人生のスタンプラリー

人生のスタンプラリー認定協会埼玉支部

ラストデイオブ24

 

去年の誕生日に、もう二度と23歳には戻りたくないと書いたけれど、24歳はどうだったかなと思うと、まぁ悪くなかったよな、と思う。いいことばっかりでも当然なかったけれど。
23歳でうつ病で倒れてなんかいろいろあって。24歳は治療と社会復帰と自己革命の年だった。働かせてもらえるようになったり、電車に乗れることが増えてきたり。パニックを起こすことはまだあるし、フラッシュバックもまだあるんだけど、それを自力で(薬は飲むけど)なんとか超えられるようになった。

自分の中で自分に革命(みたいなこと)が起きたのが24歳になってから(http://bookmarker35.hatenablog.com/entry/2016/09/05/173504)、なんなら昨夏の話だというのが逆に飲み込めないくらい、自分の中ではきちんとそれがインプットされて処理されて、向かうべきところに向かえているという実感があるから、合格なのかなあ。
ていうかそうか、THE DAYに出会ったのが24歳になってからなのか。もっとずっと一緒にいるような気がするけれども。

ほんとうに小さいことだと思う。
同世代の人と比べたら、たぶんできないこと、できていないことのほうが圧倒的に多いのだと思う。まずフルタイムで働けてないところからはじまり、月にいくら心療内科の医療費につぎ込んでるんだって話になっていくから。
でも、僕がこの1年で(もしかしたら昨夏以降に)できるようになったほんの小さなこと、その集まりのつぶつぶ(安い金平糖みたいなのをイメージしてほしい)も、たくさんある。
フルタイムじゃないけど働けるようになった。
自分の特性がわかったから、どうしたら相手とうまくコミュニケーションできるか考えられるようになった。
嫌いな魚が減った。
勉強する時間を作るようになった。
運動する時間も作るようになった。
コンスタントに自分と向き合う時間を作れるようになった。
自分が理想に追いついていなくても、自分を殺さずに済むようになった。
自分が理想に追いついていなくても、ならこうやってみよう、って思えるようになった。
自分で少しずつ認めてあげられるようになった。自分をね。
たぶんこんなことは思春期に習得すべきことなのだろうけれど、僕は紆余曲折あってやっと今それを手にした。
なんでそれを今手にできたのかって考えたら、全然自分の力じゃない。いろんな人の愛情のおかげだってことにやっぱ気づくわけで。
とにかく感謝だなと。
もうほんとうに、あらゆるすべてに。
この一年僕を好きでいてくれた人(僕を好きな人がいると思えるようになったことも自分では進歩だと思う)、遊んでくれた人、構ってくれた人、心配してくれた人、声かけてくれた人。なにか贈り物をくれたり、遊びに連れ出してくれたり、アミューズ沼に連れ込まれたり笑、いろんな人に。いろんな人によってもたらされた出会いの全てに感謝。
残念ながら手放したものもあるし、人もいるけれど、そういう人たちにも今となっては感謝している。その選択は正しかったと思うし、だからこそあのときまで本当にありがとう、どうか幸せになってねと心底思えている。
好きな人に好きと言える人生のしあわせよ。

だからお誕生日おめでとうしてもらうというよりも、お誕生日ありがとうな日です。
早死にすると公言してはばからないしそれを撤回する気もないから、だからこそ、誕生日にくらいは照れずに(普段からあんま照れてないけど)いろんな人に感謝したいなと思うよ。
みんないつもありがとう。


元旦にひっそり立てた「3月終わるまでの目標」とひとりでにらめっこしながら、明日はもっといい日になる、明日はもっとかっこいい自分になると思えるようになったことへ感謝しつつ。

今年もみんなたくさん遊んでね。

 

 

