人生のスタンプラリー

人生のスタンプラリー認定協会埼玉支部

part time love affair

ポルノ新曲のカップリングが自分の中の爆心すぎたので自分を殺さないために文を書きました。まだ聞いてない人はやめておいてね。推敲すらする体力ないからできがひどくても誤字があっても叱らないでね。しんどい。なんて曲だ。新藤め。

 

 

*****

 

パートタイム・ラブアフェア

 

 

きらり、と彼女の左手で指輪が光る。薬指だ。控えめな、それでもしっかりとしたつくりのダイヤモンドの指輪は、美しく笑うあなたにとてもよく似合っていた。
「弟だとしか思えないわ」
そしてその美しい微笑みは、僕に残酷な現実を突きつける。
「なら、弟でいい」
他の選択肢はなかった。賭けだ。
「弟としてでいい、僕と、僕と」
その微笑みはすこし困ったように変化し、そしてほどけるような苦笑に変わった。僕はその変化に見惚れてしまわないように、必死にひたむきにまなざしを送り続ける。

弟になりたいわけじゃない。でも、縁を切られるよりは、マシだ。せめて僕をあなたの浮気相手にして。賭けた。
「…指切りしましょう」
「え?」
「弟として、でいいのなら」
それをあなたが誓えるのなら。
それは賭けに負けた僕への最後通告だった。

僕はその場でそれを拒むこともできた。発言を撤回して、弟、じゃなくて、あなたの恋愛対象に僕をしてよ、とごねることも、できたはずだった。
きらりと光る指輪が憎い。出会ったときにはしていなかった指輪、自分の気持ちに気づいたときにはもう手遅れだったその指輪が、憎い。…あなたのパートナーが、憎い。
その最後通告に、僕は小指をゆっくりと突き出した。奪えない薬指のその隣、無力な小指。
そうして、僕とあなたの「浮気未満」な関係が始まったのだ。

甘いデート、ときには手を繋ぐデート。楽しく映画を見て、感想を語り合いながらディナーをしたり、ショッピングをしたり。はたから見ればきっと恋人に見えるはずだ。でもたとえば食事代を全額出そうとすると「弟のくせに」と小突かれる。一度もカッコつけさせてもらえない。
僕は。僕はあなたの弟になりたかったんじゃないはずなのに。どうして。やさしく、ちょっと仲が良すぎる姉弟なんかになってしまったのか。僕が初日に交わした契約を、あなたの指輪越しに睨む。あなたは気づかないふりをする。
スパークリングワインではなく、スパークリングウォーターで食事を終える。恋人同士の解散にはいくらか早すぎる時間だ。これからあいつとワインを楽しむ彼女を、僕はドライバーとしてノンアルコールで送り届けなければならない。弟として。
彼女の小指以外に触れたことはない。僕らの関係は浮気ですらないのだ。浮気の、ほんのうわべのほうをなぞりながら、姉弟と呼び合う。僕にとっては嘘の呼び名、彼女にとってはどうなのかはわからない関係性。それだけだ。
車のドアにあなたが手をかけた。
(帰したくない)
心の底からそう思う。けれど選択肢はない。彼女の…姉の最寄り駅まで、僕は車を走らせる。

「あなたはわたしの弟ではないでしょう」

その一言を、ただ望んでいる。それが、僕らがようやく浮気に発展できるものだとしても、たとえ関係の終わりを告げるものだとしても、それでもいい。僕には言えない言葉が、あなたからほしい。このパートタイムの浮気ごっこ、兄弟ごっこを、終わらせられるのなら、それでいい。
どうして僕じゃダメなの、どうしてもっと早く出会えなかったの、どうしてせめてきっちり浮気をしてくれないの、どうして弟だなんて言ってしまったの。消えていく疑問符。自分からは決して仕掛けることのできない終止符。

「またね」

車から降りたあなたを追いかけられたら。取り出した携帯電話を唇ごと奪ってしまえたら。せめてあなたにとって僕が弟でなくなれば。
フロントガラスに叩きつける雨粒と一緒に、僕のため息がなんの猶予もなく地面へ落ちて死んでいった。「弟でいい」と望んだはずのつながりすら、絡まるほどにほどけていく。

