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人生のスタンプラリー

人生のスタンプラリー認定協会埼玉支部

ダイアリー16/11/01 涙の話

 

「涙の絶対量」って、聞いたことある?
僕も人から聞いたお話。人は産まれる前に神様から涙を授かるのだけれど、その涙は人によって量が違う。多ければよく泣くし、少なければ滅多に泣かない子になる。感情を豊かに表現できる人に、とか、我慢強い子に、とか、いろんな神様の願いがそこには込められているんだって。

僕の涙は、たぶん絶対量がめちゃくちゃ少ないのに、トコトン泣き虫だった幼少期に大半を使い果たしてしまったのだと思う。すぐ泣いてたらしいから。笑
あと、涙腺。涙を流すための蛇口みたいなものがあるとして、僕のはほとんど使い物にならなくなっている。ガチガチに締められて、一滴垂れてくることすらない。だからときどき「水のトラブル困ったら〜♪」みたいなお店に頼んで、ガチガチなのを一度緩めて、なんとか水をちょっとだけでも流さないと、蛇口としての機能が死んでしまう(ポルノのライブに頼むことが多い)。
もともと少ない水源から、なんとか強制的に蛇口をひねって水を数滴垂らす。これが僕のできる「泣く」という行為の限界だ。
病気以外の理由で声をあげて泣くなんてことは、ほんとうに、ここ数年を遡っても、片手で数えられる程度にしかない。

涙の絶対量はもともと少ないと思うけど、蛇口がガチガチに締まっちゃったのはたぶん自分で締めたからだと思う。あるとき僕はとにかく泣かない人になるために泣かない練習をしたから。ちょっと締めすぎたみたいだ。

泣くというのは勇気に直結する問題だから、何があるとすぐに涙を流すことのできる人を僕は心底尊敬している。そして僕は弱虫だから泣かない練習をしたし、今でも泣くことができない。ツイッターとかで「泣いた」って言ってるときは、だいたい涙を流してはいない。「泣けるもんなら今すぐ泣きたい」「泣くとしてもおかしくないくらい心揺さぶられている」くらいの意味合いだ。

でも、泣くという行為が、精神衛生的に、メンタルのデトックス的に、とてもいいことだというのはみなさまご承知の通りだ。
だからうつ病のヤバい方になると涙すら出なくなるんだと思うのだけど。

僕はあまり泣けない。泣かないし、泣けない。
感情が強く強く動かされたり、どうしようもない思いを抱え込んでしまったり、苦しくてたまらなかったりするとき、体の奥からグッと何かがせり上がってきて息苦しくなる。目の奥がジンジンと痛み始める。ちょうど眉毛の裏あたりから筋肉痛になり、その箇所がひどく火照る。喉が詰まって、苦しくて、泣きたい、涙を流してラクになりたい、と強く願う。でも涙は流れない。熱も苦しみも解放されずに、僕はただ叫ぶしかできない。涙の代わりに声を使って叫ぶことでその場しのぎをする。だから僕はよくひとりでカラオケに行く。
泣きたいと思ったときに、すぐにボロボロと涙を流せたら、どれだけ生きやすいだろうかと思う。グッと体の奥から湧き上がる熱源のような痛みを、すぐに蛇口をひねって解放することができたら。涙を流すことで自分の感情を確かめることができたら。どれだけいいだろう。


ここ数日、ずっと気分が優れずに、情緒不安定もいいところで色々な人に迷惑をかけまくっていた。原因がわかればまだしも、生理周期以外に思い当たる原因もない。しかし月経前症候群は半年以上の治療を経て抜群に改善しているはずで、ここまで落ち込むことはここ最近なかった。漢方を飲んでも効かなくて、まったく原因がわからないまま対応もできなかった。
そして僕は一度落ち込むと長い。ひたすら長い。自力で落ち込みから回復する方法を習得しなければならないと本気で考えている。

落ち込みきって暗い顔をしたまま、やむを得ず出かけた今日の夕方。幼稚園の頃の先生に道でばったり会った。その幼稚園でやっていたイベントには小学生になっても毎月顔を出していたから、他の子よりも印象が濃いだろうとはいえ、24歳になった僕をすぐに気づいて声をかけてくれた。自分の今の仕事の話をとても喜んでくれたし、褒めてくれた。元気そうでよかった、安心した、嬉しい、と心から言ってくれた。
少し話していたら、いけない5時になっちゃうわ、と先生は銀行へ向かった。風邪をひかないでねと笑顔で言ってくれた。先生もね、と言って見送って、それから、猛然と涙が出てきた。熱い。顔面の奥でくすぶっていた大量の痛みと熱が、一気に溢れ出してきた。

僕は涙を滅多に流さないので、一度泣き出すと止めかたがわからない。帰りの自転車をこぎながら号泣し、家に帰ってきて声をあげて泣き、泣き、頭痛が始まったところでようやく泣き止んだ。深呼吸をして、ぐしゃぐしゃの顔面を真水で洗った。
その次の瞬間、なんだかおかしくなってひたすら笑ってしまった。さっきまでの落ち込みきった、どん底の自分はどこに行ったんだろう?そう思えるほど気持ちが軽くて、自分でも驚いた。泣いたらとにかく気持ちが良かった。ひたすら気持ちが落ち込みきっていたこの数日がバカバカしかった。そのまま勢いでポルノの新曲をダウンロードし、まだ聞いていなかった「真っ白な灰になるまで、燃やし尽くせ」の歌詞にまた心震わされ、深呼吸をして、ああ、僕は愛されているのだと思った。幼稚園の先生からも、誰からも、世界からも。世界が落ち込んで落ち込みきった僕のために、涙を流すためのトリガーとして、先生に遭遇させてくれたのだと思えた。

世界は、だいたいどうにかなるようにできている。
今回は、世界が僕を救ってくれたのだと思う。

真っ白な灰になるまで燃やし尽くせをフルで聴き終わった後、やっぱり僕は好きな人にはもれなくみんな幸せ勝ち越しの人生を送ってほしいのだという気持ちが体の奥から湧き上がってきた。それはさっき遭遇した先生に対する気持ちだったかもしれない。先生が僕に向けてくれる笑顔は間違いなく美しいし、そんな人が幸せになるためになら僕はいくらでも言葉を尽くすし祈る。自分の行動を誓う。そう思うことができた。それが嬉しかった。自分は自分をちゃんと掴んでいる、そう感じられた。

僕は幸せになるし、僕の好きな人はもれなくみんな幸せになる。そのために出来る限りを尽くす。言葉くらいしかうまく使えないけれど、その言霊で世界を呪う。幸せになれ、幸せにならなければならないのだ、と、何度でも言霊で世界を、好きな人を呪い続ける。
そのための方法論を考え、実践していく。今の仕事は言霊が大切な仕事だから、それも含めてトライしていく。挑戦して失敗して反省して、何度でもそれを繰り返す。転んでも立ち上がればいいだけだし、失敗しても反省して再挑戦すればいいだけなのだ。

そんなふうに思えて幸せな日だったし、そんなふうに思わせてくれた先生と、仕向けてくれた世界に感謝しかない。そんな日だった。

でも、僕はもうたぶん「泣き虫」にはなれないから、ならどうしたらいいのか。僕は僕で、自分が意味もなく落ち込んだときに自力で這い上がるための方法を見つけないといけない。自力で涙を流すための手段を持たなければならない。原因不明で気持ちがどん底まで落ちたとき、どうしたらいいのか。いつまでも世界に頼ってもいられない。これもいろんなことを試してみようと思う。そうやっていつか正解が見つかったらいいな。

という、日記でした。やまなしおちなし。