人生のスタンプラリー

人生のスタンプラリー認定協会埼玉支部

脳に降る雨 (声の話をしたかったのに耳の話になった)

僕にとってはじめての「身近な人の死」は、母方の祖母だった。祖母はほんとうに心優しくて、「歩く人徳」みたいな人だった。葬儀は終わるはずの時刻を過ぎても続々と人が訪れてくれて、葬儀場の人がお焼香の省略を頼んでなんとか終わったんだよ、とのちに親戚に聞いた。

でもその日の「映像」的な記憶はほとんどない。その代わりたくさんの人の「声」を覚えている。挨拶しながら泣き崩れる母の声、しおちゃんおいで、とはじめての葬儀場にうろたえる僕を落ち着けてくれたおじちゃんの声。どこか朗々としたお経。耳慣れない木魚の音。座っていた席のずっと後ろのほうからも、ぐすぐすと涙ぐむ知らない人の声が聞こえ続けた。映像的な記憶で覚えているのは遺影くらいなもので、だけどその遺影だって、いまも家に飾ってあるから見慣れてしまっただけなのだと思う。

職場の同僚に、音大卒で、それはそれは歌が上手い人がいる。つい先日、その人が口ずさんだ音楽がかっこよくて、なんだか楽しくなって熱心に聞いたら、一発で主要なメロディを歌えるようになった。その速さに驚かれた。僕は、覚えるのは早いけど、CMソングとかにとりつかれちゃうと大変なんですよ、と笑った(あっちも笑ってくれて安心した)。

好きな人の笑顔だって動きだって、表情だって服装だって、ひとつも忘れたくないと願うけど、そうはいかない。それから、あんな思いはもうしたくない、とか、忘れてしまいたいこともあるけれど、記憶は指パッチンでは消せない。
だから、あの日に戻りたいとか、あの人のことを思い出したい、あるいは忘れたいと試みるとき、僕の手がかりは大きく2つだ。「嗅覚」、それから「音」。

嗅覚は、僕はもともと嗅覚過敏のけがあるので、必然的に記憶に結びつく。香水の匂いで人を思い出したり、旅行先の記憶を思い出すには、現地で買ったものの匂いを嗅ぐのが一番良い方法だ。逆に言えば、忘れたいなら匂いを消していけばいい。その人や物に近い匂いのするものを手放す。
そういう物理的な嗅覚だけではなくて、ドラマで探偵が言うような「事件の匂いがする」的なこともそうだ。こっちはよさそう、あっちは変な匂いがする。そういうのを嗅ぎ分けるのは、僕の中では嗅覚の仕事だ。

もうひとつが、音だ。
耳がいい、とは思わない。ただ、耳から入る情報のシャットダウンが異様に下手だ。
人口密度の高いところで、他人の話し声が複数耳に入ってくると混乱する。耳から入る情報処理がたぶん得意じゃない(情報処理だけで言えば、断然、文字を見て読むのが早い)。
だけど、忘れずに頭の中でリフレインさせることは、とても得意だ。
新しい英語の文章を覚えたいとき、書くよりも、読んだ自分の声を聴くほうが早い。

他人に言われた嫌なことも、文字より声のほうが強烈に残る。そしてこれは匂いのように、意図的に消せない。脳に残ってるから。
どんな些細な言葉でもいいのだけれど、すこしだけ棘の含んだような言葉があると、その音や単語に驚いて、緊張してしまう。その声質が、角ばっていたり、硬かったりすればなおさらだ。
文字に(できればタイプされた文章に)落とし込まれていれば、すこし落ち着いて捉えられるのに。おまけに情報処理が追いつかないから、自分に言われているのか他人宛なのかわからない。文字なら、考える余裕があるのに。
そういう意味では、上司の言葉遣いが悪い職場なんかは最悪極まりない。逆に言えば、ポジティブな単語や褒め言葉をためらいなく発してくれる声が周りに多ければ、それだけで(勝手に)元気になる。

言霊はなんにでも宿る。それは文字でも、声でも、なんにでも。でも僕が過剰に反応してしまうのは、声であり、耳から入るものなんだと思う。

いまでも、うつ病になったきっかけの上司が僕にかけた言葉は鮮明に脳内再生できる。同じくらい、人生の中でかけてもらって嬉しかった言葉も、脳内再生できる。たぶんもうテープすり減ってるけど。笑
いまでも、冒頭に書いた祖母の優しい声はたくさん思い出せる。しおり、と僕を呼んだ声は、僕が知る限りもっとも丸く、もっともやわらかい。いまでも僕の耳の奥に、その時の祖母の体温がある、という気がする。

ときどき、この脳内スピーカーがバグると、自分にとって不都合で、悲しくてどうしようもない「他人の声」ばかり流すようになる。それは自分の声でもあるのかもしれないけど(って晴一さんが歌詞に書いてた)。声は洗脳だから、僕はときどきひとりで勝手にそれに洗脳されて、自暴自棄になったりもする。

言葉にさらに命を宿す、声というのは不思議なものだと思う。文字がこれだけ発達したのに、まだこんなに声でコミュニケーション取るんだもんなあ。

なんかもっと声の話したかったのに耳の話になっちゃった。声の話はまたします(声って魔法だし、名前だし、自信なので)。声のかたちの話もしたい。声ってかたさとかたちでできてると思うから。

僕の耳にたくさんの愛を注ぎ込んでね!勝手に反芻して力にするので。