人生のスタンプラリー

人生のスタンプラリー認定協会埼玉支部

ダイアリー 〜23/2/9 本当にただの日記

本当に日記です。

いま、僕は休職中のステータスを使って就労移行支援所というところに通っています。簡単に言うと、障害者の就活を支援してくれるところですね。

僕は障害の診断が降りたのが大学卒業して会社員になってからだったので、いわゆる「自己理解、自分の障害への理解」がまだランドセル背負ったばかりなんですよ。
なんとなく自分の過去の傾向と、同じ障害の人のテンプレを聞くに、これが苦手だな〜、あっこれも障害特性かな〜って判断してたんですが、いまは就労移行の人に相談して勉強してトレーニング受けて、自分の障害と抑うつの傾向を分析しております。
そしてその傾向を知ることが今まで足りていなかったんだなとつくづく思っています。そりゃ生きづらいわけだわ、と。
そしてもっと自分の障害を理解しないと、就職してもうまくいかねえわ、と思っています。就活に臨む前に、ちょっと自己理解の時間をつくってもらっているというか。良い時間をもらっている。

僕は自閉症スペクトラムADHDなんですが、IQが平均以上あります(賢くはないです)。だから今までの人生、自分の創意工夫と自分の精神を追い詰めることで、生きづらさを抱えながらなんとかやってこれた、運が良かっただけだなって。

たとえば「マルチタスクが苦手」。
とはいえ「電話しながらメモを取る」はできるんですよね。じゃあ何ができないかっていうと「作業しながら会話」。この作業が細かいものであればあるほど難しい。「書類の順番を正しく並べながら会話」とか、すごいしんどい。笑
同じ「マルチタスク」でも、何が苦手で、何ならできるのか、みたいなこと。

口頭伝達で指示を受けても、できなくないけどすごく疲れる。なにより精神的な疲労がとても大きい。それはメモを取るのが苦手で、取ったメモに自信がとれないから。指示通りにできているか不安になって、過剰に確認して時間がかかってしまう。
だけどふせんやメールで指示されたことは、同じ業務でも精神的な負担が軽いんですよね。確実な指示を元に見直せるから。口頭よりミスも減らせるし、指示を読解する言語能力は長けているので。

……こういうのをずっとやってる。笑
ひとつずつ洗い出して、傾向と対策を考えています。どう対策すれば多少できるのか、あるいはマジでできないのか。
相手に「できればその指示内容メールでもらえますか」といえば避けられる精神疲労がある、というのを知れたこともひとつそうだし。

正直めちゃくちゃ疲れるし、しんどいです。
自分の能力の足りない部分と向き合うのはしんどい。そりゃそう。でも、ひとつずつクリアにしていくことで、ひとつずつ肩の荷も降りるんです。

これを就活にどう活かすかはまた就労移行の人と話し合うけどね。


あと、同じように「洗いざらい吐き出して分析してる」ことがあって、それは自分の「抑うつ傾向」です。
これがもーーーーしんどい。とてもしんどい。わりとしんどさがフラッシュバックして死にたい……になる。

僕がうつ病の診断を受けたのは当時の会社でのパワハラがきっかけですけど、それはほんと「露呈した」きっかけにすぎなくて、もともとの思考回路、育った環境、性格がとても「抑うつになりやすい」んだなぁと。いやまぁそれは知ってたけど。笑

じゃあどうすれば「自殺衝動」を回避できるのか?落ち込んだときの特効薬はなんだろう?誰にどんな助けを求めればいいんだろう?そもそも抑うつ自死思考になるトリガーってなんだろう?
というのもやってます。しんどい。でもすごく自分に必要なことなのは明確なので、なんとかやってる。笑

最近僕またLINEゲームのツムツムを始めたんですけど、あれめっちゃ自殺衝動に効くんですよ。意味わかんないでしょ?
でも、自分がめっちゃ落ち込んでもうだめだ、ってなってるときに、派手な音楽とチカチカした画面で、時間制限があるゲームをする、それだけで「自罰から気がそらせる」んです。
僕の場合はとにかく自責、自罰傾向が強くて、病的なんですよね。1人で反省会しはじめるとずっとやってるし、そのせいで眠れないこともある。
いかんせん「得意なことと苦手なことの差が激しい」障害特性なので、子どものころからいろんな大人に「なんで○○はできて△△はできないの?△△をサボってるの?」って叱られ続けてきたんです。
だからハリーポッターのドビーよろしく、自分は悪い子、努力できない自分は悪い子、って思い込んで、謝って、自分で自分のこと追い詰める自罰傾向や自責思考が止められない。どんなに努力しても、△△が劇的にできるようにはならないのに。
そういうときツムツムみたいなゲームやると、一瞬でも気が紛れるんです。「我に帰る」んですよね。「自責してても何も変わらん」と。

まぁツムツムはひとつ極端な例だけど、自分の自責が止まらなくなるトリガーや、そのときの傾向と対策をひとつずつまとめあげています。

それをやりながら、まぁなんとなくわかってたけど、大真面目に「ああ僕の認知って歪んでるんだな」って思えたんです。それがここ最近いちばん良かったこと。憑き物が落ちた、というか。ありのままの自分を受け止めるってこれか〜、みたいな。
少なくとも僕は自分の努力を低く見積もるクセがあるし、自分のことを粗大ゴミだと思っているし、自分のことを責めすぎる。自責が強すぎて、「エンタメを楽しむ資格は今の僕にない」ってチケットを紙にしたりとか、さすがに自罰的すぎるのでは?と。

もちろん自分を正当化するつもりはないし、それに使っていたら友人各位はちゃんと怒ってほしい。ただ、シンプルに、自分から自分への認知歪んでんなって笑。
粗大ゴミとまでは言わなくてもいいのかなって。これはさすがに過剰かなって。僕、動くし。

もちろん認知なんて簡単に直らないし、完全に治そう!!!!と思っているわけでもないんだけど、「あっ、いま自分の考えちょっと歪んでるかも」と冷静になれる自分が脳内に生まれたんですよね。これだけで人生がすごい、他に言い方が思いつかないんですけど、「ラク」です。笑
すくなくとも、酷い自責のあまり自殺行動を起こすことは減る気がする。
なにより、自分が生きやすくなれたことを喜べる自分がいることが嬉しい。自分はずっと生きてるだけでダメだと思っていたけど、いや、まぁ生きててもいいんじゃないかな、とほんのり思えるので(まだほんのりだけど)。調子悪いときは今でも死にたくなるけど笑。

なので最近は、人に自分を褒められてもちょっとは受け止めて信じられるモードです(これ明日にはできない方に切り替わってるかもしれないんだけど)。
もともと誰かの褒め言葉を受け止めるだけの自己肯定感の土壌がなかったし……残念なことに今もないけど。自分を褒められた!わーい!とバンザイはできないけど(これは一生できない気がする)、自分の○○な部分は評判悪くないんだな、くらいには思えるようになった。これも最近の進歩です。

そんなふうにひとつずつ自分へ理解を深めて障害特性の傾向と対策を練って、これからの人生がすくなくとも……倒れたり自殺しそうになったりしないようになるといいな、と思ってます。そう思えることがもう進歩!

という、最近ちょっと憑き物が落ちたんだよね、って日記でした。