠くまで」と歌う、その歌詞割りをしたのは誰だったんだろう?最高でした。
どうあがいても尊さが臨界点を突破した。ここで僕は泣きました。

さっきも書いたけど、ふたりのやさしさがあの会場すべてを包み込んでくれた。あったかくて、歌声に人柄がにじみ出るというのはこういうことだなあ、と。やさしくて、育ちがよくて、あったかい。
ファンミの「あなたの瞳に踊らせて」がめちゃくちゃセクシーであれが本当に好きで好きでたまらないのだけれど、アカペラとのギャップ本当にすごいなと。ふたりの表現力における振り幅の広さ、目が離せなくなる。もっと、僕らが混乱するくらい色んなことにトライしてほしい。あなたの瞳〜ともアカペラAFSとも、CDのライバルアレンジ(あれも大好き)とも違うちょっとロックテイストな新曲も、すごくお披露目が楽しみ。

MCで、これから2人での、つまりW-MaSKatとしての活動もしていきたい、もっと歌や声で届けるイベントもしたい、と言ってくれて、そのステージ、必ずいくよと思った。君たちがそれを実現できるように、僕は送れる限りの応援を送る、と。
歌で届けられるようになることって、表現力のアップにも直結すると思うし、歌えて踊れて…なんて俳優としてすごい武器だよね。ミュージカル出られるしできる役の幅が広がる。
僕すげえ勝手にファンのエゴとして将熙くんにはミュージカルやってほしいなあって思っているし、郁さまにも(もうすぐ大学卒業だろうし)どんどん活躍の場を広げてほしいから、いま本人たちがやりたいと思うなら、なんでもして、吸収してほしい。現場には行くから。そして役者としていつか必ず世間に見つかってほしいし、そのときに、僕に自慢させてほしい。「あの人たちがまだダブルマサキって呼ばれてたころから、僕は彼らのファンなんだ」って。

そのあとまさかのお見送り付きでびっくりしたんだけど(疲れてるだろうに…)、ふたりに「ファンミのあなたの瞳に踊らせても今日のAFSもすごく良かったから、ふたりのイベントまたやってください」みたいなことを伝えました。
そしたら将熙くんは「そしたら必ずきてね。約束!」と、郁さまは「実現するから待ってて!」と。もうふたりの誠実な瞳がキラキラしているだけですごく心揺さぶられてしまって、必ず行くし、必ず僕らが連れて行くって気持ちになった。
仕事終わりの猛ダッシュでしんどかったけど、本当に行って良かったです。はー。推せる。

以上、感想文でした。

 

ダイアリー 17/09/15 ナカタさんに会った

 

ナカタさんに会った。
ナカタさんというのは、村上春樹さんの海辺のカフカという小説に出てくる不思議なおじいちゃんだ。字は読めないし書けない、そのかわりに猫とお話ができる。頭の悪い元秀才。
蜷川幸雄さんが舞台化もしてくださっていて、あんなに原作に対して誠実な舞台化もなかなかないなと原作が大好きな僕が思うような舞台だったのだけれど、そのときは木場勝己さんが演じてくださっていた。そのときの木場さんがどこからどう見てもナカタさんだったから、2012年にはじめて舞台で見て以来、木場さんに似た人を見ると僕は心の中で「ナカタさん」と呼びかけてしまう。

今日、副業でやっている販売のお仕事で売り場に立っていたら、ナカタさんがやって来た。目のシワとか、笑い方がとてもよく似ていた。レジはわりと混んでいたけれど、僕の担当している売り場は奇妙なほどぽかんと暇だった。ナカタさんは僕から商品の説明を受けると満足げにそれをカゴに入れてくれた。
ありがとうございます、と、我ながらよくできた営業スマイルと明るい声でお礼を告げると、ナカタさんは僕を見て言った。

「あなたは運がいいでしょう」

正直、は?と思った。いや、思うでしょ。お客さまとはいえ知らないおっさん、しかもきっともう二度と会わない人から突然運がいいとか言われても。
ナカタさんはレジを見て、混んでるなあ、と言って、それから続けた。
「下の名前を聞いてもいいかな?」
売り場の名札には僕の名字が書いてある。お客さまの言うことだしなんとなく断れなくてフルネームを伝えた。するとやっぱりなあ、と言ってナカタさんは笑って、こう言った。
「あなたは青と薬指の人だね」
立ち尽くしたままのはずなのに、レジの混雑が遠くなる音を聞きながら、僕はその言葉をただおうむ返しにした。青と薬指。するとナカタさんはちょっと楽しそうな顔になって、そう、左手のね。と言う。
占い?宗教勧誘?ネズミ講?おじさん何者?僕の問いは接客中だという理性によって声になることはなかった。ナカタさんはそれからまた続けた。そういえばカフカに出てくるナカタさんも、しゃべり始めると長い。