チェケラ

ツイッターでつぶやいたけど忘れないようにまとめ直した話。褒めてほしい話と幸せについて考えて見ている話。

ものすごく褒めてほしいので自己申告します。
先日久しぶりに派手なフラッシュバックくらってパニック発作で動けなくて5ヶ月目にしてはじめて仕事休んだんです。その直後はものすごい凹んだんですけど、でも逆に考えたら抗うつ剤飲みながらでも4ヶ月間無遅刻無欠勤で働いてるってすごくないですか?
さらに褒めてほしいので追加で自己申告すると、パニック発作出た日にかなり強めのやばいときにだけキメる頓服の精神安定剤とその日の夜寝るために睡眠薬キメたんですけど、その精神安定剤睡眠薬も3ヶ月ぶりだったんですよ飲んだの。
すごくないですか?
いやこれマジ僕的にはめちゃくちゃ快挙なんですよ。2015年にうつ病になってパニック症になって倒れて仕事辞めざるを得なくなって、2016年にはASDのIQおかしいマンだのなんだの、わけわかんねえ、密度の高い一年ちょいを過ごしてきたわりには、ここ5カ月仕事も減薬も生活もめちゃくちゃ頑張ってると思う。だって本当に薬減ったんだよ!頓服も使わなくなってきたしさ。
僕やればできる子。
いやまじほんと生きてるだけで僕めちゃくちゃ偉いと思う。だって死んでないもん。早死にするけどまだ生きてるもん。薬なくなりはしないけど減ってるし。医療費は高いけどドリフェス!するくらいのお小遣いはなんとかなるし。
あの日、通勤中に倒れた日に比べたらめちゃくちゃ前進してる。偉い。ちょっとずつだけど、確実に一歩一歩を踏み出してるって自分で思える。僕偉い。

いちばん褒めてほしいのは!
自分が仕事休んだことややめられていた薬をまた飲んだことで自分を責めたり苛立ったりしてうつ病サイクルに入らずに、4ヶ月頑張ったことや、今生きてる自分を認められるようになったこと。前までの僕なら確実にここで落ち込んでたから。でも今は素直に明日の仕事たのしみって思うもん。不安がないわけじゃないししんどいけれど。でも楽しみだし働かせてもらえるのありがたいもん。
そう思えるようになったことが嬉しいなって。
すごいよね。人間のメンタリティや思考の回路って変えられるんだぜ。

ほんと各方面に頭上がらねえや。
ずーっと励ましてくれた人も、前の仕事辞める決意させてくれた人も、前のお店雇ってくれた人も、前のお店遊びに来てくれた人も、結局倒れそうになって辞退してしまったけれど応援してくれたお店の人も、今の仕事受かったの一緒に喜んでくれた人も、それからこの期間に一度でも僕と話したり遊んだりしてくれた人、心配してくれた人、褒めて応援してくれた人、ほんとみんなに感謝しかないし、なんとか恩返ししたい。

あほのこの言うことなのであほだなと思ってほしいんですけど、最近僕「幸せについて本気出して考えてみたら意外になくはないんだと気がつ」くことがすごく上手くなったんですよ。むしろなんでいままでこんなにラッキーなこと、ハッピーなことを当たり前って思っていたんだろう?ってなるくらい。
今日、中学のときの友達の結婚のお祝いで食事に行ったんだけれど、僕には幼稚園のときから小学校、中学、高校、大学ってそれぞれめちゃくちゃ大事な友だちがいて、その子たちがみんなそれぞれ何かあるとそのたびに声をかけてくれて、定期的に顔を見られるんです。
それってめっちゃありがたいし、当たり前かと思いきやまったくもって当たり前じゃないじゃないですか。人間関係なんて自然消滅させるの簡単なのに、連絡をくれる人がいるなんて。
ご飯は美味しいしさあ、趣味の話で盛り上がれる友達もたくさんいるしさあ、顔面偏差値85に謁見できるしさあ、多少混んでても電車に乗れるしさあ、薬飲まなくても眠れるしさあ、共通の趣味がなくても大好きな地元の友達いるしさあ、身体はバリバリ健康だしさあ、何もかもめっちゃありがたいなって。
まだまだほんとに越えるべきものとか戦うべきものとか立ち向かうべき自分自身とかいるんだけど、それでも確実に前に進めている自分をまずは褒めたいなって思います。
僕と仲良くしてくれる全ての人にたくさんいいことがありますように!いつもありがとうって言って回らないといけないなあって思います。

