∠THE DAY
僕、こんなにも∠RECIVERになりたい、そうでありたいと願いながら思いながら、まだその歌詞の隅々までわかっていたわけじゃなかったんだ、と、いまようやくTHE DAYをリクエステージ以来はじめて聞いて痛感している。
「この星の裏側でも 僕たちの足元でも
起こりうる出来事から逃げない ∠RECIVERでいたい」
この歌詞に、僕はきっとずっと、縛られていた。
逃げてはいけない。逃げてはいけない。立ち向かわなくてはならない。受け止めなくてはならない。目をそらしてはならない。たとえ自分が痛みを抱えることになっても、逃げてはいけないのだと。そう勘違いして、縛られていた。
でも、∠RECIVERは、そんなこと言ってない。
THE DAYを聞いて気づいた。
たとえそれが走って逃げる一歩であっても、
決意してえいやと歩む一歩であっても、
同じ「一歩」、同じ「踏み出す一歩」だ。
その「一歩」の動機だって大事だけれど、それよりも、「進んだ」という事実のほうがずっと大切なんだ。「踏み出した」ことに意味があるんだ。逃げたんじゃない、踏み出したんだ。
このろくでもない世界はなんでもアリで、
正直言って最悪なクソゲーで、
行くあてなんてわかりっこなくて、
地獄と天国のミシン目のような場所で、
だからあまりにも怖い。
それでも、風に飛んだ占いのカードをかき集めたりしない。占いなんて人に任せたものよりも、「自分が、どんな意味を持っていたとしても、一歩踏み出したこと」、それに価値があるから。
僕が進んだ方向が、道になる。
僕が踏み出したその一歩一歩が変える。
本当は怖いんじゃ?と聞かれたら、当然怖い。でも、進むしかない。逃げでも決意でも、進んでいることに変わりはない。
怖さをごまかすために泣き叫びながらでも、それでも進むしかない。堂々と。
追ってくる影なんて、本当はないんだ。本当はないものを、自分が怯えるあまり作り上げてしまっているだけ。
「起こりうる出来事から逃げない」ということは、自分を傷つけてでもその場所に意固地になることではない。考えることだ。考えることこそ、立ち向かうことだ。たとえその一歩の動機が逃げであったとしても、進み続け、考え続け、受け止める努力を重ねているかぎり、それは∠RECIVERを裏切ることには、きっとならない。
遠くまで逃げ出したつもりでいて いままさに走るこの道こそが まさにそうディスイズマイウェイ。
逃げだって、一歩だ。
自分を守るために、他人を傷つけたくない。
これをしたらきっと取り返しがつかない。
そんな予感がしたとき、「逃げのために踏み出す一歩一歩で変えていける」ことだって、きっとあるんだ。
救われた気持ちで、いまこの文章を書いている。
僕は∠RECIVERでいたいし、∠RECIVERになってみせる。ボーダレスに、あらゆる異文化を否定せずに、自分の思考と審美眼のみでものごとを判断する、∠RECIVERになる。
そのために、逃げが必要なときもある。それですら、肯定してくれる場所が僕にはある。