人生のスタンプラリー

人生のスタンプラリー認定協会埼玉支部

僕と∠RECEIVERの話 UNFADEDツアーで得たものと愛の話

ふせったーに書いてた、ポルノグラフィティ UNFADEDツアーのネタバレ。というか、∠RECEIVERの話。
僕にとっての∠RECEIVERは、簡単に言うと、僕の理想そのもの。人生の、核。∠RECEIVERになりたい。あれになりたい。2011.9.10から、ずっとそう思っているもの。

ふせったーでやりきれずに書いていた感情を、ここにあえて、時系列順に並べてみます。


2019/1/1 5:12
カウントダウン直後、ホテルにて。

いろんな人から今回はしーくんやばいよって脅されてて、こわって思ってたのを中盤あたりでこれだーー!って思って頭ぶん回してビタスイなんか超気持ちよくてアヘ顔ヘドバンしてたので、最後の一曲の最初の一音で膝から崩れ落ちた

今日大阪に向かう途中で、「好きなものを好きだと証明するために生きた2018」と書いたあと、

「好きな服を着て、好きな音楽を聴いて、好きな街を歩いて好きな場所に行って好きなものを見て好きな人に会う。好きなものを心に抱きながら、Whole New Worldと∠RECEIVERに恥ずかしくない2019年にしたいと思う。人から見てどうか、に相変わらずこだわって恐れてしまうけれど、うるせえ!僕の好きにさせろ!って気持ちを失わずにいたい」と書いた。

そのときちょうど∠RECEIVERを聞いた。

こうも書いた。
「できれば2019のうちに死にたいけどうまくいくかな。わかんない。先のことはよくわからないけど。この瞬間瞬間に、後悔を置いてこないように、過ごしたいと思う限りです。」

死にたいといつも思っているのに、死にたくてたまらないのに、∠RECEIVERと向き合うと生きることにすこし前向きになってしまうから、怖いなあ、って思った。僕の人生の理想は∠RECEIVERで、そうなるためには、長生きは不要だけど、今日死ぬわけにはいかなくなる。

そもそもこのタイミングで聞くと思ってなかった。
悔しい。生きていたくなんかない。早く死にたい。どうでもいい。なにもかも。全部投げ出したい。そう思うのに、そういうタイミングだから、ただヘドバンで脳貧血になるような楽しいライブで終わってくれたら、サイコー!って死ねたのに、∠RECEIVERが、死ぬのはいまじゃないと言ってくる。まだキミはボクになれてない。したいこともたくさんある。できることもたくさんある。できないこともたくさんある。逃げなければ死なないんじゃないのって。

ちょっと異様に強い希死念慮と自殺願望持ちなので、ちょっとやそっとじゃ未来まで生きようと思わないし、今の僕が描ける自分の未来はせいぜい2019年の3月末までが手一杯なのだけど(そこから先の自分が本当に検討つかない、本当に)、∠RECEIVERに強制的にその先に連れていかれる気がした。良いとか悪いとかそういうのを超えて。

キミはボクになるんでしょう。
いまのキミに死ぬ権利はあるけど、いまのキミはボク、∠RECEIVERにはなれてないよ。

そう言われたように聞こえた。
自分が∠RECEIVERになれていないことに絶望して死にたい。死にたいが7割だけど、3割だけ、∠RECEIVERになるまで生きなきゃ、と思う。
∠RECEIVERになった、と胸を張れるそのときにまだ死にたかったら死ねばいい。

未来予想図をまるで描けない僕のコンパスを、まさか新年早々「道は示してやるから後は自分で決めなさい」と託されるとは思わなかったから、今からゆっくり処理していく。

例えば2020年の僕、2019年の夏の僕を、自分で思い描けるだろうか。
死にたくてたまらないのに、あたまにあのハーモニカがよぎる。死ぬことすら許されないような気がする。愛してほしい。手放しに誰かに許してほしい。生きている原罪ごと僕を許してくれ。

 

2019/1/1 20:01
夜行バスを待つ大阪駅にて

アンフェネタバレの個人的重い話
れしーばーを咀嚼どころか受け止められていないというかあれは集団幻覚なのではと思っているし演奏中ずっと突っ伏してたから演奏している二人を見ていない