3月はいろいろある予感がしています。誕生日もくるし、いろんな決着がたぶんつきます。楽しく生きていきましょう。
ねむい。あした仕事たのしみ。おやすみ。

 

 

2017年になりますねって話

 

2016は、たくさんの人からたくさんの気持ちをもらって生きてこられたから、2017は僕がたくさんの人に気持ちを届けたい。そういう年にしたい。

大きい目標を言うと僕は∠RECEIVERとして海になりたい。
海だからさ、誰かの心のロックを解除して懐に入って行って…っていうタイプではないんだよね。相手をハダカにするんじゃなくて、僕がオープンに。ネイキッドに。実直に。そうやって生きたい。そのオープンさを見たり触れたりした誰かが、ああ、しおりにならこの話はできるかもなとか、ああやってオープンにして生きてもいいんだなって安心してくれるような存在になりたい。
つかれたりとか、しんどかったりとかしたら、自然を求めることあるでしょ?山でも海でもいいんだけど。僕の場合は海で、気持ちがつらいと海に行きたくなる。嬉しいときも行くけどね。なにかを叫びたいとき、愚痴を黙々と言いたいとき、ハッピーなとき、どんなときでも誰かの選択肢に「海」があればいいと思うし、そういう人になるために2017も精進します。受け入れる人、受け入れてほしいと思われる人になる。それが僕の思う∠RECEIVERだから。
海だからね、なんでも受け入れられるようになりたいと思うから、勉強もやめない。偏見や無知で海から誰かを追い出すわけにはいかないから。うつろな顔して珊瑚礁傷つける連中は別としてね。
この目で虚構を射て、この耳で意思を聞いて、この手で学んでいく。
頼るのは世間の常識とか正誤善悪じゃない、自分の審美眼。だから自分の審美眼を磨く。
オープンで、ネイキッドなマインドで。

あとウォーキングディクショナリーにもなりたい。僕が誰かの役に立てるのってやっぱり知恵関連というか、言語関連しかないから。だからそういう意味でも勉強はやめない。

でも、それはあくまで大きな目標であって。現在の僕はあくまで海に泳ぐお魚さんだから…なんならちっちゃいお魚さんだから。まだまだ目標は遠いんだよな。

なら、その目標をもっと手元に近づけるためにどうする?って考えよう。どうする?突然特大ジャンプはできないから、ステップを踏むしかない。
というわけで、2017年目標、それから1〜3月までのこまかな目標を考えてみた。

1.生きる
死なない。

2.年末までに週5で働けるようになる
もーーいい加減収入を安定させたいよね。

3.心療内科に通わずに済むようになる
これすなわち必然的に収入の安定に繋がりますね

4.外に見える部分のクオリティを上げる
これとくに1〜3月で重点的にやります。

5.本を読む、映画を見る、美術館に行く
要は「学びをやめない」こと。本は月に3冊以上、映画は毎月DVD新作問わず1本以上、美術館とか芝居の類は2ヶ月に1回は触れていきたいっすね。

6.英語力のキープ
上に同じく。語学は努力なくしてキープできるものではない。TOEICのスコアを落とさないという生々しい目標…。

7.アミューズに貢ぐ
ポルノは当然として、猪塚健太の出る舞台は全種類行って、劇プレも全種類行って、BBQ・AAA・ハンサムを制覇して、あと星野源flumpool・高橋優の誰かのライブデビューをキメたい。