 

 

 

世界報道写真展に行ってきました -できることからコツコツと

 

世界報道写真展、見てきました。

今年も美しい写真から酷い写真まで様々、素晴らしい展示でした。

僕がいちばん心揺れたのはシリアでの写真。内戦が5年めに突入したシリアの現実。テロや空爆で居場所を失い、家族を失う人々。なんの罪もない、僕らと同じ市民たち。

(蛇足だけど、パリのために祈立た人の中にどれだけこれだけの年数、凄惨な現実がシリアやそのほかの国で起きていることを知っているんだろう、どれだけの人がその国の人々のためにも祈ったのだろう、と考えてしまう。性格が悪い。)
テロで全身血だらけになった娘を抱きかかえ、呆然と娘の顔を見つめる父親の写真が忘れられない。娘は死んでいる。血まみれで、なんの医療が施されることもなく、ただ白い服が赤く染まったまま眠っている。
アブド・ドゥマニー氏の写真。
AFPがまとめてくれていた。僕が特につらかったのは2枚め。もろご遺体とか写ってる写真だから気をつけて。
https://daysjapan.net/taishou/2016/third01.html

大賞をとっていたのは「国境を越える難民の赤ちゃん」の写真。有刺鉄線をくぐり抜けるように手渡される小さな命。空爆やテロで脅かされないうちに、と。カメラマンもフラッシュを炊けば監視のテロ隊に捕まるというので、月明かりだけでギリギリとった写真だそう。こちらもAFP。
https://www.google.co.jp/amp/www.afpbb.com/articles/amp/3077505?client=safari

こういう写真展で世界の壮絶な現実を見せられると、「この人たちのために何かしたい」「この子の境遇を変えるために何かしたい」と思うし、それは僕のむかしからの「将来の夢」でもあるのだとひしひしと感じる。高校生までは本気で「ユニセフで働いてカルマの坂の少年を救う人になる」と思っていたし、その後も海外の戦地と日本の貧困に迫るジャーナリストになりたかったし。もうそれを職業にする気はないのだけれど、でも生き方として、考え方としては失いたくないと思っている。

じゃあ、ジャーナリストとしての生業、医療の技術、海外で子供を救うために必要なスキルをなにひとつ持たない僕にできることは?
答えは簡単だ。それは寄付と、勉強と、伝えてもらった現実をさらに広めること。これしかない。それをするしかない。そして現実にそれら3つをコンスタントに行い続けるためには勉強に向き合う基礎体力、自立した稼ぎ、どちらにも余裕がなくてはならない。端的にいうと今の僕はどちらもマイナスだ。

去年までの僕なら、マイナスであることを嘆いていた。たぶんそれで帰ってきてメソメソして終わっていたと思う。
でも、今の僕はもう違う。僕はできる限り早く心療内科に通わずに済むようにならなければならないし、精神安定剤を手放せるようにならなければならない。そしてフルタイムで働いて寄付するだけの金銭的な余裕を持たなければならない。そのための行動をとる、と確信を持って、怠らない決意でいる。怠ったら叱ってくれる友人もいる。

自分が無力であるという当たり前のことを感じたときに、諦めたり、それを言い訳にしたり、陶酔するのは極めて簡単で、だからこそ、自分が力を手にするためにはどうしたらいいのかをこそ考えなければならないなと思ったって話です。
僕が他人のために行動するためには、僕はまず健康にならなくてはならない。その現実をやっっっと受け入れられるようになった。そんなのものすごく当たり前のことなのにね。もう僕はジャーナリズムを仕事にはできないだろうと振り切ったからこそ思えるのかも(その手の仕事で金を得るには、うつ病という病歴はものすごくハンデだし、それ以外の理由でも、僕はそれを仕事にできないんじゃないかと思うようになったのだ)。
まずは健康になるぞ〜〜。勉強するぞ〜〜。勉強は今からでもできるからね。

まぁ簡単に言うと思うところにドカンと寄付できるようになるくらい働け、働けるようになるまで回復しろ僕!!!!という話なのでした。3ヶ所くらい寄付したい先があるんだけど金がねえからな。
そしてもちろんそのためにポルノ追いかけるのをやめる気もないしな。笑

欲張るなら欲張れるだけ稼げというだけのこと。そのためにまず薬飲む量減らして毎月の医療費安くしようぜ。まず睡眠薬減らそうぜ。聞いてよ、最近薬飲まなくてもちゃんと眠れてるんだ。すごくない?

