人生のスタンプラリー

人生のスタンプラリー認定協会埼玉支部

ダイアリー 〜20/04/07〜 自己肯定感がないのは別にコロナのせいじゃないけど

ニート6日目である。
5月から正社員なので、まぁニートとは違う。フォロワーがモラトリアム、と言ってくれてそれだー!と思った。こんなに外に出られないとは思っていなかったけど……。
刻々と情勢が変わるので、なんだか少しずつパニックを起こしている。うつ病由来のものではなくて、自閉症スペクトラムのほうのパニック。僕は泣いたり叫んだりはあまりしないのだけど、頭の中が沸騰するみたいになって、ふーっと倒れたりしゃがみこんだりする。なんだろうね。キャパシティを超えてしまうのかな。
それでも、「何もわからないから悪い想像ばかりする」より、「新聞読んでニュース読んで各省庁のHP見た上で悪い想像ばかりする」ほうが、僕としてはずっとずっとマシなので、ここ6日間は、2時間は新聞やらサイトやらとにらめっこしている。
情勢は日々変わる。こんなにめまぐるしいこともない、のに、自分にできることは、最初の報道のときから一貫している。それがつらいなあ、と思う。僕は愚かで弱いので、人の役に立たない自分を強烈に嫌悪してしまう。ハナから人の役に立てるわけもない低スペであることを自覚しているんだけど、それでもなお。何かできることがないものか、と考えてしまう。
(だから推しにめっちゃ金使うんだと思うし、人に余計なお節介ばかりするのだと思う。それしかできることがないから)
でも、ない。こまめに換気をし、水分を取り、こまめに手を洗い、こまめに消毒し、外にはできるだけ出ない。お散歩とか、健康のためならいいけど、いわゆる三密の空間には行かない。いまいちばん会いたい好きな人にこそ、会ってはいけない。できるだけじっとしている。
手洗いうがい換気を「できること」に含んだとしても、ほとんどが「何もしない」が「いまできること」だ。それって、正直、猛烈にこわい。
行動を起こせばリアクションがあるから、よかったとかわるかったとかがわかる。でも、なにもできないから。良いことなんだと信じて家の中にいるけれど、でも、良いことなんだとうまく飲み込むことができない。
好きな人にだって会いたいし、祖母のリハビリにも付き添いたい。食事にも行きたい。カラオケにも行きたい。それを我慢するストレスを凌駕するだけの、「家にいることが正しいんだ」という、自分の行動への肯定感を持つことができないというか。
なんにしたって、自分のやることなすことへの不信感と不安感が異様に強いので、普段以上に滅入る。なんなら、自分が厚生労働省のサイト読んだ後、正しく読めてるのか?って不安になって唸ったりして(そもそもの思想的な偏りはさておき)。
職場でニュース見て対応するのと、家に1人でいるのはまた違うし。職場だったら冷静でいられるのにね。ひとりだと、何か速報が入るたびに少し怖くなって、ねえあと何かできることないかな、と誰かに聴きたくてたまらなくなる。
外出を減らすために何かいま買っておくべきものないかな。歯磨き粉とか予備ある?って親に聞いたらちゃんと買ってあったりとか。エンタメのファンとして好きな事務所に金使いたいけどそろそろ財布が限界だ、とか。
仕事でも友人でも家族でも、なんらかのかたちで誰かに「目に見える貢献」をして、すこしでも自分の気持ちをやわらげたい、というエゴと、出かけるべきじゃない、人と会うべきじゃない、という僕と。
ステイホーム、わかっちゃいるけど、気が滅入るね、という話。ちゃんちゃん。

なんかねえかなあ、できること。
貢献になるような。自分を褒められる類のこと。なんか、ねえかなあ。