人生のスタンプラリー

人生のスタンプラリー認定協会埼玉支部

タンスの中で寝る予定がない人生

最近自分の中でなんかいろんなことがゆるふわ化していて、その中でも特に性別が本当にマジでガチでどうでもよくなってきて、女扱いされても男扱いされてももはやどっちでもいいし、他人に対しても男とか女とかほんとにどっちでも(あるいはどれでもいいし無くても)いいなって心底ふわふわ思っている。
ただでさえ低かった自分の中における性別の優先順位がさらに下がって、ほんとにどっちでもよくて笑、僕が僕だということを貫ければそれでいいやみたいな〜〜ってなりつつある。他人から「オトコオンナ」って言われてもニッコリ「中性だよ♡」って言えるようになったというか。「ボクっ娘キモい」って言われても「そもそも女の子だと自分のこと思ってないからさ♡」ってきっと笑顔で言える。

もともと親族以外にほぼセクシュアリティをオープンに、言いふらすレベルで生活しているのは、どんなマイノリティでも「意外と身近にいる」って気づくと差別が減って理解が増えると思っているから。差別されたくないじゃん。誰だって。すくなくとも僕はされたくない。
だってマジョリティと同じ人権ほしいだけだし。権利も義務もどっちもほしい。特権なんかいらない。なのになんで僕らが面倒くさい扱いされるのか謎じゃん。

でも性別ってそんな大層なことか?と、僕は思う。
いや大層なことだよっていう人もいるのだろうし、その人たちのことは支援したい。性別こそが大事なのだという人もいるからね。それは当然のこと。ヘテロセクシュアルの人とか、性別きっと大事だよね。
ただ僕からすれば本当にどうでもいいことでしかないなと思う。
性別だけで相手のことわかる?血液型占いで相手のことわかる?僕は分からない。たぶん僕のことだってわかられないと思う(血液型占いハズレまくるし)。
異性とか同性とかじゃなくて、人と人、として触れ合うことがしたい。

もはや男扱いされようが女扱いされようが気にもならなくなってきた。前まであんなに女扱いされるの嫌だったのに。
ああ、この人は(立ち振る舞いや服装や一人称やらに特徴がある)僕を見てそう判断するんだな、と思う。僕を僕として見てくれているのか、女というカテゴリで見ているのか、それがわかるだけ。わかって、そして、僕の中でその人の好感度が上がったり下がったりするだけ。
あとは僕が「自分をどう見せるか、どう演出するか」の問題だ。中性として認識されるためにどうするか。思春期のころからずっと自分の性別が男とも女とも思えずに悩み、男の子になりたくて悩み、性別関係なくいろんな人に恋をしてきた僕の、今でも悩んでいる僕の問題。

『友香ちゃんはわかってくれる側の人間だからそう言ってくれんだよ。分かる人は言わなくても分かってくれる。分からない人はいくら説明しても分かってくれない』

最近読んだ「怒り」という小説から、直人のセリフ。直人はゲイで、とても親しくしていた恋人のお母様のお葬式に出なかった。出てしまったら、その恋人がゲイであるとみんなに知られてしまうから。そこで出てきたセリフ(原作すごくいいからみんな読んでください)。
読んだ時はとてもしんどかった。でも今僕が思うことは、
「僕の役目は、『説明すればわかる人』を増やすことだ」
ということ。
説明しなくても分かってくれる人は分かってくれる。説明しても分かってくれない人は分かってくれない。
なら説明すればわかってくれる人だっているはずなんだ。

まだまだ日本はマイノリティに冷たいし、すぐに気持ち悪るがられるし、中性と名乗ると嘲笑されることになんてもう慣れたけど、でも、話せば「なるほど」って言ってくれる人もいる。しかもけっこう多くいる。知らなかっただけで、僕が「僕は中性でパンセクシュアルなんだ」と話すことで理解や興味を示してくれる人って、実はすくなくない。

この、「説明すればわかってくれる人たち」みんなに説明してまわりたい。手の届く範囲でいいから、説明してまわりたい。そのためにはあっけらかんとオープンにしていることが一番早い。説明してもわからない人は勝手にいなくなるけど、説明すればわかってくれる人は近づいてきてくれるから。
僕はただ、僕として、マイノリティって言うけどここにいるし言うほど少なくないよーん、だってここにいるもーん、ってあっけらかんと潔くしていればそれでいい。
僕は男とか女とかである前に僕なんだ、って自分で強く思うこと。ただあっけらかんと、堂々と、そうだよ、と事実を認めればいい。

マイノリティだからと頭を下げる必要はない。堂々と潔くしていること。僕は中性でパンセクシュアルで性別にあんまり興味ないでーす!と、堂々とね。それがいまの日本社会において必要なことなんじゃないかなーって思う。僕は引き続き、性別の優先順位が限りなく低い対人関係を築き、自分は性別っていう概念からどんどん遠ざかっていく。

もちろん、いつかは日本にも同性同士で結婚できるようになってほしいし、パートナーシップも整えたいから、そのための理解者や味方を増やしたい気持ちもあるけど。

僕はクローゼットの外を歩く。