人生のスタンプラリー

人生のスタンプラリー認定協会埼玉支部

ダイアリー 21/07/25 元気のない日記

文章はいつも書き出しに迷う。
書き始めれば筆なんか(この場合は指なんか)いくらでも進むのに、書き始めるまでが長い。これは昔からずっとそう。僕の悪癖のひとつだ。

いろんなことを考えすぎて気が重い。
別に何かがあったわけではない。いつものことなのだけれど、今日はいつも以上に脳が整理整頓できなくて、とっちらかっていた。何もできずにリビングでぼんやりとスポーツを見ていた。僕はスポーツが好きだから、今回のオリンピックについてもいろいろ考える。考えると疲れる。だから東武動物公園ツイッターアカウントでホワイトタイガーを見て癒される。でもまた考えてしまう。日本チームは勝ったり負けたりする。選手は泣いたりガッツポーズをしたりする。女子サッカーの得点力のなさに僕は怒る。でもいちばん腹が立つのは自分自身にだとわかっている。そのストレスをぶつけているだけだ。
一昨日の夜からずっと同じ夢をみる。あまり楽しくはない夢。ハイティーンの頃に繰り返しみた夢だ。僕は性転換の手術を受けて男の子になっている。でもだからって人生は薔薇色にはならない。性自認がぐらついて、生まれて初めて恋をして好きな女の子ができて、だからどうしても男の子になりたかった。でも僕の性自認では、知性では能力では、性別をどうしたところで変わらない。どうせ人生なんてクソみたいなものであることに変わりはない。そういう夢だ。

ここまで書いてリンゴジュースを飲んだ。

今日考えていたのは、自分の言葉の暴力性と、自分が本当はただの(病気などではなく)サボり魔なんじゃないかということだ。

自分の言葉の暴力性について、ほとんど自覚はないのだけれど、他者から受ける指摘や攻撃に鑑みる限り、きっと常に誰かを傷つけているのだろうと思う。不適切な言葉や不適当な語彙、曖昧な態度、伝わらない文章。文章を書くのは好きだし、定期的に(ちょうど今のように)なにかを書き出すことでしか落ち着くことができない面もある。それだけではもちろんないけれど。
自分で意図して攻撃的な文章を書くならそれは別だけれど、そうでないときにも、どうしてもきっと何かが誰かの気に食わないのだろう。ノットフォーミーだからこの話題は僕と共有しないでほしいとシェアするときも、好きだった俳優から少しずつ離れていくなんとなくの切なさも、好きなタレントが僕の苦手な言葉を連呼していたときのモヤモヤも、全て処理できない自分が悪い。全て処理できないまま、SNSなどという全世界公開の場所に書き出している自分が悪い。120%自分が悪いのだ。それはわかっているのだけれど、
わかっているのだけれど、だからなんだろう。わかっているならそれでこの話は終わりだ。僕が黙ればいいし、僕が死ねばいい。それだけの話だ。
ただ、自殺がすぐにうまくいかないし、最近は怖くてそれすらできなくて、だからこれからも何かしらをSNSに書くだろう。そういうとき、僕の文章に暴力性を感じたら、友人各位はぜひ指摘してほしい。不快な表現や、不適切な言葉。いつも誰かが僕の文章のせいでいらいらしてしまって、誰かがマシュマロや捨て垢DMをくれるけれど、具体的なことは何も指摘してもらえない。どうやら怒っているらしいことはわかる。僕はその直しかたがわからない。ごめんなさい。

それから、僕は本当はうつ病でもコロナ禍の適応障害でもなんでもなく、ただ発達障害を言い訳にしたサボり魔なんじゃないかということだ。この恐怖は常にそばにある。というかそうなんじゃないかと思っている。抗うつ剤を飲まないとベッドから起き上がれないのではなく、飲まなかったから起き上がれないと言い訳にしているのではないか。自分の責任できちんと処理しなければならない自分の先延ばし癖やサボり癖を制御できていないだけなのではないか。壁を見ていると涙が止まらないのも、涙が出るなんて精神的には健康なことのひとつなのに、自分をサボらせる言い訳にしているだけなのではないか。
今日も本当は予定があったけれど、体が動かなくて、顔が洗えなくて、服が決められなくて、なにやら気持ちわるいと気づいたときようやく、朝からエアコンもつけずに日当たりが抜群に良くて30度ある自室にいて、何も口にしていないことに気づき、取り急ぎ食事をして、それからずっと泣いていた。なんで泣いているのかもわからない。視線の先の壁が古いからかもしれない。ただ涙が勝手に出るので途方に暮れていた。でもこれだって、本当はただ出かけるのがめんどくさかっただけなのではないかと、すごく楽しみな予定なのに動くのがだるいというサボり癖を、それっぽくするための言い訳なのではないかと、泣き止んでからはずっと自分に問いただしていた。答えは出ない。出ないのではなく、自分がほんとうにただのサボリ魔で、発達障害を言い訳にしているだけだと自覚するのが怖いだけなんじゃないかと、僕はまた自分に問いただす。答えはない。自分が努力して頑張って現状を改善するしか術はない。それができない僕は死んでしまえばいいのに死ねもしない、最悪だな。決定的な行動が何もできない。何度もシュートを蹴り、数本は枠を捉えていたのに、結局は無得点だった女子サッカーの試合に腹が立ったのは、自殺に失敗し、人に迷惑をかけ続け、好きな人に対して責任も取らず数年間を先延ばし、いまもただの生きる粗大ゴミとしている自分が、得点のできないことと重なって見えたから……なのだけれど、あのスタジアムに立つまで努力を重ねた選手たちにあまりに失礼な比喩すぎて、どうか今夜、誰か僕を殺してくれないかと、今は願っている。
眠ると夢をみるので眠りたくない。

書かずにはいられなかっただけの、ほんとうにただの日記でした。
リンゴジュースを飲んで、薬を飲んで、明日がこないことを祈って布団に入るとしましょう。さようなら世界。