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人生のスタンプラリー

人生のスタンプラリー認定協会埼玉支部

世界報道写真展に行ってきました -できることからコツコツと

 

世界報道写真展、見てきました。

今年も美しい写真から酷い写真まで様々、素晴らしい展示でした。

僕がいちばん心揺れたのはシリアでの写真。内戦が5年めに突入したシリアの現実。テロや空爆で居場所を失い、家族を失う人々。なんの罪もない、僕らと同じ市民たち。

(蛇足だけど、パリのために祈立た人の中にどれだけこれだけの年数、凄惨な現実がシリアやそのほかの国で起きていることを知っているんだろう、どれだけの人がその国の人々のためにも祈ったのだろう、と考えてしまう。性格が悪い。)
テロで全身血だらけになった娘を抱きかかえ、呆然と娘の顔を見つめる父親の写真が忘れられない。娘は死んでいる。血まみれで、なんの医療が施されることもなく、ただ白い服が赤く染まったまま眠っている。
アブド・ドゥマニー氏の写真。
AFPがまとめてくれていた。僕が特につらかったのは2枚め。もろご遺体とか写ってる写真だから気をつけて。
https://daysjapan.net/taishou/2016/third01.html

大賞をとっていたのは「国境を越える難民の赤ちゃん」の写真。有刺鉄線をくぐり抜けるように手渡される小さな命。空爆やテロで脅かされないうちに、と。カメラマンもフラッシュを炊けば監視のテロ隊に捕まるというので、月明かりだけでギリギリとった写真だそう。こちらもAFP。
https://www.google.co.jp/amp/www.afpbb.com/articles/amp/3077505?client=safari

こういう写真展で世界の壮絶な現実を見せられると、「この人たちのために何かしたい」「この子の境遇を変えるために何かしたい」と思うし、それは僕のむかしからの「将来の夢」でもあるのだとひしひしと感じる。高校生までは本気で「ユニセフで働いてカルマの坂の少年を救う人になる」と思っていたし、その後も海外の戦地と日本の貧困に迫るジャーナリストになりたかったし。もうそれを職業にする気はないのだけれど、でも生き方として、考え方としては失いたくないと思っている。

じゃあ、ジャーナリストとしての生業、医療の技術、海外で子供を救うために必要なスキルをなにひとつ持たない僕にできることは?
答えは簡単だ。それは寄付と、勉強と、伝えてもらった現実をさらに広めること。これしかない。それをするしかない。そして現実にそれら3つをコンスタントに行い続けるためには勉強に向き合う基礎体力、自立した稼ぎ、どちらにも余裕がなくてはならない。端的にいうと今の僕はどちらもマイナスだ。

去年までの僕なら、マイナスであることを嘆いていた。たぶんそれで帰ってきてメソメソして終わっていたと思う。
でも、今の僕はもう違う。僕はできる限り早く心療内科に通わずに済むようにならなければならないし、精神安定剤を手放せるようにならなければならない。そしてフルタイムで働いて寄付するだけの金銭的な余裕を持たなければならない。そのための行動をとる、と確信を持って、怠らない決意でいる。怠ったら叱ってくれる友人もいる。

自分が無力であるという当たり前のことを感じたときに、諦めたり、それを言い訳にしたり、陶酔するのは極めて簡単で、だからこそ、自分が力を手にするためにはどうしたらいいのかをこそ考えなければならないなと思ったって話です。
僕が他人のために行動するためには、僕はまず健康にならなくてはならない。その現実をやっっっと受け入れられるようになった。そんなのものすごく当たり前のことなのにね。もう僕はジャーナリズムを仕事にはできないだろうと振り切ったからこそ思えるのかも(その手の仕事で金を得るには、うつ病という病歴はものすごくハンデだし、それ以外の理由でも、僕はそれを仕事にできないんじゃないかと思うようになったのだ)。
まずは健康になるぞ〜〜。勉強するぞ〜〜。勉強は今からでもできるからね。

まぁ簡単に言うと思うところにドカンと寄付できるようになるくらい働け、働けるようになるまで回復しろ僕!!!!という話なのでした。3ヶ所くらい寄付したい先があるんだけど金がねえからな。
そしてもちろんそのためにポルノ追いかけるのをやめる気もないしな。笑

欲張るなら欲張れるだけ稼げというだけのこと。そのためにまず薬飲む量減らして毎月の医療費安くしようぜ。まず睡眠薬減らそうぜ。聞いてよ、最近薬飲まなくてもちゃんと眠れてるんだ。すごくない?