ただここ数年で一番チケット取ってるツアーで演奏される事実にはさすがに笑っている。

僕はまだ∠RECEIVERからは程遠いのに。なれていないのに。なれていないという事実だけを突きつけられる。
世界は2010年から何も変わってないんだと思った。∠RECEIVERが意味を持つ世界であることが良いことなのか僕にはわからない。

本当に不意打ちだった。
どうしたらいいんだろうか。これを次に聞くときまでに何をしておけばいいんだろう。どうしたら理想になれる。その方法なら頭では知ってる。うまく体で出来ないだけで。というのはきっと言い訳なのだろう。
これからツアーファイナルまで、仕事ハードモードで地獄のピークを迎えるのに、そんな余裕のない中で僕にどう理想と向き合えっていうんだろう。
理想と見つめ合った結果、おまえからは程遠いんだよと嘲笑されたように感じたとき、たぶん僕は終わる。昨日はそれをこらえられた。次がどうだかわからない。おまえは、つまり、僕はまだ、この星のどこにあることはおろか、自分の目の前とも向き合えていないのだと、わかっている事実を、痛切に突きつけられて、いまひとりで、大阪駅で、胃が痛くて、頭が痛い。

でも∠RECEIVERは絶対に誰のことも嘲笑したりしないんだ。
嘲笑してもらえたらずっとらくなのに。
でもそれをしないから僕は∠RECEIVERになりたいんだ、と思う。

彼らにとって「色褪せるべきではない」曲だから、あんなMCのあとに、トリとして演奏してくれたのかな。
僕にどうしろっていうんだろう。

生きててよかったなんて絶対に思いたくないし言いたくもないし早く死にたいのに、いまこれを書いている十数時間前、僕は∠RECEIVERを聞きながら、たしかに、「僕は生きている」と、思ってしまった。生きている、と、存在を証明されたその感覚が、苦痛で苦しくて、同時に与えられる唯一の許しのようでもあった。
すがりつく場所なんてないのに。はやくこの世からいなくなりたいのに。生きている、とからだが感じるその瞬間は、痛みと苦しみしかないのに、痛みと苦しみにまみれないと、僕は許されることすらできないのかなあ。僕はただ全面的に許されていたいだけなんだよ何もかもを。この人格容姿スペックセクシュアリティなにもかも。無条件に。痛いのも苦しいのも嫌なのに。どうしてそれを伴わないと許される感覚も与えられないんだろう。

2019/03/17 追記
ライブで∠RECEIVERを聞いた僕を心配して笑、みんなたくさんラインとか、ありがとう。
このあと、しばらく…ほんとうに唸ってしまって、どうしたらいいのかわからなくなったり、周囲に迷惑をかけたり、いろいろした。
強すぎる自殺願望をどうにかしたくて、でもどうにもならなくて。好きな人や特別な人や愛する人にもたぶん、ひどいことを言った。
でも、そんななかでも、その人たちは僕を見捨てずにいてくれた。∠RECEIVERになれない僕を、大丈夫だからと言ってくれた。
「30過ぎても生きてて人生が最悪だったら私のせいにしていいから」…と、あるさかなは言ったし、
「半分だけ本気でいいから、将来の約束をしたい」…と、ある好きな人は言った。
ほんのすこし、未来への捉え方が変わったのが、1/16だった。


2019/2/1 0:58
幕張ライブの後。
∠RECEIVERがくるとわかって、立っているのは、かなり精神的に重かった。本編のこと、あんまり覚えてない。

たった一曲の音楽に、人生を変えられたことはありますか。
もっと言うならば、たかが4分半の音楽と歌詞に、世界を変えられたことはありますか。
ある人が多いのか、ない人が多いのか、僕にはわからない。すくなくとも、僕はある。
壮大な物語でも、他の誰かの人生でもない、たった一曲に。

初めて聞いたときは、半分も理解できなかったと思う。大好きなポルノグラフィティの、最新アルバムのリード曲、スマトラ沖地震を題材につくられた曲。当時からジャーナリズムみたいなものに憧れていたから、いい曲だなあ、というぼんやりとした感想はあった。

その曲が僕にとって「唯一」になったのは、2011年9月10日だ。
その半年前、東日本大震災があった。
記憶にある限り、そして自分が体感した限り、一番大きな揺れを関東でも感じた。ニュースは常にグラグラとする映像を流しながら、人の数をかぞえていた。
半年間、僕は何もできなかった。
あの災害から半年経った日、チャリティライブがあった。そのアンコールで、メンバー2人だけで、大事に演奏してくれたのが、∠RECEIVERだった。

