人生のスタンプラリー

人生のスタンプラリー認定協会埼玉支部

ダイアリー 19/04/11

つい先日「趣味は仕事と彼氏」と知人に言われて、違う惑星の人だなあと言葉を失ってしまったんだけど、僕も届いたBlu-rayを開くこともできないまま硬直してしまうほど好きなものがあって(ドリフェス!の話だ)、そういう趣味に「依存」して「他人本位」で生きているのかなあ?と考えた。
まあ、ある側面で言えば「他人本位」で「依存した」生き方なのかもしれない。そう言われたらぐうの音もでない。でも僕は、その「他人から受けるもの」に対して自分が「能動的」なんじゃないかという雑な仮説を立てた。なんでかというと、僕は「好き!」ということを伝えるためにあらゆるものを惜しまないから。人でもものでもコンテンツでもいいんだけど、好きなものには好きと言いたいしそれを伝えたい。エゴだ。僕はエゴイストで、広辞苑のエゴイストの例に掲載されてもいいくらいだと自負している。
「僕のことは忘れてもいい、忘れてほしい、でも僕が振り回した言霊の花束が、いつかあなたの力になって、救いますように」
僕はよく上記のようなことを言うのだけど、これはひどいエゴだなあと思う。特にひどいのは「僕のことなんか忘れてもいい」という一文だ。そこで一瞬、身を引いて、自分を消したように見せるからだ。これは本当についさっき、15分前くらいに、やってることがポルノの晴一と一緒だと気づいた。
「あなたが望むのならこの身など いつでも差し出していい
降り注ぐ火の粉の盾になろう
ただそこに一握り残った僕の想いを
すくい上げて心の隅に置いて」
かの有名なアゲハ蝶の一節だ。
「あなたが望むのならこの身などいつでも差し出していい」という献身的な自己犠牲を見せたあと、それでも「僕を忘れないであなたの心の隅に残して」と訴えるのは、あるいはもっと直球で訴えられるエゴよりも、重さが増すような気がする。
僕もそうだ。僕だって、「僕のことなど忘れてくれていい」と言いながら、「でもいつか僕の言霊が花束になって」と呪っている。献身的な愛、と見せかけて、ただの自分の欲求なのだ。
ひとにもそうだし、推しにもそうだ。推しなんか僕のことを認知さえしないのに、それでも「いつか僕が応援したことが、推しのためになったらいいなあ」と思ってしまう。払った金が筆頭だけど、ファンレターも、出した祝い花もぜんぶ。それが、わかんないけど、推しの次の仕事や、新規ファンの獲得につながればいいなあ、と思う。一方的に応援させてもらってるくせに、こんなエゴを捨てられないのだ。
エゴと、能動的であることは、ある面においてよく似ている。放たれた何かを受け取る、それを抱きしめる、という行為だって、能動的だからこそできることだ。
だから、僕はこの「他人から受けたもの」を受けて自分が発露する「エゴ」を、ひとつの自分のリアリティみたいなものとして呼びたい。他人本位、と見せかけて、これは僕が引き起こす僕の愛であり、僕のエゴなのだ。
だからといって、趣味が彼氏の人と同じ惑星に住めるかはわからないし、あのひとはとても他人本位で依存的なのかもしれない。他人本位であろうが自分本位であろうがそこに貴賎はないが、僕は、自分が能動的なほうが好きだ。

……と、ここまで書いて、茹だる頭のためにコンビニで買ったジュースを飲んでいたら、友人が待ち合わせ場所に来た。何を書いたのかよくわからないので推敲はしない。友人と平成納めのプリクラを撮った。楽しかった。頭がごちゃごちゃなのでしゃべり倒してしまった。ごめん。
今年は桜が長く咲いていた。いや知らんけどそんな気がする。桜は死の象徴みたいな花だ。あの無数の花びらに、砂にのめり込むようにして死んでいく、溺死を連想する。
緩やかな頭痛はいつもこういうときにやってくる。おやすみなさい。明日はどっちだ、わかんねーな。

 

ダイアリー 2019/04/05

なんかブログ書こうとかいろいろ思うんだけどすぱんっと書けなかったから、どさどさしたメモ。送りつけた友人ごめん。ありがとう。

完全に仕事の繁忙期ピークからのランナーズハイ。もうすこしだ〜〜

 

所信表明させてね、今年の目標は来年続けるにしろどうにしろ今の仕事になれること、職場の人に迷惑かけることを恐れないこと、毎日清潔にすること、痩せること、なにより含めた家族大事にしつつ、実家から自立することです。

うつ病になってから、もともと強かった実家依存と母子依存が強まってしまった自覚はあるから、そこから抜けたいと思っている。
抜けるためには親と喧嘩したり話したりするのも大事なんだけど、うちの両親は「不言実行」「誠意は態度で示せ」の人だから、僕のことをもう少し信じてもらえるように(?)。言いかた変かもしれないけど、そういうふうに態度で示せる生活しようと思います。
具体的には
遅刻ギリギリじゃない時間に起きる
自宅の家事する(主に台所!)
自室を清潔に保つ(床が見えること大事)
金銭面のコントロール(もう分割払いしない)
仕事の愚痴を家で吐かない(そのためのツイッター)
食事は家族の波に乗れないときは自分で準備する(いま親に甘やかされてるのが現状だから、そこをうまいこと自分でやるように)

あと、職場ではできるだけニコニコでいられるように。ニコニコは無理でも口角を下げないように。
忙しいときに、イライラのオーラがでないように。自分の忙しい時期は無理だし無理をする気はないけど、時間があるときは、せっかく異動できたから、ここの支店の力になれるように。仕事の量自体は減るから、質を上げて、勉強して、仕事の範囲を増やす。

とか、そういうすごくシンプルなことなんだけど。
こういうところで、誤解を恐れずに言うなら、親からの信頼を勝ち取りたい。一人暮らしとかそういうのに向けてもそうだし、親孝行としても。
友達も大事にしたい。
大人になってわかったASDADHDの傾向をちゃんと掴んで、もっと自分が生きやすくなる手段を模索したい。

それと同時にね、花束を振り回して押し付けることはね、続けるから。僕のことは忘れていいから、僕の言った言霊が、いつか誰かのちからになりますように。好きなものを好きと言うことに、惜しまない。