 

ダイアリー16/11/02 マジでただの日記

 

いま、させてもらっているお仕事柄あんまりどんな仕事してるのかネットに書けないのだけど、今日とても嬉しかったから書き残しておく。

 

「絶対もっとよくできる」と思って、1ヶ月頑張って、先週した提案が、通った。今日試したら、次から毎回採用されることになった。

わーい!単純に嬉しい!昨日の夜めっちゃ準備したし!笑

いま、まぁ簡単に言うとものを教える仕事をしていて、ほんと教わる人のためにどうしたらいいか、何をしたら次のステップにより円滑に進めるか、どうしたら楽しくインプットされる量が増えるかって、むっっっちゃくちゃ難しくて、悩んで実践してを繰り返している。

今日はひとつ、それが報われた日!

でも毎回やるとなると僕の負担が増えることでもあるから、自分の勉強もちゃんとします。僕が学んだことがもれなく、即座に教わる人たちに還元される。その人たちのために必死に勉強したいし、もっともっと磨いていきたい。技術とかいろんなものを。

ものを覚えるためには、自分の知的好奇心だけではなくて、誰かのために還元する気持ちがないと、って話を前に心の師匠としたんだけど、いまそれを痛感している。

 

なにより、僕のワガママを取り入れてくれた環境と、そのために僕に指導してくれる素晴らしい先輩方に、心からお礼を言いたい。次に会ったら言おうと思う。

 

っていう、ガチで日記。嬉しくって、つい。

働けて嬉しい。働かせてもらえて嬉しい。ありがたい。自分の持てるものを全て還元したい。わずかだけど、時間も足りないけど、できるかぎりすべてを。いつか誰かの何かに僕がなれたらいい。僕のことは忘れてくれていい。ただ未来に何か踏み出すときのハードルを、僕がこっそり下げておけたらいいな。

僕の好きな人はみんな幸せになるんだ。

 

 

ダイアリー16/11/01 涙の話

 

「涙の絶対量」って、聞いたことある?
僕も人から聞いたお話。人は産まれる前に神様から涙を授かるのだけれど、その涙は人によって量が違う。多ければよく泣くし、少なければ滅多に泣かない子になる。感情を豊かに表現できる人に、とか、我慢強い子に、とか、いろんな神様の願いがそこには込められているんだって。

僕の涙は、たぶん絶対量がめちゃくちゃ少ないのに、トコトン泣き虫だった幼少期に大半を使い果たしてしまったのだと思う。すぐ泣いてたらしいから。笑
あと、涙腺。涙を流すための蛇口みたいなものがあるとして、僕のはほとんど使い物にならなくなっている。ガチガチに締められて、一滴垂れてくることすらない。だからときどき「水のトラブル困ったら〜♪」みたいなお店に頼んで、ガチガチなのを一度緩めて、なんとか水をちょっとだけでも流さないと、蛇口としての機能が死んでしまう(ポルノのライブに頼むことが多い)。
もともと少ない水源から、なんとか強制的に蛇口をひねって水を数滴垂らす。これが僕のできる「泣く」という行為の限界だ。
病気以外の理由で声をあげて泣くなんてことは、ほんとうに、ここ数年を遡っても、片手で数えられる程度にしかない。

涙の絶対量はもともと少ないと思うけど、蛇口がガチガチに締まっちゃったのはたぶん自分で締めたからだと思う。あるとき僕はとにかく泣かない人になるために泣かない練習をしたから。ちょっと締めすぎたみたいだ。

泣くというのは勇気に直結する問題だから、何があるとすぐに涙を流すことのできる人を僕は心底尊敬している。そして僕は弱虫だから泣かない練習をしたし、今でも泣くことができない。ツイッターとかで「泣いた」って言ってるときは、だいたい涙を流してはいない。「泣けるもんなら今すぐ泣きたい」「泣くとしてもおかしくないくらい心揺さぶられている」くらいの意味合いだ。