8.なにかしらの資格を取る
いくつか取りたい資格があるので、考えつつ。1年あったら何か取れるかなと。ちなみにTOEICは資格じゃないカウント。

9.∠RECEIVERたる自覚とメンタルを叩き込む
これは自分が毎日自分におまじないをかけていくことが必要だと思ってる。自分で∠RECEIVERとはなんたるかもう言葉にできるから、洗脳するまで。

10.好きな人に好きと言う
せやな。


で、2017最初の3ヶ月は外に見える部分について本気出したいなと。
僕はいつもメンタルで身体や動きを引っ張ってきたから、メンタルが崩れると体もバキバキになるし、体がメンタルに追いつけなくてやられたりする。
「何かを始めるならまずは形から」ってことで服を揃えたりする人がいるけど、僕もそれをやってみようかなと。
まぁ痩せたいというのと笑、あと健康になりたい(飲む薬減らしたい)、それから喋り方や立ち振る舞い、声のトーンとか。そういう部分から、自分のメンタリティたる中性∠RECEIVERを作っていきたいなと。
痩せたいし、話す時の声のトーンを少し今より低めにしたい。あと猫背になるのではなくて、姿勢を正す。背は高く見えるほうが中性的だからね。意識的に上を向いて、意識的に口角を上げる。そういうことを心がけているうちに、こんどはメンタルが身体についてくるようになるんじゃないかなと期待しているので、それを試してみます。あと体力がすーーごい落ちてるので、体力つけたい。

個人的に、最近、ずっと抱えていたもの、自分のエンジンになっていたものを、ふとしたタイミングで解決したんだよね。解決してしまったというか。だから次の自分のエンジンをどうしたらいいかよくわかっていなくて。何のために、誰のために、どんなことをするべきか。最終的な答えは全て「自分のために、大切な人のために、そして未来のために」となるべきなのだけれど、そんなスムーズにメンタルの移行ができていなくて。
もうひとつ、3月に自分にとって大きなものを1つ手放すことが決まっているので、そこをひとつのリミットみたいに設けて、3ヶ月くらいゆっくり自分と向き合っていく、自分のメンテナンスをしっかりしていきたいなと。
いかんせん今年の9月に高速で容量ガツガツな詰め込みアップデートがされたので、まだ本体が追いついてないんだと思う笑
メンタルは平気で元気でも、身体にガタがきちゃって、メンタルも引きずられる。いい循環じゃないから、それをすこしでも矯正できるように。

なので、誰か3月になったら「自分メンテどうなった?」って聞いてください。笑
そしたらそのときの結果で、また4月からどう生きるか、何を目指すのか考えてみようと思います。
そんなかんじで。
今から年越し夜行バス!

 

追加。

2017の僕のテーマソングは

「ARRIVAL -KUROFUNE sail Away-」です!!!!!

https://youtu.be/ifJgBfy51wM

‪「夢だけじゃ物足りないんじゃないの?」「傷ついても欲しいモノ求める強さを見せてみなよ 望むだけじゃ手に入らないなら叫べばいいだけ」「衝動を行動に変えていけ 幻想も現実に変えて… 塗り潰せ Paint it BLACK!!」‬

 

ってなかんじです。(ゆるい)

 

2016の街を生きたよ

 

2016が終わりますね!!!びっくりだね!!


なんか2016があっという間だったなという気持ちもあるけれど、僕の中では8月から9月にかけてが本当に怒涛で。その辺はもう何度も書いてるからもう一度の言及はしないけれども。ただ、THE WAYのライブで確実に僕は1つ必要なアップグレードを済ませていま生きていられている、それがとても幸せです。