残念なことにいま絶望的に眠いし寝不足だから、細かいことはきちんとまた考える。

27歳にしてこんなこと思うの遅すぎるんだけど笑、大卒就職のあとにモラトリアム(笑)があったから許してほしい。
おとなにもまだなりたくないけど笑、前進したい限り。
あのボロボロだったバタフェから、アンフェ経ていまこんな気持ちです。

誰かのための愛。
好きな人のための愛、次世代のための愛。
大事なもののための愛。あなたのための花束。
そういうの握りしめて∠RECEIVERになりたい。と思う。あわよくば家族が増えたらいいなと思う。たからものひとつふたつ。

ねむい、おやすみなさい。
働きすぎだ〜〜、でもいいんだ、こうやって蓄えて展開していく季節、ひとつの開花の時期なんだと、思う

 

僕と∠RECEIVERの話 UNFADEDツアーで得たものと愛の話

ふせったーに書いてた、ポルノグラフィティ UNFADEDツアーのネタバレ。というか、∠RECEIVERの話。
僕にとっての∠RECEIVERは、簡単に言うと、僕の理想そのもの。人生の、核。∠RECEIVERになりたい。あれになりたい。2011.9.10から、ずっとそう思っているもの。

ふせったーでやりきれずに書いていた感情を、ここにあえて、時系列順に並べてみます。


2019/1/1 5:12
カウントダウン直後、ホテルにて。

いろんな人から今回はしーくんやばいよって脅されてて、こわって思ってたのを中盤あたりでこれだーー!って思って頭ぶん回してビタスイなんか超気持ちよくてアヘ顔ヘドバンしてたので、最後の一曲の最初の一音で膝から崩れ落ちた

今日大阪に向かう途中で、「好きなものを好きだと証明するために生きた2018」と書いたあと、

「好きな服を着て、好きな音楽を聴いて、好きな街を歩いて好きな場所に行って好きなものを見て好きな人に会う。好きなものを心に抱きながら、Whole New Worldと∠RECEIVERに恥ずかしくない2019年にしたいと思う。人から見てどうか、に相変わらずこだわって恐れてしまうけれど、うるせえ!僕の好きにさせろ!って気持ちを失わずにいたい」と書いた。

そのときちょうど∠RECEIVERを聞いた。

こうも書いた。
「できれば2019のうちに死にたいけどうまくいくかな。わかんない。先のことはよくわからないけど。この瞬間瞬間に、後悔を置いてこないように、過ごしたいと思う限りです。」

死にたいといつも思っているのに、死にたくてたまらないのに、∠RECEIVERと向き合うと生きることにすこし前向きになってしまうから、怖いなあ、って思った。僕の人生の理想は∠RECEIVERで、そうなるためには、長生きは不要だけど、今日死ぬわけにはいかなくなる。

そもそもこのタイミングで聞くと思ってなかった。
悔しい。生きていたくなんかない。早く死にたい。どうでもいい。なにもかも。全部投げ出したい。そう思うのに、そういうタイミングだから、ただヘドバンで脳貧血になるような楽しいライブで終わってくれたら、サイコー!って死ねたのに、∠RECEIVERが、死ぬのはいまじゃないと言ってくる。まだキミはボクになれてない。したいこともたくさんある。できることもたくさんある。できないこともたくさんある。逃げなければ死なないんじゃないのって。

ちょっと異様に強い希死念慮と自殺願望持ちなので、ちょっとやそっとじゃ未来まで生きようと思わないし、今の僕が描ける自分の未来はせいぜい2019年の3月末までが手一杯なのだけど(そこから先の自分が本当に検討つかない、本当に)、∠RECEIVERに強制的にその先に連れていかれる気がした。良いとか悪いとかそういうのを超えて。

キミはボクになるんでしょう。
いまのキミに死ぬ権利はあるけど、いまのキミはボク、∠RECEIVERにはなれてないよ。

そう言われたように聞こえた。
自分が∠RECEIVERになれていないことに絶望して死にたい。死にたいが7割だけど、3割だけ、∠RECEIVERになるまで生きなきゃ、と思う。
∠RECEIVERになった、と胸を張れるそのときにまだ死にたかったら死ねばいい。

未来予想図をまるで描けない僕のコンパスを、まさか新年早々「道は示してやるから後は自分で決めなさい」と託されるとは思わなかったから、今からゆっくり処理していく。

例えば2020年の僕、2019年の夏の僕を、自分で思い描けるだろうか。
死にたくてたまらないのに、あたまにあのハーモニカがよぎる。死ぬことすら許されないような気がする。愛してほしい。手放しに誰かに許してほしい。生きている原罪ごと僕を許してくれ。

 

2019/1/1 20:01
夜行バスを待つ大阪駅にて

アンフェネタバレの個人的重い話
れしーばーを咀嚼どころか受け止められていないというかあれは集団幻覚なのではと思っているし演奏中ずっと突っ伏してたから演奏している二人を見ていない

ただここ数年で一番チケット取ってるツアーで演奏される事実にはさすがに笑っている。

僕はまだ∠RECEIVERからは程遠いのに。なれていないのに。なれていないという事実だけを突きつけられる。
世界は2010年から何も変わってないんだと思った。∠RECEIVERが意味を持つ世界であることが良いことなのか僕にはわからない。

本当に不意打ちだった。
どうしたらいいんだろうか。これを次に聞くときまでに何をしておけばいいんだろう。どうしたら理想になれる。その方法なら頭では知ってる。うまく体で出来ないだけで。というのはきっと言い訳なのだろう。
これからツアーファイナルまで、仕事ハードモードで地獄のピークを迎えるのに、そんな余裕のない中で僕にどう理想と向き合えっていうんだろう。
理想と見つめ合った結果、おまえからは程遠いんだよと嘲笑されたように感じたとき、たぶん僕は終わる。昨日はそれをこらえられた。次がどうだかわからない。おまえは、つまり、僕はまだ、この星のどこにあることはおろか、自分の目の前とも向き合えていないのだと、わかっている事実を、痛切に突きつけられて、いまひとりで、大阪駅で、胃が痛くて、頭が痛い。

でも∠RECEIVERは絶対に誰のことも嘲笑したりしないんだ。
嘲笑してもらえたらずっとらくなのに。
でもそれをしないから僕は∠RECEIVERになりたいんだ、と思う。

