人生のスタンプラリー

人生のスタンプラリー認定協会埼玉支部

ダイアリー 〜22/11/29〜 狙いを定めて明星を撃てよ

僕は川島如恵留さんの「自分は何も持っていないから全て努力で補ってきた」「天性を持たない人間は努力するしかない」みたいな考え方が好きで尊敬している。すごく正直に言うと仲間意識がある。
そういう如恵留さんの発言や行動潔い開き直りすら感じてなんとなく好きなので、僕もその教えに則って生きていこうと最近思う。僕は本当に「持たざる者」だから。作れる武器は全部作る。そうやってこれから生きていきたいと思う。今までもそうだったけど、より能動的に。より計画的に。できるだけ主観から遠いところで。

僕は何も持っていない。恵まれた容姿も頭脳もなければ、みんなから愛されるような人徳も人格もない。家族に愛してもらったという事実はあるけれど、それだけ。あまりにもそれだけ。

今までは(繰り返しだけど)ほんとうに30歳の誕生日で死ぬつもりだったから、武器を持てなくてもどうせすぐ死ぬしいいやって思ってた。でも今はもうそうじゃない。生きることに(誠に遺憾ながら笑)シフトしたから。これから気が遠くなるような月日が待っている。
それなら、持てる武器は多いほうがいい。

僕がこれから努力で持てる武器だってわずかだと思うけれど、ないよりはいいからね。
でも僕の持ちたい武器は人を傷つけうるものではない。刀はいらない。ナイフもいらない。

暫定、つぎの誕生日までだけど、好きな人に好きと伝えられて、素敵なところを素敵と言える、大きな花束をためらわず、即座に出せるメンタルがほしい。そのための語彙がほしい。何語でも構わない、適してさえいれば。
相手からもし刃を向けられたとして、刃を返す人にはなりたくない。これは今までもそうだったけど。自分が隣人愛に満ちているとは全く思わないけど笑、刃にこそ花束を向けて余裕で笑っていられるようになりたい。

ひとつめちゃくちゃ具体的なこと言うと、この就労移行支援に通っている期間に英語ちゃんとやり直しておきたい。履歴書に書けるスコアとりたい。笑

あとね、痩せたい!笑
自分の容姿を愛せる日はたぶんこないけど、「まだマシ」と思えるときならくるかもしれないから。まだマシ、というメンタルで外を歩けるならそれは武器になりうるから。
30歳でまだそんな服着てるの、って言われてもいいから、好きな服、という鎧をまといつづけたい。それはいつか趣味が変わっても同じ。自分がそのとき好きな服を、自分を偽らずに着たい。好きな服って、めっちゃ防具だし。そんな防具がちょっとでもフィットする身体になりたいなと思います。

また具体的(?)なことを言うと教養(知識と言い換えてもいい)。これほんと親がめちゃくちゃ苦心してくれたにも関わらず足りないところが多いから。映画とか読書とか最近めっきり怠ってるので……。なにをもって教養と呼ぶのか、というのを少し冷静に考えてちゃんと言葉に落とし込んだら、それをストックし続けたいと思う。

まだあるけど、とりあえず今はこれを書き残しておきたいので、またまとまったら随時追記します。

ダイアリー 22/11/29 back to the daily life!

熊本から帰るよ〜。月曜のポルノのライブのために金曜から来てました。
ひさしぶりのマイセカンドスウィートホーム熊本、ものすごくチャージされて帰ってます。赤子と自然と心をゆるせる友人たち、さいこーーーーー!

熊本には僕本当によく行くんですけど(コロナ禍でしばらく行ってなかっただけ)、なんでかというと、15年前にポルノグラフィティのファンサイトのBBSで知り合ってメル友になった友人とまだ長い付き合いが続いているからです。笑
意味わかんないよな、Re:Re:ってメールの件名につけまくってずっとガラケーをぱかぱかしながらメールしてた友人の結婚式から子どもまで会うというのは。でもとても幸せです。お互いが紹介しあったポルノファン仲間もあわせて、学生のときはみんなで雑魚寝してライブ参戦したりして。車に乗せてもらって阿蘇まで行ったり温泉行ったり。今回は牧場と熊本城だけど、本当にたくさんのところに連れて行ってもらってる。

縁というのはこういうことだなぁ、と思います。
それこそ学生時代はどこのライブに行っても誰かしら知り合いがいたけど、もうみんなちゃんといい歳で仕事や家庭があるからさすがにそうでもなくなってきて。あとは単純に僕と遠ざかったり、ポルノから離れたりした人もいる。
それでも、ポルノグラフィティのツアーを回る!となったとき、だいたいどの地方でも会ってくれる友人がいて、帰るときにはさびしい、また来てねと言ってくれる人がいることが僕の支えなんだなと改めて思いました。
これはポルノグラフィティだけじゃなくて、ドリフェス!で出会った友人もそうだし、あと特に共通点もないのになぜか仲良くなったフォロワーさんもそうなんだけど。

