人生のスタンプラリー

人生のスタンプラリー認定協会埼玉支部

ダイアリー ~23/3/22 日記オブ日記

最近ちょっと憑き物が落ちてきたので、自分でたまにびっくりすることがあります。(憑き物落ちたブログ:ダイアリー 〜23/2/9 本当にただの日記 - 人生のスタンプラリー (hatenablog.com)
例えば今日なんですけど、朝起きたときから漠然としんどくて、でも原因が思い浮かばなかったんですよね。強いていうなら春の不安定な気候……?ってくらいで。で、今までならもうそこでだめなんですよ。「なんで原因もわからないのに僕はこんなに疲れているんだ」「理由もなく疲れているなんて」と、自責はいりまーす!って。そこからまずは自分の自責的な抑うつ感情をケアして、どうにかこうにか動く、みたいな。
でも今朝は、あーしんどいな、しんどいなって思いながら、「しんどいけど、まあさておき、就労移行にはいかないとな」って思ってどうにか動けたんですよね。
それを就労移行ついてから気づいて、うわ、今日まだ自責してないぞ……ってびっくりして。自分のこと責めずに生きていけるのってすごいことだなって。
今までの自責グセが過剰だっただけかもしれないし、世の中の平均はわからないけど、自分を責めないでいられる時間が長いと、こんなに、らくなんだなあと。
正確には責めることがあっても、「まあ自責はさておき、どうにか今日のタスクに向き合おう……」と切り替えられることが、自分にとっては本当に偉業なんですよね。
この年になって自分責めなくなった自分すごいとかもう、あたまわるすぎるんですけど、でも個人的には快挙で。

主治医からも言われてきた「自分を責める必要のないことで責めて生きてきた」「よく頑張ったね」のことをぼんやり思っています。
僕の頑張りが足りないから、僕のできが悪いから、僕の見た目が悪いから、僕が悪いから。僕が死んだら解決する。そうやって考えないと人生しんどかった。でもそう考えるのも自分削ってたんだなあと、今みたいな思考になれて思っております。それができたのはほんと就労移行のプロたちのおかげなので、ありがたいなと。人間って変わるんだなあ。笑
いうてもこの「自責しない状態」がずっと保てるとは思ってないし、簡単に抑うつに転がるのは目に見えてるんですけど、とりあえず「自責しないでいることもできる」ことを記録しておきたいと思って書いてます。
「自分を責めたくなっても、まあそれはさておき……と目の前のタスクに向かって、なんとかやれている」自分がいることを、いつか自責ぐるっぐるの自分のために読み返せるところに置いておきます。

最近は、それこそブログやツイッター職務経歴書や同人二次創作、日記やメモ、ぜんぶ「文章を書いている」にしていいなら、ほとんど病気みたいに何かを書いています。
書くことができるのは自分の体調の指標のひとつなので、まあ元気なんだなと。ハイパーグラフィアではないけど。ていうか書きながら思ったけど、若干、睡眠時間に影響してるし、常に脳の端っこで何かの文章がうごめいているので、もしかすると慢性的に過活動気味なのかも。それで疲れているのかもしれない。落ち着きたいです。

別の話。このあいだ、「自分が障害の診断を受けたときはどうだったか、今はそれをどう捉えているか」について真剣に考える機会がありました。まあ就活の一環です。
診断降りたときは、正直納得したし、救われたって思いました。当時26歳とかだったはずで、それまで自分がどんなに努力しても達成できなかったことが、自分の努力のせいではなくて、もう脳みそからそうなんだとわかったので。
そう言うことを当時のブログにも書いたと思う。でも、同時にすごいしんどかったんですよね。じゃあいまあでの努力無駄だったのかなとか、わかってたらうつ病にならなくてすんだのかなとか。
途方に暮れてしまったというか、じぶんはこれからどうすればいいんだ、みたいな。それで手探りで仕事しては鬱悪化させて……を繰り返していた訳なんですが。
だからいま、自分の生涯の理解のための時間を持てていることが本当にありがたくて。おかげでやっとこれは努力案件、これはうつ案件、これは発達障害案件、って自分でものごとを判断できるようになってきたし、周囲に「こういう理由でこれができないから、ここは助けてほしい」と明瞭に説明できるようになってきました。同じ言語のチャンネルで生活している友人だけではなく、多くの人に向けて伝えられると、必要な配慮を受けつつ戦力にもなれるってわかってきました。気を遣わせるだけじゃない、得意なところも見えてきたので。
なにより自分が今まで自分の障害について、わかってはいたけれど細部まで落とし込めてなかったんだなとか、じつは認められずにいたんだなとか思えるようになって。
自分の障害と鬱との付き合い方が、やーっとわかってきました。まだまだ手探りだし、一生悩むし、薬も半永久的に飲むことになるでしょうけど。
それでも、自分で「これは自分のせいじゃなくて障害特性」「これは自分が頑張れ」みたいに判別して、向き合うことで、とにかくやみくもに頑張って頑張って、それでもできなくて、努力できない自分を呪って死のうとする、という負のループからは抜けられたように感じています。努力しなきゃいけないことのほうがもちろん圧倒的に多いけど、でも、どうしても自分が苦しむほど苦手なことを、自分をすり減らしてまでやっているときに、「それ努力でどうにもならなくない?」と言える自分が頭にできた。これがね、ほんとにね、偉大でさあ……。

発達障害者は精神年齢が低い、といわれることがたまにあるし、そういう論説も目にします。実際僕も、周囲に比べてかなり幼い自覚はあります。
でもそれ、たぶん、こういう「自己理解」を、必要な時期にできなかったからなんじゃないかなあと最近は思うようになりました。平均的には自分の向き不向きとかできるできないとか、もっと早い時期に自分の中で落とし込むのだろうし、もしかしたら定型発達だとそんな必要もないのかもしれませんが。大人になってから発達障害がわかる人が幼いと言われがちなのは、必要な自己理解を診断を受けてからするからなのかなと。

僕は相変わらず精神的にはだいぶ幼いし、自分は相変わらずきらいだけど、すくなくともあのときに障害の診断が降りてよかったと心から思えるようになった。し、そう思えるようにしてくれた環境にただただ感謝です。

だからって努力しないことの言い訳にはならないので、できないことはできないなりに頑張るし、できることはフルスロットルで頑張っていきたい所存です。

そんな今日の日記でした。アー早く就職先決めたい。