人生のスタンプラリー

人生のスタンプラリー認定協会埼玉支部

オープンユアアイズ

部屋をひっくり返した。
というのは比喩だが、この場合はほとんど比喩ではない。簡単に言えば大掃除と模様替えなのだけれど、そんなものではない。和室ゆえに押入れの奥にしまい込まれたあれやこれやを容赦なく取り出し、躊躇なく捨て続けた。なんのためらいもなく、ひたすらゴミを出した。

ずっと掃除が苦手だった。
厳密には過去形ではない、現在進行形だ。整理整頓も苦手だ。ほこりなんかも気にならないし、ものがごちゃごちゃしている部屋のほうが居心地がいいくらいだった。
ただ、おそらくこの半年で、僕は部屋のものを半分にしている。
うつ病になって家にいるようになって、動けるようになって最初にしたことが「断捨離」だった。

いろんな場面で「再スタート」という言葉が使われるけれども、僕がしたいことは再スタートではなかった。僕がしたいのは「リセット」だった。
可能ならば生まれ直したい。でもそんなことはできない。ならばできるだけ身軽に、過去のものに縛られずに自分が思考するためにはどうしたらよいか。そう考えると、やるべきことは「削ぐこと」であると思えた。
ためこんできたモノも、ストレスも、SNS上の自分も、放置していた作業も、捨てたり完了させたりして、削いだ。

部屋のものは半分になった。400冊ほどあった自室の本棚も半分まで減らした。CDも相当捨てたはずだ。ここまで削いで削いで、さて、僕はリセットなることができるのか。

そもそもリセットってどんなことを指すのだろう。僕の思うリセットとは。空っぽになること、ではないはずだ。生まれ直したいという願望に、どこまで近づけばそれはリセットなのだろうか。

思うに、いままでの削ぎはすべて準備だったのだ。眼に不必要なものが入り込まないように。
善悪正誤、他人の視線や社会観念、そんなくだらないものをすべて捨て去って、僕だけの審美眼で、いまの僕と見つめあう。自分と、自分にとっての核、北極星、目指すべきもの、理想、言い方はなんでもいいのだけれど、心臓に打ち込むべきものをもう一度探し出す。
審美眼をクリアにするための準備、その削ぎはもうすぐ終わる。

僕の審美眼が、僕自身を存在価値のない醜愚だと判断しないことを、ただ祈る。