でも、泣くという行為が、精神衛生的に、メンタルのデトックス的に、とてもいいことだというのはみなさまご承知の通りだ。
だからうつ病のヤバい方になると涙すら出なくなるんだと思うのだけど。

僕はあまり泣けない。泣かないし、泣けない。
感情が強く強く動かされたり、どうしようもない思いを抱え込んでしまったり、苦しくてたまらなかったりするとき、体の奥からグッと何かがせり上がってきて息苦しくなる。目の奥がジンジンと痛み始める。ちょうど眉毛の裏あたりから筋肉痛になり、その箇所がひどく火照る。喉が詰まって、苦しくて、泣きたい、涙を流してラクになりたい、と強く願う。でも涙は流れない。熱も苦しみも解放されずに、僕はただ叫ぶしかできない。涙の代わりに声を使って叫ぶことでその場しのぎをする。だから僕はよくひとりでカラオケに行く。
泣きたいと思ったときに、すぐにボロボロと涙を流せたら、どれだけ生きやすいだろうかと思う。グッと体の奥から湧き上がる熱源のような痛みを、すぐに蛇口をひねって解放することができたら。涙を流すことで自分の感情を確かめることができたら。どれだけいいだろう。


ここ数日、ずっと気分が優れずに、情緒不安定もいいところで色々な人に迷惑をかけまくっていた。原因がわかればまだしも、生理周期以外に思い当たる原因もない。しかし月経前症候群は半年以上の治療を経て抜群に改善しているはずで、ここまで落ち込むことはここ最近なかった。漢方を飲んでも効かなくて、まったく原因がわからないまま対応もできなかった。
そして僕は一度落ち込むと長い。ひたすら長い。自力で落ち込みから回復する方法を習得しなければならないと本気で考えている。

落ち込みきって暗い顔をしたまま、やむを得ず出かけた今日の夕方。幼稚園の頃の先生に道でばったり会った。その幼稚園でやっていたイベントには小学生になっても毎月顔を出していたから、他の子よりも印象が濃いだろうとはいえ、24歳になった僕をすぐに気づいて声をかけてくれた。自分の今の仕事の話をとても喜んでくれたし、褒めてくれた。元気そうでよかった、安心した、嬉しい、と心から言ってくれた。
少し話していたら、いけない5時になっちゃうわ、と先生は銀行へ向かった。風邪をひかないでねと笑顔で言ってくれた。先生もね、と言って見送って、それから、猛然と涙が出てきた。熱い。顔面の奥でくすぶっていた大量の痛みと熱が、一気に溢れ出してきた。

僕は涙を滅多に流さないので、一度泣き出すと止めかたがわからない。帰りの自転車をこぎながら号泣し、家に帰ってきて声をあげて泣き、泣き、頭痛が始まったところでようやく泣き止んだ。深呼吸をして、ぐしゃぐしゃの顔面を真水で洗った。
その次の瞬間、なんだかおかしくなってひたすら笑ってしまった。さっきまでの落ち込みきった、どん底の自分はどこに行ったんだろう?そう思えるほど気持ちが軽くて、自分でも驚いた。泣いたらとにかく気持ちが良かった。ひたすら気持ちが落ち込みきっていたこの数日がバカバカしかった。そのまま勢いでポルノの新曲をダウンロードし、まだ聞いていなかった「真っ白な灰になるまで、燃やし尽くせ」の歌詞にまた心震わされ、深呼吸をして、ああ、僕は愛されているのだと思った。幼稚園の先生からも、誰からも、世界からも。世界が落ち込んで落ち込みきった僕のために、涙を流すためのトリガーとして、先生に遭遇させてくれたのだと思えた。

世界は、だいたいどうにかなるようにできている。
今回は、世界が僕を救ってくれたのだと思う。

真っ白な灰になるまで燃やし尽くせをフルで聴き終わった後、やっぱり僕は好きな人にはもれなくみんな幸せ勝ち越しの人生を送ってほしいのだという気持ちが体の奥から湧き上がってきた。それはさっき遭遇した先生に対する気持ちだったかもしれない。先生が僕に向けてくれる笑顔は間違いなく美しいし、そんな人が幸せになるためになら僕はいくらでも言葉を尽くすし祈る。自分の行動を誓う。そう思うことができた。それが嬉しかった。自分は自分をちゃんと掴んでいる、そう感じられた。