「この目よ虚構を射よ この耳よ意思を聞け 迷いを打ち消すのは綿密に練り上げられた自信」
「この地球の裏側でも僕たちの足元でも起こりうる出来事から逃げない∠RECEIVERでいたい」

真夏の太陽の下で聴いたそれは、僕の脳に「なにか」をもたらすには充分すぎた。
僕は∠RECEIVERになりたい。あれそのものになりたい。そう心から願い、人生の舵を大幅に切った。2011/9/10に、僕は生まれ直した。セカンドバースデーだ。

そんなことをよく書いているし、よく言ってもいるから、いろんな人に言われる。
「ライブでまた聞けたらいいね」
そのたびに僕は言う。
「いまはまだいい」
僕が∠RECEIVERに胸を張って対峙できるようになるまで、まだ出会いたくない。今の僕はまだ、∠RECEIVERにはなれていない。ほど遠いから。そう答えていた。

いま、控えめに言って、僕は自分を見つめ直す時期にきている自覚があるし、まだ∠RECEIVERを目標として定め続けるのなら、自分の人生をもう一度、見つめ直さないといけないと思っている。
うつ病になり、ASDだとわかり、さらに2017年から2018年は、好きなものに狂い続けて、不安定と引き換えの快感を手にしていた。好きなものに狂いすぎて、世間やニュースや、「この地球の裏側でも僕たちの足元でも起こりうる出来事には意味のようなものがあるのか?」考えることを怠っていた。好きなものに夢中なことを言い訳にしていた、と思う。後悔はないけれど、仮にこれからもしばらく死なないとするなら、そのスタンスは改めないといけない。強すぎる希死念慮を飼いならす訓練をしないといけない。

だから、それが少しでもできるようになったら、また∠RECEIVERを聞こう。
そう思って、CDでさえ聴いていなかった。

なのに、ツアーで、最後にやられた。
膝から崩れ落ちた。
正面も見れなかった。イントロの瞬間から弾け飛んだみたいになって、指先まで震えていた感覚は残っている。なにもかもがわからなくなって、∠RECEIVERの歌詞がただ、頭に刻み込まれていく。

まだ、聞きたくなかった。
今じゃなくてよかった。
だって僕はまだ、∠RECEIVERじゃないから。理想になれていないから。
理想から程遠いという現実を突きつけられるだけだから。

でも、今、この理想に出会い直すことに何か意味があるのなら、それは「タイミング」なんだと思う。

死にたくて仕方がないけれど、ひとまずは死なない方向で生活していくことに決めた(生きたいとも思わないけれど)。
好きな人ともっとしっかり向き合うと決めた。家族ともっと向き合うと決めた。
自分ともっと向き合うと決めた。
自分と向き合ったら、自分がもっとしたいことが、じわじわといま浮かんできている。

僕がしたかったこと。
あの日炎天下で聴いた4分半の音楽に、僕が誓ったこと。

中学生のころのユニセフの人になりたいという夢を、僕はまだ忘れていないこと。大人になったいまだから寄付で貢献できること。
家族を大事にすることの意味が、やっとわかりはじめたこと。
好きな人の人生を背負う覚悟の難しさを思い知っていること。
マイノリティとして生きる難しさと、カミングアウトし続けるという自分なりの戦い。
誰かのために生きていたい、誰かに貢献したい、次の世代により良いバトンを引き継ぎたい。

大阪カウントダウンのあと、初参戦だった幕張公演。
「∠RECEIVERがくる」とわかっていたから、本編がすごく長く感じた。
岡野さんが「色褪せてはいけないものもある」というMCでこの曲を始めること、そこに詰め込まれた意味。昨今の震災や世界情勢、そして、僕自身。
ギターが鳴った瞬間、音がきた瞬間、倒れなかったし、しゃがみこまなかった。画面をしっかり見て、映し出された歌詞を脳髄に刻んで、口だけ動かして、もういちど、もういちど、∠RECEIVERになりたいと願って、僕の生活をリスタートさせてくれませんか、と願った。