それ以外で2016について書くとしたら、もう、なにもかも感謝しかない。いろんな人が、僕にたくさんの友情や愛情や気遣いをくれて、大切にしてくれて、だからこの1年なんとか生き延びたと思います。冗談抜きで死にそうな時期とかあったのだけど(エンディングノート書いた)、その時期に僕を救ってくれた人がいたりとかね。仕事を正式に辞めたのが今年の出来事だって実感もすごく薄いんだけど…なんかもうだいぶ前のことみたいで…、でもその仕事を辞める背中を押してくれた人がいたり、わざわざ会いにきてくれる人がいたり、大丈夫だよって安心させてくれる人がいたり、見ず知らずの自分に絶対的な信頼を抱いて愛情を注いでくれた人がいたり、働かなきゃと焦る僕に声をかけてくれた赤髪がいたり笑、キンキーブーツを見てほしいのって本気で勧めてくれる人がいたり(今年あの舞台を見られて本当に良かった)、バイト始めたらすぐにお店に駆けつけてくれた友達もたくさんいて、みんな口々に心配してたんだよとか、大丈夫なのかとか聞いてくれて、そうやっていろんな人たちが、ほんのすこしずつ、僕のことを祈ったり考えたりしてくれたおかげで今があるんだなと、本気で思う。夏は怒涛で、手放したものが本当に多くあったけれど、そのときに絶対的に「しおりなら大丈夫」と手を握ってくれた人がいて、その人たちのおかげで僕は今の幸福を生きていられるし、自分が変わりたい、成長したい、大泣きしながら本心を、みっともない姿を晒してもそれを抱きしめてくれる人がいてくれるから、僕は前を向いていられるし。前に進み続けることができる。
友だちだけじゃなくて、今の職場もそう。面倒見てもらってる。ほんとに無力でキャリアもないから何も返せないけど、でも、返せるようになりたい、なってやるんだって気持ちだけは絶対に失いたくない。
与えてもらってばかりで、愛されたり心配されたり励まされたりしてばかりで、僕が返せるものって何もなくて。自分が与える側ならお返しなんかいらないし、これがモノのプレゼントならお返ししないこともあるんだけど笑、気持ちってそうじゃないから。いま僕を愛してくれた全ての人、優しくしてくれた全ての人が、なにかのきっかけで悲しい想いや辛い思いをしたときに、パーっと遊んで流すためでもいいし愚痴を垂れ流すためでもいい、どんな選択肢としてでもいいから僕がチョイスされる日がきたらそれはとても嬉しいし、そのために僕はこれからもずーっと前を向いていないといけないと思う。
前を向くっていうのは、精神的な意味はもちろんなのだけど、物理的にも。下を向いて口角を下げていると、勝手に気持ちごと落ちるから。上を向いて。前を向いて。口角上げて。そうすればあとは勝手についてくる。
今年もらったすべての愛情や優しさや気遣いを、いつか僕が返せるように。そしていろんな人の気持ちで生かされている僕だから、そんな僕の気持ちが誰かを救うように。
「あなたの打ち明け話の相手になりたい」
と僕はよく言うけれど、その通りで。でも君の心の扉をスッとうまく開けて懐に入るタイプじゃない。僕はただ自分について限りなくオープンでネイキッドで、自分というものをなにものからも解放していたい。そのオープンさを見たり触れたりした人が「あの人なら何話してもまぁ平気だろう」って思ってくれるようになれたらいいと思う。だいたいどんな話聞いても大丈夫だよ、実際…笑

さっきまでなんとなく落ち込んでいたのだけれど、文章書いたら途端に元気になってきたぞ!ありがとう2016年。今年も僕を好きでいてくれた全ての人へ、そして僕が好きなすべての人へ、みんなの幸せを願い、そしてその力に僕がなれるように精進します。どうか2017もよろしくお願いします。


あとで2017のことはまた書くね。

 

 

ダイアリー16/12/20 僕はペテン師にはならない

 

ちょっと気持ち悪くてナルシスティックな自分語りするのでUターンするならいまですよ。

 