彼らにとって「色褪せるべきではない」曲だから、あんなMCのあとに、トリとして演奏してくれたのかな。
僕にどうしろっていうんだろう。

生きててよかったなんて絶対に思いたくないし言いたくもないし早く死にたいのに、いまこれを書いている十数時間前、僕は∠RECEIVERを聞きながら、たしかに、「僕は生きている」と、思ってしまった。生きている、と、存在を証明されたその感覚が、苦痛で苦しくて、同時に与えられる唯一の許しのようでもあった。
すがりつく場所なんてないのに。はやくこの世からいなくなりたいのに。生きている、とからだが感じるその瞬間は、痛みと苦しみしかないのに、痛みと苦しみにまみれないと、僕は許されることすらできないのかなあ。僕はただ全面的に許されていたいだけなんだよ何もかもを。この人格容姿スペックセクシュアリティなにもかも。無条件に。痛いのも苦しいのも嫌なのに。どうしてそれを伴わないと許される感覚も与えられないんだろう。

2019/03/17 追記
ライブで∠RECEIVERを聞いた僕を心配して笑、みんなたくさんラインとか、ありがとう。
このあと、しばらく…ほんとうに唸ってしまって、どうしたらいいのかわからなくなったり、周囲に迷惑をかけたり、いろいろした。
強すぎる自殺願望をどうにかしたくて、でもどうにもならなくて。好きな人や特別な人や愛する人にもたぶん、ひどいことを言った。
でも、そんななかでも、その人たちは僕を見捨てずにいてくれた。∠RECEIVERになれない僕を、大丈夫だからと言ってくれた。
「30過ぎても生きてて人生が最悪だったら私のせいにしていいから」…と、あるさかなは言ったし、
「半分だけ本気でいいから、将来の約束をしたい」…と、ある好きな人は言った。
ほんのすこし、未来への捉え方が変わったのが、1/16だった。


2019/2/1 0:58
幕張ライブの後。
∠RECEIVERがくるとわかって、立っているのは、かなり精神的に重かった。本編のこと、あんまり覚えてない。

たった一曲の音楽に、人生を変えられたことはありますか。
もっと言うならば、たかが4分半の音楽と歌詞に、世界を変えられたことはありますか。
ある人が多いのか、ない人が多いのか、僕にはわからない。すくなくとも、僕はある。
壮大な物語でも、他の誰かの人生でもない、たった一曲に。

初めて聞いたときは、半分も理解できなかったと思う。大好きなポルノグラフィティの、最新アルバムのリード曲、スマトラ沖地震を題材につくられた曲。当時からジャーナリズムみたいなものに憧れていたから、いい曲だなあ、というぼんやりとした感想はあった。

その曲が僕にとって「唯一」になったのは、2011年9月10日だ。
その半年前、東日本大震災があった。
記憶にある限り、そして自分が体感した限り、一番大きな揺れを関東でも感じた。ニュースは常にグラグラとする映像を流しながら、人の数をかぞえていた。
半年間、僕は何もできなかった。
あの災害から半年経った日、チャリティライブがあった。そのアンコールで、メンバー2人だけで、大事に演奏してくれたのが、∠RECEIVERだった。

「この目よ虚構を射よ この耳よ意思を聞け 迷いを打ち消すのは綿密に練り上げられた自信」
「この地球の裏側でも僕たちの足元でも起こりうる出来事から逃げない∠RECEIVERでいたい」

真夏の太陽の下で聴いたそれは、僕の脳に「なにか」をもたらすには充分すぎた。
僕は∠RECEIVERになりたい。あれそのものになりたい。そう心から願い、人生の舵を大幅に切った。2011/9/10に、僕は生まれ直した。セカンドバースデーだ。

そんなことをよく書いているし、よく言ってもいるから、いろんな人に言われる。
「ライブでまた聞けたらいいね」
そのたびに僕は言う。
「いまはまだいい」
僕が∠RECEIVERに胸を張って対峙できるようになるまで、まだ出会いたくない。今の僕はまだ、∠RECEIVERにはなれていない。ほど遠いから。そう答えていた。

いま、控えめに言って、僕は自分を見つめ直す時期にきている自覚があるし、まだ∠RECEIVERを目標として定め続けるのなら、自分の人生をもう一度、見つめ直さないといけないと思っている。
うつ病になり、ASDだとわかり、さらに2017年から2018年は、好きなものに狂い続けて、不安定と引き換えの快感を手にしていた。好きなものに狂いすぎて、世間やニュースや、「この地球の裏側でも僕たちの足元でも起こりうる出来事には意味のようなものがあるのか?」考えることを怠っていた。好きなものに夢中なことを言い訳にしていた、と思う。後悔はないけれど、仮にこれからもしばらく死なないとするなら、そのスタンスは改めないといけない。強すぎる希死念慮を飼いならす訓練をしないといけない。

だから、それが少しでもできるようになったら、また∠RECEIVERを聞こう。
そう思って、CDでさえ聴いていなかった。

なのに、ツアーで、最後にやられた。
膝から崩れ落ちた。
正面も見れなかった。イントロの瞬間から弾け飛んだみたいになって、指先まで震えていた感覚は残っている。なにもかもがわからなくなって、∠RECEIVERの歌詞がただ、頭に刻み込まれていく。

まだ、聞きたくなかった。
今じゃなくてよかった。
だって僕はまだ、∠RECEIVERじゃないから。理想になれていないから。
理想から程遠いという現実を突きつけられるだけだから。

でも、今、この理想に出会い直すことに何か意味があるのなら、それは「タイミング」なんだと思う。

死にたくて仕方がないけれど、ひとまずは死なない方向で生活していくことに決めた(生きたいとも思わないけれど)。
好きな人ともっとしっかり向き合うと決めた。家族ともっと向き合うと決めた。
自分ともっと向き合うと決めた。
自分と向き合ったら、自分がもっとしたいことが、じわじわといま浮かんできている。

僕がしたかったこと。
あの日炎天下で聴いた4分半の音楽に、僕が誓ったこと。

中学生のころのユニセフの人になりたいという夢を、僕はまだ忘れていないこと。大人になったいまだから寄付で貢献できること。
家族を大事にすることの意味が、やっとわかりはじめたこと。
好きな人の人生を背負う覚悟の難しさを思い知っていること。
マイノリティとして生きる難しさと、カミングアウトし続けるという自分なりの戦い。
誰かのために生きていたい、誰かに貢献したい、次の世代により良いバトンを引き継ぎたい。