僕は幸せになるし、僕の好きな人はもれなくみんな幸せになる。そのために出来る限りを尽くす。言葉くらいしかうまく使えないけれど、その言霊で世界を呪う。幸せになれ、幸せにならなければならないのだ、と、何度でも言霊で世界を、好きな人を呪い続ける。
そのための方法論を考え、実践していく。今の仕事は言霊が大切な仕事だから、それも含めてトライしていく。挑戦して失敗して反省して、何度でもそれを繰り返す。転んでも立ち上がればいいだけだし、失敗しても反省して再挑戦すればいいだけなのだ。

そんなふうに思えて幸せな日だったし、そんなふうに思わせてくれた先生と、仕向けてくれた世界に感謝しかない。そんな日だった。

でも、僕はもうたぶん「泣き虫」にはなれないから、ならどうしたらいいのか。僕は僕で、自分が意味もなく落ち込んだときに自力で這い上がるための方法を見つけないといけない。自力で涙を流すための手段を持たなければならない。原因不明で気持ちがどん底まで落ちたとき、どうしたらいいのか。いつまでも世界に頼ってもいられない。これもいろんなことを試してみようと思う。そうやっていつか正解が見つかったらいいな。

という、日記でした。やまなしおちなし。

ダイアリー16/10/22 〜ふぁぼれよ〜

 

人間は、ひとりでは変われない。
ひとりで決意してひとりで覚悟しても、それってわりと簡単に折れてしまう。
何百回、自分に向かってはやく治すために頑張ろうと誓っても、それは無駄だった。
どん底の僕は本も読めなかったし、音楽も聞けなかったし、出かけられもしなかった。

なんとか、必死に、かろうじて、でも自分なりにはベストを尽くして、正社員じゃないけど働けるようになったいま、睡眠薬を飲まずに眠ることが(たまーにだけど)できるようになったいま、僕は自分にした誓いなんかよりもずっとずっと多くの愛情に生かされてきたことに改めて気づく。
何も食べられなかったときに料理が苦手な母さんが必死に考えてくれたごはんとかスムージーとか、その母さんが僕の代わりにたくさん怒って泣いてくれたこととか。とにかく安心しろって言い続けてくれてシェルターになってくれた父さんとか。
一緒に海に行ってくれた人。手紙やメールをくれた人。ライブの往復で僕を気遣ってくれた友達。大好きないつもの連中。仕事を辞める背中を押してくれた友達。ニートの僕に働かない?って声をかけてくれた友達。なにがあってもいまさらわたしたちの関係は変わらないでしょうって言ってくれた人。23歳にはもう戻りたくないと言っていたけれど、23歳のきみに出会えてよかったと言ってくれた人。実はうつ病になって仕事辞めて原宿でバイトしてますって打ち明けたらすぐに店に来てくれた友達たち。こまかいことはまぁいいや、元気ならそれでいいよとジンジャーエールに付き合ってくれた友達。
そこでもらったたくさんの時間と言葉と愛情。
間違いなく人生の迷子だった僕に、こっちに道があるよ、あなたならここに道を作れるよと示してくれた人。
モノだけじゃなくて人間関係までバッサリ断捨離する必要に迫られた僕に、君なら大丈夫だって言ってくれた人。
最初は恨めしかった断捨離せざるを得ない状態に僕を追い込んだ人にも、いまとなっては感謝している。あなたと縁を切ったことからはじまった人生最大の断捨離のおかげで僕は変われた。もう会うことはないけれど、万が一会ってしまったら、それだけは伝えたいと思う。
そして、いまの僕が生き方を定めた上で大事にしている言葉をくれた人。手を取ってくれた人。何も考えずに笑っていられる時間をくれた人。ポルノグラフィティのライブで一緒に泣いてくれた人。僕に運命のような曲をくれたポルノグラフィティ