ライブ前日に大学の同期となぜか熊本で合流してラーメン食べながら、「仕事での上司ガチャはいつも激ヤバなのしか引かないけど、友人ガチャは全部SSRなんだよね」って言ったら、その同期がラーメンすすってから「まぁ上司は選べないけどともだちは選べるからね」と言っていて、ちょっと目から鱗だった。
たしかに人間関係でごちゃごちゃして嫌だなって思ったら切ることができるのが友だちだよな。実際に片手で数えられる程度には、人と縁を切ったこともある。でも今の僕が周囲の友人や恋人に恵まれていると断言できるのは、自分自身が選んできたひとつの正解なんだなあと思って。
振り向いて別の道を探すことはできないから、もう今の関係を正解としてつくりあげていくしかないし。

生まれて初めてポルノグラフィティのライブで地方に遠征したのが2010年。隣にずっといてくれた友人ももう配偶者とお子さんがいる。そうやって変化する中でも、熊本ライブ前に「楽しんで」と連絡をくれる。それってぜんぜん当たり前のことじゃないよな。ありがたいな。

と同時に、自分はやっぱり今のままよりもっと自分を愛せるようになるんじゃないかな、と予感しているのも事実で。誠に遺憾ながら30歳の誕生日に死ねなかった僕のこれからを考えると本当に果てしない気持ちになるけど、でもここからは自分で人生をクリエイトする時間だ、と。

熊本で友人たちが……Re:Re:ってメールしてたやつらが笑、自分の子どもを抱っこしてごはんあげて自分のこと後回しにしてるの見たら、ああ、僕も甘えてばっかりじゃダメだなと改めて思えた。
僕は仕事と障害を考えたときに最善の選択としてまだ実家にいるし、僕が今の恋人と配偶者という関係になる日がくるかはわからないけれど(できればきてほしいけれど)、なんにしたって今のままじゃダメだなって笑。
この今の自分の最善の選択が、ただ受け身で選択肢がないからこれ、なんじゃなくて、能動的に、自分の力ではやくひとり暮らし始められるように動いていきたいし、仕事だってもう転職しないで済むように頑張りたいし。そのためにいま、就労移行支援に通ってるから。まだ障害者になって間もないから、どこまでが自分が合理的配慮を求めてよいことで、どこからが自分の頑張れる範囲なのかきちんと見極める能動的な時間にしたいなと思った。
はやいとこ自立したいよね!いかんせん30歳で死ぬ気だったからその後のプランが全くなくてさ!笑。
でも今回、熊本に行ってライブ行って、ああこれからも僕は自分の友人や家族と呼べる範囲の人を愛し続けて、恋人を愛して、能動的に自分にとって良い選択をしていけるようになりたいなと思ったのです。それが具体的な人生プランにどう影響を及ぼすかは生活してみないとわからないけど。

そういう、意識レベルで変えていけることがあるなら変えて、変えたくないものを愛して暮らしていくんだろうなあ〜と、いまこれを書いている帰りの飛行機。

まぁまず具体的には「いつでも一人暮らしができるように部屋をめっちゃ片付ける」「同居してる家族とちゃんと話し合ってもう自分の家事は自分にやらせてもらうようにする(いま洗濯とかまとめてやってもらっちゃってるので)」「はやく就職決める」ですね!笑
あとは病院関係、お金関係だな。マジで貯金して。人体模型買ってる場合じゃないのよ(買ったけど!)笑。
あ、最大のこと忘れてた。痩せます!!!激太りの原因の薬がわかってそれを変えてもらったのでこれ以上太ることはたぶんないけど、でも勝手に痩せるわけでもないので。自分の中で「能動的に」「自分の意志で」できることが、できれば「継続的に」「自分の意志で」やることが増えますように。そういうことを考えながら残りのフライトを過ごします。あ、多趣味なオタク領域について妥協する気はあんまりないので、今後もしっかりオタクします✊笑

さー、back to the daily life!

ダイアリー 〜22/09/05〜

コミュニケーションという技術の話。
あと、最近ちょっと情報遮断気味って話。

僕は人とコミュニケーションを取るのが好きだ。空気が読めないという弱点、あと自分語りが多すぎるせいで(このブログなんかまさしく自分語り)、うまいとは言えないけれど、とにかく人と話すこと遊ぶことが好きだ。
コロナ禍で1番しんどいことは、人と会って遊べないこと。
前の仕事をやめた大きな要因のひとつは(最大は業務に関するあれこれと合わない先輩だけど)、コロナ禍でみんなリモートで、へたすりゃいちにち無言だったからである。愚痴を言ったり、これわかりますか?って軽く聞ける関係性がないと、こんなにつらいのかと思い知った。

ただ、同時に、自分が今まで「文脈を共有できる人」とばかりコミュニケーションをとってきたツケを感じてもいる。

ポルノファンならポルノの話ができる。地元の友人なら地元の話が、同世代なら同世代あるあるで盛り上がれる。英語喋れる人とは英語の話ができる。オタク趣味全般だから、言ってしまえば「何かのオタク」とは話のネタがある。そういう、「共通して話せるトピック」がある相手、となら、なんとかなる。
でもそういうのがマジでない相手っているじゃん。ひとまわり上の職場の人とか。逆にすごい年下の人とか。
子どものころは、大人はなんで人の悪口と天気の話しかしないんだろうとか思ってたけど、本当にそれしか話題がないんだと、最近わかるようになった。こんなことで大人を感じたくなかったけど笑。
でも人の悪口は、話す相手を選びたい。となると、ほんとに天気の話しかない。いや、探せばもっとあるんだろうけど、「無難」の代表例。