答えは僕しか知らない。
そして、明日からもしばらく、僕は死にぞこない続けるのだろう。

たった一曲の音楽に、たった4分半に、僕は価値観や理想や、愛そのものすら変えられてしまった。変えられた人生を、いま生きている。


2019/03/17 追記
幕張の後の文章を読んで、大好きな友人がDMをくれた。「しーくんの文章は、わたしにとって特別」。この言葉があれば、僕は立ち向かえるような、気がした。

3/8 22:52
横浜初日のあと。
アンフェネタバレ→だから!!!僕が何を言ってもネタバレになると!!!!!言っただろ!!!!!!!wwwwww

3/8 0:05
あのね僕のこと知っててあんふぇ参戦した人ならわかってくれると思うんだけど、楽しかったんだよ、今日はめっちゃ楽しかった。記憶も飛んでない。本当に楽しかった。それがなにより幸せだし、なんか、自分にちょっと感動してる。


3/8 0:27
横浜のあと。

UNFADEDにおける自分語り(ネタバレあるよ)僕が何を言ってもネタバレになる、の意味がわかっていただけただろうか

1回目。突然のことすぎて、とんだ。
2回目。くるとわかっていたから、本編が記憶にない。でも、受け止められた。
3回目。今日。全編、覚えてる。
楽しかった。好きな曲すげーやってた。驚いた。
崩れ落ちなかったし、泣かなかった。頭に刻まなきゃ、からだで覚えなきゃ、と思って、「これになるんだ」って思って、信じて、もちろん口パクでだけど、全力で歌詞を歌った。

「この目よ虚構を射よ この耳よ意思を聞け 迷いを打ち消すのは綿密に練り上げられたCONFIDENCE」
「この星の裏側でも僕たちの足下でも 起こりうる出来事から逃げない∠RECEIVERでいたい」

あんまりに眩しくて、目をつむりたくなるようなフレーズから、逃げなかった。ちゃんと聞いた。ちゃんと口を動かした。ちゃんと画面を見た。

相変わらず理想にはなれてないし、今日も日中は仕事が怖くて震えが止まらなくなったりしてたし、ダメなところたくさんあって、逃げたくなるときもあるけど、でも。

あの日、つま恋の炎天下で望んだこと。
中学生の僕の憧れ。
愛する人のこと。
あるとしたら、未来、のようなもの。
そして、現在。
…現在、って変換しようとしたら、原罪、がでてきた。そうだね、僕の中に凝り固まる「生まれ落ちた罪 生き残る罰」という呪いも含めて。

逃げないから。
立ち向かって戦うことは、すごく難しいし、できるときとできないときがあるけど、すくなくとも、逃げない。

今日のライブは、一曲めからすごく楽しかった。頭をぶん回して腕を上げて、痺れて。
全部覚えて、ドームの発表聞いて、なお、僕の核はここにあるのだと、噛み締めている。
∠RECEIVERたれという、僕の∠IDEALを、いつか僕の∠REALに変えてみせるから。

あしたも死にぞこなおうと思う。
好きな人に好きって言おうと思う。
起きられたら休日出勤しようと思う。
あさっても、そうできたらいいな。

2018年の、どうにかして死のうと足掻いていたところから、死に損ない続けようと、思えるところまできたよ。
僕、前に進めてますか?
こっちが、前で、あってる?

 

その翌日の横浜は、もう、ほんとうにシンプルに楽しかった。
横浜に連れて行った友人2人がポルノを楽しんでくれたことが、嬉しかったし、2日目の後はみんなでバーガーキングに行ったのも、すごく、ぱのよんみたいだなあって思っていた。

そして3/17。
オーラスには行かなかったけど、僕には∠RECEIVERがいてくれる、と思う。
理想になったつもりで生活するのは難しい。理想になるのは、それを両手でギュッと大事にして、愛して、目をそらさずにいることは、難しい。

でも、これを最後まで読んでくれたあなたになら、たぶん頼んでいいと思う。
長生きするとは言えない。死なないだけで、生きたいとは思っていない。
僕は自分が嫌いだし、自己肯定感もクソもない。でも、自分の核が、∠RECEIVERによって構成されていることは、誇りに思っていいと思っている。
「この目よ虚構を射よ この耳よ意思を聞け 迷いを打ち消すのは綿密に練り上げられた∠自信」
この言葉に恥じないような、極上のランディングをいつか決めるから、その目撃者になってくれますか?