人生のスタンプラリー

人生のスタンプラリー認定協会埼玉支部

ダイアリー 20/05/19 〜行きつけのきたなトランの餃子が食べたい

コロナ禍がはじまり、飲食店がいろんなかたちで休業に出たとき、我が家が一斉に叫んだことは「困る!!!!」だった。

なんせ我が家が贔屓にしているような地元の店は、立派なレストランやチェーン店ではなく、きたなトランと呼ぶのがふさわしい店とか、地元の商工会のにいちゃんがやってる店とか、そんなのばかりなのだ。
サービス業で家族の休みが揃わず、かつ母と父の料理の趣味が合わない(ことによって料理担当の母が日々疲れている)我が家にとって、外食はわりと日常だ。日常……は言い過ぎかもしれない。でも他の家より、話を聞く限り多い。でもよそのおうちってそのぶん旅行行ったりとかしてるよね、程度の金額。

最近は、安い店では僕や弟が払い、そのかわり高い店は親父に払わせる流れを作ることに成功しつつある。笑

そして、両親の期待を裏切りまくって育ったわれらきょうだいのせいで、あるいは親子関係や夫婦関係のせいで、不穏になることも多々ある我が家を救ってくれるのも、外食だ。外の空気を吸って酒飲んで美味いものを食う、家で片付けの必要がない。こんなに家族平和に貢献してくれることはない。

だから、コロナで潰れられちゃ困る!!!と、我が家はテイクアウト魔族となった。出前もとるし、テイクアウトを取りにも行く。何店舗か、地元っていうか歩いて行けるところの、ほんとにお世話になってる店。
そういう店は、僕が電話すれば「あぁあんたんちね」と笑ってくれるし、だいたい漬物とかおまけにつけてくれる。付き合いが長いとこういうことが起きる。

つくづく思う。僕は家族はもちろん、この地元にも育てられてきたんだなあと。
家族がしんどいとき、あるいは母が思いつめているとき。いくつもの地元のお店にお世話になり、近所の人にお世話になりまくり、いまがある。
カギを忘れて家に入れなかった小学生のときは、ご近所さんが家に入れてくれて、お茶を出してくれたし、となりの家のおじいちゃんおばあちゃんには孫みたいに可愛がってもらった。将棋をよく教わった(強くはならなかったけど)。
母が、下町のコミュ力おばけ肝っ玉母ちゃんなこともあり、我が家はご近所づきあいが多い。家族以外にも「ただいま」「行ってきます」って言えるのは、恵まれているなあと思う。

うつ病でボロクソになった僕を知っている近所の父ちゃん。去年、僕がのどかにチャリを漕いで出勤するとき、その家のベランダにいた。おー、しおたん、行ってらっしゃい、と言われて、こちらも行ってきまーす!と朝からにぎやかだった。
後日うちの母が、あのお父ちゃん、しおたんが明るく仕事に行けて嬉しいと言ってくれたんだよ、と教えてくれた。

最近は立っていないけれど、高校生のときからウン年も、毎朝同じシルバーさんが道を整理してくれていたし、よく世間話をした。
コロナ禍で暗くなっていても、ご近所さんが職場で余ったからと花束をくれてちょっと元気が出た。
僕が赤いサルエルを履くと、前のおうちのマダムだけはかわいいねと言ってくれる。

今夜も、父は近所のきたなトランのおばちゃんが漬けたきゅうりを食べている。
家族にも親戚にも、そして地域の……というか、ご近所さんたちにも見守られ、いつものお店の力を借りて、僕はここまで死に損ない続けてきたのだなあと、あるいは、我が家は一家離散せずにすんだのだなあ、とつくづく思わされたコロナ禍だ。僕の地元というものへの愛着は、たぶんちょっと平均より強い。

このあいだは、ご近所のマダムがzoomが使えないのとSOSを出してきたので、蜜を避けるべく外で笑、距離を取って笑、タブレットの使い方を教えたりした。距離を取ってタブレットの使い方教えるのマジで難しい。笑
その家にはよくパソコンが壊れたと呼び出されるけれど、壊れていたことはまだない。
めんどくせえなあって思うこともあるけど、でもね。そういうふうに育ててもらったからね。
恩返しできるほど立派にはなれていないけれど、いま、近所のお店でご飯をテイクアウトしまくるのも、1つの感謝として繋がればいい。

あ〜〜、はやくふつうにご飯食べに行けるようになりたいなあ〜〜。おばちゃんとしゃべりながらカツカレー食いてえし、おじさんに直接うめえって言いたい。汚い中華屋ってなんであんなに美味いんだろうな。

オチはありません。ちゃんちゃん。