いま職業訓練校通いながら、僕はグループワークではするっすると人タラシしてるし、グループワーク円滑化担当(?)だけど、休憩時間はソシャゲしながら無言である。
話しかけたら答えるし盛り上がるけれど、同じ文脈を共有していないから、どのくらいのボリュームで返せばいいのかわからない。
「わたし、むかしポルノ好きだったの」
と話しかけてくるひとまわり以上の年上マダムに、突然ニューアルバムの話はできない(好きだったのはむかしって言ってるし)。
サウダージとかですか??って聞き返して、あっちが何か話し出してくれたら、相手がどのくらいの会話をどんなボリュームで求めているのか探る。ラジオのチューニングみたいなものである。
このチューニングが、同世代なら簡単だし、たとえばライブに参戦するほどのポルノファンならますます簡単だけど、このマダムとはそうもいかない。

でもマダムたちや、うちのおかんはすごい。みんな「おばちゃんはなんでもできるのよ」と笑うけれど、コミュニケーションひとつとっても「無難でだれも傷つけない会話」が上手だ。しかも重たくないボリュームで。すごいなぁ、と思う。
英語できなくないことがバレてしまったせいで、すごいね!教えて!と絡まれるのがちょっとつらいけど。

そういう疲れかたを最近している。みんなめっちゃいい人なんだけどね……。


あと、職業訓練校で履歴書とか職務経歴書を書く時間もあるんだけど、思い出すのはしんどい。なんで辞めたの?と聞かれても、実際に面接で人間関係がクソでした!とは言えないし。

そんなこんなで精神的にも体力的にもぐったり気味で、最近はエンタメを摂取するのもおそるおそるだ。トラジャのパフォーマンスを何度も見ると楽しいけど疲れる、それは本気のパフォーマンスもこちらも本気で見ているから。なんならブログ読むのもちょっと疲れてしまう。
エンタメどころか、Twitterとかで流れてくる情報を読んでいるだけで、最近は疲れてしまう。ポルノは生活なので聞けるけど。
毎日ちゃんと学校に通うことでこんなに疲れるなら、転職する前にこれを挟んでおいて本当によかった。職業訓練校ってテがありますよと教えてくれたフォロワーに感謝……。

いまはそういうわけで人とのコミュニケーションは受け身、情報すこし遮断しながら生活しております。

コミュニケーションってなんだろうね、難しいねって話でした。

拝啓この手紙 ダイアリー22/08/15

なんだか頭が重くて、それは気圧もあるのだけれど最近考えていることをうまく文章にしていないからで、正直僕のいう「うまく文章にできない」は「書くための手を動かすのがめんどくさい」にすぎないので、いま重い(物理的にはとても軽い)スマホを上げてこれを書いています。
好きな人に書く手紙なら数日かけるけれど、自分のブログなんかねえ。感情のログでしかないから。書けないなんて疲れてるか眠いかのどっちかですよ。

とはいえ書きたいことがありすぎて、かといって削るとわけがわからなくなるのは頭で文章を組み立てているときからわかっているんです。さてどうやってこの脳内の泥を吐き出そうかと思っていた今日、ちょうど自担が毎月1回めちゃ長ブログを書く日で、それはファンに向けて書いてあって、まるで手紙のようで。
月によって自担のブログは自己暗示のようだったり、自分を奮い立たせるための決意表明だったりするのだけれど、今月はとくに「手紙のようだな」と思ったので、なら僕も誰かにあてて書こうと思っています。とはいえ実際にこんな……脳内の吐瀉物書き出したみたいなブログを手紙にして送りつけたら問題なので、もしここから先を読んでくださる方がいたら脳内にアンジェラアキの「手紙」とか流しておいてください。内容はもうそれはそれはネガティブなので、読まなくていいです。


まずは報告から。生きています。
さっくりと割愛しますが、僕の人生は30歳の誕生日で終わるはずでした。すなわち今年の3/5が命日のはずでした。本気でそう思っていた。周りがどう考えていたのかはさておき。何度かほんとうにすきなひとに「30過ぎても死なないでおこうかな」と言ったことこそあれ(そして生きろと言われたことこそあれ)、なんだかんだ死ぬ気でいました。
というか死ぬと思ってた。自動的に目が覚めなくなると思っていました。
なぜ30歳なのかと言われたら、それは僕の初恋にさかのぼって「もし30歳になっても」という約束をしたことに起因します。そしてそれが叶えられなければ死ぬんだと思っていました。(約束した相手は今もとても元気で、最近の連絡の限り、すくなくとも幸せではあるようです。それが僕の救い)
これ、なんて説明したらいいのかわからない。自分でも「死ぬと思っていた」んです。一種の強烈な自己暗示、あるいは自分にかけた呪いに近かったのかな。
事故に遭うとかそういうのではなく、ただ、30歳にならないと思っていた。その日は来ないと思っていたし、想像できなかった。
いや、想像できなかったは嘘かな。考えてはいたし、実際そんなポックリ死ねるわけないってわかってはいたのだけれど、わかっていても、でも、死ぬと思っていた。死ぬと思わないと生きていられなかった。
人生の目標だとか、なりたいものだとか、そういうのはあります。概念だけれど、僕にも僕の目指す姿や理想はある。何度もブログにも書いているとおり。できれば恋人とも一緒に歳を重ねたいし、それを友人に祝われたりしたい。そういう感情と、30歳で死ぬ、という僕の予感(あるいは自己暗示)は、ひとつも、ほんとうにひとつも、矛盾していなかったんです。死ぬし、だって。そのつもりだし、その予定だし。

