人生のスタンプラリー

人生のスタンプラリー認定協会埼玉支部

新しい靴を買おう


「着いてしまえばなんとかなる」
今朝、それを呪文のように唱えていた。

新卒で入った会社をうつ病によるドクターストップで辞めた。
そのあとだいぶ経ってから、友人が店長してるネイルシール屋さんでリハビリさせてもらった。そのリハビリはとてもうまくいった。働けるじゃん!という自信と、やっぱり接客って楽しいなとか、人と触れ合う時間ってありがたいな、とか、新商品めっちゃ可愛い買って帰ろう、とか。とにかく楽しかった。店長が高校時代からの大切な友人だったからうまくいったんだと思う。仕事に行くというよりは、その子に会いに行く。会って話して、仕事をする。行きたくない朝がなかったわけではないけれど、着いてしまえばあとはひたすらに楽しかった(その子にはいつかちゃんとお礼をしないといけないと思っているし、本当に感謝している)。
そのあと新しく始めようとしたバイトはいつも店にたどり着く前にパニックになってしまったり、電車から降りていちいち吐かないといけなかったり、てんやわんやでクビになった。泣きも吐きもせず、過呼吸もおこさずにお店にたどり着いたことは、一度もなかった。

なにごともそうだと思う。お風呂は湯船に浸かってのんびりするのは気持ちいい。それはわかっているけど、お風呂を掃除してお湯をわかして…という準備が面倒でシャワーにしてしまいがちだ。そういうこと。「はじめられれば、大丈夫」だということ。言い換えれば、最大の敵は、ものごとを「はじめるまで」に潜んでいるのだ。準備や通勤、出発というステップこそ、僕らがほんとうに神経を使わなくてはならない部分だ。
だからうつ病になったきっかけの会社も、会社に運良くたどり着けた日は夜まできっちり働けた(残業したり怒られたりしたけど)。ただ通勤途中にくじけてしまうと、もうどうにもならない。震えたまま、駅のホームで薬を飲み込んで、自分がどうにかなるのを待つしかなかった。

10月から、なんとか、バイトだけど働かせてもらえることになった。雇い主がいわゆる公的機関だからというのもあるのかもしれない。パワハラうつ病になったことは、僕の口頭でも医師の診断書でも伝えたうえで、雇ってくれた。
昨日と今日、それぞれの赴任先へ挨拶と研修、引き継ぎをしに行ってきた。
正直、前夜はろくに眠れず、朝から悪心と震えに襲われ、顔が引きつりまくっていた。いつもならなにも考えずとも作れるはずの朝食を(スムージーなので切ってミキサーにかけるだけにも関わらず)作ることができず、さすがに見かねた母親が作ってくれたくらいだった。

「行きたくない」
「何かに責任を持ちたくない」
「また目の前で書類を破かれたらもう立ち直れないのでは」
「傷つくのがこわい」
「叱られるのがこわい」
「やめたい」
「死にたい」

頭の奥でそんな悲鳴がずっと上り続けていた。でも「それに負けたら、ここで家を出発できなければ、それこそもう僕は立ち直ることができないぞ」という声もする。
上がる悲鳴も、少し突き放すようなその声も、いずれも僕の声だ。僕を悪く言うのもよく言うのも僕自身で、どちらを聞くかを選ぶときだった。

震えているせいでほとんど意味をなさない歯磨きをして、着替えてメイクをして(震えすぎて目にアイシャドウを突っ込んだ)、昨晩のうちに準備しておいた荷物を持った。深呼吸をする。頭の中ではまだ悲鳴が上がっている。僕にはそれが聞こえる。でも、「そんなものに耳をすます必要はないんだ、出発してしまえばなんとでもなる」という声もする。どちらを聞くか。僕はしっかりと腹式呼吸をしながら、考えた。


実際、お風呂掃除だって、面倒なのははじめる前だけだ。初めてしまえば案外すぐに終わるし、お湯を入れるのだってボタンを押すだけだ。ものの20分あれば気持ちのいいお風呂が沸く。入浴剤を選んで待ってでもいればいい。「はじめてしまえば、意外とすぐに終わる」し、「はじめてしまえば、意外となんとかなる」のだ。

僕は昨日も今日も無事に出発し、自転車を漕ぎ、赴任先の偉い人たちに挨拶して回ることができた。お世話になる方の顔を覚え、出勤の手順を確認し、簡単な研修と見学をした。英語を使う仕事なので、簡単に英語での会話を確認されたが、特に問題なくこなせた。
そして帰り道は、いくらか気分がマシになっていた。もちろん家を出るタイミングで飲んだ即効薬のおかげでもあるだろう。でも、なによりも問題なのは「はじめる前」なのだ。はじまってしまえば、僕には物事を判断しながら前進するだけの能力も力もある。もっと言うと、敵ははじまる前、すなわち「なにもしていないときに感じる恐怖」であり「面倒くささ」なのだ。その2点さえ突破できれば、あとは進んでいける。


もちろんそうやって無理して進みすぎてもいつか倒れるから、自分の声に耳を傾ける必要もある。それはとても大事なことだ。ただ、自分の中のどの声に耳を傾けるのかも、同じくらい大事なことだ。恐怖の悲鳴なのか、面倒くさがる声なのか、冷静な声なのか。どれが本音か。どれがその場で出せるベストな答えなのか。

僕はこれから「はじめの一歩を恐れない」人であり続けなければならないし、そう在りたいと思う。面倒とか怖いとか、そんなのはひとまずどこかに置いて、まずは一歩。はじめの一歩さえ踏み出せれば、次の一歩は勝手についてくる。

 

 職場の人たちは、みんな人当たりが良くて優しかった。忙しい人たちのサポートのような仕事なので、手短に確認する能力とか、なんかいろいろたぶん求められるし、責任だって小さくないけれど。

でもここで雇ってもらえたこと、それから赴任先の人がたまたま僕を知ってくれていて、すでにとてもよくしてもらっていること。引き継ぎ資料のマメさ。なにを見ても、「ああ僕は恵まれているんだ」と思った。この環境に身を置けてラッキーだ。環境も人も味方なら、薬も友人も味方だ、本当にありがたい話だ。僕でも大丈夫なように配置してくれたのだろうと思う。ありがとうございます、とこんど偉い人に会ったら言わなければならない。

あと倒すべき敵は自分の恐怖心と面倒くさがるところだけ。これからは「踏み出すそのはじめの一歩」ですべてを変えてゆきたい。