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人生のスタンプラリー

人生のスタンプラリー認定協会埼玉支部

ライフ・ゴーズ・オン

 

「どこかで僕を悪く言う声 耳を澄まして やりすごしてた それでも聞こえる なんだ自分の声じゃないか」

先日のロマンスポルノで演奏された「ギフト」の中で、昭仁さんはそのひとことの歌詞を間違えた。本来の歌詞は「耳を塞いでやりすごしてた」だ。
でも僕は、この歌詞間違えは、あるいは正しいのかもしれないと思っている。
自分は自分の悪いところを、なんとしてでも探しがちだ。悪いところがあるからうまくいかないことがある、と思いたいのだ。僕は○○だから…と、自分の傷を優しく治したい。それは人間の本能だ。

僕はツイッターでもブログでも実生活でも再三繰り返している通り、このロマポル前後でほとんど人が変わった。思考も意識も変化した。僕はそれを自分の成長だと確信している。前進に成功したのだ。それはこれからも続くし、僕はすくなくとも一歩を踏み出すことだけは絶対にやめない。やめてなどやるものか。
人が変わったというのはオーバーだとするなら、たしかに「僕」という容れ物自体に変化はない(ちょっと痩せた!ってくらい)。デフォルトのハードを、言うなれば酷使して、短期間で最新のソフトをぶち込んだのだ。脳、思考、視野のアップデートを果たした。それも劇的に。
10月からはバイトとはいえ仕事も始めた。身体の疲れは溜まるし、まだまだできないことだらけだが、なんとかなっている。なんとかしている。覚悟を持って臨んでいる。


そんなさなか、悪い夢で目を覚ました日があった。ほんの数日前のことだ。僕がうつ病になるきっかけの会社に勤めていた頃の夢だった。おそらく電通の新入社員が自死したというニュースで僕のなかの記憶が感化されたのだろう。行かなきゃ行かなきゃと満員電車の中で呪いのように呟きながら、乗り換えた駅で、自分がふらりと電車に飛び込もうとしたときのことを、クリアに、夢にみた。
電車に飛び込もうとしたのは、事実だ。とんでもなく混雑するくせに、やたらと狭い山手線の某駅のホーム。まだ事故防止のためのホームドアがついていない。あの日からその駅を利用したことがないので今がどうなのかは知らないが、少なくともあの頃はついていなかった。
列を無視して車線に突き進む僕を不審に思ったのであろう男性が、肩を叩いてくれたことで目が覚めた。自分が死のうとしたことに気づいた。そのまま膝から崩れ落ちた。男性は僕をホームの椅子に座らせ、コーヒーを握らせ、電車に乗って行った。僕はそのまま決死の思いで親に電話をかけ、死にたいと言った。それから先のことはよく覚えていない。気づいたら僕はうつ病患者として出勤停止になっていた。その日はよく晴れていた。そんなことだけ覚えている。
そんな過去の自分の事実を、あまりにも鮮やかに夢でみてしまった。見た、というよりは、直視してしまったのだ。
実に数ヶ月ぶりに、僕は悪夢で目を覚ました。朝が来たことを悔やんで動けなかったのは、久しぶりだった。


これはきっと、だいぶ無理をしてアップデートされたソフトに対して、「耳を澄まして」まで、何か問題はないか?何かおかしいのではないか?と、デフォルトのウイルスバスターが稼働し始めたということなのだろう。バグを発見するために。
これは正常な反応だ。僕の中から悪いものを排除しようとする自分の能力は正しい。けれど、そのウイルスバスターの正しい機能が、僕を不安にさせる。
この道で良かったのか?あるいは、僕の成長は幻覚だったのか?と。

自分の中に残る、一瞬でも自殺をしようとした記憶がバグなのか。それとも、今のように一歩を踏み出す覚悟をしたことがバグなのか。

ここ数日、実は大変に精神的に不安定だった。薬はできるだけ飲まないようにしながらも、それでもどうしようもない動悸や、吐き気に耐えてきた。大好きな友人たちとの予定がなければ、僕はこの4連休を乗り越えられなかっただろう。
必死に普段どおりに起き、朝食を食べ(スムージーは食べるのか飲むのか未だに表記に迷う)、外出をし、可能な限り身体を動かし、友人と話し、本を読んだ。日の光も浴びた。水に飢えて水族館にも行った。大好きなカラオケもしたしオムライスも食べた。好きな人にもたくさん会った。
それでも今日、ものの数時間前に、僕は精神安定剤を飲んでいる。


