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人生のスタンプラリー

人生のスタンプラリー認定協会埼玉支部

FACT/TRUTH

真実と事実はイコールではない。
言い方として正しくないかもしれないが、真実には主観があり、事実には物理的な側面のみがある。ふたりが手のひらを合わせている画像があるとして、それが「手をつないだ」のか「手を掴まれた」なのかはわからない。どちらが真実かは、おそらく当人たちにしかわからない。ただ事実は「ふたりが手のひらを合わせている」こととして(おそらく)揺らがない。

僕は事実を見たい。
なにが真実か、あるいはなにを真実と見なすかは、主観や条件によって異なってくる。都合にもよるだろう。偏見だってきっとそこには介在する。だから僕はそれらをできるだけ取り除く。僕は僕の審美感でのみ判断をする。僕は僕の誠実の名の下に、事実を見て、僕の審美感で考える。

同時に、真実とは「作り出せるもの」だと思う。
たしかそんな現象があったよなと思って検索をしたら、「ピグマリオン効果」というらしい。インターネッツすごい。
そのピグマリオン効果というのは、「人間は期待された通りの結果を出す」というもの。よく教師と生徒の話がされているけれど、無意識であれ意識的であれ、言語的であれ非言語であれ、「あなたは優秀」と周囲に思われ期待された子は優秀に、その逆はその逆に育つという理論だ。批判もなされている研究のようだけれど、ひとまずここではこの理屈が実際に起こりうるものだとする。
「他人からの期待」というのは、受け取るものである。つまり受動的なもので、それを作り出すことはできない。そう思う人もいるだろう。
だけれど、他人に「わざと自分に対して期待させる」「期待のプレッシャーをかけさせるように仕向ける」ことだってできるだろう。

以下は僕の経験則だけれど、「私なんか…」と言ってばかりいると、他人も「お前なんか…」という態度をとるものだし、「僕です!」と堂々としていれば、相手も「君か!」と尊重してくれる。だから「君か!」と思わせたいのなら、「僕です!」という態度をとればいい。

ピグマリオン効果にしても同じだ。
ハッタリでもいい。事実とは異なっていてもいい。実際のところ自分に自信があろうがなかろうが、不出来であろうがなかろうが、「できます!」「期待してください!」という顔をしていればいい。そうすればあとは周りが勝手にお膳立てをしてくれる。獲得しようと大暴れせずとも、自ずとチャンスがまわってくる。

もちろん技術的な部分で嘘をつくと最終的には自分の不利益になるし、自分を高く見積もらせることで被る厄介ごとも多々ある(幾つも経験がある。主に恋愛だ、あれは本当に厄介だ)。けれど、すくなくともひとつのライフハックとして、「事実と真実は異なる」そして「真実はおのれでつくりあげる」ことは、頭に入れておいてもいいのではないかと思う。


いま、自分が無意識でしていること、とくに何も考えずにやっていることが、突然あふれ出すように言語化される時期のようで(たまにある)、常に頭の中はこんな感じ。