人生のスタンプラリー

人生のスタンプラリー認定協会埼玉支部

ダイアリー 17/08/03


今日の夕方、冷房の効きすぎたカフェでスケジュール管理をしていて(ちなみにまだ終わっていない)、なんだか底冷えしてしまったから外に出て、ふと書いた文章。なんとなく熱に浮かされているのは、考えるよりも先に言葉が動いたからだと思う。
ほんとうはもうひとつブログを書きたいのだけれど、早寝しないといけないから、またあした。あしたは感謝したい話を書きます。


***

ほんの、ここ一年の話だ。
君は幸せになっていいんだよ、ならなければならないんだよと言ってくれた人は3人いる。コンスタントに言い続けてくれたのはふたり。君は幸せになっていいんだよという言葉ではなかったけれど、その意味を込めて言葉と愛情をくれた人はあとふたり。それから、いつだって大丈夫だと、肩を叩いてくれた人も、何人もいる。

昔から自分の幸せをイメージするのが苦手だった。絵とか動画として、実際に幸せに笑う自分を思い描くのが良いのだというのは知っていた。だけれど僕の頭はそんなにじょうずにできあがっていなくて、「イメージする」とか「思い描く」とかいうことが難しかった。能力が欠如しているわけではないから、全くできなかったってわけではないけれど、そんなイメージよりもはるかに自分の文章のほうが自分をうまく説得してくれた。自分の書き言葉上手い下手は知らないけれど、言霊は人並みではないという自負はある。そして僕は、昔から自分を否定して、自分を責めることが圧倒的にうまかった。こればっかりは、才能だと思う。

昔から衝動性も強かった。
怒りや悲しみや欲望は、15分我慢すると落ち着くという話がある。欲しいと思ったものは15分落ち着いてから考えてみれば本当に必要かそうじゃないかがわかると。僕にはその15分ができなかった。15分も我慢できなかったし、そのあいだに動悸や頭痛なんかで苦しくなってしまって、それから解放されたくて衝動を爆発させていた。僕が怒りっぽいのも、喜怒哀楽の表現が過剰なのも、お金の管理が下手なのも、原因はこの強すぎる衝動性だと思っている。
そして、何かが起きたとき、あいつが悪い!とすぐに言うことができない子だった。何かが起きたとき、原因を全て自分に見つける子だった。自分のせいだ自分のせいだと、自分を追い込んだ。しかも、言霊が強く宿った文章で、衝動的に。

それが生まれたときから当たり前で、僕は自分のことを誰よりも信頼していなかった。自分が幸せになる権利の持ち主だと思うことができなかった。何かあるたびに、自分の言葉で自分の感情を殺し続けた。傷跡のつかない自傷行為だった。そして傷跡がないから、それが病的であることを自覚できなかったし、他者にも指摘されなかったのだ。
そのくせ他人のことは愛したくてたまらなかった。好きな人には好きと言いたかったし言っていた。言いすぎて信じてもらえなくなることなんかしょっちゅうだった。それでも構わなかった。自分を好きになってもほしかったけれど、僕が好きな人がその人自身を嫌いなことが許せなかった。僕の好きなものを嫌いな人のことが嫌いだった。

いま思えば、うつ病にはなるべくしてなったのだと思う。冷静になれば、そして前の会社の中での評価や医者の話を聞けば、自分は悪くないと簡単に判断できる。それくらいの頭脳はあるつもりだ。だけれど、衝動に囚われているときの僕にはそれができない。残念なことにいまだにできない。
たぶんこの強すぎる衝動性とは、もううまくやっていくしかないのだと思っている。

ここ一年、というのは、うつ病からの回復の兆しが見えてきてからの話だ。きみは幸せにならないといけないんだよ、と、幸せになることを恐れなくていいんだよと言ってくれる人がたくさんいた。こんなにいいことが続くのだから、次は悪いことが来ると思う必要はないと言い聞かせてくれた人がいた。最初から最後まで、ずっと幸せを受け取っていいのだと言ってくれた。あなたは幸せになる資格をすでに持っているのだと言ってくれた人がいた。わからないならわかるまで何度でも繰り返すと言って、何度も何度も言ってくれた人がいた。