「好きなものについて、誰かより知らないことがあると悔しいでしょ?しおりさんは知識の人。好き!と思うもののことはどんどん勉強するし、知識欲がすごいから本も読む。詳しいこと、たくさん知ってることが愛だよね」

このあいだ福山雅治さんが、ラジオで後輩の株元英彰さん(推し)の質問に答えた言葉を思い出した。「詳しいは愛」。
僕は確かにそのタイプだ。好きになると知りたくなるし、たくさん知るとそれを誰かに伝えたくなる。そういう意味ではとても負けず嫌いです、と僕が言うとナカタさんはだろうね、と微笑んだ。

「それに頭でっかちでしょ。でも覚えておいてほしいんだけど、その賢い頭よりも「好き!」っていう感情がすごく大きいよ。好きと思うことに嘘はつかないし、つくべきじゃない、あなたのために」

ナカタさんの目の下の、しわなのか涙袋なのかよくわからないけれど、とても豊かな部分をやたらと見てしまった。目を直視はできなかった。だって、それは僕が常日頃から言っていることだったからだ。理性なんて感情の奴隷にすぎない。ナカタさんは続けた。

「そしてあなたの五感で一番強いのは嗅覚。好き!と思える鼻をしている。嗅ぎ分けられる。逆に友だちと会ったときとかに、なんか嫌なにおいがするなと思ったら逃げられる嗅覚でもある。だから同時にこれ嫌なにおいがする、と思ったらどんどん離れなさい。嗅覚は呼吸に直結するから、呼吸関係は大事にするんだよ。喘息とかの持病持ってない?」

僕はそこで持ってる、と答えた。喘息ではないけど。パニック症の発作が僕は呼吸に出て、過呼吸みたいになるのだ。でもそこまでは言わなかった。なのに、ナカタさんは「あなたの場合、気持ちと呼吸が連動するから」と言ったのだ。それから大腸も繋がっているらしい。なにかあったらゆっくり呼吸するといいよ、と言われて、思わずその場で真剣に呼吸をした。腹式呼吸は得意だ。ナカタさんはそれを笑うことはなく眺めていた。それからチラッとレジを見て、並んでるなあ、と言った。

レジは混んでいるのに、僕らの周りには人がいなかった。目の前の通路を人が通るけれど、それは出口に向かうためで、僕らの立っているあたりに用があるからではないようだった。
ナカタさんはレジが混雑しているのがどうも気にくわないようだった。並びたくないらしい。それもあってか、僕を見て目を細めて、さらに続けた。

「しおりさんは今日はいい色の服を着てるね」
僕の今日の服装は、まあ概ねいつも通り白黒赤だった。だから僕は赤ですか?と聞いた。するとナカタさんは「白だよ」と言った。

「しおりさん、青の人だから。だから日常的に白いものを身につけているといいよ。いいものが入りやすい色だから」
「いいもの」

僕はまたおうむ返しをしてしまって、それにナカタさんも「いいもの」と語尾を落として答えた。

「たまに思い出してほしいんだけど、しおりさん、あなたは見るからに運が良い。進めば周りの波も作れる人だ。良くも悪くも波を起こせる。でも悪い方にはいかないようにしてくれる人がたぶんいる。なぜなら、そういう名前を親にもらってるから。しおりというのはそういう名前だよ。だから自分の好きという感情を信じていれば大丈夫。嗅覚を信じて波をつくればいい」
ぽかんとナカタさんの言ったことを頭に書き留めて、それからはい、と答えるのが精一杯だった。ナカタさんはそれからすこし、今までより明るく笑って「お金はこれから勝手についてくるよ」と言った。

なんで僕が今お金ないことわかったんだろう。なんで僕が魚座で海が好きだなんて知らないはずなのに、波という言葉を使ったんだろう。なんで僕が自分の名前が大好きだなんてひとことも言っていないのに、名前を大事にしてくれたんだろう。ぐるぐる考えていたら「やっと空いた」とナカタさんはレジを見て、それから「ありがとね」と僕を見て言った。はい、と返してから、いやいま仕事中だ、と思い出して慌てて頭を下げて声を出した。ありがとうございました。すると何歩ぶんか離れたところからナカタさんが僕を見て言った。「いい声だね」。