大阪カウントダウンのあと、初参戦だった幕張公演。
「∠RECEIVERがくる」とわかっていたから、本編がすごく長く感じた。
岡野さんが「色褪せてはいけないものもある」というMCでこの曲を始めること、そこに詰め込まれた意味。昨今の震災や世界情勢、そして、僕自身。
ギターが鳴った瞬間、音がきた瞬間、倒れなかったし、しゃがみこまなかった。画面をしっかり見て、映し出された歌詞を脳髄に刻んで、口だけ動かして、もういちど、もういちど、∠RECEIVERになりたいと願って、僕の生活をリスタートさせてくれませんか、と願った。

答えは僕しか知らない。
そして、明日からもしばらく、僕は死にぞこない続けるのだろう。

たった一曲の音楽に、たった4分半に、僕は価値観や理想や、愛そのものすら変えられてしまった。変えられた人生を、いま生きている。


2019/03/17 追記
幕張の後の文章を読んで、大好きな友人がDMをくれた。「しーくんの文章は、わたしにとって特別」。この言葉があれば、僕は立ち向かえるような、気がした。

3/8 22:52
横浜初日のあと。
アンフェネタバレ→だから!!!僕が何を言ってもネタバレになると!!!!!言っただろ!!!!!!!wwwwww

3/8 0:05
あのね僕のこと知っててあんふぇ参戦した人ならわかってくれると思うんだけど、楽しかったんだよ、今日はめっちゃ楽しかった。記憶も飛んでない。本当に楽しかった。それがなにより幸せだし、なんか、自分にちょっと感動してる。


3/8 0:27
横浜のあと。

UNFADEDにおける自分語り(ネタバレあるよ)僕が何を言ってもネタバレになる、の意味がわかっていただけただろうか

1回目。突然のことすぎて、とんだ。
2回目。くるとわかっていたから、本編が記憶にない。でも、受け止められた。
3回目。今日。全編、覚えてる。
楽しかった。好きな曲すげーやってた。驚いた。
崩れ落ちなかったし、泣かなかった。頭に刻まなきゃ、からだで覚えなきゃ、と思って、「これになるんだ」って思って、信じて、もちろん口パクでだけど、全力で歌詞を歌った。

「この目よ虚構を射よ この耳よ意思を聞け 迷いを打ち消すのは綿密に練り上げられたCONFIDENCE」
「この星の裏側でも僕たちの足下でも 起こりうる出来事から逃げない∠RECEIVERでいたい」

あんまりに眩しくて、目をつむりたくなるようなフレーズから、逃げなかった。ちゃんと聞いた。ちゃんと口を動かした。ちゃんと画面を見た。

相変わらず理想にはなれてないし、今日も日中は仕事が怖くて震えが止まらなくなったりしてたし、ダメなところたくさんあって、逃げたくなるときもあるけど、でも。

あの日、つま恋の炎天下で望んだこと。
中学生の僕の憧れ。
愛する人のこと。
あるとしたら、未来、のようなもの。
そして、現在。
…現在、って変換しようとしたら、原罪、がでてきた。そうだね、僕の中に凝り固まる「生まれ落ちた罪 生き残る罰」という呪いも含めて。

逃げないから。
立ち向かって戦うことは、すごく難しいし、できるときとできないときがあるけど、すくなくとも、逃げない。

今日のライブは、一曲めからすごく楽しかった。頭をぶん回して腕を上げて、痺れて。
全部覚えて、ドームの発表聞いて、なお、僕の核はここにあるのだと、噛み締めている。
∠RECEIVERたれという、僕の∠IDEALを、いつか僕の∠REALに変えてみせるから。

あしたも死にぞこなおうと思う。
好きな人に好きって言おうと思う。
起きられたら休日出勤しようと思う。
あさっても、そうできたらいいな。

2018年の、どうにかして死のうと足掻いていたところから、死に損ない続けようと、思えるところまできたよ。
僕、前に進めてますか?
こっちが、前で、あってる?

 

その翌日の横浜は、もう、ほんとうにシンプルに楽しかった。
横浜に連れて行った友人2人がポルノを楽しんでくれたことが、嬉しかったし、2日目の後はみんなでバーガーキングに行ったのも、すごく、ぱのよんみたいだなあって思っていた。

そして3/17。
オーラスには行かなかったけど、僕には∠RECEIVERがいてくれる、と思う。
理想になったつもりで生活するのは難しい。理想になるのは、それを両手でギュッと大事にして、愛して、目をそらさずにいることは、難しい。

でも、これを最後まで読んでくれたあなたになら、たぶん頼んでいいと思う。
長生きするとは言えない。死なないだけで、生きたいとは思っていない。
僕は自分が嫌いだし、自己肯定感もクソもない。でも、自分の核が、∠RECEIVERによって構成されていることは、誇りに思っていいと思っている。
「この目よ虚構を射よ この耳よ意思を聞け 迷いを打ち消すのは綿密に練り上げられた∠自信」
この言葉に恥じないような、極上のランディングをいつか決めるから、その目撃者になってくれますか?

 

ダイアリー 19/02/11 僕が冬の池袋で好きな人に会って話すとこんなことを書くぜ パート2

早く人間になりたい、と、よく言っていたし今でもふざけて言う。早く人間になりたい。
それは、僕の身の回りには「人間になった」とか、「超えて天使のような存在になった」人がいるからなのだな、と思う。
自分の思春期に後悔はない。
1つのバンドを追いかけて日本中を周り、好きなものを通じた友達がたくさんできて、大学の部活も楽しかった(闇も深かったけど)。それなりに恋愛もしたし、海外にも行った。
だからこそ、自分の得意不得意であるとか、学力やコミュ力、人脈みたいなものを精査して、自己分析できたんだと思う。いうなれば「自分の中で完結する問い」と、「社会に向けて問いかけ続けること」「人とのつながりを大事にすること」みたいなことだ。

