人生のスタンプラリー

人生のスタンプラリー認定協会埼玉支部

ダイアリー 〜19/08/05 「あなたの」サウダージ、「僕の」∠RECEIVER

8/3、喫茶ポルノに我が魂の双子であるよるかわくんと共に突撃し、はなむけビールをアホみたいに飲んだあと、別のカフェで終電ギリギリまでいろんな話をした。
いや、ほんと、いろんな話をして、その夜もツイッターで暴れ倒して笑、下記のような文章を書いた。


***

はじめてラインを聞いた中学生のとき、初恋がまだだった僕は「素敵なフィクション、ラブストーリーだなあ」と思った。高校生になって初恋に遭遇したら、ラインは「僕の曲」になった。
友人の結婚式を重ねるたび、学生のときにはわからなかった「はなむけ」の歌詞が身に染みるようになった。いつか会えたら愛してると言ってやる、と腹をくくれた。初めて聞いたとき、そんな日が来るなんて思わなかった。
もし、東日本大震災がなかったら、僕は∠RECEIVERを理解できないままだっただろう。けれど、いま、あの曲は僕そのものになった。

余白の美である「AGAIN」に、自分の感情を込めすぎて、僕のAGAINはきっと他の人のAGAINと違う曲だと思う。この曲は他の人の誰とも違う、僕の解釈で僕の曲だ、と思える歌詞がたくさんある。

VSみたいに「もっといろんな経験をして、いつか、この歌詞をより理解できる日がくるといいな」と思える曲もある。
まさしく「ひとひら」だ。あれは飽きもせず聞き返したメロデイ、わかっていなかった歌の意味、それがいまならすこしわかる気がする。そういう「自分におきた小さな奇跡」を、ポルノグラフィティの楽曲は祝福してくれる。

「最初聞いたときはただのフィクションだった曲が、気づいたら自分の曲になる」から、人生のそばで、人生を彩ってくれるから。
「余白に感情を込めて、自分だけのお守りにすることを許してくれる」から、ポルノグラフィティが好き。

僕は今夜も、「僕の曲」を抱きしめて眠りにつける。幸せだと思う。

***


ほんとうに、幸せだと思う。

今日、僕はこれを、機内モードにしたスマホで、飛行機の中で打っている。
僕は飛行機で、いわゆる「非常時にはお手伝いいただくお席」に(なぜか)しょっちゅう当たるのだが、今日もその席だ。

キャビンクルーが脱出脱出脱出と指示をだしたら、外の様子を確認して、火事や煙のような異常がなければ、非常口をあけてください。まぁそんなもんだけれど、以前旅行会社に勤めていたときは、この席はあまり人気がなかった。もうそこしか座席が取れないときは、必ず事前に伝えていた。だからたぶん、あんまり人気のある席じゃないんだと思う。そりゃそうか。いやだよな非常口あけるなんて。

今日もその席に座って、ふと、夜川くんとした話を思い出した。上に書いたような、「自分の人生の経験値に伴って、持つ意味の変わる曲」。
僕がいわゆる「非常口のお席」を断らなくなったのは、わかりやすく、3.11、それを経た半年後、以降のことだ。

うちの父は、ちょっと異様に「戸締り用心火の用心」にうるさい。たぶんあんまり人を信じてないから、防御をがっちり固めてるんだと思う。地震をはじめとした災害対策にもうるさい。たとえ5分後にまた火をつけるとしても、一旦離れるなら、火だけではなくガスの元栓を閉めろと言われて育ってきた。東日本大震災の前から、うちにある家具にはすべて突っ張り棒や滑り止めシートが設置されていたし、それで足りないときは鎖で家具と部屋を繋いだりしていた。親父の部屋、リビング、玄関にはそれぞれ非常用の持ち出し袋がある。玄関には、非常時に数日間過ごせるだけの食料や簡易トイレや、なんかもろもろが置いてある。
3.11の前は、いくら用心するに越したことないとはいえ、用心しすぎじゃないか、と思っていた。
でも、その用心のおかげで、震度5強をくらった我が家はほぼ無傷だった。僕の部屋の本棚から数冊落ちた程度だった。
お隣のおうちは、ワインセラーがひっくり返って、赤ワインと破片が流れていた。斜め前のおうちは、カラーボックスが倒れたと言っていた。
父はその日、職場で全員に帰宅指示を出し、帰宅が難しいなら職場の非常用備えを使えと言い残して、当時高校生の弟を迎えに行き、帰りにコンビニで「初日から乾パンじゃ味気ないからな」と冷たいまま食べられるレトルト食材を買って帰ってきた。
家にいた僕と母だけでは見回りきれなかった家の外のもろもろをすべて点検して、問題がないと確認してくれた。僕は動揺しているし、弟は明らかに顔色が悪いのに口数ばかり増えていて、母はそんな僕らのケアに必死だ。そんななか、父の冷静さと的確な行動には、一種のこわさすら感じるほどだった。
その夜、つめたいカレーを食べながら、「ニュースみるのも大事だけど、いまは気が滅入るから」とテレビを消した父と、無傷で帰ってきた弟を何度も抱きしめる母を、僕はたぶん忘れないと思う。