僕のアップデートは、ウイルスバスターによって「駆除」されてしまうのか?
不安になった。僕の成長は幻覚だったのか、あれは夢だったのかと。いただいた言葉の意味のはじっこをやっとつかめたと思えたのは、自分が踏み出した一歩は、あるいはそのために僕が断捨離と称して手放したすべてのものは、間違いだったのか?と。

僕は叫ぶ。そんなことはない。
このアップデートに間違いはない。正しかった。断捨離したことも、断捨離した中身も。あれらは自分にとって全て手放すべきものだった。思考が一皮むけたのも、今まで蓄積されてきたいろんな人の言葉や眼差しが積み重なってようやく訪れたものだった。あの瞬間よりも早く訪れることはきっとなかったし、あれより遅くには成し得なかっただろう。それは導きであったし、僕自身の挑戦でもあった。僕は負けない。僕は進む。踏み出したこの一歩は正しい、君ならその道を行けるのだから進み続けろと、ポルノも言ってくれた。

ならばいま、僕のなかのウイルスバスターが確認しているのはなんなのか。
それは、他の誰でもなんでもなく、僕自身が、このアップデートに適応できているか、だ。あるいは「自分の成長を本当に信じられているか」「一歩を何度でも踏み出し続ける覚悟があるか」だ。
信じられない、覚悟もないのなら、僕が成長だと思っていたことがバグと扱われる。信じられる、覚悟もあるのなら、みた夢が今度こそバグとして淘汰されるはずだ。

一歩を踏み出す。身体や思考を動かすということには、常に影が伴う。僕はいま、自分自身によって試されている。「本当にやれんのか?」と。ウイルスバスターが新旧のソフトどちらをバグとして駆除すべきか、天秤にかけている。
でも、いや、だからこそ僕は、断言したい。大声で、確かな文字で、書き記したい。「僕が踏み出した一歩は、正しい」と。「僕には踏み出し続ける覚悟もあるし、そのためにアップデートされた思考や視野や決意を誇りに思う」と。
驕ってはいけない。でも、僕はこの2ヶ月の僕を誇りに思う。自分がやるべきをことを徹底的に見つめ、そのために適切な断捨離を行い、何度も自分を殴り殴られ削いで削いで、残った「∠RECEIVER」という核を、僕は絶対に見失わない。見失ってたまるか。

淘汰されるべきは過去のしんどい記憶だ。あの日々があったからいまの僕があることに心から感謝し、振り返り、反省し、再度感謝した。死にたいと繰り返しながら出勤していた日々の自分を、何度も見たつもりだ。それから得たことだってある。
だから、僕なら、大丈夫。

僕は僕のなかのウイルスバスターが、僕の気持ちと同じ選択をしてくれることを望んでいる。それは、「自分の現在、この瞬間を確かに信じる」ということだ。
人生のだいたいのことはありがたいと思えるようにできているし、実際に僕はいろんなものや人に恵まれて生きている。とても感謝している。何が起こっても「ラッキー!」「ありがたい!」と思う能力が僕にはある。朝が辛くても仕事は行けばなんとかなるし、着いてしまえば恵まれているおかげで楽しい。
思考はボーダレスで、異文化理解に前向きで、許容の度量がある。一切の偏見を持たずに己の審美眼を信じる。この目で虚構を射抜き、この耳で意思を聞く。その体力を持ち続け、貫く。変化を恐れず、成長を止めず、好きな人の盾になるような言霊を発し続ける。いつか誰か好きな人の盾になりたい。
いつか誰かの目印になれるような生き方がしたい。僕ならそうなれるし、そうやって生きることができると信じている。だって僕は∠RECEIVERだから。
そう思えることが、文章を書けることが、好きな人に好きだと言えることが、幸せでたまらない。


先述の間違いをひとつ訂正しよう。
僕は僕のなかのウイルスバスターが、僕の気持ちと同じ選択をしてくれることを「望んでいる」のではない、「信じている」。
僕なら大丈夫だ。
君も大丈夫。あなたも。
落ち込む日もある。自分の中のウイルスバスターが働き過ぎる日もある。でもそんな日こそ、自分の核を見失わずに、進む。

嘘でも前に。たとえ嘘でも、たとえ自己暗示でも、前に進めばそこに道ができる。僕には道を作ることができるのだ。なりたい自分に必ずなれる。あなたの盾になる。誰かの目印になる。
僕は僕を信じている。