本当に後悔はないけれど、いま20代後半になって、容姿も所作も洗練されて美しい人に会うと、あっ、僕とは違う青春を過ごした人なのだな、とぼんやり思う。
育ちの良さ、品の良さ、立ち振る舞い、鏡に向き合って自分を分析したからこそ生まれる美しさ。そういう「対外的に評価される美しさ」を、僕はまだ獲得していない。賢さで評価されることこそあれど、美しさではない。

そういう意味で、早く人間になりたいなあ、と思う。だってどんなにかわいい服を着ていても、着てるのが僕じゃかわいそうなんだもん。
最近、意図的に鏡をたくさん見るようにしている。そうすると、あ、あ、って、自分の容姿で、まだアップグレードできるところ、本当に山ほどあるなあ、と思う。
きれいになったら、人生変わるから。
なら僕はこの人生を変えたい、と思う。
特別に好きな人からもらったシルバーのシャドウがかっこよくて、これで仕事に行ったら強いかもなあ、と思った。

早く人間になりたい、なんて話はたくさんある。本当はもう死んでるつもりだったけど、紆余曲折あって、死なない方向になったので。生きよう、と強く思えもしないし、死にたいと口に出さなくなっただけだけれど。だから、まだ生きるとして、人間にならないと。人間として、同時に社会人として、そして僕の理想として、その3つの軸を常に回転させていたい。
学生のときは本当に不思議だった。なんで大人はみんなニュースに興味がなくて、悪口と天気の話しかしないんだろうって。
でも、(なりたくなかった)大人になってわかった。フルタイムで働いて社会人してたら、それだけで毎日疲れる。そこからさらに、自分の価値観をアップデートしたり、ニュースを取り込んで考えて…って、ほんとうに疲れる。それが仕事でもない限り。
疲れるけど、疲れるを理由に諦めたくない、と、最近ひしひし思う。価値観を常にアップデートして、必要なら価値観を増やして、ニュースを取り込んで考えて、自分の頭で考えて発信することを、諦めたくない。

ざっくり言うと僕はいま実家で、めちゃくちゃ甘やかされて生きているから、今年はとにかく「人間になる」と同時に「社会人になる」を両立させる一年にしようと思う。

人間になる……たとえば、朝起きて、顔を洗って食事して、夜はお風呂に入って体をほぐして、夜のうちに寝る、とか。
ちゃんとご飯を食べるとか。
家事を人任せにしないで、できるところだけでも参加するとか、ほんとにそういう「当たり前」だけど難しいところに、今年は力を尽くしたい。いま、できてないもん。ぶっ倒れて気づいたら昼だもん。

同時に、社会人にもいい加減、いい加減ならないとなあ、と思っていて。
毎日眉毛くらいメイクして、5分前には出勤して、締め切りちゃんと守って。
電車の中で過呼吸になったりパニックになったり、そういう「生きづらさ」をすこしずつリムーブして、毎朝一定の時間に出勤する。
体調とかメンタルとかを言い訳に逃げてたことと、ついに今年は向き合おうと思うのです。

今年は、容姿、人間、社会人、あと貯金、っていう、「対外的に評価される美しさ」のために足掻く歳になりそうです。
というのを、先日ティンカーベルと池袋で話して思い、今日あったきれいな人を見て思いました。

来年か再来年に実現したらいいなあ、と漠然と描いている夢を、どうにか手にするための準備期間でもある。
そんな一年になりそうです。
僕にアップグレードできる箇所があったら、教えてください。同時に、アドバイスしてやんよって人がいたら、お願いします。

 

追記。

日付が変わると27歳になる。まるで落ち着きがない。27?実感もない。でもまぁいいのだ。見た目年齢で生きていくしサルエルを履く。

最近思うのは、理想になったつもりで振る舞うって、難しいってことだ。それは僕に余裕が…精神的にも体力的にもないから。機嫌が悪くて下向いてたって人も運も寄ってこない。すくなくとも人からは、機嫌が良く見えていたい。ひとつひとつを逃げずに見つめたい。地に足をつける、というか、生きづらさを少しずつ軽減していく。結構大変だし、心ならぼきぼき折れてる。でも、諦めたくない。3月から4月は仕事が絶望の繁忙期なんですけど、自分の機嫌を自分で取れるように心掛けたいな、と思います。

いま僕が書いているようなこと、本当なら高校生や大学生でぶつかるようなアイデンティティの模索なのだろうけれど、いいの。いまさらだけど、いい年してって笑われてもいいの。やらないより、いいでしょう。

 

 

ダイアリー19/01/13 〜5億円ほしい

目指していたところから、随分遠いところに来てしまった。

昨日は24時間寝ていた。たぶん疲れたんだと思う。
今朝ようやく起き出して、消えた土曜を確認して、日曜の朝を始めたとき、母が録画したテレビドラマを見ていた。濱田岳さんが主演の「ベトナムの光 〜僕が無償医療を始めた理由」というドラマだった。
とても良いドラマだった。眼科医の少ないベトナムで、自分の身を削っても多くの人に医療を受けさせようとする立派な医者のドラマだった。

昨日、気が狂ったように5枚のブルーレイを予約したばかりだった僕は、そのうち1枚の金額でどれだけのものがベトナムにもたらされたのだろうか、とふと思った。
(もちろん予約を取り消す気はないし、5枚のブルーレイは宝物にするつもりだ)

中学生のとき、壊滅的に数学ができなかった。国語や英語の偏差値は70を超えていたのに、数学は40以下だった。
ふつうの高校無理だろうなあ、とぼんやり思っていたとき、図書館で借りた本やビデオ(当時はまだビデオだった)で、いわゆる世界の貧困や世界情勢というものに興味を持つようになった。
ユニセフ子供白書を初めて取り寄せたのもこのころだったと思う。

ユニセフで働いて世界の子供を助けたい。あと数学やりたくない。そんな動機で、高校は外国語科を受けて進学した。
大学でも国際政治を勉強した。

ユニセフで働く、から、日本にもいる貧困層や、日本にもいるいろいろな境遇の人を助けたいと思って、そのためには広く人に知ってもらいたいと思って、新聞記者になりたかった。
自分自身がマイノリティの側面を持っていたことも大きいと思う。自分がオープンにすることで、取り除ける偏見があると知ったから。

