人生のスタンプラリー

人生のスタンプラリー認定協会埼玉支部

年度末ですね。

 

最近の深刻な悩みなんですが、若手俳優さんへの差し入れって何にすべきなんでしょうかね。舞台とか見に行ったときの。毎回ちょっとずつなにか渡したほうが、スタッフさんたちにも「ああこの人は人気があるんだな」と認識してもらえるかなと…。本当は周囲に「この俳優にはファンがいる」って認識してもらうにはお花なんでしょうが、スタンドフラワー送るのは舞台とかだと厳しいと思うのでっていうか僕に金がないので…。

ドリフェス!というジャンルにはまってからますますアミューズに貢ぐようになったと同時に、ちょっとしたイライラや悩みはドリフェス!で発散できるようになりました。ドリフェス!はいいぞ。もちろん今まで足を踏み入れたことのないジャンルなのでためらったり動揺したりすることもたくさんあるんですけど。

そんなこの頃です。

僕は今、まあようするに子供に英語を教える仕事をしているんですが(これ以上言いようがないのであとはご想像にお任せします)、子供って本当にかわいいですね。
教えたことをすぐに実践してくれようとしたり、レッスンの時間外でも「これがむずかしい」と言って聞きに来てくれたり、トランプ米大統領金正男氏暗殺のことなんかは「あれって怖いの?日本はどうなるの?」って聞きに来たり。
かわいかったのはまだ小さい子に「yummy!」という表現を教えた日。翌日に「きのうのごはんがすごくやみーだったんだよ」とわざわざ来てくれて。この子は天使か?と思いました。まあ子どもってみんな天使というか、すべての子どもはこの世界から完全に無条件に祝福され、愛され、そして支えられてすくすくと育つべきなのだと、それをできうる限り実現できる世界へ近づけていくのが僕らのやるべきことなんだとますます思うようになりました。

それから、いわゆる「ピグマリオン効果」を体感し、信じて実践するようになりました。あれね、あの周囲から期待された子は成果を出し、周囲からあきらめをぶつけられる子は自分もあきらめるようになるってやつ。批判も多いしわりと俗説っぽいとこがあると思うんですが、僕の体感では実際にその効果はあるなぁと。期待された子が成果を出すのもそうだけど、その逆をすごい強烈に感じるんです。「あんたなんか」って言われると、「どうせおれなんか」って言う子どもになっていく。「もう怒る気にすらならない」と𠮟られなくなった子はどんどん怒られるようなことをしたりとか。でも逆に多少おちこんでたり元気がない子には「君はがんばりやさんだね」「大丈夫だよ」って伝えるだけできちんと心を開いてくれるようになる。できなかったことができるようになるのは、よほどの例外を除けば努力ゆえ。だから「できたことを偉いとほめる」のではなく「できるようになるために頑張ってえらい」とほめる。そういうことをすこし意識しているだけで、子供の目に映る自分の顔って変わるんです。
とはいえ、僕がこんな生意気を言っていられるのは、僕の本職が「教師」ではないからなんでしょう。あくまで英語を教えるだけだから。なんだかんだバイトだからね。さらに言うと親でもないからなんでしょう。もっと親密に子供と触れ合い続けるようになれば、違うことを思うのかもしれないし。

それでも僕は、すくなくとも僕とあの子たちのあいだにおいてだけは、ピグマリオン効果があると信じるし、同時に言霊があると信じる。
卒業とか辞めたりとかで、今日が最後だねっていう子どもに必ず伝えていたことがあって、それは「あなたと私で考える」ってことだった。もちろん子供の学力程度に合わせて言葉は変えていたけれど、おおむね以下みたいな感じ。
「あの人は〇〇だからという思い込みを捨てるほど、自分の人生は豊かになる。あの国の人だから、あの宗教の人だから、男だから、女だから、何歳だから…っていういろんな〇〇だから、じゃなくて、「あなたとわたし」になること。僕と君の関係で、その人の〇〇を忘れてその人と向き合うこと。そうやってたくさんの人と出会って話をすることは、あなたの世界を広げてくれる。差別や偏見じゃなくて、あなたとわたし、っていう考え方を忘れないで。そのためには、世界中の人と話せる英語って、最強だから、これからも続けてね」
と、いうようなこと。
これはいまでも、だれにでも伝えたい僕の信条であり、そしてこれから教育に携わるすべての人に覚えていてほしいことです。あらゆる宗教やセクシュアリティや国籍で子どもを判断する前に、あなたとわたし、になってほしい。そうなれば救われること子どもってきっとたくさんいるんです。

