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人生のスタンプラリー

人生のスタンプラリー認定協会埼玉支部

僕だけのスタンプラリー


ついにはてなブログに手を出した。

きっかけはどうってことはない、友人とのやりとりのなかで新藤晴一氏の「人生のスタンプラリー」という言葉を思い出し、彼のブログをなんとなく読み返したというだけである。
今までもいろんなツールでブログを作ってきたけれど、はてなブログは初めて使う。
そういえば中学生のころに生まれて初めてブログを作ったのも新藤晴一氏の影響だった。ツイッターをはじめたのもそうだし、村上春樹氏の作品を読み始めたのもそうだ。好意は人間を突き動かす強いエネルギーだ、と書くとそれっぽいけど、要するに単純なのだ。

そして単純な頭のままシンプルに、ブログタイトルも拝借することにした。

ペタンと押しました。: haru☆jp 

人生のスタンプラリーって何?どういうこと?という定義は、我が心の師匠である新藤晴一氏の上記ブログを一読していただきたい。

うつ病になって8ヶ月、休職しろと診断されて自宅療養になってから半年がたつ。
人間ってものすごい簡単に壊れるんだなあ、とどこか客観的な自分がいる。…なんかこの文だけだと厨二くさいな。言い方を変えよう。自分が信じていた「自分」「人生」「生き方」って、けっこう脆いものなんだな、と痛感した。
どっちにしろ厨二くさかった。まぁいいや、そんなかんじ。

ずっとずっと自分の胸に強く打ち込まれた北極星に向かって歩き続けてきた。その姿に憧れて、その姿になりたかった。ときには月の光に視力を奪われたり、雲で隠されたりしたけれど
その北極星は揺らがずにそこにいてくれた。
でももう、いま僕が見ている北極星は、うつ病になる前の北極星とは違う。光っていない。
北極星が光っていない人生というのは、思春期に突入してからはじめての事態だと思う。
部活で優勝したいとか、好きな人に好きと言いたいとか、はたまた人生のことまでひっくるめて、何かしら北極星は胸にあった。常にあった。

北極星が光らないと不便なのはコンパスだ。コンパスがバカになってしまって、方角がまるでわからない。そして僕にはわからない道を勇敢に切り開いていく度胸もなければ、道を推し量る知恵もない。ただ立ち尽くし、この「音のない森」に震えている。

だからなんなのかと言われれば、それ以上でもそれ以下でもない。ただ僕はいま現在、まるきり迷子なのだ。音のない森はひどく暗い。進めど進めどただ暗い。音もない。陽の当たる場所の存在を信じられているかどうかすら危うい。誰かがどこかで自分の名前を呼んでくれるのを待つけれど、しんしんと冷えた静寂は甘くない。穏やかな静寂ならば恋しいけれど、この静寂は痛いのだ。

これからどこへ向かおう。
ただひとつ確信があるのは、このままここに立っていてはいけないのだ、ということだけだ。
ここに立ち尽くしていたら、いつか静寂の痛みに殺されて死ぬだろう。静寂に反響する自己否定の声で、いまだってやっと立っているくらいなのだから。
だから僕は進まなくてはならない。
進むためには、コンパスが必要だ。北極星にもう一度出会わなければならない、出会えないのならば見つけ出さなければならない。すくなくとも30歳までは生きなければならないから。

話をスタンプラリーに戻そう。
このスタンプラリー、ただ単にできごとを記すためにぺたん、ぺたんとしていく以外に、行動を肯定する意味合いを含んでいると思う。いや、発案者である新藤氏がなんて言うかは知らないけれど。でも僕はそう思う。
北極星に向かって自分が歩む道。
北極星を見つけるために試行錯誤した足跡。
そんなものの記録、あるいは自分の肯定として、これから僕はひとつずつスタンプを捺していこうと思う。

ま、単純だからモチベーション上がるよね。なんかひとつするんでも、スタンプ!と思えばね。
だからなにかベタなことをしようよ。どうせなら大きなスタンプも小さなスタンプもカラフルに、はじからはじまで画面を埋め尽くしてみたい。世界にひとつだけ、自分のスタンプの台紙をつくりあげてみたい。いまはそうやって、自分の人生にしがみついていきたい。


本日のスタンプは、大好きな心の師匠のマネをしてスタンプラリーをはじめたスタンプ。大きくはないけど、美しい青いインクで捺そう。
ぺたん。