まぁ死にませんよね。笑
だから今年の3/5(誕生日です)は変な気持ちでした。正直あまり覚えていません。恋人と連絡を取ったことは覚えている。僕が30歳になっても死んでないことを最初に伝えるべき人だと思ったから。
もし目が覚めてしまったら飲むつもりで準備していた市販薬やら頓服の抗うつ剤やら、喉を焼くような酒のボトルたちとか、ロープとタオルとか、部屋に準備しておいたものを眺めて、何もしなかった、できなかった、どっちかはよくわかりません。とりあえず、本当に僕は「死にぞこなった」んです。

で、3/6からの人生。
リスタートなんて気取ろうかとも思ったし、一度なんらかの……どうするかの実際問題はさておき……何か自分の中でつけたかった「区切り」もよくわからないまま、なんというか、生きています。

ごく控えめに言ってすごくつらい。
控えめに言ってすごくつらいので、控えなければ言葉を絶するというか、beyond descriptionってかんじです。描写できうる想像のはるかかなた遠く、つらい。

今までってなんだかんだ、死ぬし、って思ってたんです。
死ねば終わるから。その日はくるから。受験勉強みたいなものですよね。いつか終わるからどうにかなっていたこと、目を瞑ったり耐えたりしていたこと、それらに対してどう向き合うべきか、答えを失いました。
だって僕の人生に待つものは「まぁいうて30歳で死ぬしな」という、妙な確信だったから。
それがない今、本当につらい。みんななんでこんななか生きていられるの?と素直に思うし、素直に怖くもある。

これ仮に、僕がうつ病でなければどうだったんだろう?生きていることに対するしんどさはもう少し減っていたかな、と考えはするけれど、想像できないし、現状がうつ病なので、考えても無駄だし。
(新卒社会人でパワハラをうけうつ病、診断先で発達障害が発覚、次に入った会社では業務過多とモラハラにやられて退職、現在うつ病発達障害として求職中です。エッ、私の仕事運、なさすぎ?)

でも毎日、とにかくつらい。こわい。生きているのが。明日がくることが。恐ろしくこわい。
それは生きていくことに終わりが見えないから。人生は、生命は、受験勉強みたいに終わりが明確じゃないから。終わらないものって、とてもこわいでしょう。僕にとっては、とてもこわいんです。

いまは求職してて、資格取るべく学校通ってて、それで就職できるのかなとか、できたところで一生働くのかなとか、一生ってどのくらいなんだろうとか。正直、学生としての生活が終わって会社員になってから、まぁ、心療内科にかかる程度にはつらい思いをしてきたので……こわいんですよね。何がどうなるかわからないことが。

これは昔からそうで、あるいはもしかしたら僕の自閉傾向なのかもしれないけれど、とにかく「一寸先は闇」が怖いんです。
現実問題、生きていたら一寸先は常に闇。今僕が文字を打っているこの指が、1秒後に突き指する可能性は誰も否定できない。そんなことありえない、と未来を断ずることは不可能。悪魔の証明みたいなもの。
だから、新しい環境に行くとき(入学とか、進級とか、就職とか、なんならはじめて行く医者とか、食事屋さんとか)は、もうあらゆることを頭の中でこねくり回して、考えられる最悪の事態をさらに最悪にしておきます。
入社したらその日に上司にぶん殴られる可能性がゼロって言えます?いや、実際ほぼゼロですけど、未来のことを断言するなんて無理だから。僕にとっては「ありえる未来」。だから殴られたらどうするか考えておく。個室になったらとりあえずボイレコまわせるようにスマホの位置を確認しておくんです。
初めて行く医者がすげえ嫌なやつだったりする可能性もあるし。薬出してもらえない可能性もある。ご飯食べにお店へ入ったら売り切れパレードで、カニしか残ってないかもしれない(僕はカニを食べると全身に蕁麻疹が出ます)。
自分で書いていてもバカバカしいけれど、そういうことを考えずにいられない。こういうことはいくらでも考えられるし、思考のブレーキぶっ壊れてて過呼吸になるまで止まらないのに、前向きな思考はほとんどできません。
いや、まぁ、ポルノのライブまでは死なないでおこう、くらいのことはある。でもそれって、僕の寿命までは続かないから。
だから、ものごとの初日、少なくとも慣れるまでの数週間は、ずっと吐きそうになってるんです。なってるというか、吐くこともある。
自覚あるのは中学生くらいから。当時のブログに残ってると思う。とにかく「何が起きるかわからない」ことが怖くて、だから「あした」が、「次の授業」がずっと怖かった。今でも怖いです。特に新しいことに関わらなければならない時期は。