僕はいま、本も読めるし映画も見られるし、音楽も聴ける。感動できるし涙も流せる。薬はまだ飲んでいるけれどだいぶ減った。いざというときのためのエンディングノートは書いたけど、それを読み返して死にたい気持ちに必死にブレーキをかけることはだいぶ減った。僕は変われたのだ。いろんな人が、いろんな愛情を僕に尽くしてくれて、そうやって環境が整ったから、僕は変わることができた。自分との誓いの力じゃない。いろんな人たちの、大事な人たちのおかげだ。

ならば僕はもう変わったからこれでいいのかというとそうでもない。僕はいろんな人やいろんなものに出会って、世界には上には上があるということを知らしめられた。僕がよく使う言葉であえて説明するなら、「自分をアップデートすること」を怠るつもりはない。一歩一歩を踏み出し続け、貪欲に学び、ときには不要なものを切り捨てる覚悟を持ち、声高らかにたくさんの愛を歌い続けて生きていく。クローゼットの外で。

でもまだまだ僕はバリバリ現役のうつ病患者だ。なんなら自閉症スペクトラムとかADHDとかの障害持ちにもなってしまったんだけど笑。
それでも「もう大丈夫」と、もう薬を飲まなくても週5日きちんと働けるとなったときに、まず僕がしなければならないのはすべての人へのお礼だ。
心配してくれて応援してくれて支えてくれた、すべての人たちに僕はお礼参りをしなければならないなと思う。
もちろんいまでもいろんな人に伝えている。ありがとう。ツイッターで僕の言葉に励まされたって言ってもらえるだけでどれだけ嬉しいか。ふぁぼだけで嬉しいもん。笑

すべての人に伝えたいのは僕の感謝だ。そんな人たちがもれなくみんな「幸せ勝ち越し」な人生を歩めるように僕はこれからもたくさん言葉を綴るし言霊を吐き出す。勝手に幸せ勝ち越し呪ってやるから覚悟しとけよと。そうやって生きていきたい。

嘘でも前に。
いまは「let me say "最高じゃん"」ってかんじ。今日も明日もパーティのチケットを僕は買い続ける。ゼロじゃないから。進むことができるから。そう思うことができるようになったから。みんなありがとう。

鱈々を観てきたよ

 

舞台「鱈々」を観てきました。

以下、たぶんとくにネタバレはないけどもし観る予定があるなら観た後に読んだほうがいいと思う感想文です。なんていうかネタバレって難しいよね。すくなくとも核心をついてはいないです。僕の解釈だけ。

 

 

*****

 

90年代の韓国で発表された作品ということもあって、僕にはとても皮肉で、「おまえは何者だ?」と突きつけられたように感じた。
箱や倉庫をどう比喩として感じるかによって、どれだけ皮肉で、どれだけ自分と見つめ合わせようとする作品と感じるかは違うと思う。
100人観れば100通りの解釈が生まれる舞台だという前評判を聞いていたのだけれど、それにとても納得した。観る人が観たらきっとおそろしく退屈な舞台だと思う。
僕にはとても刺激的だった。なんなら、とてもキツかった。

変化を恐れるか。変化に飛び込むか。
どこまでが自分で、どこからが他人か。
誰が何が家族か。
僕らは実はナンバリングされた箱のように、どこからか輸送され、またどこからへと運ばれていくだけなのではないか。
「名も知らぬ所有者様」によって飼いならされ、人格を無意識に形成され、おのれの思考を奪われたただの「大衆」と成り下がってはいないか。
僕らは狭い倉庫の中で一生を終えるのか?

「度胸」はホンモノか?
それは覚悟を伴うものか?
その場しのぎの度胸は腹をくくったと言えるのか?
度胸があることとはすなわち「弱い自分から目をそらす」ことなのか?
自分の弱さと向き合うことは「まごころ」か「逃げ」か?