いまACのCMで流れている、「日本財団子供プロジェクト」のCMを見るたびにどうしようもなく気持ちが揺れる。

思い返せば諸悪の根源は新藤晴一で、ポルノグラフィティで、カルマの坂だった。

『人は皆 平等などと どこのペテン師の台詞だか知らないけど』

小学校の授業で見たどんな「日本は恵まれています」「アフリカにはご飯を食べられない子もいるのだからきちんと食べましょう」みたいなビデオや本よりもずっと痛切に僕の胸にあの歌詞が響いた日のことを、まだ覚えている。中学生のときのことだ。

それから、中学生のあいだはユニセフで働きたいなどと言っていた。カルマの坂の少年に力を、少女に思想を与える人になりたいと。どこか遠い恵まれた国で(当時の僕は世界地図すらよくわかっていなかったのだけれど)、そういう子供たちを助けるために生きていきたいと。ユニセフの子供白書毎年取り寄せて読んでた。辞書引きながらでも読めないところあったけど。

だから高校も英語をガッツリ勉強できる学科に入った。それから、ユニセフだとかNGONPOのことを自力で調べて、こういうのって寄付がないと結構成り立たないんだなと知った。ならその寄付ってどうやって集めるのか?まさか宝くじを買うわけじゃない。「伝える力」だ。現地のことを知って、初めて寄付をしてくれる人がいる。高校生のころは、放送部でも恋愛でも「つたえる」こと、「伝えたい気持ちをどこにどのくらいつめるか」ということに四苦八苦していた。だからなおさらそれが僕に迫ったのだろう。当時は年収二千万稼ぐのが将来の夢です!なんて言っていたけれど、大学生になったころには自分の夢は記者になることにぐっと傾いていた。国際政治を専攻して、卒論は「市民革命におけるメディアが果たす役割」みたいな、テレビ新聞ツイッターyoutube、あらゆるメディアが国際政治をどう動かすかについて書いた。結果としては小さな動きの拡散と、その動きにフォロワーを作ってムーブメントを大きくすることをSNSは簡単にしたし、それをさらに広めて世論に問題提起するのがマスメディアである、みたいな結論にしたんだけど。

じゃあどうして記者やってないのかっていうと、それは就活で落ちたから。笑

で、就活で受かった会社でうつ病になって倒れて、動けない時期を超えて今があるのだけれど(むかしから抱いていた夢に立ち戻れたのだとしたら、あの会社を辞めたのは必然だったのかも)。

いま、子どもたちと向き合う仕事をしているのね。契約だからいつまで続けられるかわからないのだけれど。

あの子たちと向き合っていると、中学生のときの自分の夢を思い出す。カルマの坂の少年に力を、少女に思想を与えたかった頃の僕を。そしてそんな僕にトドメをさしてきたACのCMだ。

仕事としてか、ライフワークとしてなのかはまだわからないし決めてもいないのだけれど、子どもたちのために働きたいなと思う。

わざと青臭い言い方をすると、未来に種をまくために働きたい。僕らの世代で、偏見や嫌悪より、受け入れ合うことができる社会をつくりたいと思うし、それをつくれたあと、キープしてほしい。そこに美しい花を咲かせてほしいと思う。

ただ、お金持ちの子どもの家庭教師になりたいかというとそういうわけでもなく。家に帰りたくない子や、クラスですこししんどい思いをしている子に、手を差し伸べたい。ひとりにしたくない。日本の子どもは多くの大人が思っているよりはるかに相対的貧困層が多いし、なまじ1人で遊べるおもちゃが充実しているぶん、孤独に陥りがちだ。

そういうところに寄付ができるようになるためにバリバリ働けるようになりたいのか、直接そういう場で働いていきたいのか、仕事とは別にライフワークとして携わりたいのか、まだ決めていないし、いやそのまえに薬もう少し減らさないと僕が子供を困らせてしまいそうなのだけれど。

 

「伝える」ことは、「還元する」ことと似ているなと思う。僕の知識や、言葉や、能力や、持ちうるものすべてを子供に還元していく。子どもたちの不要な偏見を取り除いていく。わけわかんねえまとめサイトより本を読めとうるさいおせっかい野郎でもあるのだけれど笑。

