人生のスタンプラリー

人生のスタンプラリー認定協会埼玉支部

ダイアリー ~23/02/22 ぜんぜん猫に関係ない日記

自分が今まで戦ってきたものの正体、とまで言うと大げさだけど、生きてて感じるしんどさをクリアにできている日々です。
ブログやツイッターでも書いてますが、僕はいま障害者の就労を支援する就労移行支援に通って就活しているのですが、そもそも就活するにあたって「どういう合理的配慮があれば働きやすいか」「どういうことがきっかけで鬱状態になるのか」「どうすれば鬱やパニックから早めに抜け出せるのか」みたいな、もうほとんど禅問答みたいなことをしています。それをすこしずつクリアにしてきて改めて、「自分の能力値のギャップ」に驚いています。って話をこれからします。笑

これ長いフォロワーは聞き飽きてる例えかもしれないけど「英語の偏差値は75あるけど数学の偏差値は35しかない」んですよね、僕。ガチです。笑
でね、こういうの見ると世間の人は「なんで英語はできるのに数学はできないの?努力が足りないんじゃないの?」と言ってくるんですよ。僕も実際そう思っていたし、だからどんなに頑張っても数学の点が伸びない自分のことが嫌いで嫌いでしかたなかったです。中学の時のブログに「数学の時間だけでいいから死にたい」って書いてたくらいには。
でも、これは心療内科で長い長い検査を受けてわかったことですが、僕どうも「数字という概念」にめっぽう弱いっぽいんですよ。時間も金額も。だから努力の問題じゃなくて、自分の生まれ持った脳の問題だったんです。逆に、語学に関しては脳が得意なんでしょうね。
就労移行に通い始めるまで、数字が苦手なのは脳の問題だってわかってはいたけれど、自責の念は消えなかったんです。やっぱり自分がもっと頑張ればいいだけなんじゃ、っていう、不毛な自責。そして頑張って疲れてうまくいかなくて病むという流れ。でも、やっぱり専門のところに通うと、「努力云々ではどうにもならないな」ってちゃんと腑に落ちるんです。最近やっと腑に落ちたというか、自分が数字に弱いことを受けいれることができて。自分の努力の問題じゃないと自分で受け入れることができて、どれだけ救われたか。それだけですごく、精神的に身軽になりました。
で、僕の発達障害はとにかく「能力の凹凸が大きい」ことに起因していて、そう診断も降りています。で、過剰な自責や自罰傾向は「自分や周囲が能力の凹にばかり焦点を当てるから」起きていたんですよね。だから凸に焦点を!と言ってもそんなに簡単なことでは当然なくて、診断が降りて、診断書のうえでは理解したことでも、僕はやっぱり自分が悪いんじゃないかって、努力できない自分が悪いのではって思い続けていたんですよね。でもそれからすこしずつ解放されて、身軽になることができています。

じゃあこれからの人生はできないことをできないよ~って言いながら生きていくのかというとそうではなくて、「その代わりにこれならフルスロットルで頑張れます!」ということと、「そのためにはこんな環境が望ましいです!」というのを並べて、すこしでも必要以上の自責や自罰傾向を遠ざけてどうにか生きていきたいなあと思っています。

これは数字に限った話ではなくて、僕のIQ表ってデコボコもいいところで、いろんなことに関して言えます。こうやって文章書くのは凸だけど、部屋とかこの世の終わりみたいに汚いから整理整頓できない凹だし、人とコミュニケーションとったりその場の会話することは凸だけど、方向音痴で左右盲のけがあるのは凹ですよね。「そんなの誰にだってある」ことなんだと思うのですが、僕の凹凸は平均の10倍くらい大きいんですって。それは障害だわな。
もちろんできないことも頑張る前提で、「何には助けが必要で、何ならむしろ手伝える側か」、あるいは「こういう凹凸があるので、これは完了までに時間がかかります」という判断とか、人への伝え方みたいなものを目下練習中です。そんでうまいことどっかの企業とマッチングできたらいいな~~と思っています。

変な話なんですけど、最近、∠RECEIVER(っていう、僕にとってとびきり大事なポルノの曲です)がちゃんとわかってきました。ずっと人生に掲げていたことが今わかるって遅いけど笑。
わかるというか、しっくりくるようになった。まず何より、自分自身を受け止めることがやっとできるようになったからかもしれないです。まだまだ自分のことクソ嫌いだし、たぶん今後も好きにはなれないけど、自殺行為まではしなくなるといいな……という気持ちです。いちばん見抜くべきは自分自身の虚構だったな~などと。笑
自分が今まで戦ってきたものって、「自分ではどうしようもないこと」「凹ばかり見てしまう自分」だったんだなと。もちろん凹みからも目をそらしてはいけないんだけど、それに対して過剰に背負うのをやめようって思っています。それで憂鬱になっても仕方ないので、どこまでならできて、どこからは他者を頼るべきかというラインをいま模索中。

っていう日記。笑

あと最近コミュニケーションについてももにょもにょ考えてるのでそれも後で書きます。