人生のスタンプラリー

人生のスタンプラリー認定協会埼玉支部

ダイアリー 〜18/02/20 なんか書かないと死にそうだった

 

「好きなキャラと自分はよく似た傾向にある」
と、好きな人からLINEがきた。仕事がちょっとしんどくて、なんかみんな楽しい話して、推しの話して!ってツイートした日のことだ。僕はこの人からの通知がくるだけでちょっと嬉しくなるんだけど、その内容が面白かった。
実際、その人が分析していた好きなキャラクターたちとその人はちょっと似ている気がした。漫画もアニメも最近のはあんまり詳しくないからあれだけど、ちょっと放っておけないところとか、潔癖的な魅力とか。潔癖的って変だな。清浄感、みたいな。

僕はどうかなあ、とぼんやり考えて、ああ、共通点あるかもな、と思った。

※以下、アニメのキャラクターを勝手に分析して「こういうところあるよね〜」と勝手に話しています。全て僕による僕のための解釈です。「そうじゃない!」と思ったらすぐ戻って記憶から消し去ってください。解釈が違いますと言われても何も言えません。これはあくまで僕の解釈です。なんでも許せる人だけどうぞ。※


実は(意外と)アニメ見ないし、漫画も中学時代に毎週ジャンプ読んでたのが最後で、延々と語れるほどに好きな漫画(アニメ)は?って聞かれたらデスノートドリフェス!になる。で、のめり込んだきっかけは?って聞かれたら、Lと風間圭吾さんだ。
僕はもうウザいくらいのシンメ厨だけど、それは最初からシンメとして落っこちるというより、気づかされることが多い。「この人(キャラ)、なんでこんなに魅力的なんだろう………相方がいるからじゃん……!!!!」って。相方がお互いを輝かせあってるじゃん!!!!!って。そのままシンメとしてハマっていって、最終的には「ハマったきっかけはこっちだけど、どっちが好きとかじゃなくてどっちも好きなんですふたりが好きなんです」という厄介なオタクになる。圭吾さんは勇人さん、Lの場合はシンメとはすこし違うけど月がいないといけなかったし、実際、Lがいなくなったあとの後継者たちと月の関係性にはあんまり心ときめかなかった。読んだけど。ちなみにポルノもそうだ。晴一さんの歌詞にガツンとやられて落ちたら、晴一さんの歌詞が魅力的なのはそれを歌って表現することのできる昭仁さんがいるからだと気付いたときにはほぼ手遅れだった。笑

そんなこんなで、圭吾さんとL(と晴一さん)の共通点ってあるかなあ、と思ったら、あった。それは彼らがみな、虚像を生きているということだ。偶像という言い方のほうが正しいかもしれないけれど、僕はあえて虚像と言いたい。
圭吾さんがファンの前で見せる「プリンス」という虚像(実際、彼はプリンスどころかラーメン好きな男子高校生にすぎない)。Lが画面越しにしか話すことを許されない「何者かわからない」という虚像とLというブランド。そして、「新藤晴一」という芸名を背負って生きる晴一さん。
彼らはたぶん、わかっているんですよね。自分の強みと弱みを。世間からしたら多少ズレがあるかもしれないけれど。その強みを最大限生かすために、自分をある意味でかなぐり捨てて「虚像」をつくりあげ、それで生きようとする。
圭吾さんなら、美しいお顔と演じる力を。Lならその頭脳とブランド力を。
そして彼らはたぶん、「強み」以外への自己評価が高くない。低いと思う。Lなんかわかりやすい。人間性に問題がありまくる自覚くらいしているだろう。圭吾さんだって自信があればアニメ一期みたいにはなってない。
「自分には自信がないけれど、自分の特定の能力は信頼できる」
Lも圭吾さんも、そんな人だと思う。だから、その「特定の能力」を生かすための虚像を背負い、その虚像に近づくために生きている。
でも、それが結果として、ホンモノになる。Lが竜崎として画面から出てきて、難のある性格を受け止めてもらいながらその能力を最大限活かしたように。圭吾さんがプリンスとして生きる舞台の上で、プリンスとしてだけではない弾けた笑顔で笑えるように。なりたい自分、という虚像を演じ続けることで、「なりたい自分」と「自信のない自分」はいつか混ざり合って、もっとも美しい自分へと変わっていく。
晴一さんも、いわゆる「芸名」と「本名」を使い分ける人(あんなに美しい芸能人の結婚報告を、僕は他に知らない)。
面白いなと。
自分に話を戻すと、僕も、自分のとある能力たちのことは信頼しているけれど、自分のことは基本的にあまり好きではない。うーん、最近好きになろうと思っている。というよりは、とにかく圧倒的に自信がない。いつも怖い、自分が何をやらかすか、他者からどう思われているのか。僕は自分の立ち居振る舞いによって人から理解される5倍は臆病で、自分に自信がないと思う。人に悪口を言われたらしばらく動けなくなるし、誰かのヒソヒソ声は全て自分の悪口に聞こえる。不安症だし、努力したって改善できなくて、なんで他のことと同じようにできないの、手を抜いているんじゃないのと怒られ、自責した記憶が積み重なっている(いまとなっちゃASDが大きな要素なんだとわかるけど)。
だからこそ、僕も僕の信頼できる能力に頼って、自分のなりたい自分を演じて近づこうとしてみたり、自分の強みだけを虚像みたいに使っているところがある(と、自己分析している)。
文章なら書ける。書くことでなら僕は自分を許せる。書くことで自分におまじないをかける。あるいは評価されるために声を使う。そのために声を使う練習をする。僕はよく「言葉と声しか僕には使えないから」と言うのだけれど、それは本音なのだ。それを使って好きな人に花束を贈り続けたいという本音を、何度も言葉にして文字にして、自分を洗脳して、そうやって僕のつくった虚像に近づこうとしている。
僕もいつかホンモノになれるだろうか。
自信のない自分と、虚像の自分が混ざって、美しくなれる瞬間がくるだろうか。
くるといいな、と思う。くる、と、軽率に信じてみたりもする。中性的で、性別なんかどっちでもいいじゃん、を体現する、ボーダレスな人に。人を簡単に判断しない、深く聞く耳を持つ人に。自分の頭でずっと考え続けるように。あらゆる境界線をまたいで、好きなものを好きといい続けられるように。
この記事書くために、僕はどんな自分になりたくて、どんな虚像を演じるべきか、ちょっと考えたんだけど、やっぱり、このときに書いたブログの衝動が、すべてだなと思う。こういうとき、書いててよかった、と思う。笑
http://bookmarker35.hatenablog.com/entry/2016/09/01/005212
http://bookmarker35.hatenablog.com/entry/2017/08/03/000213
好きな人に花束を押し付けて生きていきたい。∠RECEIVERとして死ぬために生きていきたい。