僕は言葉というものを信じているし愛している。だからこそ、言葉というのは暴力にも花束にもなることもよくわかっているし、言葉に嘘をつかせることはそんなに難しくないことも知っていた。
この一年で自分に繰り返してきた嘘はいくつもある。覚悟の伴わない決意も、おぼろな理想も、心と真逆の言葉も書いた。自分は幸せになるべきだなんて思っていなくても、書いた。僕なら僕の理想になれるなんて1ミリも信じていなかったけれど、書いた。書くことでしか救われないのは昔からだ。他人を愛したいから、そのためにまず自分を愛さなければならないと思った。うまくできるか自信はなかった。いまでもない。でも、うまくいくのだと何度も書いた。ツイッターにもブログにも。ラインで人に言うこともあった。たまには音声にもした。
言葉に嘘をつかせていることに罪悪感はなかった。言葉は僕の主人だからだ。僕は言葉に導かれて動いているから、言葉が先導した結果、僕が変わっていける可能性はあると思っていた。
人間の理性なんか感情の奴隷だ。感情は衝動性と親友だ。そして僕の中で、たったひとつだけ感情をコントロールすることができる存在が、言葉だった。
言葉には言霊が宿る。たとえそれが嘘でも、まるで本当であるかのような言霊を宿すことはいくらでもできた。これもたぶん、僕の才能だ。

成功したと断言するにはまだ早いが、僕はいま、僕の言霊で自分を洗脳することに成功しつつあると思う。自分は幸せになっていいんだと唱え続けて、幸せになる資格があるんだと言い聞かせ続けたいま、明らかに日常生活で見える景色の種類が変わったと感じる。相変わらず死にたいし、希死念慮が強いがゆえの薬も飲んでいる。涙はうまくでないし、衝動には自傷を強いられるけれど、とにかく、降り注ぐ幸せを恐れてわざと逃げることはなくなった。目の前にある幸せに手を伸ばすことができるようになった。ここで運を使いたくない、と思うのではなく、ここで運を使ったら次はもっといいことが起きると思えるようになった。たまにまだ混乱するけれど、そういうときは先に書いたような友人に助けを求める。大丈夫かな、いいんだよね、僕は幸せになるのに不釣り合いではないよね、と。みんなもれなく言ってくれる。何当たり前のこと言ってるのと。あなたは幸せになるんだよ、なっていいんだよ。こわがらないで、と。

洗脳といえば洗脳だし、言霊といえば言霊だ。僕の感覚の外にはみ出して、もっと一般的に伝わりやすい言葉を使うなら「引き寄せの法則」というやつなのだろう。
僕はたぶんこれからも自分に嘘をつき続ける。いつか自分の言葉が嘘ではないと確信して文章を書けるようになる日がくると信じているからだ。自分の幸福は、自分を洗脳して呼び寄せる。だって僕は幸せになっていいし、幸せにならなくてはならないのだから。約束したあの人のために、そして誰よりも自分自身のために。

きみは幸せになっていいんだよ、と言ってくれた全ての人に感謝している。全く同じ言葉でなくても、僕が幸せになるための言葉や行為を尽くしてくれた人に心から感謝している。愛と感謝だけが自分を導いてくれるとあの日あの人が言った意味が、たぶんいまなら、端っこだけはわかると思う。相変わらず、すべてを見渡すことはできないけれど。

大きな愛と大きな感謝で、いつか僕があなたを幸せにできたらいい。幸せにしてみせるから。幸せになる資格がないと思い込んでいるあなたを、幸せにならなければいけないのだと思い込ませてみせる。