今の僕にはまだ子供や社会や世界に還元できるものなんて本当に少なくて、だからもっと勉強しないといけないし、もっと目の前の一瞬一瞬に誠実で在らなくてはならない。いつかもうすこし具体的に決めないとなと思うけれど、僕はこれからの時間を、日本と世界の裕福ではない子供たちのために使えたらいいなと思っている。

 

そんなかんじ。

なんか、いいボランティアとかあったら教えてください。もちろん仕事でもいいです。バイトでもなんでも。

 

 

略してやおい

 

「あしたライブの物販にあきと並ぶから、8時過ぎの電車に乗る予定で起きるんだけど、母さんあしたは朝イチで何か予定ある?」
「母さんは火曜市に卵買いに行くけど……あなたそんなラッシュアワーの電車乗れるの?」
「………わすれてた…!!!!」

というのが、昨晩のできごと。
それからあきに連絡をして、そういえばそうだったな!ということで遅れて合流させてもらうことに。
いちおう8時に駅に行ってみたけど、狭い出口に殺到する人々を見て、ウッ、ってなってしまったから電車には乗れなかった。ひとやすみして9時くらいの電車に乗った。

もし、あのとき母に、「ラッシュアワーの電車乗れるの?」と聞かれなければ、特に意識せず、勢いで乗れてしまったのではないかという気が、ぼんやりとしている。
もちろん母は僕のうつとパニック症がピークだったところを見ているから、心配して声をかけてくれたわけなのだけれど、僕自身は、僕がラッシュアワーの電車に乗れないということをほとんど忘れていたのだ。なにも考えていなかったという言い方のほうが正しいかもしれないけれど、すくなくとも自分の頭の中の優先順位から下がっていたことに違いはない。
いっとき、人と会うために新宿駅へ出向くことが多かったのだが、あれはいま思い返せばあまり良いことではなかったのだろう。自分では問題ないと思っていたが、あの場所そのものへの自分の恐怖心というのはまだ拭えていない。それを拭えるほど、あるいは上塗りできるほどポジティブな記憶が自分にないからだ。いまは新宿駅へ出向くことはほぼない。目的地が新宿でないというだけで、電車に乗るのはずっとずっと気楽だ。

うつ病と診断されて、一年半がすぎた。いっときは「これはラムネ菓子か何かなのか?」と思うほどの量の薬をガブガブ飲んで、それでもまだなお部屋から出ることができなかった。冷静に思い返せるようになったいま、あのとき死なずに、というか自殺に踏み切らずに済んだのは単に自分がラッキーだったからだと思っている。電通で酷使されて亡くなった女性と僕の違いは、たぶんほとんどなかったのだ。あるいは彼女の優秀さを思えば、死ぬべきは僕だったのかもしれない。

いまは薬は圧倒的に減った。ピーク時の4分の1くらいだ。信頼できるお医者様のおかげで自分の特徴や傾向としての自閉症スペクトラムを認識することができ、なるほどだからあのときあそこまで追い詰められたのだなとか、こういうことが苦手なのは自分の努力不足ではなくて先天的な向き不向きだということがわかるようになった。そして「向いてない」と言い訳するだけでなく、どうしたら「向いてないなりに上等にこなせる」「向いてないことを伝えて人に協力してもらえる」のかまで考えられるようになった。

長い時間がかかった。
最初の一年、うつから脱却するために無駄なあがきをたくさんしていたなと思う。夏の断捨離をきっかけにふっと軽くなった思考で世界を見ると、やはり今年の夏から今にかけての4ヶ月弱…とくにTHE WAYというポルノのライブ以降の、自分にできることが増えた、自分に自信を持ち、自分に対する肯定感を自ら殺すことはなくなりつつある。

半年後のことは、まだわからない。
半年後、今の仕事を(契約なので)更新できているのかすらよくわからないし、ましてそれより先のことなど、まるで考えられない。予想もできない。そもそも会社をうつ病で辞める人生プランじゃなかったしな。正社員としてどこかの会社に雇われることが今の僕にできるのか、まだ怖い。

