人生のスタンプラリー

人生のスタンプラリー認定協会埼玉支部

ダイアリー 〜20/01/07〜 身の丈を知らない

身の丈を知る、分をわきまえる。
言葉の意味はわかるけど、そうじゃない部分で「わかりたくねえな」って思う言葉である。

自分の現状を把握するのはめっちゃ大切だと思う。僕の苦手とするところだからなおさら、できる人はすごいなあ、と思う。
心療内科で、これからの仕事のこととか、精神障害者保健福祉手帳のこととか(取ることにしました)について話して、考えて、僕は「自分にはこれで充分」という満足をすることがないタイプなんだろうなあ、と思った、というだけの話なんですけどね。

「身の丈にあった暮らし」みたいな……そういうの……あるじゃないですか?素晴らしいと思うんですよ。自分の現状を知り、自分の足るを知り、それを淡々と実行し、そこで積み上げられた幸せって、きっとかけがえのない愛みたいなもので、素晴らしいんだと思うんです。でもたぶん、僕はそれを(キープしたいけど)振り切って、幸せ全勝を狙いにいっちゃうタイプだな、と思う。
妥協するところだってもちろんある。金だって有限じゃないし体力だって限界がある。「ワガママを全て叶えたい」という意味ではなく。
「自分にはこれこそ相応しい」とさだめ、それを積み上げる素晴らしさより、「収入とか体力とかいろんなものとバランスをとりながら、常に遊んでたい」。
僕は中途半端なおとなだから、自分の両腕が短いことも、収入が少ないことも仕事が不安定なこともわかっているし、だからこそ、いろんなことを控えめして淡々と生活する幸せだって選べる。そういう選択肢もある。でも僕はそれを選びたくない、いまのところ。

ツイッターで友人が、楽しかった!楽しんだみんなが優勝!みたいなツイートの流れで、「ざまぁみろ2020!」と言っていて、胸がスッとした。僕もざまぁみろ!と思った。誰に?何に?そういう特定のものがあるわけではなく、ただ、「幸せだと感じられたこと」に対して、語気を強めるようなその潔さが好きだなあと思った。
自分なんかどうせ、と今でも思うしたぶん明日も思うだろう。昔からずっと思っている。だけど、たまには、そんな鬱状態の自分に、「お前だってこんなに楽しいんだぜ、ざまぁみろ!」と舌を出してやりたいな、と思う。

毎月海外旅行に行く金はないし、徹夜で遊ぶ体力もない。わかっている。だけど、「諦める」とか「身の丈を知る」より、「現状とバランス取りながら、全力で幸せ全勝を狙う」ほうに、生きていけたらいいなあ。いやそれ身の丈を知りながら淡々と幸せな生活したいって言ってるのと同じだよ、と言われたらぐうの音も出ないけど、言葉のチョイスの問題。それすなわち、僕にとっての前進なんだと思う。
自分の誇りを守ること、友人を愛すること、家族を愛すること、ライフワークにしたいこと、目指したい社会。
ぜんぶを叶えられるとはさすがに思ってないけど、でも、まぁやれるだけやったじゃん、と思いたいし、できないだろうって言ってきたやつ(いつかの自分とか)に、ざまぁみろ!って言ってめっちゃ笑顔になれる日がきたらいいなあ、などと。

もうすでに明日の仕事に行きたくないでござる〜〜ってなってるし、明日の朝にはこのぞまあみろの気持ちを見失ってるかもしれないけど。たまにはこういうことも書き残しておきたかった。
どんなかたちであれ、どうにかこうにか幸せになってやるからな。今に見とけよ。