就活は留学前後の二回したけれど、新聞記者はてんでダメだった。ならば、と、別の手段を叶えるべく就職した会社でうつ病になってぶっ倒れた。

2018年を死にぞこなったのは、間違いなくドリフェス!のおかげだと思う。それくらい楽しかった。
でも、貯金も底を尽きた。冗談抜きで。
たぶん奨学金返せたと思う。四年分。
後悔はひとつもない。ただ、ドリフェス!が楽しくて、愛しくて、それだけだった。

2019年、もう動かないドリフェスをぼんやりと眺めながら、空っぽになった預金通帳を眺めながら、どうやって死のうかと考えている。死ぬにも金はかかるのだ。

ユニセフで働きたかった頃の僕が見たら、きっと失望するのだろう。ドラマで濱田岳さんが演じていたような、身を粉にして誰かのために尽くして生きる、それすら自分のエゴであるとわかった上でそう生きる大人になりたかった頃の僕が、今の僕を見たら。

好きなものを愛したい。
好きな人を幸せにしたい。
早く死にたい。
世界のためにできることがしたい。
何をするにもお金はかかる。

さっさと奨学金返して、そのぶんのお金で毎月どこかに寄付をしたいなあ、なんて思いながら、全額変換のめどはまだ立ってない。

したいこと。やりたいこと。あまりにも多すぎる。あまりにも多すぎて、お金も体力もついていかない。
なにかひとつ、やりたいことを諦めればいいのかもしれない。でも、僕は諦めが悪いのだ。ほとんど絶望的に。
諦めるくらいなら、全部やめたい。
自分で手にするんじゃなくて、好きなものの中に溺れていきたい。理想と、好きなものと、あのころ夢みた自分の姿すべてに。優先順位をつけたくない。ぜんぶ、やりたい。

まずは空の口座をなんとかするところからはじめないといけない。ドリフェス!の支払い、まだあるしね。
それから、奨学金をなんとか返したら、新聞記者にはなれなかった自分の悪あがきとして、誰かのためにお金を使いたい。ユニセフで働きたかった自分が成仏するように。

……推しに花を出すのは、日本経済回してるので、いいんですよ。
何もかも諦めたくない。
5億円くらいほしいなあ。

ユニセフ国境なき医師団、フレンズウィズアウトボーダーに毎月寄付しながら、半同棲の一人暮らししながら、オタクとしてありったけの金を使いながら、生きていけたらいいのになあ。いつ死んでもいいように、宵越しの金は持たずに。


なんて、アラサーがいまだに金銭感覚を高校生からアップデートできてない話でした。死にたいな。

 

ダイアリー 18/12/31 〜2018の街を生きた話

大阪に向かうバスの中。
新幹線は指定席じゃないと無理芸人だからバスにしたけど、新幹線にすればよかったかな(背中痛い)。

1年の精神的な総括を書こうとするとどうあがいてもドリフェス!希死念慮に帰結するので、ここでは2018年に見たもの触れたものを。辿れる限り……(ろくな記録残ってない)

1月
今年一番最初の記憶は、当時まだサービス業だったので大晦日をまたぐ5連勤の死んだ顔でドリフェス!にいてんごむっを買いに池袋に行ったことです。このツーショまじで可愛さエグくない?

1月
1/10 ユメノコドウTDC
1/20 ポルノBE鹿児島
*ここで一旦死んだ。熊本組マジラブ。
1/22 転職初日
1/28 シュウカツ試写会3部
*なぜか戸谷さんが突然プリンスして笑った

2月
2/3・4バトルライブ
*死んでも忘れたくない日
2/25 ユメノコドウパシフィコ
*まだ今年の話なのかよ……

3月
3/5 誕生日兼ドリフェス!告知
*忘れられない誕生日すぎるだろ
3/10・17・18ミュージカルウテナ
*推しの足がなげえ 4回入った気がするけど日付わかんない
3/12 ポルノBE大宮
*大爆笑と号泣でわけわからなかった 介護してくれてありがとう
3/18 閉店拒否!
*おたまは可愛い
3/24 朗読劇シスター
*この戸谷さん好きすぎる

4月
何回かドリフェス!スカイツリーコラボ・キャラポ新宿行ってるけど数えてない
4/22・27 劇プレぼっくる
*株元さん好きすぎてヒョエ〜だった
月末ド派手に風邪を引いてポルノとぼっくる行けなくなって悔しかったけど、奇妙なデトックスだった

5月
てっぺんさんとAoyagiさんのドリフェス!コラボにもお邪魔してるけど数えてない…。ドリフェス!グラッテコラボは一回な気がする。
このへんから鬱が軽めに悪化し始めてた

5/2 アミュフェス *圧倒的ホーム感

5/25 indigo tomato
*終演後に近場のモスカフェで震えて人の手を握るオタク
5/26 シーパラアイフェス
*推しを自引きするオタクをもれなく発揮 レモンサワー飲み過ぎ
5/31 メトロパニックGAME
*初の外部株さん最高すぎた。買ったブロマイドの枚数数えたくねえ。

6月
ドリフェス!ナンジャのコラボがあったんだけど何回行ったか覚えてない。とりあえず池袋行きすぎて回数券買った。

6/1・3 GAME
6/3・5・8・10うつろのまこと
*3日はうつろからGAMEはしごという幸せな日でした
後半はまじで週に複数回ナンジャで食事してた。狂ってたな

7月
引き続きナンジャとプリンセスカフェコラボにも通った。池袋に行きすぎ。

7/7 ウォーターバイザスプーンフル
紀伊国屋シアター すごく良い劇だった
7/14 コブクロさんツアーたまアリ
*初のコブクロさんめっちゃ楽しかった!また行きたい!
7/15 ドリフェス!DMMシアター→藤原さくらちゃん野音
*DMMたのしかったな〜!野音も楽しかった さくらちゃん好き
7/29 男子はつらくないよ?
*推しの殺陣に課金

8月
鬱病悪化酷くてこの辺からちょっと参ってた。今考えたら笑うな…

8/3 レインマン@新国立劇場→男子はつらくないよ?
8/4・11・12 劇プレデデデイ
*メインどころ同じキャストで再演してくれ頼む。株さん最高すぎた。
8/9 ミュージカル・ゴースト
8/28 なんの映画見たんだっけ
8/30 シスター猪塚さん