でも、死ぬと思ってるあいだは、当社比ですけど、まだいくぶんマジだったんです。死ぬのが早くなるだけなので。
ところがいざ、今年の誕生日をすぎてしまった僕には、死ぬという選択肢がかぎりなく薄いんですよね。

ずっとずっと……30歳になったら、の口約束、20歳のときだったと思うので、ずっと、30歳になったら死ぬと思って生きてきたし、自己暗示もかけていたので、いざそれを過ぎたら、選択肢から「死ぬ」がなくなったんです。ポカンと。
完全になくなったわけじゃなくて、今でも死にてえ……とはなります。なるけれど、所詮自分は死ねないことがわかってる「死にてえ」しか出ないんです。ペラッとした感情で驚くくらい。あんなに死ぬとおもっていたのにね。
これは良いことなのか悪いことなのか、正直分かりません。言えるのは、死のうが死ぬまいが、今この瞬間も、明日が怖いということ。そしてこの「怖い」を、持て余し続けていること。
寿命尽きるまでこれに怯えてないといけないのかな、と思うと、気が遠くなるし、それこそもう誰かに僕を強制終了してほしい。もう終わりにしよう。そう思うんですけど、溜めていた薬もロープも捨ててしまった。酒は亡くなった祖父母の写真の前に置いたら、家族が数日で飲んでしまった。死ぬつもりなんて簡単に消えちゃうんですね。

なんの結論もないです。山もオチも意味もない。ただ、こわい。生きていくのが。それゆえつらい。終わりが見えないことが。
ただ毎日、好きな人と安定した生活を送って、穏やかに老後を過ごせたら良い……と頭で思っても、それに至るまでの経費とか、時間とか、考え出したら。人生やめたくなる。こわいよ。30歳にもなって情けないですよね、マジでこんな人生の意義みたいな自問自答は高校生で終わらせておけって話なんですよ。思春期に結論出しとけっていう。でもいま考えている。そして結論が出ないまま、たぶん明日も僕は死なない(断定ではないけど)。
こうやって毎日を「今日も死ななかった」で過ごしていくのかなと思うと、それがいちばんこわい。


ここまで一気に書いて、いったん呼吸を整えたら、謎の冷や汗かいててちょっと笑っちゃった。そんでトイレ行ってきた。ちょっとだけチルアウトを飲んだ。書くの再開。
もうぜんぜん手紙っぽくなくなってきたね。


ここからはますます取り止めのない話。「頑張るって何」って話。
ほんとは「攻撃は最大の防御、という弱さ」って話もしたかったんだけどそこまで辿り着かなそうだな。その話はつっくんというマイディアフレンドのラジオごっこで話をさせてもらったときから自分の中でろくろ回してたことなので、また今度書きます。
つっくんは本当にいいやつです。
そのラジオごっこの中で、僕の文章について「純度が高いよね」って言ってくれたことがすごく嬉しかった。冷静に何かを記録するより、いまこの瞬間の昂りを残しておきたい派なので。感情の純度が高い文章を書けているのなら、それは数少ない自分を認められる要素だから。
ラジオごっこはこちらから▽ つっくんがいいやつです。
https://twitter.com/i/spaces/1lPKqmbkrmLKb

これも前にも書いたかもしれないけれど、文章っていちど自分と切り離せるからすごく気楽で。自分を褒めてもらってもごめんなさいごめんなさいってなるけれど、文章を褒めてもらったらありがとうと言える。

褒められるのは苦手ではない、むしろドヤッと受け取ることもわりとできる。でもそれは僕が作ったものでも、僕の手を離れたものである場合のみ。文章とか、部活で作った作品とか。まだ自分の体のどこかと肉で繋がっているようなものを褒められると、本当にどうしていいかわからない。嬉しいし感謝するしもっと褒めてもらいたいのに、素直に120%の純度でそれを受け取るじぶんの余力、体力、器みたいなものがなくて不甲斐なくなる。褒め言葉、受け取るけれど、そのひとの最大限の愛を受け止めきれているのかな、っていう不安に駆られることはある。

死ぬはずだった話と褒める話で混ざるけれど、僕は自分以外の人類はみんな「生きているだけで偉い」と思っている。確信している。僕の出会うか、出会ったとしても相性がいいかはさておき、とにかくみんな生きていたら偉い。人を傷つけなければもっと偉い。自分と人に優しくしてたらほぼ偉人。だけど僕は、僕だけは、認められない。「生きているだけでみんな偉い(※僕除く)」になってしまう。だって僕は生きているだけじゃ偉くないからね。
これは本当に認知の歪みだし、自分でもなんとかしたほうがいい気はしているんだけれど、どうにもならない。

じゃあ僕はどうすれば偉いのかと言われたら、何したってダメなんですよ。僕は僕にだけ求めるハードルが高い。それは僕に期待をしているからではなくて、僕がダメだから。最初から最後まで、ダメだから。ダメなものはずっとダメなんですよね。いや書いてて笑うくらい認知歪んでるな。

