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人生のスタンプラリー

人生のスタンプラリー認定協会埼玉支部

最近考えてること

動悸がして苦しい、というほどではない。鈍い動悸が邪魔で、うまく眠ることができない、といったかんじだ。もはや何が症状で何が体質なのかわからない。でもきっと今夜も眠るのに失敗しかけているのだろうことはわかる。

ぼんやりと考え事をする。
最近は働かせてもらっているネイルシール屋さんのことを考えることが多い。どうしたら買ってもらえるか、どうしたら来てもらえるか。そういうのを考えるのはたのしい。あと勤務3回だけだけど。

他のことを考えようとすると、何かのアイディアのように降ってくるのは自分のこと。自分で意外とこうなんだなあ、と気づいたり、自分の大事なものやモチーフになるようなものが定まってきた。(たぶん)

僕の尊敬する、僕にとって導きの人は、圧倒的に白く、清らかで、祈りと受容を抱いている。端的に言うと存在が光だ。モチーフも白や水晶、十字架だ。
一方僕は、圧倒的に黒い。
最近ようやく自分のまとうもの、オーラのようなものが黒いのだと納得した。すべての黒と、海につながるすべての青。端的に言うと僕は海なのだ。
光は温めたり、後ろから射したり、照らしたりしてくれる。白くて清らかな光を僕は愛している。けれど僕は海だから、あらゆるボーダーを超えた、飛び込むべき場所なのだ。光とは違う。僕の中、すなわち海の中では柵は役に立たない。好きな場所に飛び込み、好きな場所へ泳ぐことができる。飛び込んできたすべてを受け入れてくれる広さが海にはある。同時に僕はそこに泳ぐ魚でもある。あらゆる境界線もルールも世論も常識も海の中では無意味だ。完全にボーダレスに動き泳ぐ。深く潜れば違う文化があり、浅い方にも文化がある。そのすべてを受け入れる海と、その海に住むことを誇る魚。自分の目で見るまで判断しない。あらゆるボーダーや偏見を持たない。己の審美眼のみで判断する。海が受け入れるならすべて受け止める。ボーダレス、異文化理解、許容。広い海の前では何もかもが無意味だ。無意味になってしまうのだ。僕は僕の人生にちゃぷんと放り出された魚であり、幸い泳ぐことができる。
縛られたり、ラベリングされたりするのが嫌いだ。そして、想像力を欠いた不寛容さが嫌いだ。善悪のルールは常に変化するし、被害加害も立場で変わる。自分がいつ同じ立場になるかもしれない、そんな想像すらできない不寛容なひとびとの語る「善」には僕は抗う。この海にあるもののすべてをマルかバツに区別はできない。それを忘れて自己の正義だけを盲信することに僕は抗う。僕自信も、他者への想像力が限りなく豊かでありたいと願う。そしていつでもだれかの打ち明け話を聞けるような、そんな海になりたい。そんな海でありたい。
海に境界線はない。なんでもあり、しっちゃかめっちゃかだ。なんでも受け入れる。なんにでも出会う。どちらにでも進める。青い深い海の中では自分のコンパスさえ使えれば良いのだ。
僕は僕のコンパスで、僕の審美眼で。


最近の僕のモチーフ
十字架
羽根
金髪
青・黒・藍
サルエルパンツ
タトゥーシール
ネイル
トゥリング
足首のミサンガ
朗読と映像
音楽と小説
柑橘のアロマオイルと香水

最近の僕のキーワード
ユニセックス
海 青 空
受容 偏見からの解放 フラットな思考 
ボーダレス
誓い
誠実であることについて
幸福の言語化による再分配
幸福について
容姿