ナカタさんは僕が売った商品しか持っていなったみたいで、あっという間にレジをすり抜けて行った。それから僕はいま言われたことを忘れないように、仕事をしているふりをしながらできるだけ詳細に書き起こした。とはいえ、やっぱり細部は僕の補正がかかっているだろう。でも大筋は違わないはずだ。

嘘みたいな話。自分で書いていてもそう思う。創作実話かよ。でも僕は本当についさっき、この現象に遭遇したのだ。ナカタさんは確かに青いポロシャツを着て、僕の前にいた。レジでお金も払っていた。今思えば僕もナカタさんの名前を聞けばよかったのだけれど、そんなふうに頭はまわらなかった。

これがまったく的外れな、つまらない話なら僕だってわざわざ書き残したりはしない。でも今日は違った。
端的に言ってここ数週間の僕は酷かった。いろんなことやもののタイミングで、ただでさえうつ病治りかけなのにそれに悪化の拍車がかかっていた。もともと強い希死念慮は重かったし、完全に抑うつ状態だった。好きなものを否定(されるように感じてしまう)ことが悲しくて胃が痛くなるまで腹を立てたりした。しばらく飲んでいなかった、強めの精神安定剤を何度か飲んだし、白状するとここ2週間は睡眠薬なしに眠れていない。

でも今日ナカタさんと会えて、たしかに幸せだったし、なんとなく救われたような気がしたのだ。
名前を褒められたのが本当に嬉しかった。いわゆるXジェンダーで、性別からできるだけ遠ざかっていきたいと宣言しているわりに僕がしおりという名前を手放さないのは、この名前が好きだからだ。しおりという名前を最初のギフトとして僕に授けてくれた親に感謝している。
最近、本当にしょうもない程度のことで、悩んでいた。今の生き方してていいのか、と。もちろん強くあるために変わらなければならないことはある。それはわかっている。でもそうじゃない部分まで、変えなければならないのかと。でもそうじゃないらしい。好きなものに愛を示す生き方を、そのために貪欲になる生き方を、その一瞬、一瞬に誠実を込められるだけ込める生き方ができればいいんだと改めて思った。そうだよね。ナカタさんにそれを肯定してもらったのだ。
それに僕は自分の鼻が効くことをよく知っているし、この嗅覚がすなわち自分の審美眼であることもわかっていて、そして、僕は自分の審美眼に自信があるのだ。

僕は僕の生きたいように生きていていいんだ。愛したいものを愛するために尽くせるすべての誠実を尽くして、花束を振り回して世界を殴りながら生きていけばいいのだ。カラフルでレインボーな花束で世界を愛していけばいい。僕のやり方で。僕は僕が美しいと思うものを愛せばいいし、ダメだと思ったら遠ざかっていいのだ。
僕にはたしかに、僕が何か間違えそうになったときに真剣に止めてくれる友人がいる。僕にはたしかに自分の好きという感情でしか生きられないし、なにより、呼吸と声と、そして言葉でしかそれを尽くせないのだ。

わかっていたことだし明文化もしていたことだった。自分でそういうふうになりたいと思う自分の像そのものだ。それを、突然現れたナカタさんが、目の前に再提示してくれた。ちょうど、見失いかけていたときに。

ナカタさん、どうしてわかったんだろう。何を見て判断したのか、名前だけ?オーラ?だって誕生日も血液型も出身も、年齢すら伝えていない。

生きていると、たまにこういうことがある。タイミングというのはすなわち運命で、積み重なって人生になる。僕はたぶん、ナカタさんみたいになりたいのだ。いつか僕がナカタさんのポロシャツの色や顔を思い出せなくなっても、今日彼に言われたことを忘れることはきっとできない。好きという自分の気持ちに正直でいいのだ。自分の嗅覚を信じていいのだ。そして僕も、彼が褒めてくれた声で、誰かにそういう花を渡したい。

名前も知らないナカタさん、どうもありがとう。あなたが今夜よく眠れますように。もうきっと会えない気がするけれど、それでいいんだよね。

 

 

ダイアリー17/08/28

 

これはよく僕がするたとえ話で、人の言葉にはチャンネルがある、という話。
あの人とは(内容ではなくて会話のテンポや語彙、指示語の使い方が)どうも話が噛み合わない、って場合、わりと違うチャンネルを通して話していることがある。たとえばNHKが基本チャンネルの人とフジテレビが基本チャンネルの人は会話するの大変だと思うんだよ。
普段はNHKだけどテンション上がるとローカルテレビみたいになる人もいれば、ふだんはコミュニティFMなのにちゃんとした場ではテレ朝みたいになる人もいる。