たくさんの疑問が詰まっていて、「僕は観劇した者の責任としてこれらの問いに立ち向かう必要がある」そんなふうに思わされた。

僕は山本裕典さん扮するキームの「度胸」は、限りなく「無責任」と紙一重だと思った。あれは度胸というよりは「逃げるための口実」と「勢い」だったように思える。
逆に藤原竜也さん扮するジャーンの言う「まごころ」は美しいなと思った。仕事を誠実にこなし、それに生きがいを感じること。それ自体は素晴らしいことだ。ただ彼は「外の世界」というものを恐れすぎていた。箱の中に住むことが当然すぎて、その外や、外で起きる出来事をひたすら恐れていた。それを「まごころを持って仕事を全うすること」で気づかないふりをしたように思えた。
考えることをやめること。勢いに任せること。それはときには必要なことかもしれない。だけれど、それが常にベストだとは僕には思えない。思考停止ほど怖いものはない。

僕の持つ度胸は。僕の持つまごころは、どうだ?弱さや口実の隠れ蓑になってはいないか?思わず自省したほどだ。
前向きに聞こえる言葉、強さのように聞こえる言葉ほど、内面がどれだけ伴うか、あるいはどれだけ伴わせることができるかが勝負なのだ。自分としっかりと対峙したときに、「自分の弱点」を受け入れ、進化させられるか?
受け取りようによってはキームの最後の決断は彼の成長とも取れる。でも僕には、勢いだけで飛び出した彼は、きっと次の倉庫でも同じ思いをするだろうと思えてならない。

あとなによりも藤原竜也さん扮するジャーンが切なくて切なくて…。僕はジャーンはゲイあるいはバイセクシュアルで、山本裕典さん扮するキームに(ジャーンの自覚の有無はわからないが)恋心を抱いているのだと解釈した。
藤原竜也さんが大好きで何度も舞台で観ているけれど、あんなに声が優しくて甘かったのはいつぶりだろう…?もしかしたら僕が観た中では初めてかもしれない。あんなに不安定で情けなくて、でも優しくて甘くてどうしようもない声であんな台詞を言うなんて、それだけで苦しかった…。
韓国は日本よりも強烈にホモフォビアがはびこっていると聞いたことがあって、もし現在でもそうなのだとしたら90年代の韓国ではジャーンは彼の気持ちを願うことはおろか、自覚することさえできなかったのかもしれない。本人が自覚することすら叶わなかった底知れぬ愛情を、彼は永遠に罪のように抱えて生き続けるのかな、と思うと、とてもかなしい。まさしく「諦めて恋心よ、青い期待は私を切り裂くだけ」だ。寂しい…大丈夫…寂しい、と、恋だと自覚することすらできないまま想い続けることは、きっと罪のような気が遠くなる行為だろう。

なんていうか結論としては藤原竜也最高、である。あと山本裕典腕ほっっそ。である。

 

 

生きてるだけでまぁまぁ儲け

 

生きてまーす!偉い!

 

とはいえさすがにぐったりと体が疲れてしまったので、今日はゆっくりして、1時間のヒトカラ以外はほぼなんの体力も使わずにおりました。さけちゃんと電話したら元気になった。

10月頭から週3のバイトで働き始めて2週間。同時にスポーツジムにも通ってて、そっちも週3目安で行ったら1回につき2時間半くらいは体動かすようにしてて。それにプラス友達と会ったり出かけたりとしていると、あれですね。ずっと引きこもっていたツケで、今朝起きたとき「疲れた…」ってなったんですよね。笑

ジムに通っているのは単に痩せたいからだけど、お医者さんの勧め…とまではいかないけれど、そういう側面もある。うつ病と診断されてからずっと薬漬けだし、倒れてからネイルシール屋さんでバイトさせてもらっていた3週間を除いては基本的には自宅療養をしていたので、体力がもうガタガタに落ちてるんですよね。こんなことで息切れなんかしたっけ?っていう。だからそれを取り戻したいというのも理由としてはある。まぁ痩せたいからがいちばんだけど!笑

 

でもそんな感じで自分にハッパかけて頑張ってたら、やっぱり疲れちゃう日もある。

今日もやりたいことをいくつか予定立てていたし、仕事の準備もしたかったけど、ほぼ予定通りに行かなかったんです。

 

少し前までの僕なら、なんで僕はこんなにも自分に甘いんだろう?なんでちょっと疲れたくらいで決めておいたことができないんだろう?って、めちゃくちゃ自己嫌悪して、ひどいときにはたぶん精神安定剤とか飲まざるをえなかったと思う。けど、今日は違った。「明日以降に影響させないことが第一だから、予定通りにはいかなかったけどちゃんと休めた自分偉い。休む判断ができた自分偉い。今日やりたかったことで明日以降にやるべきことを振り分けたらさっさと寝よう。そしたら明日には元気だ!」って思えたんですよね。