転職しまして。1ヶ月が経ちます。しんどいです、正直。いままでみたいに目標がわかりやすくて達成できたら褒められてできなかったら次頑張ろうね、みたいな仕事じゃなくて、見通しを立ててひとつずつこなしていく、締め切りをちゃんと守る、みたいな。僕っぽくは、ないタイプの職種。笑
でもいろんなことを学ぶ。まだいうて1ヶ月しか経ってないから毎日胃が痛いし、油断すると涙が出るし、生まれて初めてカレンダー通りの仕事してるから土日の休みを死んだように寝て潰してしまう。(5日も働いたあとに2日しか休みがないっておかしくない?カレンダー通りの仕事してる人たちどんだけ偉大なの?ていうか働いてるだけで偉大だわ)

でも、働いて、終わる、だけじゃやっぱ、いやだから。その先に何があるか、考えて、行動したい。
本が読みたいし映画が見たいし英語の資格を取りたい。これは素養をつけたいという意味。この地球の裏側で起きることを、全ては無理でもせめて理解しようと努力し続けたいし、世界の人と会話できるようになりたい。言葉がわからないとか教養がないとかそんな理由で何かを諦めたくないから。それくらいの能力はある、と思う。僕。
ジムにも行きたい。これはイケメンになりたいから。何より、好きな人に会いたい。会って好きって言いたい。あとポルノとKUROFUNE追いかけ回したい。笑

あと、なにより、ご機嫌でいたい。
いまの仕事、まだ慣れてないからどうしても疲れてしまう。接客でもないから口角も油断すると下がる。いつもご飯のときとか下向いてべそべそ泣いてしまいそうになるのをこらえてお茶飲んでる。
でも、「慣れてないから」っていつまでも言っていられないから。
慣れてないけど、慣れてないなりに、頑張れるところはあるはずだと思うし、僕は頑張れる子だとも思う。
具体的にどう頑張るか、どんな目標を立てるかというのは、またすこしずつ落とし込んで考える(今年やりたい100のことを、2月半ばから年内に達成できるように分割して考えるのが良いのかもな、と思っている。暫定。今夜はそれを考えるには眠すぎる)。かといってあんまり完璧なスケジュール立てちゃうと、失敗したとき転んでしまうから、ゆるくね。

僕ならできるよ、と思う。演技はうまくないんだけど。なりたい自分の視点に立って、なりたい自分の立場から自分を引っ張る。∠RECEIVERになりたい、んじゃなくて、僕はもう∠RECEIVERだと考えて、その立場から僕の腕を引く。そっちにいくにはどうしたらいい。そのために、真似して、虚像を演じて、いつか自分の中に体得という形で落とし込む。

成し遂げてみせるよ、絶対に。死でもって完遂するまで、どうか見届けて。