こどものころから褒めれるのはいつも「頑張ってえらいね」だった。それは周囲の教育でもあったと思う。僕は運動神経が絶望的に悪くて、特に体を動かすことが求められる幼少期においては、頑張っても何も残せなかったから。絵も下手だし。文章はもう少し大きくなってからだし。だから、親や教師は、まず挑戦したことや、頑張ったことを評価してくれた。たとえ50m走でビリでも、頑張ったから、偉かったねって。テストで満点を取っても、満点を取るまで頑張れて偉かったねって。
理想的な育てられ方だと思う。結果が出せないと叱り倒されるなんてことはなく、過程をしっかり見て認めてくれる人に恵まれていた。だから僕の認知が歪んでなければ、僕はたぶんまっすぐ頑張り屋さんに育ったんだと思う。
だけど僕はダメだった。頑張らない自分に価値はないと思うようになった。同時に、すこしずつ成長してできないことややりたくないことが増えるたび、頑張れない自分は価値以前の話だと思うようになった。
記憶が正しければ、どんなに頑張ってもできない、ってことが増えてきた頃から、僕の自傷傾向もはじまっている。

頑張らなくてもいい、そこにいてくれるだけでいいなんて嘘だ、と思う。
僕以外の人は、そこにいるだけでいい。生きてさえいてくれればなんとでもなる。まして前を向いてくれるなら、全力であなたを愛する。だけれど、僕は、僕だけは、生きているだけではただの動く粗大ゴミでしかない。

「頑張る」という言葉、呪いなんだよなあ。と思う。頑張れと言われるのは嬉しいし、頑張ったねと言われるのも嬉しい。人から寄せられる言葉としての「頑張れ」にはいつだって感謝する。いまでも大事にしている言葉がたくさんある。
けれど、自分に課す「頑張り」あるいは「努力」が、自分にはもうわからない。わからないというか……どうしたら自分を認められるのか、わからない。頑張れば認められるとは思うけれど、どれだけ頑張ればいいのだろう。

繰り返すけれど、あなたは、これを読んでくれている奇特なあなたは、もう、それだけで僕から全幅の感謝とハグを受けてほしい。ありがとう。今日も生きていてくれて。

頑張れなくても、努力できなくても、それでも生きていていいんだって、思えない。明日が怖くない日がくるんだって、いまいち信じきれてない。

ねむい……。
続きの手紙はまた今度。あしたがくるのがこわい、あさってはもっとこわい。でも時間は止まらないし死ねもしないので。
人生、果てなさすぎて、こわい。

推敲してないけど(だめじゃん)、このまま載せちゃおう。これを書いておくことがいつか自分をほんの少しでも支えてくれるといいけど。
昨晩、不眠症を発揮して眠れなかったから、今夜は寝るぞ。もう眠い。

ダイアリー22/06/22 とりあえず朝コンサータ飲み忘れるのはなんとかしよう

マジで日記。

午前のうちに

音楽聴きながらコーヒー飲む
コンサータ飲む
洗濯機オンする
ストレッチと筋トレ(だいたい20分)
洗濯物干す
(このタイミングで日光を浴びる)
食器洗う
風呂洗う
食器しまう
洗濯物とりこむ
洗濯物(家族共用分だけ)たたむ
クイックルワイパーで家中そうじする

余力あればトイレ掃除、クイックルワイパーじゃなくて掃除機にする、風呂めっちゃ念入り掃除(趣味)

をしたいんだけど、僕がソシャゲするせい(……)かつ、手際が悪くて15時くらいまで平気でかかるのですよ。母さんパートから帰ってきてしまう笑。
ほんとに集中して朝起きてすぐから稼働してれば時間的にはできることなのに……と自責がひどくなっちゃうから、今までみたいに「何時から○○」じゃなくて「これをだいたい午前中に終わらせる」に切り替えたんだけど、うまくいかねえ〜!!!

午後は自分の部屋の断捨離とか、体力回復のための散歩とか、資格の勉強にあてたいんだけど、なかなかうまくいかねえな〜〜
でもめげずに目標だけは掲げてやってこ〜〜
はぁ〜〜
資格はTOEICの復習と手話検定!!8月からは別のことに時間割くことになると思うので……

ひとりで家事してるのめちゃくちゃ精神的にキツくて、とにかくひとりでいることがしんどいので、今はずっとトラジャのYouTubeとかゲーム実況見てるけど、誰か電話してくれる人がいたらもっといいんだろうな。このへんもうまく募れたらいいな……課題山積!!!

ダイアリー22/05/15

誠実であること、それはその瞬間に尽くせる僕の全力を尽くすこと。次の瞬間に方向が変わったとしても、それが全力であるならばよい。僕の人生においてそれは変わらないこと。

「この目よ、虚構を射よ。この耳よ、意思を聞け。迷いを打ち消すのは綿密に練り上げられた∠自信」
これ僕ずっと勘違いしてた。ニュースや社会問題に適用していたけれど、それだけじゃない。もちろんそういう問題から目を背けないことも含まれているし、今の自分にできるベストを(誠実を)そういう諸問題について尽くすことも含まれる。
けど、僕の目と耳が聞かないといけないのは、僕の本心なんだな。僕の本心、僕の本音。30歳になったら死ぬというひとつの目標がなくなった僕のいまの本音ってなんだろう。正直まだわからない。ならそれをゆっくり探していきたい。いつかそれを見つけたとき、それに対して臆さず自分が取り組めるように自信を積み重ねていくこと。

