人生のスタンプラリー

人生のスタンプラリー認定協会埼玉支部

現時点でこれから僕の目指すものの全て


「僕の好きな人はみんな必ず幸せになる」「僕の好きな人はみんな暴力から守られる」「そのために僕は言霊を尽くす」「僕はそのためにこの声とこの文章能力を与えられた」「そのためにまず自分を肯定する」「僕は幸福になってもいい」「幸福を受け取る権利が僕にはある」「人生は愛と感謝以外すべて幻」

 

「僕は心臓に核として∠RECEIVERを抱き、バカなことを一生懸命楽しめるGood luck to youという存在になる。それを体現してみせる。」

 

∠RECEIVERとして、まずは他人からの攻撃に苦しむ時間よりも好きな人に好きと伝える時間を手に入れる。あらゆるポジティブな言霊を現世に落とすこと、好きな人を前向きに呪うこと、そのために審美眼を磨き偏見を除去し知恵を蓄えること。それが僕のするべきこと、∠RECEIVERの姿。
その邪魔になるものは、徹底無視。

「切り捨てるべきものもある」
「自分の幸不幸と運命を呼び寄せるのは思考と言動と発言」
「まずは自分を肯定する」
ことが必要。僕なら大丈夫、できる。 前向きな力を引き寄せること、言葉を花束として使うこと、I make me happyすることは簡単ではないけれど、それでも僕はハッピーをたくさんたくさん引き寄せる体質になる。感謝の言葉、ネガティヴな単語をポジティブに切り替える、自分自身を楽しむ。そうやって幸福を引き寄せる体質に、僕はなる。

 

同時に、∠RECEIVER(すなわち僕)とはいえ、想像力を欠いた不寛容さを受け入れる必要はない。 善悪のルールは常に変化するし、被害・加害も立場で変わる。 自分がいつ同じ立場になるかもしれない、そんな想像すらできない不寛容なひとびとの語る「善」には僕は抗う。 この海にあるものすべてをマルかバツに区別はできない。それを忘れて自己の正義だけを盲信することに僕は抗う。 僕自信も、他者への想像力が限りなく豊かでありたいと願う。だってあらゆる境界線もルールも世論も常識も海の中では無意味だから。自分がいかに、自分以外の痛みや気持ちを想像できるか。想像力、それを言葉にする体力、それが大事だ。 完全にボーダレスに泳ぎまわる。
自分の目で見るまで判断しない。
あらゆるボーダーや偏見を持たない。
己の審美眼のみで判断する。
ボーダレス、異文化理解、許容。
この目で虚構を射抜き、この耳で意思を聞く。その体力を持ち続け、貫く。


僕のは魔法でも愛でもなくて呪いだけど、僕の好きな人はもれなくみんなぜったいに幸せが勝ち越す人生を歩む。
そのための盾を僕が∠RECEIVERとして作るためには、声と言葉しかない。 それらを最大限有効に使える状態にするために自分との対峙する。
自分は幸せになっていい、自分は自分を肯定していいんだと確信を持つこと。それがいまの僕に必要。自分で自分にきちんと言い聞かせる。


ハリーのママが最後にハリーにかけた魔法みたいに、僕の言葉がいつか僕の好きな人を守ればいいと思う。だから好きな人にはその場で好きって伝えている。聞き飽きてくれていい、けど聞いてほしい。 僕が死んでも、僕が忘れられても、それでも言霊だけがその人に幸福の呪いをかけたままであればいい。

ありったけ幸せな呪いと言霊をこの世に残す。それが僕のやりたいこと。


いつも、自分のことあるいは自分の何かをあの人は好きと言ってくれるって確信できる人が君にはいるよ、ここにいるよ!って、常に好きな人に対して思ってる。そして僕の好きは、とても広義だ。相手に意識されようがされまいが、勝手に相手の幸福を呪いたい。すくなくとも僕と一緒にいるあいだは。できることなら僕が消えたあとも。僕の言葉が好きな人たちの盾になる。そういう言霊を発して生きていく。そういう言霊を残してから死ぬ。


人に恵まれて生きてるから僕は他人の幸せについて本気出して考えることができるし、それは家族と衣食住に恵まれているからでもある。
身の回りに立ち向かって生きる人、幸福を引き寄せる人、人生楽しんでる人、チャレンジを怠らない人、魅力的で賢い人が本当に多いのは自慢。
素敵な人に囲まれていられる自分も誇らしい。僕の変化を拒否する人とは距離を置きながら、常に好きな人たちに囲まれていると宣言できるようにありたい。あり続けてみせる。


変わることと、手放すことと、離れること、そして挑戦や前進を、怖がってはいけない。自分が肯定していない自分を、誰が肯定してくれても頷けるはずがない。まずは自分から。
僕は変化して、手放して、断捨離して、傷ついて、それを繰り返して必ず強くなる。成長する。その変化はまず誰よりも僕が受け入れる。僕にはそれができる。


世界が、僕の変化に、∠RECEIVERの生き様についてくる。


教養と語彙のある人たらし、人によく懐かれるチャラ男(?)。聞かないと性別がわからない人。性別らしさなんてくだらねえの具現。 過去も未来も関係なく、今この一瞬だけに、全力の誠実を尽くすこと。僕の好きな人がかならず幸せになる、幸せ勝ち越しな人生を送ると呪い続ける。そのためにこの声と文章能力を持って僕は生まれたんだと確信する。 自分を肯定すること、自分は幸せになってもいいと信じること。

バカなことですら一生懸命に、毎日パーティのチケットを買いながら、本気で楽しく生きること。自分が本気で楽しんでいるところに、人も巻き込んで、みんなで大きくハッピーになる日がきたらいい。楽しさを分け合い、幸せを分かち合い、ポジティブな言霊がみんなを守る盾になる。そういう瞬間をつくる。つくってみせる。 大丈夫。僕が信じて、行動し続ければ、叶う。

 

 ここまできたらぜんぶもう僕のエゴだよ!僕は僕のエゴに基づいて僕のエゴを愛して生きるから。エゴは消せない、だってそれが僕だから。エゴを消してしまったら僕ごと消えてしまう。押し付けてやる、勝手に呪ってやる。なんて思われてもいい。すべては僕のエゴだ。エゴごと進んでってやるよ。開き直りだ。

 

 

「∠RECEIVERでGood luck to youな浮かれた中性野郎」に必ずなってみせるから、見ててね。

 

 

2016.08.31. この瞬間のすべての敬意をここに。