僕は父のように冷静ではないし、用心深くもない。むしろいろいろガバガバだ。ついでに身長もないので(父は180センチある)、緊急時の高所確認とかでまるで役に立たない。
そして母のように愛情深くもない。池田小事件のあった日、帰宅した当時小学生の僕を玄関先で抱きしめたまま「帰ってきてくれてありがとう」と泣いたり、3.11に弟に同じことをした、母のような深い愛情はない。
弟のように、虫退治が得意でもないし、何かあるたびにものを軽く持ち上げる腕力もない。鼻歌を歌いながらLEDを変えることもできない(弟も背が高い)。

3.11がひとつの転機になった人は、きっと多いと思う。
僕はあの日、ショックだった。自分がなにもできないことに狼狽さえした。
避難訓練とかちゃんとしてたし、いざ地震が起きたらなにをするべきか、頭ではわかっていたはずだった。でも、あの日の僕は揺れる床にうずくまることしかできなかったし、その後もただ混乱していただけだった。いま覚えば、あのころはまだうつ病を発症していなかったことだけが救いだ。

父のように冷静だったり、母のように愛情深かったり、職場で安全関係を担っている同僚のように人格者だったりしたら、きっとまた違うのだと思うけれど、僕はどれでもない。
災害時の僕は、どちらかといえば役立たずだ。

でも、役立たずだから、と諦めて終わりにするのは、僕にとって∠RECEIVERへの冒涜に近い。どうせなにもできないから、と投げ出すのは、少なくとも僕の∠RECEIVERではない。
3.11のあと半年、僕は「自分のことを自分でできないなら行くべきではない」という考えのもと、東北へ行かなかった。
9.10、つま恋。ロマンスポルノで、∠RECEIVERに出会いなおし、僕の曲になってくれてから、やっと東北へ足を運んだ。だから、僕にとって人生の転機は、3.11というより、つま恋ロマポルである。

そんなわけで、あれ以来、非常用ドアのある席に座ったら本気でいつでも対応できるように安全のしおりを読み込むし、2011年にはまだ持っていなかった防災の知識もたくわえた、つもりだ。

人間的に、役に立たないから。人のために、安全のために、平和のために、考えるより先に体が動くほど、できた人ではないから。
せめて、いざというときに開ける脳内の引き出しを、よりよく保っておきたい。大量の知識を整理整頓してきちんと収納し、いつでも開けやすいように定期メンテナンスする。わかっている、ではなく、使える、ように。

というか、僕にはそれしかないのだ。運動神経もなければ身長もなく、とっさに人を守れる勇敢さもなければ、慈愛をもって人に接することもできない。なら、せめて、使えそうな知識を頭に突っ込んでおいて、使うときにはスムーズに取り出し、自分で実行できないなら、実行できる人に指示を出す。……出せるかなあ。ちょっと不安だけど。でも、それをすることが、そのためのアップデートに、毎日は無理でも、たまに取り組むことが、僕をより∠RECEIVERにしてくれる。非常用ドアのある席に座ると、いいチャンスだなと思うから、これを打ち終わったらまた安全のしおりを読み込もうと思う。

もしポルノに何か伝えたいことが伝わるとしたら、「"僕の∠RECEIVER"をつくってくれてありがとう」と言いたい。

あ!これ書いてて思った。無事着陸したら、人命救助(?)の講習受けられるところ探そう。前回受けてからしばらく経っちゃった。AEDとエピペンは躊躇うな!だ。

自死の予定が暫定延期された以上、自分がもっと∠RECEIVERになるために生きないとな。
最近の僕はちょっと、∠RECEIVERじゃないから。とりあえず、貯金して、親孝行しよう。
……この夏はもう予定だらけだけど、機を見て。奨学金もちゃんと返してさ。金遣いも……落ち着きたい……な……笑