僕は、少なくとも自分では、そのチャンネルの数を多く持っているほうだと思っていて。
僕のデフォルトのチャンネルはテレ東だと思ってるんだけど(マイペースで基本的に好きなことしかやらないので)、必要に応じて、まあ埼玉で見られる地上波分くらいにはチャンネルを使い分けられると思う。たぶん。
でもBSとかWOWOWにまでは対応してないんだな、って思うことが最近多々ある。

言葉だけではなくて、思考もそう。同じものの特集を組むんでも、どのチャンネルで組むかによって特集の仕上がりはまるで違うものになる。

何が言いたいかって、同じものが好きでも言葉が通じるとは限らないし、同じものが好きでも同じような特集の組み方を…つまり応援の仕方をしているとは限らない、という話。

そんなことわかりきっていたし、なにをいまさら?ではあるのだけれど、再認識させられたから。
いままでも(たぶんこれからも)趣味は少ないほうじゃないから趣味の友達は多いし、僕の使ってるテレ東チャンネルを気に入って仲良くしてくれる人も多い。ありがたい話。

で、ここからが本題ですけど笑、新しい趣味の界隈の扉を開いたことで、僕の持ってるチャンネルじゃ対応できない!ってなることがとても増えた。言葉の使い方としても、思考、あるいは価値観としても。だからどうしたらいいのか、と思って、ここ最近までは自分のチャンネルを増設しようと必死になっていたのだけれど、なかなかアンテナの設置工事がうまくいかないみたいだ。まあチャンネルの増設工事を意図的にやること自体がはじめてだから戸惑ってる面もあるんだけど…。
言語のチャンネルはもともと複数あったし、価値観のチャンネルみたいなものはわりと(ありがたいことに)外部の力でむりやり増設させられることが多かったから。

自分が狭い世界で生きているって思ったこと、あんまりなかった。世界は広くて美しい、それに憧れ続けていたし今でもそうだから。まだ広くて美しい世界に到達できているとも思ってないけど。
日本はもちろん海外にも友だちはいるし、趣味も複数あるからいろんな界隈の友だちがいるし。だけれど、チャンネル数という意味で言えば、今まではとても少なかったんだと思う。

それが最近(おそらくこれを読んでくれている人はご存知の通り)、今までの僕ではありえなかった界隈に飛び込んだでしょう。思えばVALSHE好きになったあたりからそうなんだけど、自分で自分を、いままでとは違う世界に飛び込ませているでしょう。最近の僕。
それなりにいろんなもののファンやオタクを、それなりに楽しくやってきた自負とノウハウは持っているつもりだった。でもそれが新しい界隈では通じない。こんなこと初めてで。

でもそれは好きになったものそのものへでの気持ちではない。好きになったものに間違いはないし僕は自分の一目惚れをわりと信じている。
ただ、あくまでそれを取り巻く人間関係であったりとか、好きなものを支えるマーケティングの人たちだったりとか、そういうものとうまくいかねえなあ、って。WOWOW通じねえんだよなあって思うことが多い。言葉も価値観も。

困ったことに、だからどうしたいのか、と言われても、僕にはまだ出せる答えがない。
チャンネルを増設するべく頑張るのもたぶん答えだし、それをやめていま機能してるチャンネルをより整備していくのも答えだろう。

まどろっこしくなく端的に言うと、新しい界隈でつくりあげた人間関係をどうしていくべきか悩んでいる、という話です。罪を憎んで人を憎まずメンタルだから、この人のここは好きだけどあそこは嫌いだな、と思ったときに、そのいいほうを選んで人間関係をキープしがちなんだよね。でも罪ではなくて人として合わないのなら、それはもう付き合い方を考えていくしかないんだと思うこの頃なのです。それができるにしろできないにしろ。

25歳にもなって、こんなことを本気で考えるなんてバカみたいだしみっともないんだけど。いままで自分がいかに人間関係に恵まれてきたか、本当によくわかるなあ、と。だからそういう人たちには改めて感謝したい。
ちょっと自分でも予想外な形で、自分自身と、自分自身のチャンネルと向き合うことになった、そんな夏でした。

でもお芝居とかたくさん見に行けて、それは本当に良かった。完全に新しい季節を過ごした。いまのタイミングで出会えて良かったなあと思う作品と出会えたし、セリフにもぶつかったし。
そういう意味では新しくて最高な夏だったから、秋も冬も最高になるんですよ。来年もね。死ぬまで青春で最高であり続けたいと思うし、そうありつづけられるし、それは僕の中で決定事項だから。

花束を振り回して生きていこうぜ。

 

僕はひとりでは生きていけない∠RECEIVER *ウラブー千秋楽感想

 

ウラウラブースト!千秋楽おめでとうございました!!!

