人生のスタンプラリー

人生のスタンプラリー認定協会埼玉支部

ダイアリー 〜20/01/05〜 ∠RECEIVERはそこにいる

痛い、という事実の辛さは、逃げられない、にあると思う。かゆい、もそう。無理やり寝てやり過ごす、みたいなことができない。
今朝も、上がる気圧に吐き気をもよおしながら、排卵痛で腹部を押さえながら、これは無理だな、と予定を二件キャンセルした(本当にすみません)。

こうなると、痛いなかで眠れもせず、かといって元気にも動けず、ひたすらぼんやりしていた。ベランダのガラス越しに太陽を浴びながら、ロキソニンを飲みながら。すこしだけソシャゲをして、だるい下腹部を押さえていた。
新卒で入った会社でもあったな、こういう日。排卵痛って当時の僕は上司に言えなくて、痛みで半泣きになりながら仕事をしていた。そのときのことを思い出して、精神安定剤を飲んだ。

戻れるなら戻りたい?と、聞かれたら、そりゃ戻りたい。おおむね5年、心療内科に通ってうつ病患者として生活し始めてから経った。その、5年前に戻れるなら。また同じように病院に通いながらになるかもしれないけど、今よりはたぶん、マシになるだろう。
そこまで考えて、猛烈に悲しくなった。飲むヨーグルトを無意味に飲んで、ちょっと打ちひしがれた。
でもそのままでいるのも癪だから、人生は再構築できる、という仮定を立てた。
突然何を言っているのかなんて僕が教えて欲しいのだが、今日はそういうことを思いつく日だった。
もう僕は5年前と年齢も立場も違う。仕事も違う。趣味は増えた。推しも増えた。夢も増えたし、30歳の誕生日に自殺をする予定はなくなった。

結局、自己肯定感というのは積み重ねなのだ。貯金と同じ。ある日突然どかんと増えたりしない。そして、おそらくそれらをコツコツ貯めるのは、日々の自分の些細な努力なのだ。
友人と過ごす時間や、エンタメに身を費やす時間も自己肯定感上がるけど、「こんなことしてる場合じゃないのにな」と自分に後ろめたさがあるときは、全力で楽しめない。だから、「毎日の自分」が、明日の自分の自己肯定感を作るのだと思う。
たぶんこんなこと前の千年からわかっていたことで、皆さんご存知の通り、だと思う。僕だって知っていた。だけど、それを体感しないままでいた。最近、劇的な何かがあったわけではないけれど、それを深く体感したのだ。
中学生の自分がみていた夢、近々実現させたい目標、今の自分がかなえたい理想、そういうものをただ掲げるだけではなく、唱えるだけではなく、実現するためには。
とにもかくにも、僕の場合はスタート地点の足場が酷すぎる。ギリギリ、スタート地点に立ってはいるつもりなのだけれど。

部屋の掃除をするとか、コンビニで無駄遣いしないとか、締め切りを守るとか。
毎晩おふろに入るとか、体をストレッチするとか。そういうことだ。
明日でいいや、って思ったこと、だいたい明日やらないからね。明日の自分に負債を残さないようにする、のが、僕の今年のささやかな目標だ。

そりゃときどきは(2日に1回くらいは)、猛烈に他者からの肯定を必要とすると思う。じゃないと埋まらない穴というものある、そして僕はそれが大きすぎる。
僕という球体に空いた、そういう「自分が少し自分のために時間を使えば埋められる落とし穴」みたいなものを、丁寧にパテで埋めるような年になればいい。きっと球体にはまだ余計なものがたくさんついているから、少しずつふるい落としながら、でこぼこを埋めながら。
それで、きのうみたいに、ああ、たのしいなあ、という時間で、そこに花とか植えたい。そういう、僕自身の惑星を、より、自分のために良いものにしたい。
自分のため、と言いながら、僕の密かな目標の1つが「ユニセフに定額寄付をする」ことなのだけれど、これは僕の中学時代の夢の話だ。あのころは、そういう人になりたかったけど、なれなかったから、せめて支援できたら。誰かのため、なんて言いながら、結局は自分のための行為ばかりするの、嫌だなあと思っていたけれど、それでいいんだと思う。 やる偽善を僕は支持する。

じゃあ実際に毎日どうしたいか、とかっていうのは、まあ、これから詰めるとして。……というか、ここに書くのはちょっと恥ずかしいとして。
僕の胸にある∠RECEIVERを、いつでも発動できる、そういう「スタート地点」を作りたいな、などと、思っていたら午後2時をまわり、薬が効いて痛みも精神の辛さも落ち着いた。そんな、人生ぶんの、本日。

天使は角にいるし、笑えば福が来るし、∠RECEIVERはいつも僕の中にある。僕は今年、それから、もうすこし長い時間をかけて、「人生は再構築できる」という仮定を、証明していきたい。