僕に核はあるが軸はない。∠RECEIVERという核、あるいは熱源のようなものは常に胸の奥でぐずぐずに燃えている。THE DAYからはじまって、この一年と少し、僕の核は進化した。どこかに縛り付けられるような軸は相変わらず通っていないけれど、中心部に燃える炎が、説得力を持って僕に言う。僕は幸せになっていいのだと。不安なときはそれを唱えていいのだと。良いことがあったらそれに怯えるのではなく、それに感謝して享受すれば良いのだと。そしてそれを僕に何度も何度も伝えてくれた人に、たくさん感謝すれば良いのだと。
生きているから悲しいこともあるしうまくいかないこともある。そんなことはあたりまえだ、わかりきっている。決して明けない夜も、降り続けてやまない雨もこのロクデモナイ世界にはある。だけど明けない夜の中でも、やまない雨の中でも、僕は僕自身に頼ってわずかながらに光をともすことができるようになったのだと思う。

世界は残酷だ。現実は無慈悲だ。自然は畏怖だ。だけれど、人との縁はいつか必ずやってくる。それは決して当たり前ではない。ひとつひとつの言葉に、ひとつひとつの優しさに、ひとつひとつの手渡された愛情に感謝して、そのひとに愛を返せるように、別の人に愛を贈れるように、常に自分に取り組ませる。そうすると、残酷な雨の中でも、明けない夜の中でも、僕の光を見つけて傘を差し出してくれる人がいる。道案内をしてくれる人がいる。きっといる。僕も誰かにとってのそういう人でありたいし、その人たちが僕にとってかけがえのない存在であり続けてくれるように努力したいと思う。

明日はどっちだ?と核に問えば、自分で決めろと言う。そうか、と思う。だって明日を占ったカードは風で飛ばされてしまったから。そして、他者が決めるべきものでもないからだ。
僕はたぶん戦ってきたし、戦っているし、戦い続けるのだと思う。この生きづらい世の中と戦う。僕の好きな人のために、感謝したい人のために、誰よりも僕自身のために。
笑ってくれて構わないけれど、僕の武器は言霊でできた巨大な花束だ。大丈夫とか幸せだとか、自分の言葉はもちろん、人がくれたたくさんの愛情に包まれた言霊たちでできた、たぶんちょっとまとまりに欠ける花束。たぶんレインボーだ。それをこの世界中で振り回して生きていく。あなたにこの花束の香りが届きますように。あなたにこの花びらがひとひら舞いますように。この花束が僕をいつも愛してくれますように。この花束を枯らすことのない僕でいられますように。

広大な海を、花束を抱えて泳ぐのは、気持ちが良い。気持ちが良くていいのだ。だって僕は幸せにならなくてはならないのだから。あなたが僕にとって必ず幸せにしたい人であるように、あなたにとって僕がそうあり続けるように。

ティンカーベルじゃないから粉を振りまいたりはできないし、明けない夜はないなんて歌えないし、暴力に頼ることもある。自傷だってする。でも現実をちゃんと見つめているし、現実をよりよく変えるために僕は∠RECEIVERとして生きるのだ。現実から逃げるんじゃない。現実を愛して、そして僕の手にあるこの花束から、あなたに愛の花を一輪、手渡せる人になりたい。なる。なってみせる。やまない雨が現実ならば、そこに傘を持って行こう。人を傷つける虚構を射抜いて、意思を聞いて、嘘でもいいから言葉で自分に自信をつけていこう。嘘で始まった自分の成長は、いつかホンモノになるのだ。僕が綴るフィクションが、僕を先導し、それはノンフィクションへと変わる。
それが、∠RECEIVERたる僕の武器だから。∠RECEIVERたる僕の、するべきことだから。

僕の花束を豊かにしてくれるすべての人に愛と感謝を込めて。
僕は幸せになっていいのだ。幸せをたくさん享受していいのだ。恐れずに受け取っていいのだ。そしてたくさんの人に僕の花束から一輪配るんだ。好きな人に好きって言うんだ。愛と感謝を。起こり売ることから逃げるんじゃない、起こることを直視してそれを変えていくんだ。そうやって死ぬために生きる。
THE DAYとARRIVAL -KUROFUNE sail awayを聞きながら。傷ついてもほしいもの求める姿、見せてやるよ。