初日の感想( http://bookmarker35.hatenablog.com/entry/2017/08/16/232853 )からやっぱ大きくぶれなかったな。むしろ深まったくらい。あまりにも個人的な境遇とタイミングと感情と重なってしまった。だからたぶんこれから先も、僕はこの舞台が好きだと思う。劇プレが好き?って言われたら好きな俳優がいるんだよ、って答えになると思うけれど、ウラブーが好き?って聞かれたら、大好き。


今日だしたファンレターにも書いたんだけど、応援って対等だからできることなんだよね。
応援する、される。応援するあなたに恥じないように、応援されるきみに恥じないように。
僕の実家たるポルノであれば「ポルノのこの曲に恥じない自分で在れるように」と自分を奮い立たせるし、「嘘でも前にという言葉にふさわしいように」って自分にハッパかけるし、という具合。

で、今回の舞台で僕は「お前は今、何と戦っているんだ」という言葉に、ためらわず答えられるようにありつづけたいと思ったんだ。幸い、いまは答えられるから。
で、あっちにもそうであってほしい。ファンのエゴとして。あの曲を歌うのにふさわしいバンドでありつづけてほしいし、あの言葉を投げかけるのにふさわしい役者でありつづけてほしい。
応援はするだけじゃない。しあうもの。

パコ見に行った感想にも書いたけど、応援されること/することで発揮できる全力っていうのは愛と誠実の1つの具現化だと思う。
エゴイズムの塊でもあるけれど、僕はエゴの伴わない行為は何もできない人種だから尚更ね笑

カーテンコールでヒデさんがぶっぱなした「押し上げて、押し上げられたら、真ん中に宇宙ができる」という迷言(笑)、僕のごくごく個人的なことを言えば、誠実な愛と愛の交換の真ん中に、宇宙をつくることはできると思う。

僕はひとりでは生きていけない。人生のどん底を、大事な人に、大切な言葉に、愛する曲に、支えて救ってもらった。そうじゃなければ今の僕はありえないから。宇宙を作るんでも、僕の言葉で言うところの花束を振り回しまくりながら、花を渡しながら、でもいい。
だから舞台の最後が「弔辞」でも「エールを送る」んでもなく、「エールの交換」だったことが嬉しかった。
もうこのへんの僕の思考のベースはポルノに責任取ってもらうしかないんだけど笑

そういう対等な関係だからこそ手渡せる愛情のかたちで、劇プレはファンを対等なミラーとして見てくれているのかなあと思ったよ。
昨夜フォロワーさんが「ウラウラブーストは劇プレを鏡にして自分と見つめ合う舞台」と言っていてすごく納得したし、ならば僕は何と戦っているのか、と。
押し上げて、押し上げられて、花束を振り回しまくりながら、やっぱり戦って生きるしかないんだなと思った。

ていうか物販でヒデさんに「押し上げるので押し上げてください!」って言ったら「わかりました宇宙つくりましょう!」って言ってくれて嬉しかった笑
宇宙つくるしかねーな!花束ぶちまいて生きるしかないんだよ。僕にはそういう生き方しかできないけど、これがきっと僕のベストアンサーなんだと思う。


脚本が、カツシゲさんの「突き抜けたエンタメ性」と「頭使って見るとわかる考えさせられるポイント」両方がぎゅってなっててそれも最高だった。
個人的にね、熊本の震災を示唆していたのがとても響いてる。
「あっという間だからしかたないけど、1年も経つと忘れられちゃうんだ、おれだって帰ってなかったらゆっくり忘れていたのかもしれないけど」というフレーズ…。あの重さ。
あれをあくまでかるく、でも切実にそして誠実に言葉にできる由次郎さんも、脚本に書けるカツシゲさんもすごい。あれは下手な役者に言わせちゃいけないセリフだよね。
僕らには忘れちゃいけないことがたくさんある。『この地球の裏側でも、僕たちの足元でも、起こりうるできごとから逃げない』人でありつづけたいしそうなりたいよ。まさか劇プレ見にきて僕のすべての原点に立ち返ると思わなかった。∠RECEIVERにここで出会うとは。