世界中に花束を送り続けること。
こんな初心をほんとうに忘れていた。今日ののえまるで思い出した。思い出した瞬間、今日Specialな友人と過ごしたことでチャージされたこころとか、恋人と過ごす時間に生まれる圧倒的な自己肯定感とか、そういうものが全部結びついて泣きそうになった。
僕は愛を振り撒き続ける人になりたいんだ。「花束を振り回しながら世界に当たり散らす君」という椿屋四重奏の歌詞みたいになりたい。常ににこやかに愛を差し出せる気はしないけど、当たり散らすように、あるいは踊るように。向けられたナイフを花束で返したいし、花束を受け取ったら倍のハグを返したい。
人のことを想う力を僕はもう分けてもらった。たぶんこれを読んでいる人からももらった。僕のまわりは愛をくれる人ばかりだから。
10代のころのように「世界の全ての人に」と掲げる若さはもうないけれど、僕の手が届く全ての人には絶対的に花束を渡し続けたい。
全ては僕のエゴだから、僕にとっての花束はあなたにとってのゴミかもしれないけれど、それでもいいんだ。全ては僕のエゴ、というのは僕のブレない(というか、コントロールできない)部分でもある。
あなたがたとえいらないと言っても、僕は一方的に(僕にとっての)花束を送り続けるし、あなたがナイフを向けてきたら、倍の花でナイフを隠す。ナイフを消すことはしないけど、戦闘不能にはする。対ナイフにおいて、僕は戦闘民族でいる。武器は、概念の花束で。

僕は僕の武器から逃げないし、あらゆる起こりうる出来事からできるだけ逃げないし(抑うつひどいときはかわすけど)、僕自身の本心をきちんと見抜き聴き尽くす。それができるように、いつでも準備をしておく。
好きな人に好きと言い続けることは僕の得意分野だと思い出したから、ログ。

全ては僕のエゴだけれど、あなたにとってはゴミかもしれないけれど、僕の全力をその瞬間に尽くして、あなたに花束を送り続けたい。そうやって毎日どうにかこうにか生きていけたら、それが僕にとっての「ていねいなくらし」あるいは「生活」なのだと思う。そこにあるものがぜんぶゴミだったとしても、僕は僕の花束を信じていたい。だから、それは花束ではないと思ったら、どうか教えてね。

トラジャに英語でコメントしたいけどloveしかわからん!みたいな人向け、オタク語彙に訳して超簡単な単語だけとりあえず覚えようの記事②

第①弾▼

 

bookmarker35.hatenablog.com

 


トラジャがロサンゼルスからいろいろ発信してくれるのに伴い、「こういう言い回しもあったらいいな」というのが増えてきたので第2弾です。

前回に引き続きこちらも「とにかくオタクのパッションを伝えること」を最重要視しています。文法がボロクソなのはもう仕様なので、どなたか訂正お願いします(他力本願寺)。
でも「細かな文法は間違っていても好きと伝えたい」という気持ちが大事だと思うのです。
各インタビューなどでメンバーがアメリカはSNSのいいねで仕事が決まることがあるような世界」と言っていますし、反応の数を増やしたい!そして、反応するためのハードルを下げたい!ということでこのブログを書いています。引き続き、きちんとした正確な英語をお求めの方はご遠慮ください。

いずれも常套句、よくある文章です。僕が思い浮かぶんだからみんな思い浮かぶと思います笑。だから他の人と被ってもあまり気にせず、絵文字だけは変えておくか、くらいの気持ちで使ってください!

 

 

 

おつかれさま!

英語には日本語ドンピシャの「お疲れさま」という言い回しがない(少なくとも僕は知らない)です。なので、「頑張りを労う」「努力に感謝をする」という文章がその代わりになります。
以下、どれもよくある言い回しなのでそのまま使って大丈夫です◎

thank you for your effort!
(頑張ってくれてありがとう!)

your effors bore fruits!
(努力の実がなった→努力が身を結んだ→お疲れさま)

your hard work paid off!
(努力が報われたね)

you did it! / you made it!
(やったね!やりきったね!→do/makeが終わった、完了したことを讃えるイメージ)

good job!
(よくできました!)
※グッジョブ、便利ですがちょっとだけ上から目線で、同僚に使うようなイメージかもしれません。先輩には使わないかな……。後ろに文章が続く場合とかに使うといいかも。
good jobと同じ意味合いの「well done」は教師が生徒に「よくできました」と言うときの言葉なので、well doneは避けたほうが無難かな……。


おめでとう!

congratulations!
(なぜか複数形です。sついてるほうが自然です。なんでかは……調べてみてください)

congratulations on 3rd place!
(3位おめでとう!)
なお3rdは1st/2ndと言い換えられます。活躍を期待して、書き添えておきます。

congratulations on passing the test!
(テスト合格おめでとう!)

congratulations on winning!
(受賞おめでとう!)