言霊も、あるなあって改めて思います。
これは子どもに対しても、友人でも自分自身でも家族でも。
これはちょっとしたライフハックですが、「すみません」という言葉を発するとき、「これ英語だったらExcuse me以外で言うだろうな」ってときは「ありがとう」を言うようにしていて。何かしてもらったときに「すみません」じゃなくて、「お手数おかけしました、ありがとうございました」って言ってみるとか。言葉の力は無限大だから、後ろよりは前を向いた言葉を使うように意識すること。それだけで人生ってちょっとだけ朗らかになっていくなと感じています。
どんなに些細なことでもいい、言葉を前向きなものに…前じゃなくて正面でもいいから、せめて後ろ向きにならないように。それって結構大事だなって。
すこしまえの深夜のタイムラインが2012年ごろみたいでとても楽しかったんだけど、僕みたいに「発話することで言霊が倍増する」人と、「心に強く秘めることでその言霊の強さが増す」人と、どっちもあるんだなと。僕はとにかく、謙遜でもなんでもなく本当にバカだし、たぶん僕のASDの特徴でもあると思うんだけど、感情を言葉にせずにいられない。我慢ができないんですよ。不安も恐怖も感動も好意も、すぐに言葉にしないと苦しくなってしまう。理論的とたまに行っていただくことがあるし、自分でもそうあろうと心掛けているけれども、やっぱり感情的な人間なんです。僕って。最近ドリフェス!にはまって、自分がいかに感情を振り回す人間か思い出しました。理論派気取ってたけど。いいとか悪いとかそういうことではなく、一度何かに夢中になったときに、自分の感情にあらがえない。お金の計算も寝食も忘れてそればっかりしちゃうんです。それこそ僕のハネウマライダーにはブレーキもハンドルもないの。後ろにだれかを乗せる予定もないしね、幸か不幸か。
…話がそれたね。とにかくなんでもすぐに言葉にする。それが僕にとっての「言霊を強める」ための方法。文字化でも音声化でもいいんだけど。
言霊というのは、武器なんです。
英語が自分の世界を広める武器であるように、自分自身の可能性を伸ばすための武器なんです。最近そう思うんだけど。
楽しいもうれしいもたくさん言いたいし、すきなものには好きとたくさん言いたい。僕はそのために、この(自分的には)悪くないと思える声をもって生まれてきたんだろうと、もう何度も何度も書いたけれど、改めてそう思うのです。
好きな人にも子供にも家族にも、自分にも。

この言霊をまだ上手に使いきれていないなって思うことは多いし、自分に対してもどかしくなったりイライラしたりすることも本当にたくさんあるけれど、何が言いたいかって2017年も3か月ちゃんと死なずにいた自分が偉くて感動してるって話です。笑

そういえば今年の始まりに、ぼんやり、ちいさなことをたくさん目標として書き出したんです。
3か月で本を10冊読む、は達成できなかった。ドリフェスしてた。
映画を5本は見る、はクリアした。最近友人が映画に誘ってくれるのがめっちゃありがたいんだよね。あと目標体重までやせたよ。
あと「おはよう」「おやすみ」「ありがとう」「いただきます」「ごちそうさま」を言い忘れない、とか。これはクリアした。一定の時間からはノンカフェインってのもクリア。アルコールは結婚式と納会でしか飲んでないからクリア。水筒を持参するようにもなった。でも10分前行動とか遅刻しないとかそういうのはできてないな。
もともと僕って強迫性人格なので(そのくせ遅刻魔だけど)、自分にとって無理がなくて、前向きになれるような目標をちまちま書いておくのってけっこういいみたい。「いただきます」をちゃんと言う、みたいな、ほんとそういう些細な、でも大事なやつ。
そういう小さいことをまた丁寧に考えて、数えて、つぎの3か月もひとつずつクリアできることを増やしながら死なずに生きていけたらいいなと思う、今日この頃なのでした。

3月は、結構勝負の月だったの。実はね。誕生日だったのもあるけど、そうじゃなくて僕のなかで。こなしたり、やっつけたり、乗り越えたり、ステージを上げたりしないといけないことがたくさんあった。でもそれがぜんぶ、いちおうけりがつきました。ひとつのことだけまだ終わっていないけれど、僕が能動的に行動を起こすことはもうない。だからとにかく、自分おつかれさま。


最強にヤマもオチも意味もない文章でした。