でも、とりあえず今日生きているし、毎日ひとつくらいは幸せなことがあるし、ご飯は美味しい。一緒にバカやってくれる友だちもいるし、ライブも楽しみだし。恵まれていて、ありがたいことだらけだなと思う。与えられるものに感謝ばかりだ。恩返しも恩送りもぜんぜん足りていないから、いつかきちんともういちどいろんな人に感謝を伝えないといけないと思う。

つぎ、ラッシュアワーの電車に乗る必要がいつあるかわからないけれど、何駅かごとに降りながらかもしれないけれど、それでも、乗れるような気がする。乗れたらいいなあと思う。指折り数えながら、できないことを克服していきたい。


やまなしいみなしおちなし!!!!

 

AAA2016で考えたこと

自分がやりたかったこと、むかし夢みていたこと、それに近いことをしている人たち、あるいは、そのために貸せるだけの力や魅力がある人たちを見たあとに、ふと鏡で自分を見ると、ほとんど絶望的な気持ちになってしまう。それがいま。‬AAA2016に行った感想。

貧困に苦しみ、知識があればかからずに済んだはずの病気で死ぬ子どもたち。何も悪くないのに、一方的に故郷や、友人や、家族を奪われる子どもたち。国内外関係なく、そういう子供たちのための仕事がしたかった。だからユニセフで働きたかったし、そのつぎはジャーナリストになりたかった。でもそのどちらももはや叶えられないと知ったいま、のこるわずかな悲しみ、夢の残骸のようなものが、いまはすこしつらい。

このあいだ世界報道写真展を見に行ったときは、クヨクヨしてる場合じゃないぞ、と自分にハッパをかけられたし、いまもそうするべきだとわかっているけれど。でも、どうしてもかなしい。お腹空いてるからかな。書いてるうちに気が変わると信じて書いていく。

 

どうか、いま自分がしていることが、いつか巡り巡ってどこかの誰かの助けになりますように。

いま自分が発する言葉が、いつか誰かの力になりますように。

 

ものすごく端的に言うと、稼ぎたい。寄付したい先、協力したい団体はたくさんある。専門的な知識のない僕が提供できるものって、お金くらいしかないからね。あとは誰でもできる系のボランティア、はじめたい。

そのためにまず病院通わないでよくなるようにならなきゃ。毎月の薬代がわりとバカにならないから、その金額を、たとえばAAAの団体に託せたら、なんにんの子どもの笑顔が生まれるのかなあ。ボランティアできる余裕は、たぶんこの調子でいけばそろそろ生まれてくると思う。なんにしろまずは自分と向き合わなきゃ。

 

そう、無力を嘆いている暇はない。

できないものはしかたない。できることをやるしかない。何もできないよりはずっとマシだ。誰かへの影響力もないし、寄付できるようなお金もないけど、それでも、まだなおできることを考えて、実践に移さなきゃ。考えることはできる。そしてそれを文字に起こして、誰かに伝えることはできる。

知ることがワクチンになるのは、HIV/エイズのことだけじゃない。いろんな差別や、偏見や、少しの苦しみは、知ることで改善できる。知識は力だ。僕はその知識を人に伝えられる人にならないといけないし、そのために文字を書き、今の仕事をしているし、勉強をしているわけだ。

 

そう、無力を嘆いている暇はない。クヨクヨしている暇はない。できることをできるようになるために、自分で自分にハッパかけよう。

 

ActAgainstAIDS、エンターテイメントを享受しながら、貧困国におけるHIVの実態を知ることもできる、素晴らしいイベントです。しかもチケ代やグッズ代はほぼ寄付になる!僕は今日、募金箱に小銭を全部突っ込んできました。

エンタメとして普通にクオリティ高いからさ、みんな、来年一緒に行こうぜ。