9月
もう完全に職場でダメになってた。今に至る。今ならまだ適応性障害みたいなもので済む、ってよく考えたら意味わかんねえな。
ドリフェス!アニメイトカフェ初日から狂ってたしキャラポの新商品並んだし、グラフアートの新商品も初日に行った。

9/8・9 しまなみロマンスポルノ
*こんなに忘れられない遠征もなかなかないと思う。前日から岡山泊まって雨で笑
9/15 キャラポ朝から並んだ。ふね揃った。
9/23 浦和レッズvsヴィッセル神戸
*おいイニエスタ出ねーじゃねーか。けど数年ぶりのスタジアムはやっぱりホームだったから2019年はもっと埼スタに通うよ。
9/27 時間休使ってアニカフェ初日。交換フィーバーすごかった。

10月
なにやってたのかもはやわかんない。毎日パニック発作起こしてた気がする。ドリフェス!、仕事、ドリフェス!、仕事、ドリフェス!……ほんと狂ってたと思う
アニカフェ、キャラポ、上井草コラボ、行きすぎてわけわかんないから省略。そのくらい行ったということで。

10/20・21 ドリフェス!ファイナルステージ日本武道館
日本武道館は、この日、僕の聖地になった。このあと1週間くらい記憶飛んでる。何回か死のうとして失敗してる。
10/28 シュウカツ試写会
*みんな可愛い。

11月
11/14 ハリポタカフェ→映画venom
*ヴェノムめちゃ面白かった。11/18・19・22・25 はたらく細胞
*推しのブロマイド買いすぎた事件

12月

12/1 AAA
*毎年恒例だけどなんか別のイベントみたいだったな
12/9 イキザマ3
*そーまさまのセンター感はすごい
12/13・18 劇プレおわまり
*虚無
12/25 太田くんカレイベ・チェキ
*まじで神対応だった
12/31 ポルノUNFADEDカウントダウンライブ
*今から行く

総括、好きなものを好きということの証明のために生きたような年だった。頑張らなくても好きと言っていいのはわかってるけど、ファンが頑張らないといけない、愛を示すための行動と課金をしないといけないと必死になってた。それが良いとか悪いとかは今はわからないけれど。KUROFUNEのために一喜一憂して、体調崩して、なんかもうわけわかんなかったな。貯金も無くなって。ほんとうにドリフェス!に、KUROFUNEに捧げた一年だったなと思う。それをいまは清々しく思う。好きになれてよかった。

これからも好きになった人のことを好きでいられますように。好きでいるために自分が義務感に駆られることなく、ほどよく愛せますように。

好きな服を着て、好きな音楽を聴いて、好きな街を歩いて好きな場所に行って好きなものを見て好きな人に会う。好きなものを心に抱きながら、Whole New Worldと∠RECEIVERに恥ずかしくない2019年にしたいと思う。人から見てどうか、に相変わらずこだわって恐れてしまうけれど、うるせえ!僕の好きにさせろ!って気持ちを失わずにいたい。

できれば2019のうちに死にたいけどうまくいくかな。わかんない。先のことはよくわからないけど。この瞬間瞬間に、後悔を置いてこないように、過ごしたいと思う限りです。

 

 

ダイアリー 2018/12/19

こんなものを書き始めたくらいだから、べつにそんなに忙しくはない。
暇でもない。毎日仕事はあるし、だいたい水曜と金曜に設定される何かの締め切りとにらめっこしている。だいたい事務職なんて向いてないよなと思う。やらなくてすむならやりたくはないけれど、働かざる者食うべからずだし、働かざる者ライブと舞台に行けずである。それは困る。
毎朝満員電車に乗ったり降りたり、過呼吸になったりしながらどうにか出勤し、書類を出し、向いてねえなと嘆きながらやんややんやとと仕事をして、だいたい1時間か2時間くらいの残業で帰る。電車が混み始める前に、と心がけると、必然的に同僚よりも職場の滞在時間が短く、何を思われているのかは知らない。知ったことでもない。
おとといくらいから妙に手が汗ばんでむくんでいる。スマホがうまく反応しないのは不便だ。そういえば先週くらいから指先に発疹みたいなのものができている。年内に皮膚科に行く余裕はもうなさそうだ。

やらなければいけないこと、やりたいこと、人と約束している時間、支払いの締め切り、仕事の書類、あしたまでに買わないといけないもの。そういうものをリスト化して見える状態にすると比較的スムーズにいろんなことを終えられるだとか、頭の中に「あーそのうちやらなきゃ」という小さなタスクを積み重ねることが脳と精神の負荷になるだとか、そんなことはわかっていて、わかっているのだけれど、行動に移す余力がない。というか、踏み込むのが面倒だ。動き始めてしまえば5秒で終わることなのに、動き始めるのに5日間かかる。5分ではない。5日間だ。本当にそういう人種なので、きっちりしっかりとした大人からはだいたい嫌われる。
自分が嫌われる話のネタは尽きないけれど、たとえば嫌われる大原則である、自分が空気が読めないとか人との距離が近いだとかというのを、いまの職場に異動してきて感じている。いままではそれを許容してくれる人に恵まれていたのだなあ、あるいはそれを許せない人はみんな離れていったのだろうと思う。でも離れたり逃げたりできないのが職場で、やれ、人間関係なんてだいたい面倒だ。

たぶんいま、微熱があって、だからこんなものを、帰りの電車で書きなぐっている。頭痛がするのは気圧のせいではない気がする。
とっちらかった頭の中から、ゴミだけでも掃き出さないと、整頓にこぎつけない。

