人生のスタンプラリー

人生のスタンプラリー認定協会埼玉支部

略してやおい

 

「あしたライブの物販にあきと並ぶから、8時過ぎの電車に乗る予定で起きるんだけど、母さんあしたは朝イチで何か予定ある?」
「母さんは火曜市に卵買いに行くけど……あなたそんなラッシュアワーの電車乗れるの?」
「………わすれてた…!!!!」

というのが、昨晩のできごと。
それからあきに連絡をして、そういえばそうだったな!ということで遅れて合流させてもらうことに。
いちおう8時に駅に行ってみたけど、狭い出口に殺到する人々を見て、ウッ、ってなってしまったから電車には乗れなかった。ひとやすみして9時くらいの電車に乗った。

もし、あのとき母に、「ラッシュアワーの電車乗れるの?」と聞かれなければ、特に意識せず、勢いで乗れてしまったのではないかという気が、ぼんやりとしている。
もちろん母は僕のうつとパニック症がピークだったところを見ているから、心配して声をかけてくれたわけなのだけれど、僕自身は、僕がラッシュアワーの電車に乗れないということをほとんど忘れていたのだ。なにも考えていなかったという言い方のほうが正しいかもしれないけれど、すくなくとも自分の頭の中の優先順位から下がっていたことに違いはない。
いっとき、人と会うために新宿駅へ出向くことが多かったのだが、あれはいま思い返せばあまり良いことではなかったのだろう。自分では問題ないと思っていたが、あの場所そのものへの自分の恐怖心というのはまだ拭えていない。それを拭えるほど、あるいは上塗りできるほどポジティブな記憶が自分にないからだ。いまは新宿駅へ出向くことはほぼない。目的地が新宿でないというだけで、電車に乗るのはずっとずっと気楽だ。

うつ病と診断されて、一年半がすぎた。いっときは「これはラムネ菓子か何かなのか?」と思うほどの量の薬をガブガブ飲んで、それでもまだなお部屋から出ることができなかった。冷静に思い返せるようになったいま、あのとき死なずに、というか自殺に踏み切らずに済んだのは単に自分がラッキーだったからだと思っている。電通で酷使されて亡くなった女性と僕の違いは、たぶんほとんどなかったのだ。あるいは彼女の優秀さを思えば、死ぬべきは僕だったのかもしれない。

いまは薬は圧倒的に減った。ピーク時の4分の1くらいだ。信頼できるお医者様のおかげで自分の特徴や傾向としての自閉症スペクトラムを認識することができ、なるほどだからあのときあそこまで追い詰められたのだなとか、こういうことが苦手なのは自分の努力不足ではなくて先天的な向き不向きだということがわかるようになった。そして「向いてない」と言い訳するだけでなく、どうしたら「向いてないなりに上等にこなせる」「向いてないことを伝えて人に協力してもらえる」のかまで考えられるようになった。

長い時間がかかった。
最初の一年、うつから脱却するために無駄なあがきをたくさんしていたなと思う。夏の断捨離をきっかけにふっと軽くなった思考で世界を見ると、やはり今年の夏から今にかけての4ヶ月弱…とくにTHE WAYというポルノのライブ以降の、自分にできることが増えた、自分に自信を持ち、自分に対する肯定感を自ら殺すことはなくなりつつある。

半年後のことは、まだわからない。
半年後、今の仕事を(契約なので)更新できているのかすらよくわからないし、ましてそれより先のことなど、まるで考えられない。予想もできない。そもそも会社をうつ病で辞める人生プランじゃなかったしな。正社員としてどこかの会社に雇われることが今の僕にできるのか、まだ怖い。

でも、とりあえず今日生きているし、毎日ひとつくらいは幸せなことがあるし、ご飯は美味しい。一緒にバカやってくれる友だちもいるし、ライブも楽しみだし。恵まれていて、ありがたいことだらけだなと思う。与えられるものに感謝ばかりだ。恩返しも恩送りもぜんぜん足りていないから、いつかきちんともういちどいろんな人に感謝を伝えないといけないと思う。

つぎ、ラッシュアワーの電車に乗る必要がいつあるかわからないけれど、何駅かごとに降りながらかもしれないけれど、それでも、乗れるような気がする。乗れたらいいなあと思う。指折り数えながら、できないことを克服していきたい。


やまなしいみなしおちなし!!!!