劇プレの箱推し!になれるかはわかんねーなって思った(18人もいれば当たり前だけど演技が好みじゃない人もいるし、えーって思うところもあったし)けど、でもたぶん次の本公演も行く。

千秋楽の株元さん本当に良かった!!走るの下手すぎて腿上げになっちゃうところとか最高だった笑
なによりよかったのは演舞における株元さん。彼がピシッと旗を持つことで舞台上に静と動の美しさが生まれて見応えが増し増しだから。そして旗が振られることでパワーアップする迫力。
今日は一段と静と動が美しかったし、タケノリくんが旗手に選ばれたのなんかわかるなあ、って思ったりもした。あのメンツなら、彼がきっと適任。株元さんじゃなくて、タケノリくんが適任。
新入生のときのワンテンポ遅れた押忍!とか、ピンクシャツいじりのときの怯えかたとか、めっちゃタケノリくんだった(さすが我々の章太郎さんである)。今までの素晴らしいが全部詰まってたかんじ。マジで外部の舞台で株元さんが見たい。

初日からの進化っぷりで言ったら将熙くんが抜群すぎた。サトシが団長になったばかりのダイスケにキレるシーンの説得力が初日とは段違いだった。あたっくのときも思ったけど、彼の周りの演技を吸収してお客さんのリアクションを見て成長していくスピード、もんのすごいよね。
このあいだブログにも書いたけど( http://bookmarker35.hatenablog.com/entry/2017/08/06/215400 )、やっぱりダブルまさきはこれからも応援しつづけたい。

そして猪塚さん。あの人は本当に舞台上でその瞬間に動く感情とか、その日の演技の良さを反映してみんなに広げられる反射鏡みたいな芝居する人だなって。拡大鏡、なんて言ったらいいのかな。千秋楽だったこともあって、今日は特にすごかったな。
だからこそ、まじで、青鬼が株元さんバージョン見てみたかった。あのふたりのダブル主演、めっちゃ見たいでしょ…。


なによりも!今回ウラウラブーストに連れて行ったポルノファンみんな楽しんでくれてよかった。はっさくめがねさんありがとう。


はー。観劇漬けだった僕の夏も少しずつ終わる…。そんな感覚に浸りながら、愛と誠実について考えながら、∠RECEIVERを聞くよ。

 

 

追記、株元さんの演技の話。

お借りしたままのHaGT見たんだけど、ウラブーのタケノリくん見たあとにコウさま見たらさあ、あっ僕、株元さんの演技、好きだ…ってなってしまった……

勇人さんのときとか顕著だけど、株元さんはたぶんご自分で読み込んだり考えたり、お稽古なさる中で、自分の中に「その役」のチャンネルができる人なんだろうなーってかんじ。
オンにすると役になる。オフにするとご本人に戻る。憑依させるのとも役と手を取り合うのともちょっと違う。オンオフのスイッチを自分でコントロールする。いま入れるぞって。だから役じゃなくて自分のまま(スイッチオフのまま)のアドリブとか苦手なのかなあって、去年のハンサムのラブトラKUROFUNE対決を思い出した。もしかしたら役を作り上げるのに時間はかかるのかもしれない。一度できてしまったら強い。
憑依させるのと違うのは自分でスイッチオンオフできること、手を取り合う系と違うのは完全にオンとオフなこと。

そしてこのタイプだと、彼の頭の中に作られる役の解釈がオーディエンスや周りの役者と一致しないとハマらないけれど、株元さんはその解釈がうまいんだろうなあと。少なくとも僕とは現時点では全役で完全一致だから笑
安心して見ていられる、って前から思っていたのはそういうことかなって思う。勇人さんの解釈において一番信頼できるのかぶもとさんだもん…。そういう体で役を覚えるより先に頭でどう演じるか、そのキャラはどんな人なのか考える人なんだろうなって思うなどした。

あのー圭吾さまのバースデーイベントでのネックレス発言とかそう!笑
戸谷さんが半分役の憑依入ってるんだか入ってないんだかでぽんって言った「お揃いのネックレスは?」発言を真剣に「勇人さんならどうするかなと思って…」って考えてたのが忘れられないんだよね。たぶん彼の中には勇人さんが住んでて、自分とオンオフできるんだろうなって。
そういう役者さん好きになるの初めてだからめっちゃワクワクする。もっとたくさん外部の舞台出てほしい。もっとたくさん株元さんのお芝居が見たい。