今年を振り返ろうと思って、ことし最初のイベントは…と思い出したのが、僕の青春たるドリフェス!の風間圭吾バースデーティーパーティだった。そう考えたら今年は本当に長かったなあ、濃かったなあ、とひとつずつ思い出しながら、あのバースデーパーティーが去年、2017年の3月だと気づいた。ドリフェス!を追いかけていた2年間が、僕にとっては人生という名の分厚い本における、大きな「章」になったのだろう。だから、去年とか今年とか、あんまりよくわからない。今月のあたま、2018年12月2日に好きな人と会って、何年振りでしたっけ、と言われたとき、僕はぽかんとした。半年振りくらいの気持ちだった。ポルノのBEツアーが今年だったことは記憶している、そのあと、ということはまだ転職して一年経っていない。うわあ。それであんな大きいところで負担のでかい仕事させられてるのかよ。すごいな、と自分で言わないとやっていられない。仕事内容や環境はまだしも、人間関係が重たいのはいつだってストレスだ。今年の8月からやたらに(ピーク時期ほどではないけど)増えた抗うつ剤抗不安薬を、一気に飲める自分に思う。たとえば錠剤を飲み込むことが苦手だったら、僕はもっとひどい人生を送っていたかもしれない。どんなことでも自分へ向けるナイフに変えて、自分が立っている場所を自分にとっての地獄に変えることだけやたらうまい僕のことだ。なんと嬉しくない能力か。
友人たちはみな優しい。頑張ってる、えらいよと伝えてくれる。味方になってくれる。ありがたいと心から思う。同時に、職場の人からは認められていない事実がいまは重い。まぁ、ちょっと変わった職場なので、認めるも何も……という側面はあるのだけれど。

相変わらず死にぞこなっている。死にぞこなうと生きるしかないのは、人生がクソゲーたるゆえんだろうと思う。僕は死にたいのだ。現に、死ぬための行動を起こしたのだ。なのになぜ電車で立ち尽くしながら次の乗換駅のことを考えなければならないのだ。勘弁してほしい。生と死のあいだの中間を設けてほしい。そうして上手に死ねるようにしてほしい。
死にぞこなっているというのは別に比喩ではなくて本当だ。3回ミスしていいかげん駅での飛び込み自殺は失敗すると覚えたいところだけれど、朝、出勤しようとぼんやりホームに立っているときに、衝動的にやってくるあの発作のようなものを、コントロールできない。
…どうもピスタチオには心惹かれない(いま、スターバックスの横を通りすぎた。よく考えたら歩きスマホだ)。
ピスタチオには心惹かれないけれど、自分がこの世からいなくなること、明日からこの現実に立つ必要がなくなることには、どうしようもなく心惹かれる。心惹かれる、というか、できるだけ早くそこに到達しなければならないと思う。義務だ。ポルノグラフィティのようにもともと好きなもの、ドリフェス!KUROFUNEのようにここ最近好きになったもの、そういうものを長く愛して1秒でも長く見ていたいと願う気持ちも本物だけれど、それを上回って余りあるほどの自殺願望と、僕の根底を貫く希死念慮が、いつだって僕の隣で穏やかに微笑んでいる。あしたがこない、それに敵う魅力を僕は知らない。
ここ2年は、僕にとってKUROFUNEが、死の魅力に限りなく近いほど僕を狂わせてくれていたから、死にぞこなってしまったんだなあと思う。…ドリフェスの話はまたにしよう。ドリフェスのために転職した話も、回数券買った話も。

先日、両親が2人で話しているとき、父が母に「あいつ(僕である)、もうすぐ30歳だよなあ」と言ったと母から聞いた。そのくせいまだに親のスネをかじっているという文脈だったのか、大きくなったという文脈だったのかは知らない。もしこれが賭けだとしたら僕は前者に賭ける。父の理想だった上品な箱入り娘と、そんな最愛の娘が連れてくる憎き義理の息子なんて話からは程遠い。近づくことがあるのか疑わしい。

30歳になったら死ぬ。いつからだかもう覚えていないくらい、ずっとそう言っていた。僕には僕なりの理由とロマンがあって、それがどれだけ愚かで青臭くても、僕は30歳2日目を迎えることはないと思っていた。確信していた。そしてそれを回避する唯一の方法は、もろもろあってなくなった。30歳で死ぬ必要がなくなった。ひとつの青春の成仏だ。
30歳になったら死ぬ、というのは、30歳までは死なない、ということの裏返しでもあったのだけれど、それがなくなったいま、さて、いつ死のうかと思う。そのくせ死にぞこなってばかりいる。ついに使わないままダメにした、首吊り用に買ったロープの値段が思い出せない。あれを捨てたのは先月だった。部屋に好きな人が来たとき、布団を敷くのに邪魔だった。新しいものを買うのも、面倒だ。前向きに生きる、という選択肢を、うまく選べない。嘘でも前に、という魔法の言葉は、毎朝起きるだけで使い果たしてしまう。

手放すことに強烈に憧れながら、集めることばかりしている。推しのブロマイドもCDも、同じものをバカみたいに持っている。実際にバカなのだ。さっきも同じ柄のアクリルスタンドのために入金をした。集めているというより、僕は僕のための海を作りたいのだと思う。部屋に推しのポスターやらうちわやらを飾っているのも、そうなのだろう。すきなものに飛び込んでそこで溺れたい。幸か不幸か僕は魚だから、うまく泳ぎ回れてしまうけれど、そこで溺死できたらいいのに。

おやすみと言って、そのまま目が覚めないことに憧れてそんなことばかり夢みている。次の誕生日で27歳になるなんて実感がない。僕の体内時計は僕が24歳の時点で止まっている。でも、もうすぐ30にもなるのに、そんな夢をみる愚かさがわからないような、ティーンエイジャーでもない。
いなくなったら悲しんでくれる人がいることもわかるし、死んだら金がかかることもわかっている。自分にそれをまかなうだけの財産がないこともわかる。どうしろっていうんだろう。
何が満たされたら死ぬ気がなくなるのかさえわからないし、そんなものはたぶんないのだと思う。

生まれ落ちた罪、生き残る罰。すきな歌詞だ。だからはやくこの世からふっと消えることを許してほしい。
教えてもらったオランジェットのチョコレート、買って帰ろう。家に着いたら、僕という自分はいなくなって、職場の愚痴を言わない、よく笑う娘に戻る。戻る、あるいは化ける、だろうか。
本物の僕なんてどこにもいないけど。
支離滅裂なことを言っているのも、エゴイスティックきわまりないことも、僕が最低な人間だということも、生きる価値がない人間であることも、わかっていて、こういうことを書くと誰かがそんなことないと言ってくれるのもわかっていて、それでもなお思う。僕はただ、これ以上もう、なにもしたくないだけなのに。そんなことばかり考えている。これはPMSでも鬱の悪化でもなく、シンプルに、僕の思考のベースなのだと思う。ベースの上に立つものが、日によって美しく見えるだけで。嘘でも前にの魔法を、日中にも使える魔法がかかるだけで。