人生のスタンプラリー

人生のスタンプラリー認定協会埼玉支部

ダイアリー22/05/15

誠実であること、それはその瞬間に尽くせる僕の全力を尽くすこと。次の瞬間に方向が変わったとしても、それが全力であるならばよい。僕の人生においてそれは変わらないこと。

「この目よ、虚構を射よ。この耳よ、意思を聞け。迷いを打ち消すのは綿密に練り上げられた∠自信」
これ僕ずっと勘違いしてた。ニュースや社会問題に適用していたけれど、それだけじゃない。もちろんそういう問題から目を背けないことも含まれているし、今の自分にできるベストを(誠実を)そういう諸問題について尽くすことも含まれる。
けど、僕の目と耳が聞かないといけないのは、僕の本心なんだな。僕の本心、僕の本音。30歳になったら死ぬというひとつの目標がなくなった僕のいまの本音ってなんだろう。正直まだわからない。ならそれをゆっくり探していきたい。いつかそれを見つけたとき、それに対して臆さず自分が取り組めるように自信を積み重ねていくこと。

世界中に花束を送り続けること。
こんな初心をほんとうに忘れていた。今日ののえまるで思い出した。思い出した瞬間、今日Specialな友人と過ごしたことでチャージされたこころとか、恋人と過ごす時間に生まれる圧倒的な自己肯定感とか、そういうものが全部結びついて泣きそうになった。
僕は愛を振り撒き続ける人になりたいんだ。「花束を振り回しながら世界に当たり散らす君」という椿屋四重奏の歌詞みたいになりたい。常ににこやかに愛を差し出せる気はしないけど、当たり散らすように、あるいは踊るように。向けられたナイフを花束で返したいし、花束を受け取ったら倍のハグを返したい。
人のことを想う力を僕はもう分けてもらった。たぶんこれを読んでいる人からももらった。僕のまわりは愛をくれる人ばかりだから。
10代のころのように「世界の全ての人に」と掲げる若さはもうないけれど、僕の手が届く全ての人には絶対的に花束を渡し続けたい。
全ては僕のエゴだから、僕にとっての花束はあなたにとってのゴミかもしれないけれど、それでもいいんだ。全ては僕のエゴ、というのは僕のブレない(というか、コントロールできない)部分でもある。
あなたがたとえいらないと言っても、僕は一方的に(僕にとっての)花束を送り続けるし、あなたがナイフを向けてきたら、倍の花でナイフを隠す。ナイフを消すことはしないけど、戦闘不能にはする。対ナイフにおいて、僕は戦闘民族でいる。武器は、概念の花束で。

僕は僕の武器から逃げないし、あらゆる起こりうる出来事からできるだけ逃げないし(抑うつひどいときはかわすけど)、僕自身の本心をきちんと見抜き聴き尽くす。それができるように、いつでも準備をしておく。
好きな人に好きと言い続けることは僕の得意分野だと思い出したから、ログ。

全ては僕のエゴだけれど、あなたにとってはゴミかもしれないけれど、僕の全力をその瞬間に尽くして、あなたに花束を送り続けたい。そうやって毎日どうにかこうにか生きていけたら、それが僕にとっての「ていねいなくらし」あるいは「生活」なのだと思う。そこにあるものがぜんぶゴミだったとしても、僕は僕の花束を信じていたい。だから、それは花束ではないと思ったら、どうか教えてね。