いや、当たり前じゃねその考え方、って人からしたらきっと当たり前のことなんだけれど、僕からしたらほとんど革命のようなことでして。

僕は自分があんまり好きじゃない(前は大嫌いだった)し、少し前まで自分が幸せになることなんてありえないと思っていました。自分に甘い自分、努力のできない自分、なんて情けない自分って。だけどいまは、休むことが適切な判断で、それができた自分は臨機応変に対応ができて偉いな、とか、努力努力って頑張りすぎて倒れない程度に加減しつつ頑張れる自分センスあるなあ、とか、そうやって思えるようになった。それだけで、生きてるのがすごいラク。ラクというと言葉が悪いかもしれないけれど、すくなくとも前向きに考えるほうが、ずっと自分の能力に対して優しいし、能力の伸び代もあるなと思います。こういうふうに思考を切り替えることができるようになってよかった。

 

もちろん本当に自分に甘くなったり、努力を怠ってはいけない。それは勘違いしてはいけないし、もしもそう僕が見えたらガンガン叱ってください。

あまり自分に厳しくしすぎないぶん、いける!ってときにはガンガン進む。休みたいって身体からのシグナルには逆らわない。そんな簡単なことで自分ってちょっと前を向けるし進めるんだな、と、そんな些細な発見ができたハッピーな週末でした。大好きな紳士のスリーピーススーツも拝めたしね♡笑

 

これから3月までは今のバイトを続けさせてもらえるので、少なくともそれまではいまの生活リズムでいってみようと今のところ思っています。自分にとってよりベターなことがなにか発見できたら変わるかもしれないけれど。

まずちゃんとバイトに行く。働くという行為、責任を果たすという行為にもう一度慣れること。恐怖心を取り除くこと。

それからジムにも行く。痩せたらもっと自己肯定感上がると思うし笑、体力がつけば治療するうえでの自信にもなるし、次の仕事も見つけやすくなる。週3ペースを保ってジム通い。

それをしながら、空いた時間にはしっかり家事をする。とはいえ料理はあんまりしたくないし、役割分担的にやることは「食器を洗ってしまう」「風呂掃除」「米を炊く」「洗濯物をぜんぶ畳んで家族それぞれの部屋に持っていく」「家の中ぐるっと掃除機をかける」ことくらい。洗濯物も食器も家族みんなぶんだから時間がかかりがちだけど、これも慣れたらきっと速くなると思う。特に仕事の日の午後は、できるだけ多く家事をするようにしたい。そうしたら週3で家事できることになるからね。

あとは自分の勉強。英語と国際系の勉強と教養。僕がある分野(英語、国際ニュース系、数字以外の一般教養)に強くなることで、調べるよりも先に僕に聞いてみようかな、って誰かに想われたい。その時聞いてきてくれた誰かのためにその情報を提供できるようになりたい。自分の知的好奇心を満たすというのがいちばんだけど、勉強したこと、学んだことを誰かに還元するために勉強したい。これはもう日々時間を作ってやるしかないのだけれど。

あと好きな人に好きって言うことはずっとやり続けることなんだけど笑

でもそんなもんなんですよ。正社員でフル勤務している人に比べたらほんと甘ちゃん。ベイビーちゃん。フルタイムで働けるってそれだけで素晴らしいことだと思うし尊敬する。ぼくもいつからそのレベルまで復帰しないといけないから、そのためにまずは今の自分にできること、今の自分がやるべきことを着実に積み重ねていきます。

 

僕なら大丈夫、って、まずは僕自身が僕を信じられるようになってきたから。必ず前進する。

ブログとか、ツイートとかで、僕頑張ってる!!!って書くとふぁぼってくれる人やリプをくださる人がいて、それだけでもうめちゃくちゃ嬉しいです。いつもありがとうございます。自分が自分を褒めたうえで、やっぱり人にも褒められたいんだよね笑。どうしてもそういう欲求はある。だから、今後ともよろしくお願いします。笑

 

はよ寝るぞー!