 

ダンスの感想①

WODのように、今後もたくさんダンスの感想を言う場面が出てくると思うので……。
ただ、僕も感想を言うことばについては正直ほとんど思い浮かばず、下記ならどうかな?と思います。もし他に「こんなのあるよ!」という方いたら追記したいのでどんどん教えてください🙇‍♂️

makes me ○○
主語を「トラジャのダンス」にして、それが自分を○○にしてくれる、と言う表現。

Your dance makes me happy☺️
(きみのダンスはいつも幸せを運んでくれるね☺️)

TravisJapan's performance makes me smile!
(TravisJapanのパフォーマンスはいつも私を笑顔にしてくれる。)

happyやsmile以外にも、自分はこんな気持ちになる!という単語があれば当てはめて使えます。

makes me want to dance together!
(一緒に踊りたくなった!)


What a ○○ performance!
(なんという最高なパフォーマンス!)
ブログ①に載せたwhat a ○○はこういうときも使えます。
→great / awesome / fantastic / gorgeous
 cool などの単語を入れるとよき。詳しくは第1弾ブログの「最高」を。

 

ダンスの感想②

I can't keep my eyes off your performance!
目が離せないよ!

I gaze you...
ガン見してる(gazeは「凝視する」みたいな意味の単語です)

I gaze you open-mouthed...
(口あけてガン見してる…)

I love TravisJapan's dance!
(TravisJapanのダンス大好き!)

YouTubeなら、時間指定してメンバーの名前!!!!って書くだけでも言いたいこと伝わると思います👍
結局、loveに勝る単語はない気がしています

 


応援してるよ!

you can do it!
(きみならできる!)

I believe in you.
(信じてるよ!→応援してるよ)

I give TravisJapan a boost.
(TravisJapanを応援してるよ)

We cheer for TravisJapan.
(我々はTravisJapanを応援しています)

この項目はブログ①の「がんばれ!」とかぶる部分も多いです。イメージ的にしっくりくるものを使ってください。


関係者の方に

最近はInstagramなどで関係者の方々がTravisJapanを載せてくれたり、コメントをくれることも増えました!ありがたや。
アメリカはSNSの反響だいじとはメンバーもインタビューで言っていますし、今後「そういえばTravisJapanを載せたときの反響すごかったな」と思われたら何かご縁につながるかも??と思っています。
そんなときに使える文章です。


トラジャ担です(名乗る)

I'm fan of TravisJapan.
トラジャ担です。

I'm big fan of TravisJapan.
トラジャ担です(big入りなので強め)。

I'm a huge fan of TravisJapan.
トラジャ担です(hugeなのでかなり熱烈)。

 

投稿ありがとう!

thank you for posting!
(ブログ①の「投稿ありがとう」に色々ありますので詳しくはそちらを→トラジャに英語でコメントしたいけどloveしかわからん!みたいな人向け、オタク語彙に訳して超簡単な単語だけとりあえず覚えようの記事 - 人生のスタンプラリー (hatenablog.com))

フォローしました!

I've followed on you Instagram!
(あなたのインスタを今フォローしました!)
I'll following you on twitter now!
(Twitterいまフォローしました!)

トラジャ効果でフォロワー増えたらすごいかなと思って、僕はいちいちフォロー報告をしています……笑。

この、
「トラジャ担です。投稿ありがとう!フォローしました!」
の3文があれば、相手に「TravisJapanのファンが見てくれたんだ、フォローしてくれたんだ」と伝わるはずです。この3文はもうこのまま使っちゃってオッケーです。


トラジャのことが書かれていた、トラジャの映像があったとき添える一文

以下は、フォローしました!以外に感想を伝えたり、投稿への感謝をする文章です。

I'm happy to hear that!
(トラジャが誉められていたとき)そう聞けて嬉しい!

you and TravisJapan, good photo! 
(あなたとトラジャ、いい写真〜!)

thank you for good video!
(素敵なビデオありがとう!)

I'm happy to see this video/photo!
(動画/写真が見られて嬉しい)

How was your lesson with TravisJapan?
(トラジャとのレッスンはどうでしたか?)

What's your impresson of TravisJapan?
(トラジャの印象はどうですか?)

とはいえ、むりに文章を書かなくても、
wow! TravisJapan is so cool!
(わー!トラジャかっけぇ!)
TravisJapan is great!
(トラジャ最高!)
でも十分だと思います。
その場合、投稿してくれたことへのお礼として
thank you for your video/photo!
(ビデオ/写真ありがとう!)
がついていればなおいいかなと思います!


第2弾はこんなところで……。
相変わらず文法がどうかしてると思うので、みなさま訂正をお願いいたします。笑
そして英語でコメントするのハードル高いなとか、英語苦手なんだよなって方!大丈夫です、通じます。オタクとは情熱の生き物ですから。とにかく好き!と伝えたい気持ちを持って、こちらのブログのコピペでぜんぜんはなまるなのでコメントしてみてください。
コメント数やハートの数で生まれるご縁を生み出せるのはオタクですしね。

また、「こういうことが言いたい」「これが難しい」などあれば、Twitterには英語ができるトラジャ担さんがたくさんいるのでぜひ助けを求めてみてください。僕も(文法がどうかしててよければ)一緒に考えさせてもらえたら光栄です!

 

渡米中こそ頑張りたいことや、要望先のまとめスプシなども作っています。もしお役に立てたらうれしいです!

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